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過日、早稲田大学の長田教授から、遍路旅に関する聞き取り調査を受ける機会があった。
僕が最初に四国を歩いたのは1996年5月。長田教授の属する研究チームでは、当時、宿坊などにアンケート用紙を置いて「遍路と遍路道に関する調査」を行い、結果を分析して各種のレポートとして発表してきた。僕は、歩き始めて間もない6番安楽寺の納経所でそのアンケートに記入していた。今回は、当時の回答者の中から一部を抽出して、10年後の今を詳しく聞くという活動らしい。
聞き取り調査のために都内某所でお会いした際、僕自身が当時記入したアンケート用紙のコピーをいただいた。11年近くを経て、「若葉へんろ」だった自分と対面するのは感慨深いものがある。
「困った経験はありますか」という設問の回答で、「荷物が多すぎた」という選択肢に丸がついているのが笑える。この時点では、正味1日も歩いてないのだ。
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ベランダのアサガオが満開だ。
五つのアメ玉の那美ちゃんお接待で頂いたタネから育てたものだ。過去に採種したタネに、今年5月のお遍路のときに頂いたタネも混じっている。
お遍路も年1回ほどのペースになってしまったが、マンションのベランダに咲くこの花もまた、僕にとっては、日常とお四国を結ぶ縁の一つなのだ。
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋をつくる会」というものが設立されたそうだ。資料が郵送されてきた。もともとヘンロ小屋プロジェクトは、建築家の歌一洋さんが推進してきたものだ。建設済みの小屋の数も増え、今後PRや資金調達の面で組織化を計る必要が生じたのかも知れない。設立された団体には、会長として作家の早坂暁さん、顧問には四国4県の知事が顔を揃えており、そうそうたる体制である。
発起人として、60名以上の名前が並んでいる。その中に「串間洋(HP掬水へんろ館館長)」と書いてある。これが問題だ。僕は、このような団体の設立には関与していないし、もちろん発起人になったこともないのである。さらに、僕は「館主」と名乗ることはあっても「館長」などという肩書きを名乗ったことはない。僕の美意識を著しく逆なでする。
関係者の善意を疑うわけではない。会則や事業計画の内容によっては、事後承諾として穏便な解決を図ってもよいとも考えた。しかし、資料をよく読んだ上で、やはり僕としてはこの団体には参画できないという結論になった。発起人として60名並ぶ中の僕の名前が、この案内を見た人の3000円の会費支払いの決断を左右するとは思えないが、とにかく僕としては容認できる事態ではないので、訂正をお願いしているところである。
これまでの僕の関わりは、歌さんが孤軍奮闘されていた頃にささやかな支援をしたことと、昨年大阪で開催されたシンポジウムにパネラーとして招待されたことである。ヘンロ小屋プロジェクトの基本的な趣旨に賛同の立場は変わらないが、あくまでも個人が責任をもつ活動に対して、個人として支援できればと思っている。
「なか見!検索」というのは、Amazon
のサイトで開始された新しいサービスの名称だ。洒落たネーミングとは思えないが、要するに書籍の中身まで検索できる機能なのだ。
オンライン書店では、一般に著者名、タイトル、出版社、ISBN、解説文のキーワード検索などができ、さらに表示順序を出版年月、価格、人気などで揃えることができる。従来の書店に比べるとはるかに広い対象から本をみつけることができるわけだ。しかし、書籍の現物を確認できるわけではないので、こうして見つけた本が届いてみたら期待はずれだったということもありがちだ。つまり「立ち読み」で本を選ぶとか、ちょっとした情報は「立ち読み」で済ませてしまうというような使い方はできなかった。
ところが、Amazonでは11月からこれができるようになったのだ。例えば、和書の検索でキーワードとして「焼山寺」と入れてやると、通常の検索結果としては「週刊四国八十八ヶ所遍路の旅7号」が表示されるだけだが、そこで「なか見!検索結果」というタブをクリックしてやると、8点の書籍が表示される。拙著「四国遍路のはじめ方」もリストアップされる。それだけでなく「四国遍路のはじめ方」には「焼山寺」が7回出てくることが分かり、それぞれ1行分程度の文脈を確認することもでき、さらに詳しく、その出現箇所のページの前後を数ページにわたって閲覧することもできるのだ。こうした検索結果としての表示だけでなく、書籍の目次、前書き、本文の冒頭の数ページも見ることができる。もちろん、本を通読されたらオンライン書店も出版社も困るわけで、書籍の内容の全体を表示したり、テキスト情報として抜き出したりすることはできないし、印刷や画面のハードコピーは簡単にできないように設計されているようだ。
このサービスはまだ始まったばかりで、実際には「なか見!検索」の対象となる書籍は限られている。また、
- 「本」に限定しないで「全商品」対象で検索すると従来の検索結果しか出てこない
- OCR入力の誤認識で文脈表示の内容が化ける場合がある
- 巻末の広告まで検索対象となるので全く無関係の書籍もリストアップされる
- 検索文字列を文字単位にand条件にしているようで、文字列としての検索精度が低い
とかいった問題点はある。
