掬水へんろ館遍路日記第2期前日翌日談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第2期くしまひろし

第1日(7月27日) 空路徳島へ! 23番〜鯖大師

昨日と同じように早起きして、4:40に家を出る。

横浜駅で羽田空港行きのバスに乗るとき、YCAT(横浜シティ・エア・ターミナル)の自動チェックイン機に航空券を入れてみると、無事チェックインできた。今日は搭乗手続きは通常通り行われているということでホッとする。

空港に着いてみると、きのうのコクブさんがいる。ささやかな縁を生じただけの人と再会すると何となくうれしい。

徳島
徳島へ
6:50 無事離陸! 7:50 徳島空港に無事着陸!

台風はまだそのへん(中国地方)にうろうろしているらしいが、特に風が強いわけでもない曇り空である。バスでJR徳島駅に向かう。9:41発の特急うずしおの指定券を購入。台風の翌日なので心配だったが、ダイヤの混乱もないし席もすいているようだ。

世間は狭い

まだ1時間ほどあるので、駅ビルの中の喫茶店でコクブさんとお茶を飲む。コクブさんは、僕より少し年上のサラリーマン風な方だが、昨年、奥さまが40代の若さで病気で亡くなられたとのことだ。その菩提を弔うための遍路である。色々と思い出話を伺う。肌身話さず持っておられる写真も見せて頂く。まだまだ生々しいつらい体験だと思うが、こうして見ず知らずの他人に話すことも癒しの足しになれば…と思う。ところが、お互い前回の遍路の話などしているうち、意外な事実が判明した。「御仕事は?」なんていう会話から私が、
「会社員です」
「どんな方面の?」
「コンピューター関係で…」
「へぇ私もです」
「え同業者ですか。私は、○○○です」
「えへへ、実は私もです」
見ず知らずどころか、何と同じ会社の人だったのだ。20年以上も同じ会社にいたのだから、今まで会議か何かで同席したことがあるかもしれない。

コクブさんの話

前回は1番から23番まで歩く予定だったが、白衣のズボンの生地と相性が悪かったのか、ふくらはぎの外側に炎症ができ痛くて歩けなくなったので22番でお終わりにした。自分の場合、歩くことが目的ではなく、昨年亡くした妻を供養することが目的なので、歩くことにこだわる必要はないと考えた。だから今回は長いところは電車なども利用することにした。前回22番までで終わったので、本当は22番から歩かなければならないのかもしれないけれど、今回は23番からスタートして、電車で行けるところ(甲浦)までは電車で行く。その先、室戸岬までは空海ゆかりの地でもあり、歩いてみたい。

日和佐
日和佐
日和佐に向かう特急うずしおでも、コクブさんとの話は続く。まだまだ話足りない気持ちだが、特急だと徳島から1時間足らずで日和佐に着く。

2度目の薬王寺

コクブさんと一緒に23番薬王寺にお参りをする。礼拝には一応決まった手順があるが、僕は今までただ手を合わせるだけか、せいぜい経本の般若心経のところをを読んでみるだけであった。コクブさんはまじめに礼拝しているようなのでこの機会にまともな手順を教えてもらった。

コクブさんと
薬王寺にてコクブさんと
納経所で2度目の納経をする。2度目は、墨書はせず納経帳の前回と同じページに朱印をずらして押すだけである。従って、何度も遍路を繰り返している人の納経帳は朱印で埋めつくされて真っ赤である。100回以上巡っている人の納経帳は朱肉が積み重なって厚くなっているという。各札所の独特の墨書と朱印のイメージはなかなか美しいと思っている僕としては、真っ赤になった納経帳というのはどうも頂けない。区切り打ちで、区切り目のお寺の朱印が二重になるのは仕方がないが、将来、2巡目以降の巡拝をすることがあったら新しい納経帳を持って出ようと思う。

