掬水へんろ館遍路日記第2期前日あとがき談話室
掬水へんろ館四国遍路ひとり歩き 第2期くしまひろし

第8日(8月3日) 33番〜35番

5:40発。渡し舟の代替だからといってバスに乗るというのに何となく割り切れないものを覚えるので、車の場合のルートである浦戸大橋を渡るコースをとることにする。24時間弁当屋の「くいしんぼ」で朝食用のおにぎりとウーロン茶を買い、土佐湾側に出て浦戸大橋に向かう。

躾けのよい犬

躾けの良い犬
躾けの良い犬
6:00頃、種崎海岸に近い林の中にキャンプ場がありテントが多数張ってある。まだ起きている人は少ない。海岸近くに立派な休憩所がたくさんあるので、その一つで海をみながら朝食をとることにする。

さーて、と腰を下ろそうとするとどこからともなく現れた犬が、きちんとお座りして僕の方を見た。まずいね。犬は嫌いだ。犬好きに悪人はいないとか言うけど、僕は悪人と言われてもかまわない。犬は嫌い。噛みつきそうだから。嫌いというより怖い。子供のときから怖かった。大人になったら怖くなくなるのかと思っていたけど今でも怖い。一応、町の中では怖くない平気な振りをしているけど、こんな誰もいないところで犬とツーショットなんて怖い以外の何物であろうか。

食べ物の匂いを敏感に嗅ぎ取って寄ってきたのであろうか。ここで食べ物を出したら飛びかかって来るのではないだろうか。

とりあえずウーロン茶だけ出してゆっくり飲む。早くあっちへ行かないかな。首輪をしているからのら犬じゃないんだろう? そのへんでキャンプしている家族の飼い犬なんだろう? 他人におねだりしないで自分ちのテントに帰りなよ。

犬はいつまでも待っている。きちんとお座りしている。期待している。当然もらえると思っている。

杖を武器にして追い払うという手もあるが、逆襲されたら怖いし、運よく逃げてくれたとしても、平和的に寄ってきた犬を追い払うというのは何だか遍路の行動スタイルとしてはよくないような気がする。

まあ、これだけ躾けの行き届いたような犬だから、目の前で食べ物を出しても飛びかかっては来ないかもしれない。犬の様子を伺いながら、そろそろとお握りをだす。ぷんと海苔が香る。犬が身じろぎをする。いよいよ期待している。

躾けのよい犬の話

ウチの奴らはみんな寝坊でサ。もう腹ペコ。ここまでお行儀よくお座りして待っていたんだから、当然何かくれるよね。お遍路さん。

参ったね。ここはお接待するしかないか。おにぎりを一つまみちぎって投げてやる。すぐ食べてしまった。またすぐお座りの体制に戻って待機している。こちらはお握り2個目である。もう一かけらやる。「もう終わりだよ。もう何も食べ物はないんだ。おしまい。さよなら。」と言って聞かせる。犬は聞こえない振りをしてずっとお座りしたままである。

朝食を終わり、身支度をして、杖を「とん」とついて立ち上がると犬は怯えたように向こうへ行ってしまった。初めからそうしてみれば良かった。思えば、犬とコミュニケーションを持ったのは生まれて初めてであった。

浦戸大橋

浦戸大橋
浦戸大橋
浦戸大橋を渡ってからは、海岸線に沿って道なりに行けばいいはずなのだが、微妙な三叉路に行き当たった。地図を見て方位磁石を出して方角も確認するがよく分からない。回りを見ても工場があるだけで、こんな早い時間には誰もいない。でも、遍路が難儀しているときは必ず助け船が現れることになっている。ほらね。向こうからバイクの男性が来る。

「すいませーん」。

僕としてはどちらの道を行けばいいのかさえ教えてもらえばよかったのだが、男性はバイクを止めて僕と一緒にしゃがみ込んで地図を地面に広げ、大変ていねいに色々なことを教えてくれた。雪蹊寺に行くには色々なルートがあって少しずつかかる時間が違うこと、このルートを行くと自分が通った小学校の脇を通ること、橋が3つあってどれかの橋を渡らなければならないが、3番目を渡るのが一番近いこと、でもどの橋を渡っても2〜3分の違いであって大した違いではないこと、この辺は昔とはすっかり地形が変わってしまったこと、何でゴルフ場なんか作る必要があるのか分からないこと、宝くじに当たりたいこと…

雪蹊寺のおばあさん

9:30 33番雪蹊寺着。境内を掃除中の近所のおばあさんと話す。

近所のおばあさんの話

いつもお世話になってばかりだから、きょうは特に境内の掃除をさせてもらおうと思って掃除道具一式を持ってやってきた。信心していれば御利益がある。 ある晩、夢にお大師様が出てきて「34番にお参りなさい」言われた。わけも分からず、翌日、お参りすると。お遍路249回目というおじいさんに出会った。錦のお札を頂いた。これが私の病気には大変ご利益があった。

またある時は、ここのお寺にお参りしていたら、目の前にお大師様が現れた。その左右には何人ものお供が、お大師様を扇で仰いでいた。ああ、お大師様に会えるなんて…と涙を流し、「貧者の一灯でございます」と持っていたお金全部を差し出した。「おばあちゃん、何してる」という声に我に帰り、よく見たら、お大師様と思ったのは、遍路の団体を率いた先達の人だった。お供と見えたのは遍路の人々だった。