しかし、ともかく革命的なことだ。「ロールキャベツ」と検索してやれば、居ながらにして、タダで料理本の該当ページを立ち読みできるのだ。しかもカラーの写真入りで。印刷はできないがメモは取れる。もはやリアル書店の強みは、並んだ背表紙から選ぶ、装丁の質感、紙の質、ページめくりの感覚といった官能面にしか残らないことになるのではないだろうか。
今は、Amazonが提供しているのは立ち読み相当の機能だけだが、本のコンテンツを保有するのだから、いずれはコンテンツ販売にも進出するかも知れない。これまでも電子本のビジネスは存在したがマイナーだった。大手のオンライン書店がこうしたサービスに取り組むことになれば、少なくとも新刊本については市場が様変わりするのではないかと思う。
昨年6月からブログを試作して、Webmaster日記をそちらで書いていた。約1年が経過したが、その間に書いた日記は12件だけ。平均して月1回しか書かないのでは、あまりブログの意味がない。
そういうわけで、ブログはやめて、またこの本体サイトのWebmaster日記を続けることにした。この下には、ブログから1年分を一挙に転載してある。まあ、MovableTypeの勉強にはなったので、いつか役にたつかも知れない。
さて、今日の本題は「ふるさと切手」である。ご存知のふるさと切手「四国八十八ヶ所の文化遺産」は第1集が昨年11月に発行され、第2集が来る7月8日から発売の予定だ。昨年は発行の40日ぐらい前から「遍路トピックス」として掲載し、「掬水へんろ館ニュース」でも流し、トップページには切手の見本写真入りで掲載していたが、それでも発売日まで全く気づかれない方もあった。
記事の掲載が早すぎて、「まだ先のこと」と見過ごされてしまったのではないかと反省し、今回は発売直前に掲載しようと思っていた。年間の発行スケジュールは郵政公社から予め発表されているので承知していたが、そういうわけで、5月末に切手のデザインを含めて詳細が発表されたのも無視して、だんまりを決め込んでいた…。
ところが、そうもいかなくなってしまったのだ。たくさんの方から「ふるさと切手の第2集が出るそうですよ」とメールが続々と舞い込むようになった。
初めの何件かには丁寧にご返事していたが、ついに根負けだ。結局、発行の1ヶ月余り前にあたる6月5日に遍路トピックスとして掲載することになった。「人に行動を起こさせるには、きっかけとなる情報が早すぎてはいけない」というのが僕の考えだが、現実の情報の流れとの整合をとるのがなかなかむつかしい。
先月末に「掬水へんろ館」を運用するホスティングサービスを他社に乗り換えた。
2000年2月から5年間に渡り世話になってきたホスティングサービスも、ダウンすることはほとんどなく、サービスレベルに特に問題があったわけではない。九州の会社だがメールや電話でのサポートも良好だった。だが、そろそろ容量が上限に近づいてきて、こまめにバックアップしないとアクセスログがあふれるようになってきたのだ。
この5年間に、ホスティングサービスの料金相場も格段に低下しており、5年前には格安と思えた料金も、今となっては割高に感じられるようになってきた。しかし旧業者は容量追加の料金モデルを見直すつもりはないようなので、1年毎の契約更新を機会に、もっと安いところに乗り換えることにしたわけだ。
今回の移転の結果、年間料金は5分の1に低下、容量は1.7倍に拡大した。また、機器の性能も高いようで、サイト内検索のスピードが格段に上がったと感じる。
5年前にサーバ移転を行ったときには、DNS情報の伝播に5日ぐらいかかり、その間に談話室の書き込みが入り乱れて混乱を生じたことがあった。今回は24時間でほぼ伝播が完了した模様で、談話室休止は短時間で済んだ。アクセスログを見るとOCNが一番遅く、3日目ぐらいまで旧サーバへのアクセスが残った。
移行後、約2週間が経過したが、今のところ特に問題もなく、ほっとしている。
会社帰りに、2月5日(土)から開催されている八重洲ブックセンターのお遍路フェアに行ってみた。昨年夏の前回同様、地下1階の旅行書売り場の一角に平台が設置され、四国遍路関係の書籍がふんだんに平積みされている。へんろみち保存協力会の『四国遍路ひとり歩き同行二人』のそばに拙著も陳列してくださってあったので、まずは一安心。
担当の高杉さんに話を聞く。
他のフェアに比べて、お遍路フェアは効率がよい。ネットで知って来店される方が多い。「この本はいいですよ」などと知らないお客さん同士で会話が盛り上がったりするのには、びっくりした。他のフェアや日常の売り場ではちょっとないこと。
高杉さん自身は遍路経験はないが、若い頃にバックパッカーとしてアジアを放浪したこともあり、四国遍路に個人的にも関心があるらしい。
いつかは自分も歩いてみたいし、若いうちに行くことも意味あると思うが、今はブームになりすぎていて混雑していると思う。もう少し落ち着いたら行ってみたい。幸い、高野山には世界遺産前に行けたのでよかった。
僕としては「四国遍路の世界遺産化の運動もあるから、そうこうしているうちに、ますます混んでくるかもしれませんよ」とあおっておいた。
日曜の夜、横浜は天気予報に反して雪混じりの雨がパラパラ降っていた。
月曜の朝、少し手間取ったので、マンションの階段を駆け下りていたら、見事に滑って転んだ。凍っていたのに全く気がつかず無警戒だったのが敗因。転んだまま、体はずるずると数段滑り落ちて、ようやく止まった。とっさに突いた左手がしびれた。
1時間後、会社に着くころには、小指を中心に腫れ上がり、先が青く変色していた。
午前中は社内で会議、午後は社外で会議。途中、街の薬局で鎮痛消炎剤の貼り薬を買って貼ったが、あまり効果なく、会議中どんどん痛くなり、腫れもひどくなってきた。
