くしまひろし |
今回は特に1日中、ただ歩くだけという日が多かったこともあって、距離感覚が肌で感じられるようになった気がする。
「28.8キロ」の実感 先日、仕事で外出するときの所要時間をパソコンの「駅すぱあと」で調べていると、横浜〜東京間が「東海道本線 26分 28.8キロ」と表示された。以前なら電車の所要時間しか目に入らず、「28.8」という数字はまったく意味を持たない記号として目に映っていただけなのに、今やこの「28.8キロ」が生々しく歩きの感覚をもって足の疲れまで連想して、つまり実感を伴って目に飛び込んでくるようになった。
Kさんというのは、第1期で道連れとなったキタムラさんのことだ。こうした紀行文で特に本人の了解も得ずに個人の名前を出してもいいものかどうか自信がなかったので、前回はKさんと表記した。今回は前回以上に何人もの方々とお付き合いさせて頂いた。
歩き遍路同士というのは、独特の連帯感があるうえ、同じところを歩いた体験を共有しているので、話題の尽きることがない。初対面だと道に迷った話とか宿の話題が中心だが、しばらく共に過ごしているうちに、遍路に出た動機など深く重い話題にも触れ合うこともある。他人の個人的な事情になるので詳しくは書かなかったが、僕自身としてはそれぞれ切実に受け止めた積もりである。また、歩き方を見ていると性格も分かってきて、親しみを覚えてくる。
最初に出会ったコクブさん。
親子連れのカタネさん。
半ズボンのカワイさん。
前進志向のクボタさん。
そして、歩き遍路ではないが、謎の修行者コザキさん。
もうお分かりですね。今回も全部「Kさん」なのだ! これではイニシャルの区別がつかないし、だからといって、Aさん、Bさんではあまりにリアリティに欠ける。そこでご本人たちの了解はないのだが、今回は敢えて実名にしたのである。それにしても、何故にこれだけ僕の回りにKさんが集まったのか不思議で仕方がない。ついでに言うと、僕の名前もクシマでKだったりする。
謎の修行者コザキさんと、21番太龍寺の南舎心について話していて聞いた話である。
太龍寺の南舎心 太龍寺は、24番最御崎寺とともに、空海が修行したことが確実な史料で確認できる寺の一つである。太龍寺の奥の方に空海が修行したと伝えられる南舎心という絶壁があり、空海の銅像が立っている。しかし、その回りには、危険防止のため綱が張ってあり、一般の人は近寄れない。空海の銅像を10メートルぐらい離れた所から見ることができるだけである。最御崎寺のふもとにある御蔵洞には誰でも自由に入れて、空海の修行の現場を実感できるのと対照的だ。「空海が修行した現場に入ってみたかった」というようなことをコザキさんが太龍寺のお坊さんに申したところ
「綱で立ち入り禁止になっていても、入る人は入る。諦めて入らない人は要するにそれだけの人だということだ。入るか入らないか、そこがある種の分かれ目とも言える。」と言われたという。僕は、札所では般若心経を唱えるけれども、僕の遍路は基本的に趣味遍路であるから、僕自身は仏教徒ではない。でも、宗教というよりむしろ哲学であるとも言われる仏教の思想について、もう少し知りたいと思った瞬間であった。(97.09.13)