なお「作業量」は半分以下だが料金は同じく300円である。記念撮影をしてコクブさんと別れた。

納経を終えると11時過ぎである。納経所で鯖大師までの道順を確認する。「夕方までに着きますよね」「17キロぐらいだから大丈夫でしょう」という。薬王寺の入口の電話ボックスから鯖大師に電話して宿泊の予約をする。「今から日和佐を出るんですか。5時半ぐらいかな。30キロはありますよ」という。17キロと30キロの差は何なのだろう。「国道55号を行くんですが30キロもありますか」ときくと、急に自信なさげな声になって「いや私も実際歩いたことはないので詳しくはありませんが…」とのこと。ちなみにへんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人」(以下「同行二人」)によれば20キロということになっている。

昼食には少し早いが、歩き始めるとき、ふとひらめいてみやげ物屋で密封包装のちくわを買っておいたのが、後で大変役に立った。遍路には非常食の携行が必要なのである。

国道55号線を行く

国道55号線
国道55号線
台風通過直後ということで天候が心配だったが、暴風雨が残っているわけでもなく、また台風一過の晴天というわけでもなく、なんとなく曇りがちで適度に風があり、幸先のよいスタートである。

「同行二人」の地図にある食堂は2軒とも閉まっていた。ちょうど12:00ごろ、国道沿いの「スタジオ一番館(カラオケ&レスト)」をみつけ、ハヤシライスを食べた。12:20発。
水田
国道わきの水田

国道を歩くと、大型トラックなどが通りすぎるとき菅笠があおられてしまう。前回は何度も笠を飛ばされそうになった。今回は、「同行二人」の記述を参考にして、菅笠に元からついていたひもを捨てて、新たにひもを二重にクロスさせたので大丈夫である。

このあたりの水田は、もう稲穂が頭をたれている。稲刈り間近といった様子。僕の自宅の水田はまだ穂も出ていないのと比べるとずいぶん早い。二期作なのだろうか。

陽気な親子

カタネさん
中2のお嬢さんと
立ったまま休憩中の遍路姿の女性二人に出会った。お母さんと娘さんである。

「休憩ですか。立ってないで、そのへんに腰をおろしたらどうですか」
「腰を下ろすとクモが寄ってくるので…さっきも大変だったんです」

春に23番まで歩き、今回は僕と同じように昼から23番から歩き始めたとのこと。東京から昨日の飛行機に乗るつもりだったが欠航したので、新幹線で新大阪まで、さらに在来線で岡山まで来て宿泊。今朝四国入り。あっさり1日出発を遅らせた僕と比べるとなかなか意思強固・目標達成志向のお母さんだが、歩くことや、遍路中に様々な人々と出会うことを心から楽しんでいるように見える。短い立ち話の間に前回の遍路のことから今回の計画までたくさん話してくれた。40代の陽気なお母さんの脇で、広末涼子風の中学2年生の女の子はニコニコしている。今日は海部まで行き(約28キロ)、明日は佐喜浜町まで行く(約35キロ)という。

僕は、今日は鯖大師まで20キロ、最初からあまりペースを上げるとバテる恐れがあるので、明日も24キロぐらいの東洋町野根で宿泊にしようかと考えていたのでちょっと圧倒される。

コインスナック
コイン・スナック
日和佐町から次の牟岐町に入ったあたりに、自動販売機が13台も並ぶ「コインスナック」があった。屋根つきの休憩所に椅子とテーブルもある。場所柄からいうと車で通行する人向けだろうが、歩き遍路にとってはこういうものがあるというだけでお接待を受けたような気持ちになる。ジュースやコーラなどの飲物のほか、牛丼650円、ビーフカレー600円、その他アイス、うどん、そばなど何でもある。ここは別格としても、今回歩いた55号線沿いの自動販売機は、かなり大変充実していた。特に飲物系だけでなく食べ物もあるというのは、昼食に苦労する遍路にとってはありがたいことである。ただ予測ができないので、それを頼りにして歩くわけにはいかない。