家の近くに、夜8時までやっている病院があるので、整形外科を受診。医者は僕の手を見るなり、言った。「それぐらいひどく内出血していると、たぶんやっちゃてる可能性が高いですね。1ヶ月はかかりますよ」と、なんだかうれしそう。
「やっちゃてる」というのは、要するに、骨が折れているだろうという見立てだ。さっそくレントゲン。
出来上がったフィルムをもってもう一度診察室に行く。医者は、「ラッキーでしたね〜」と何だかちょっと残念そう。「骨は別状ないようです。それでも、腱などは断裂しているでしょうから、一週間はできるだけ安静にしてください」とのことで、小指と薬指を固定されてしまった。
医者は、診察が終わったあとも、「骨が丈夫なんですね」と、未練がましくフィルムを見つめていた。
僕は、普段は親指シフト配列で日本語を入力しているのだが、こんな状態で親指シフトは無理だ。しばらくは、ローマ字入力に転向だが、ストレスがたまる。
「遍路トピックス」として掲載した記事の2004年の年間アクセス件数のランキングを作ってみた。
順位 閲覧件数 トピックス標題 掲載日 1 5551 『四国遍路ひとり歩き同行二人』7年ぶりに改訂 2004.03.27 2 4965 四国4県オールロケの『ロード88 出会い路(みち)、四国へ』、9月18日より四国で先行ロードショウ 2004.08.14 3 3492 台風21号により横峰寺への遍路道が不通 2004.10.16 4 1851 「台風被害による遍路道の通行情報」(へんろみち保存協力会) 2004.11.23 5 1615 ふるさと切手「四国八十八ヶ所の文化遺産 第1集」11月5日に発行 2004.09.26 6 1489 5月5日PM、NHKラジオで生中継「春・四国遍路の旅」 2004.04.25 7 1294 「15歳の夏休み遍路」写真展 2004.12.04 8 1293 2月15日、名古屋市内で「歩き遍路友の会」年始会合 2004.01.12 9 1212 へんろ道保存協力会が高知県内2か所に遍路橋を設置 2004.06.04 10 1211 八重洲ブックセンター本店で「お遍路フェア」 2004.06.05 へんろみち保存協力会の『四国遍路ひとり歩き同行二人』改訂のニュースは、待ちに待たれていたニュースだったから、トップとなったのは順当なところだろう。そのほか、映画『ロード88』ややるさと切手の発行といった明るい話題が続くなか、秋以降は、台風被害関係の記事が割り込むかたちとなった。
2004年は年間で28件のトピックスを掲載した。四国遍路というマイナーな領域でも、結構耳寄り情報はあるものだ。さて、2005年はどのようなニュースが舞い込むのか楽しみである。
また、書籍のコーナーのランキングは次のようになった。
順位 閲覧件数 書名 掲載日 1 4170 串間洋『四国遍路のはじめ方』 2003.10.07 2 2423 へんろみち保存協力会『四国遍路ひとり歩き同行二人』 1996.07.20 3 1947 『四国八十八ヵ所めぐり』 1996.07.20 4 1595 早坂暁『花へんろ - 風の昭和日記』 2002.10.12 5 1262 『四国八十八ヵ所詳細地図帖』 2003.05.23 6 1204 『四国八十八ヵ所霊場へんろ地図』 2003.05.23 7 1035 武田喜治『遍路で学ぶ生きる知恵』 2003.12.27 8 1019 安田寛明『四國遍路のすすめ』 2004.05.16 9 1013 佐藤孝子『四国お遍路ガイドブック』 2002. 3.24 10 1005 ホーボージュン & BE-PAL編集部『四国お遍路バックパッキング』 2003.10.18 僕の『四国遍路のはじめ方』がトップになっているのはうれしいけど、あまり売上にはつながっていないようだ。そのほか、上位はガイドブックや地図が占めており、多数刊行されている遍路日記の類は、意外に振るわない。
元々、当サイトの狙いは「四国遍路の実践」であって、読者の関心も「ハウツー」に寄っているのは仕方ない。でも、一度お遍路をした人にとって、他の人の体験に触れることは非常に値打ちのあることだと思うので、こうした傾向は多少残念でもある。
談話室に「横浜の東急ハンズに遍路マネキンが」という書き込みがあったので、さっそく行ってみた。ご覧のように、いささか場違いな気もするが、他のお客は気にする様子もない。
BIOTEXという登山用タイツの宣伝をしているのだが、そのマネキンが履いているタイツを除けば、菅笠、白衣、金剛杖、輪袈裟がそろって正統的な歩き遍路のスタイルである。写真では分かりにくいが、左手には数珠も持っていた。
7月26日の記事で「ニュース記事の写真で菅さんが持っている賞状みたいなものは何だろう」と書いた。新しい風習が登場したのであれば、掬水へんろ館のWebnasterとしては把握しておくべきだという使命感に基づき、失礼を省みずご本人にメールで問い合わせてみた。10日ぐらいして、きちんと返信があった。「1番札所から24番の最御崎寺まで歩ききったという証明を、ご住職がわざわざ作ってくださった」ということだ。マスコミも注目していることだし特別の計らいということなのだろう。
普段はプロ野球など全く関心がないのに、8月の第1週は横浜ベイスターズを熱烈に応援していた。僕が横浜市民だからというわけではない。それに、応援といっても中継を見るわけではなく関心があるのは試合結果だけ。そしてついに週末を控えた8月6日(金)、横浜が6対1でスワローズを下した。
翌日は折りしも土曜日。近くのヨドバシカメラにバイクを飛ばした。実は、横浜が勝った翌日は、点差相当分のポイント(最大5点=5%)を上乗せしてくれるというセールをやっているので、待ちに待って、ここぞとばかり物欲を発散させたのである。