一度ハイヤーで88箇所回ったが、お金がかかる。貧者にはふさわしくない。その後は自分の車で回っている。歩きで回るのは車で回るのに比べると3倍の値打ちがあるよ。

私はこれから久しぶりに34番にも行ってみる。軽トラックで行くけど乗せてやろうか。歩く? そうか、そうか。まあ、キミの足なら3時間とかからずに着くであろう。

おばあさんに「キミ」と呼ばれたのは生まれて初めてだったので面食らったが、確かに年齢差からすれば、僕はまだジャリに違いない。或いは、目が悪いようだったので、菅笠を脱いだ僕の薄い頭髪が見えなかったのかも知れない。

おばあちゃんは多額の賽銭をお接待してくれた。今回の区切り打ちは今日までで、昼過ぎには帰るんだとはちょっと言い出せなかった。

豪華な道標
豪華な道標
納経所はお寺には珍しく長髪の人がやっていた。これでもお坊さんなのかな。冷水機が置いてあって「寺の近くの湧き水を入れてあるので良かったらどうぞ」という。納経が済んでから頂こうと思って待っていたら、先程のおばあさんが入ってきてコップについでくれた。納経中に飲んでは失礼なような気がしたので、カウンタのような台の上に取りあえずコップを置いたらその長髪氏に「そこにはコップを置かないように。濡れるといけないから」と叱られてしまった。また別の人が入って来て話しかけようとしたら手でバツ印をして「只今納経中。後で」。なかなか気難しそうな人だ。でも、納経が終わって、次の種間寺への道順を尋ねると、歩き遍路用の道順を丁寧に教えてくれた。

10:00発。ここから種間寺までの間には、歩き遍路向けに、保存協力会のお馴染みの標識以外に、本格的な標識が何箇所かあった。どういった経緯で設置されたものかは知らないが、こうした標識は車両向けがほとんどであるので、お遍路さんのマンガの入ったこういう標識は珍しかった。

仁淀川
仁淀川
34番種間寺の広い駐車場の隅の電話ボックスで帰りの飛行機を予約する。

仁淀川の手前では、遍路標識の方向指示がよく分からずキョロキョロしていたら、少し前に通り過ぎた仏具製造所みたいな店のご主人がわざわざ追いかけて来て教えてくれた。本当に遍路は四国の人々の親切で成り立っている。この暖かさに対して、自分は何を還元できるのだろうかと考え込んでしまう。もっとも、この give and take の発想自体が遍路とは相入れないのかも知れない。

アゲハ

清瀧寺へのアプローチ 清瀧寺
清瀧寺へのアプローチ 第35番 清瀧寺
仁淀川を渡って、土佐市に入り喜久屋旅館の前を通り、町をはずれて清瀧寺への長い長いアプローチを行く。ふもとから車道と分かれて遍路道を登っていくと、お寺が近くなったあたりでどこからともなく美しいアゲハチョウが現れた。高知県に入ってからアゲハに出会うことが多くなった。今日のアゲハは一段と美しい。すっと寄って来たかと思うと、誘うように前方に飛び去る。まるで出迎えに来て、案内をしているかのようだ。山門のあたりでひらひらといなくなってしまった。

12:40、今回最後の札所、35番清瀧寺に到着。電話で高知駅方面へのバスの時間を確かめる。大丈夫行けそうだ。

13:15、山門を出ると、何と、先程のアゲハが「お疲れさま」という具合に寄ってきた。昨日の修行の成果か、僕は今や犬やチョウと通じ合えるようになったのであろうか。(実のところ、さっきのチョウと同じチョウなのかどうかアゲハの顔は見分けられないのだが、この時は実感を伴ってそういう風に感じたのである。)

14時前に、ふもとの高知県バス高岡営業所に到着。一旦荷物を置いて、ホカ弁屋で昼食のサンドイッチを買って待合室で昼食とする。雨が降り出し結構本降りになってきた。今まで降らなくてラッキーだった。いやいや、お大師様が今まで雨を降らすのを待ってくれたと解釈すべきか。信心というのも結構自己中心的ではある。

はりまや橋

はりまや橋
はりまや橋
14:05発の高知行きバスに乗り、空港行きのバスに乗り換えるため、はりまや橋で下りた。有名なはりまや橋は「はりまや橋」と書かれた赤い欄干が目立つ程度で何ということもない橋である。だが、賑やかな交差点とバスターミナルの名前として今に生き延びているようだ。

土佐電鉄のビルにあるカウンタで航空券を購入。同じビルの中のでトイレで、タオルを絞って汗だらけの体をふいて、洗濯済のTシャツに着替えた。さらに、15:10発の空港行きバスの中で、きゅうくつな座席で靴下を脱いで足をふき、靴下も履き替えた。何とかリフレッシュされた気分である。

高知空港の再会

空港でチェックインを済ませてロビーでうろうろしていると、何と旅館かとりで一昨日別れたカタネさん親子がやって来た。もう会えないだろうと思っていただけに大感激。ここで竹林寺への遍路道でのアクシデントの話を聞いた。カタネさんとは、初日に出会ってお互い前後しながらほとんど同じ行程を歩いてきた。同じ宿に泊まったのは2日目のとくますだけだが、旅の体験をたくさん共有した気がする。旅の終わりにまた出会えたことによって今回の遍路旅が予定調和的に完結したように感じた。

16:45発ANA568便にて羽田空港へ。京急蒲田の駅で、南へ向かう僕と北へ向かうカタネさん親子とは堅い握手を交わし、本当のお別れとなった。19:30自宅に帰着。

38338歩・24.0キロ。



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