初めてのお接待

牟岐の海岸
牟岐の海岸
ほんの3時間ぐらいしか歩いていないのに、もう右足の裏が痛い。舗装道路を歩くとすぐにやられるようだ。だんだん歩くペースが落ちてくる。

15時過ぎ、牟岐川を渡り牟岐駅近くの商店街にさしかかると、後ろから「お遍路さん、お遍路さん…」と追いかけてくる女の人がいる。今回初めてのお接待である。カスタードクリーム入りのお饅頭(名称失念。仙台の「萩の月」のようなもの)3個を頂く。むにゃむにゃとご宝号を唱え(正しくは「南無大師遍照金剛」×3回)、納札を差し上げた。

孤独に歩いているときに、こういうコミュニケーションがあると、元気が出てくるから不思議である。すこしペースを速めて八坂トンネルを過ぎると、海岸線が間近に現れ、黒潮洗う室戸岬に近づきつつあるという実感が湧いてくる。

鯖大師

16時過ぎ、右手に鯖大師の入口の看板が見えた。境内では先着の男性遍路がお参り中。納経所で、「予約してないが宿泊できるか」と尋ねている。どうやらOKらしい。「歩きですか」と尋ねると「1番からずっと自転車で回っている。焼山寺や鶴林寺はもう大変だった。」とのこと。

ここの宿坊「へんろ会館」は立派な建物である。納経を済ませて、案内される通り会館の玄関に足を踏み入れると、どーんと「杖立て」が置いてあって「串間様ご一行」と書いてある。部屋に案内されるとその入口にも「串間様ご一行」と書いてある。何だか一人で泊まるのが申し訳ない感じだ。

同宿のお客は、先程の自転車の男性の他は、家族連れ風の6〜7人の団体だけである。このグループは遍路ではないらしい。

お杖様リプレース

さて、今回は前回より真面目に巡拝の形を整えようと思うので、念珠と持ち鈴をへんろ会館の売店で購入することにした。ろうそくと線香は出発前に横浜のダイエーで購入済で、東急ハンズでみつけた手頃なペンケースに収納してある。

この売店というのが、「販売員」のような方は誰もいなくて品物は置きっぱなしで、高価そうな念珠や「弘法の筆」なんていうのが置いてある陳列ケースも鍵はかかっていない。まったく不用心であるが、ここには不心得者は来ないのであろう。

寺務所にいってわざわざ若いお坊さんに来てもらって念珠を選び、持ち方などの指導を受けた。

さらに、金剛杖を新たに購入した。実は、今まで持っていた杖は、1番霊山寺であまり深い考えもなく選んだものだが、僕には短いのだ。下り坂では杖の用を成さない。でも本来八十八ヵ所を共に巡るべき、弘法大師の身代わりであるところの杖を買い換えたりしてよいものだろうか。そのお坊さんに相談すると、「かまわないと思いますよ。前のお杖はこちらでお焼きしますから…」とのこと。朱塗りの長い杖を求め、カバー(帽子)と鈴だけ古い杖から外して付け替えた。
夕食
鯖大師の夕食

広々とした風呂を一人で占領してゆったりと初日の汗を流し、豪華な夕食を頂いてから、「同行二人」の本で行程を再度研究する。選択肢は野根まで24キロか、佐喜浜町まで42キロかしかない。その間には宿がない。早速痛みはじめた右足の意見も聞いてみる。

時間をかけてきちんと休憩を取りながら行けば大丈夫だろうと決める。日の出(5時頃)とともに出発することにし、朝食をキャンセルして支払いを済ます。朝のお勤めに参加すると6時過ぎになるというのでこれも断念。「夜のお勤めがあると聞いたのだが」と尋ねると「春はやっていたんですが…」とのこと。結局、期待していた加持祈祷は諦めるはめになって、何のために鯖大師に泊まったのかわからない。こんなことならあの親子のようにもう少し先まで歩けばよかった。

「民宿とくます」に明日の予約の電話を入れてから早々と寝る。歩数35535・約20キロ。

掬水へんろ館遍路日記第2期前日翌日談話室