まずルータだ。翌週、フレッツADSLからBフレッツへの切り替えを控えていたので無難なBAFFALO製品を購入。デジカメを3年使ったIXYから広角28mmが魅力のリコーCaplio RXに買い替え。そして、この半年ずっと欲しいと思っていた『すいか』のDVD-BOXをゲット。このDVDは今のところレンタル店には出ていないので、買うしかないのである。横浜のおかげで合計数千円分のポイントがおまけについた。
さて、この『すいか』は昨年夏に日テレで放送されたドラマである。出てくる女優すべてが好もしく、毎週楽しみに見て暖かい気持ちになったものだ。主演は小林聡美、そして、ともさかりえも朝丘ルリ子もよかった。中でも市川実日子の不思議な雰囲気にホレた。視聴率はあまりよくなかったらしいけど、「ハピネス三茶」と聞いてなつかしさに涙が出そうになるのは、絶対僕だけじゃないと思う。
この脚本を書いた人は、言葉をすごく大切にする人に違いない。せりふの一つ一つがていねいに仕込まれていた。基子さん(小林聡美)が雑談しようと絆ちゃん(ともさか)の部屋を訪ねる場面があった。ところが、マンガの原稿書きに没頭する絆ちゃんは「おしゃべりすると言葉がこぼれてしまう」とあわてて口を押さえてしまう。僕は、このやりとりにビリビリ来た。このドラマが放映されていたのは、ちょうど僕が『四国遍路のはじめ方』を書いていた時期で、僕も全く同じ心理状態だったからである。すごいと思った。たぶん、この脚本を書いた人も同じ心理を経験したのに違いない。「わた鬼」にはこんなやりとりは絶対出てこないだろう。
バー『泥舟』のもたいまさこが毎週放つ唯一のせりふ「もう、帰ってちょうだい!」。僕も「談話室」で一度は言ってみたいものだ。
ところで、横浜は、今日も10対5で中日を下したようだ。でも、僕にとっては、横浜はもうどうでもよいのである。すまん。
7月15日から歩き遍路をしていた菅直人さんが、25日に予定通り室戸岬に到着したとのことだ。「暑いさなかなのに大丈夫だろうか」とか「行く先々で歓迎されたりして、本来のお遍路体験とは違ってしまうのではないか」などと余計な心配もしたが、それなりの旅であったらしい。
ところで、このニュース記事の写真で菅さんが持っている賞状みたいなものは何なのだろう。88番大窪寺では「結願証明書」なるものを交付してくれる(有料)が、他の札所でも似たような商売を始めたのだろうか? 「発心の道場修了証明」とか?
15日(木)に出先の蒲田で仕事を終え、飲みに行く約束に少し時間があったので行きつけの古本屋を覗いてみた。以前はここで100円均一のダンボールから掘り出し物の文庫本をよく発掘したものだが、最近ではエッチ本ばかりが目立つ。一通り物色して、諦めて店を出ようとしたとき店先の箱の中でカラーブックス「四国遍路」(西村望)を見つけた。遍路関係の研究書などによく参考文献として記されている書籍である。
昭和43年(1968年)発行。88番大窪寺の項に、次のようにある。
結願寺に杖を納めた遍路は「お礼参り」と称して、大窪寺の前から阿波に下る道を通って、第十番の切幡寺に出、十里十カ所といわれる吉野川北岸の札所を、十番から逆に一番までめぐってそこからさらに総本山紀州高野に詣でる。これが正しい遍路の道程とされている。
まさに、我が意を得たり。先日掲載した「お礼参り」を補強する記述である。値は50円であった。
6月中ごろから7月初めまで、「談話室」の書き込み受付を休止していた。これまでも1週間ぐらい休止したことは何度もある。運営者としては、書き込みにレスポンスできない場合でも、内容は常に掌握し、必要なら介入とか削除ができる状況にあるべきだと考えるので、それが不可能な場合は休止してきた。例えば、遍路など旅行中、あるいは、私用で超多忙な場合などだ。
今回の休止がそれらと違うのは、特に前述したような理由がないという点だ。単に気分的に休止した。談話室の内容が徐々に変質してきて、ちょっと一休みしてみたくなった。
サーバのアクセス統計を見ると、休止中も談話室のアクセスは高い比率で続いていたが、苦情が殺到というわけではなかった。もっとも休止から1週間過ぎたあたりから、何通かメールはいただいた。心配してくださるもの、理由は問わず再開を期待してくださるメールが多かった。
しかし、中には「休止が長引くようなら代替手段を用意せよ」といった趣旨のメールもあり、当惑した。「掬水へんろ館」が視聴率の高いサイトになっていることは確かだが、稼動水準を維持する責任まで生じるものだろうか。事実上、公共性をもつに至ったという解釈も分からないではない。だとすれば、僕としてはやり過ぎだ。ここらで減速すべきなのだろうか。
紀伊山地の世界遺産登録は良いニュースである。四国遍路に対する過剰なブームが少し落ち着くことを期待している。「掬水へんろ館」は、適度な賑わいを得ながら、ご縁のある方々に役立つサイトであり続けたいと思う。
2004年5月の遍路日記をようやくアップした。
実は2巡目以降、遍路日記はなるべく書かないようにしている。1巡目の区切り打ちでは、初めのうちは純粋に思い出を文章にしていたのに、区切り打ちの回を重ねるうちに、やたらメモをとったりして、遍路としては不純なのじゃないかと感じる部分があった。だから2巡目では、ただ四国の道であるがままの体験を受け止めるだけにしようと思った。ほとんどメモもとらず日記も書かなかった。
それでも、1度だけ、2001年夏遍路のことを書いたことがある。
3巡目も日記を書くつもりはなかったはずなのに書いてしまった。昨年1月に2巡目を結願して以来、1年半ぶりの遍路であったことと、5月の連休に1番から歩いたので、遍路を始めたばかりの人々の新鮮な気分が乗り移ったのだと思う。でも、前書きにも書いたように、「お四国病」はマンネリとは違うと思えたのは収穫だった。
実際に文章をつづるのは週末しか時間がとれないが、1週間の旅をもう一度1ヶ月以上も味わい、実に楽しい日々だった。
6月12日から、東京駅八重洲南口近くの大型書店「八重洲ブックセンター」本店でお遍路フェアが開かれている。18日(金)は会社の創立記念日で明るいうちに退社できたので、のぞいてみることにした。
地下の旅行書売り場に行ってみたが、すぐ分かるほど大々的にやっているわけではなかった。本来の旅行所のコーナーに1冊ずつだが関連書籍が数十冊は並んでるものの、フェアの表示もなく「え? これだけ?」と戸惑って回りを見たら、エスカレータ近くの平台に最近の書籍を中心に展示してあるのが本来のお遍路フェアだった。一応、「四国遍路のはじめ方」もあったので一安心。
ところで、旅行書売り場にも、「四国遍路ひとり歩き同行二人」は平積みになっていた。四国のお寺の売店なら珍しくもないが、東京の大書店の店頭にこのような光景を見る時代が来ようとは…。歩き遍路がもはや「マイナー」ではなくなりつつあることを示す。
量の変化が質の変化へ。四国遍路は常に変化を続けている。
2003. 4.11 出版社からの打診 2003. 5. 2 編集者との打ち合わせ 2003. 6. 5 出版社での企画決定 2003. 6.12 編集者との打ち合わせ 2003. 7.15 タイトル決定 2003. 9. 7 入稿 2003. 9.12〜21 初校 2003. 9.24 カバーデザイン決定 2003. 9.27〜28 最終校 2003.10. 2 見本本出来 2003.10. 8 書店配本 掬水へんろ館と名乗る以前、個人ホームページの一角に遍路日記の掲載を始めたころから、「本を出さないのか」という質問はよく受けた。当時は、出版界にもネット上にも遍路日記の類は今ほど多くなく、歩き遍路の参考資料としても存在価値はあったかも知れない。
しかし、実を言うと出版社の企画として正式に執筆を持ちかけられたのは今回が初めてである。今となっては、自費出版も含め遍路日記は多数出版されている。ガイドブックも「四国遍路ひとり歩き同行二人」に加えてさまざまな特徴をもった書籍が充実してきた。そこへ敢えて1点を追加することについては躊躇もあったが、すでに書いたような次第で引受けたのである。
上記のオファーを受けた理由は、もう一つある。
遍路日記の掲載開始から7年、掬水へんろ館という看板を掲げて5年、インターネットの世界では十分長い。この間、視聴率を高めることが「情報センター」としての役割を強化し、また情報発信に努めることが情報を引き寄せる力にもなると信じて、このニッチな分野でメジャーな地位を獲得・維持しようとサイトの企画・運営にくふうを凝らしてきた。
しかし、サイトの認知度が高まるにつれて、それを「権威」と見なす人が出てくるのも自然のなりゆきだ。最近の談話室の混乱の根底には、当サイトが好むと好まざるとにかかわらず持ちはじめてしまった権威性に対する違和感があるのではないかと感じる。もちろん僕は「権威」にはなりたくないが、そう思うことは、メジャーな地位を目指すことと両立しない面があることも確かだ。「掬水へんろ館」の基本としたコンセプトが、そのままではもはや通用しなくなっていることなのかも知れない。
これまで、サイトの存在と発展を最優先し、個別に雑誌の取材などを受けることはあっても、それ以上に個人的な活動を拡大したことはなかった。オフラインミーティングの要望も多々あったが、自らそれを企画したことはない。だが、サイトのコンセプトの有効性が不透明になりつつある今日、一歩踏み出してみようと思ったのが、春のお遍路シンポジウムであり、今回の出版なのである。こうした行動は、かえってサイトの性格をあいまいにし、その持続性を危うくするかも知れない。しかし、惑いの中にあるときに与えられた機会は、「お大師様の与え賜うた試練」とも思える。だから「商売上手」などの中傷が寄せられるであろうことは、とうに織り込み済みだ。
生まれて初めて個人として著した本だから、書店に行くと気になる。新刊当初だけであろうが、平積みにされている店もあり、素直にうれしく、頼まれもしないのに帯のずれを整えたりしてしまう。
出版された以上は、出版社の投資に報いる意味でも、もちろん本は売れてほしい。だが、著者としては読んでもらえることが一番だ。この本は図書館でも借りられるのだろうか。そう思って、主な公共図書館を検索してみると、結構所蔵していることが分かった。単に所蔵しているだけでなく、「貸出中」とか「予約○件」などの表示のあるところもあり、見知らぬ読者の確かな存在に、気持ちが温かくなった。
アクセス統計を眺めていたら、一つの異変に気が付いた。次の表を見てほしい。これは、Yahoo!やGoogleなどのいわゆる「検索エンジン」から「掬水へんろ館」に到達した人が使ったキーワードを集計したものだ。今年に入ってからの月別の上位10件を示している。
普通は「遍路」とか「四国八十八ヶ所」といったキーワードが上位を占めていて、これは当然だろう。ところが、4月になって突如「白装束」が登場した。もちろん、遍路と白装束は深い関係があり、これまでも、毎月15位から30位ぐらいの順位でリストアップされていた。しかし、4月は突然のベストテン入り、それも1位である。
順位 1月 . 2月 . 3月 . 4月 . 1 四国遍路 遍路 掬水へんろ館 白装束 2 遍路 四国遍路 遍路 遍路 3 歩き遍路 歩き遍路 四国遍路 四国遍路 4 へんろ へんろ 菊水へんろ館 掬水へんろ館 5 掬水へんろ館 掬水へんろ館 歩き遍路 歩き遍路 6 四国八十八ヶ所 四国 遍路 へんろ へんろ 7 四国 遍路 へんろ館 へんろ館 四国八十八ヶ所 8 掬水 四国八十八ヶ所 四国八十八ヶ所 へんろ館 9 へんろ館 水 へんろみち保存協力会 菊水へんろ館 10 四国お遍路 へんろみち保存協力会 四国 遍路 四国 遍路 そう、4月末近くから報道されている全身白ずくめの集団に関するニュースが発端で「白装束」が急上昇したものと思われる。ちなみにGoogleで「白装束」を検索してみると、3番目に当サイトのQAのページがヒットする。(2003年5月4日現在のこと。5月9日時点では、当該集団に関するページが急増したため、当サイトは3ページぐらいめくらないと出てこない)
あいにく、当サイトには謎の某団体の情報は何も掲載されていない。Webmasterとしては、「偶然お遍路サイトに出会い、ふと中を読んでみて『お大師さんに呼ばれる』人が出てくるのもいいか」と思う反面、「白装束という言葉が独り歩きして、お遍路までアブナイ行動のように思われることにならねばよいが」と心配にもなるのである。
談話室の運営というのは今更ながら難しいものだ。ときに過熱する。どなたも悪意を持っているわけでなく善意だったり真面目だったり真剣だったりするのだが、「常識」の基準にものすごい幅がある。僕は、サイト管理者として「絶対」の権力を握っているとともに、場を健全な状態に維持する責任がある。介入の最後の手段は「削除」であるが、どこまでを許容すべきか、悩むことが多い。まして、今回の場合、「1対絶対多数」の構図で、1は本名で登場しているのに、絶対多数の方は当事者の方を除いてすべてハンドルネームで発言しているというところに、管理者特権の発動を迷わせる微妙さがある。
一言言いたくなる気持ちもすごくよく分かるけれども、所詮、議論が成り立たないことは見えているのだから、そこをぐっとこらえて頂きたいと思う。前にも書いたが、「気に入らない発言は無視する」。これが、ネット社会で様々な事件を見てきた僕のルールだ。
昨夜は花金。飲み会の帰り、新橋の街を歩いている途中、本件に関連して「不適切発言」が書き込まれたことを察知した。内容は実に同感だけど、表現方法が社会的には不適切と判断せざるを得ない。泣く泣く削除することにした。酔漢の行きかう路上でピコピコと、情けなくむなしい夜であった。
Webのログ解析システムWebalizerを導入した。これまでも、ログは採取しているので、必要に応じてパソコン上で分析していた。アクセス推移などは、これまでも自動集計して統計情報で表示できた。
しかし、Webalizerは、さらに詳細なログ集計ができ、洗練された形式で表示できるツールだ。問題は、通常cgiを書くときに使うperlではなく、C言語で書かれたツールだということだ。コンパイルしてインストールする必要があり、かなり難儀した。僕はc言語は多少知っているが、unixの経験がほとんどない。また、gdだのxpmだの他の必須パッケージを導入する必要もあり、一時は諦めかけたが、何とか目的を達した。思い返すと、僕はこれまでコンピュータがらみでは思い立ったアイデアの実現を断念したことはないように思う。今回のように、何とか力技でやっつけてきた。もちろん、「断念はしてないが、まだ実現してないテーマ」というのはある。
Webalizerで明細情報を表示させると、Yahoo!やGoogleといった検索エンジンからどんなキーワードで飛んでくることが多いのか、なども分かるので、興味深い。
最近は、「掬水へんろ館」のシステム改善に取り組んでいる。大まかには、ユーザインタフェースの改善とセキュリティ強化、そしてバックオフィス省力化だ。
ユーザインタフェースの面では、談話室書き込みなど入力操作のあるページについて、メールアドレスやホームページアドレスの誤入力対応のため、全角文字の混入などを自動修正するようにしたほか、談話室本文の無駄な改行をカットするなど、利用者とWebmasterの双方の手間を削減した。また、2000年2月ごろ指摘の多かった、苦労して入力した文章が一瞬にして消えてしまうという現象について、ようやく根本原因にたどり着いたようだ。Internet Explorerの場合に限るが、入力中にEscキーを押すと、入力したものが全部消えてしまうことがあるのだ。Resetボタンのショートカットキーとして働いてしまう。僕は、2年前にResetボタンの誤操作を疑って画面上からこのボタンを削除してしまったのに、ショートカットキーだけは機能し続けるのだ。マイクロソフトのソフトウェアには全くお節介な機能が多い。かな漢字変換中にEscキーを何度も押してしまうことはありがちだ。去年の夏ごろから、僕自身がメインとして使うブラウザをNetscapeからInternet Explorerに乗りかえて自分で何度も失敗しているうちにようやく気づいた。今回、このキーを無効にするスクリプトを追加したので、かなり改善されていると思う。2年がかりの解決だ。このほか、検索機能もエンジンを乗り換えて、高速化できたしインタフェースもかなり洗練されたと思う。
セキュリティ対策としては、Webmasterの管理機能として実装している談話室の運用管理機能のアクセス保護を強化した。また談話室書き込み機能に内在していたセキュリティホールをつぶした。詳細は割愛させていただく。
バックオフィス省力化は、読者の方々には直接関係ないが、ほぼ週1回の「掬水へんろ館」更新作業における定型的な作業の自動化に取り組んだ。より高機能なFTPツールに乗り換えたほか、「新着情報」や「更新履歴」といった内容の自動作成、リンク集などのカテゴリ別件数の自動カウント、「掬水へんろ館ニュース」の自動作成などだ。すべてperlスクリプトをローカルで動作させている。プログラミングには時間がかかり、その分、最近はコンテンツの充実や情報収集が鈍くなってしまった。しかし、今後も長期に「掬水へんろ館」を運営していくためには、本質的でない作業の効率化に、今のうちに投資しておいた方がいいと思った。
今後は、談話室以外の面でも読者参加型のコンテンツを充実する仕組みを盛り込んでいきたい。システム改造のテスト中には、談話室の表示や書き込み異常などの不具合が発生して、読者の方々にも不便をおかけすることがあったし、今後も万全とは言えないが、どうかご理解をお願いします。
2002.1.2 新居浜市内にて (撮影:club88さん) この日記は間があいてしまったが、早くも新年である。昨年は「掬水へんろ館」においても、人々の思いの多様さとか、率直であることと公的な場の運営ということとの板挟みとかに、Webmasterとしては思い悩む場面も多く、宿題を心に抱えたままの越年となった。年末年始は、初めての雪遍路で多少の難行を強いられはしたものの、迷いを突き抜けるほどではない。結局のところ、八方美人になってしまうことは結果的に偽善を成すことになるのであろうから、もう少し自分自身のスタンスを強く出すべきなのかもしれないとも思っている。
談話室の1日当たり発言数 昨日の「掬水へんろ館ニュース」に、「談話室の方も少し静かな感じですが」と書いて配信したら、「常連」の読者の皆様から即座に色々と新情報提供の書き込みがあり、感謝するとともに、ちょっと不注意な言葉だったと反省している。
僕は「談話室が静か」だから寂しいというわけではなく、静かな談話室もいいものだと思ってる。ときには、過去の書き込みにさかのぼって読み直してみるのも、楽しいひとときではないだろうか。
ところで、本当に談話室は静かなのだろうか。何となくそういう印象を持ったのでつい筆が滑って書いてしまったが、改めて計数していみると、事実は右図の通りである。決して衰退傾向にはなく、ますます盛況という方が当たっている。
談話室にもちょっと書いたが、「遍路の本」のコーナーに各書籍の表紙の画像を掲載していることに関して、各出版社の掲載許諾を得る作業を行っている。書籍を紹介するために画像を載せているだけなので、許諾は不要と考えることもできるし、著作権上の問題が生じるのかどうか明確な規定や判例があるわけではない。しかし、一部に厳格な出版社もあるとの説を見聞きするので、万全を期すため、掲載内容のプリントアウトを添えて許諾を求めることにした。これは郵便で行うので、結構コストがかかる。依頼は封書で、返信は未使用の年賀はがきを使うなどしてコストダウンに努めた。
掲載書籍は50点を越えるが、重複している出版社もあり、これを整理して合計35社に対して5月下旬に依頼信を発送した。生まれて初めて、ワープロソフトの「差し込み印刷」という機能を使った。現在までに8割近くから返信があり、条件付きも含めて全て許諾という回答になっている。概して、小さい出版社の方が回答が早い。「結構うるさい」と評判だった某大手からも許諾という回答だったので一安心である。中には、「書評の類だから許諾は不要では?」とコメントして下さったところもある。新聞社にしろ、出版社にしろ、ネットワーク上での著作物の使用について神経質な動きが見られた時期があったが、徐々にバランス感覚を持ち得てきているのかもしれない。
新聞社のサイトも、以前は「トップページ以外の下位階層へのリンクは拒絶」というところが多かったが、現在は寛容になったようだ。今回、朝日新聞と読売新聞にそれぞれ「平成娘巡礼記」と「平成お遍路」への直接リンクの承諾依頼を行ったが、いずれも承諾の回答であり、2〜3年前とはスタンスが変化しているようである。
さて、出版社からの回答であるが、意外なコメントとして「価格を明示して欲しい」というところが数件あった。これまで、「商品」としてではなく「文献」として紹介していた積もりだったので価格は記載していなかったが、出版社としては、あくまでも商品だから値段を書いてくれということなのだろうか。そこで、今回の更新で、本体価格と、ついでにISBNも記載することにした。掲載した本をすべて棚卸しして調べたので結構な作業であった。間違いがあったら勘弁して下さい。
近頃、Webの仕掛けの改善を少しずつ進めている。例えば、談話室の書き込みで、実際に書き込む前に一度確認画面を表示するようにした。従来は、送信ボタンをクリックするとそのまま書き込まれるようになっていたが、初めての方など直接書き込まれてびっくりする方があったり、あわてて書いたため誤字脱字に気がつかなかったりといったことがあったのを少しでも緩和しようというわけだ。
「掬水へんろ館ニュース」の配信申込み処理も自動化した。従来は申込み画面で受け付けた内容が自動的にメールで届くようになっていて、それを一つ一つ配信リストに移す作業をしていた。自動化したことによってWebmasterの仕事が少し減る。また、重複申込みや、申し込んでないのに停止処理をする方などのチェックもホームページでの操作時点で行えるようになりお互いハッピーということだ。
ところで、検索エンジンとして最近はGoogleの人気が高いが、ここでふと自分の名前「串間洋」で検索してみたら、こんなページが出てきた。ずいぶん前にリクルート雑誌の取材に応じたときのものだ。何だか「ギラギラのビジネスマン」という感じですね。
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年初に妻と二人で高知県の後半を区切り打ちしたとき、焼坂峠の山道の脇に点々と置いてある小箱が気になっていた。よく見かける石仏やお地蔵さんを納めた箱のようにも見えるが、それにしては小さめだし、蓋がしてあるのも不思議だ。住所・氏名が書いてあるものも多く、先祖を祀るしきたりなのかとも思った。ちょうど頭蓋骨が入る大きさなのも不気味だった。
その謎が「談話室」でようやく解けたようだ。2001/4/4の山本富士男さんの書き込みによると、蜜蜂の飼育箱らしい。不気味なモノではなかったのだ。
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謎といえば、1996年に歩き遍路を始めてから依然として解けていない謎がある。それは、国道の両端に散乱している小さな木片である。大型車の行き交う国道を黙々と歩いていると、地面に落ちている様々なモノが気になる。この木片はその代表だ。斜めに削ったような形状が特徴的なので、あちこちで見かけるたびに気にするようになった。トンネルの中でも見た。
謎は、ふたつである。一つは、「これは一体何なのか」、そしてもう一つは「なぜ、このようなものが四国の全域にわたって国道に散乱しているのか」ということである。
実は、一つ目の謎は、ほぼ解けた。高知で製材所の前を通ったとき、作業所の前に、この木片が大量に落ちていたのだ。おそらく製材加工の過程で発生する削りくずなのだと思われる。
残る謎は、「なぜ製材クズが国道に散乱しているのか」という点である。これは依然として解けない謎だ。製造工程で付着したくずが木材を運搬する車から落ちるということは十分に考えられる。それにしても、四国全域に渡って、これほど目立つ分量で散乱しているのは、どうにも納得がいかない。
僕が冗談半分に考えた解答がある。製材所で発生する木クズは日曜大工のかんなクズと違って「産業廃棄物」だ。最近、環境関連の仕事をしているので環境法規には色々と詳しくなった。産業廃棄物の適正処理については厳格な法規制が設けられており、運んだり処分するには行政の許可が必要で、また焼却するにせよ埋め立てするにせよ費用もかかる。だが、運搬中に「消滅した」となれば、こんなウマイ話はない。木クズを詰めた袋をしっかり閉じない状態でトラックで四国を一回りすれば、いつの間にか、産業廃棄物が自然消滅? まあ、あまりに四国の事業者の方々の見識を無視した勝手な推測というものだが…
パソコンに向かっていると、妻が「えーっ、ウッソー、新聞に載ってる〜〜」と興奮しながらやってきた。何事かと思って覗き込むと、朝日新聞の神奈川版の「ぽかぽか陽気 山頂にぎわう 丹沢山系」という記事の写真に、鍋割山(1283m)の頂上で三々五々座り込んで昼食をとるハイカーたちが写っている。その右奥の方に小さく写ってるカップルは、なんと僕たちではないか。
昨日は、久しぶりに良い天気で、自宅を7時過ぎに出てハイキングに出かけた。電車・バスを乗り継いで登山拠点の大倉に着いたのが9時過ぎ。1時間ほど林道を歩いて二俣から山に入ったが、荷物のせいか体がなまっているせいか思いの外はかどらず、山頂についたときは1時半近くになっていた。持参のバーナーでラーメンを作り、お握りを食べた。写真を撮っている人がいるというのは妻が気づいていたらしいが、まさか朝日の記者だったとは…。
「掬水へんろ館」の各ページの基本レイアウトは、ページの上部左上にアイコンがあって、その横にマイグレーションバーがある形式だ。だが、実は四国の絵がバーにめり込んでいるバージョン(新型)と、バーと四国が分離しているバージョン(旧型)が混在している。このWebmaster日記のページは新型だ。新型では四国の絵をクリックすると表紙に戻るが旧型では何も起こらない。これを統一するのに結構手間がかかる。先週と今週をかけて、ようやく自分自身の遍路日記の上部レイアウトを新型に置き換えることができた。
ついでに、遍路日記のまえがきを何年ぶりかで書き直した。
談話室にも書いたが、8月20日(日)の夜、日頃から酷使してきたPCのディスプレイ(機齢5年)が「すーっ」と音もなく昇天してしまった。画面の消え方からすると、水平走査回路のコンデンサがパンクしたと推測。感電事故防止のため一昼夜おいてからケースを開けてみたけどそれらしい破損カ所は見当たらない。修理に出すなら往復運賃がかかった上に料金がかかって、結局新品のCRTを買うぐらいの値段になりそうだ。
そこで、思い切って念願の液晶ディスプレイを買うことにした。CRTが3万ぐらいで買えるのに比べて液晶はまだ高い。15インチだと10万だ。定時退社して、秋葉原を2晩歩き回った末に、ソフマップの中古店で、コンパクトデスクトップ機の液晶セットモデル99,800円というのを見つけた。去年の春モデルでCPUはK6-2/350MHz。僕の現用機(Gateway 2000 4DX2-66V改 K6-233)より速い。HDDはさすがに6GBと少ないが、予備機としては十分である。お持ち帰りなら3000円引きだという。とりあえず液晶だけ持ち帰りにして、1500円引きにしてもらった。
10万円の臨時出費は痛いが、何だか、ディスプレイを買ったら、本体がおまけでついてきたという感じである。2日後、本体が届いたので、昔、MacとPCを併用していたとき使っていたディスプレイ切替機を物置から探し出してきて接続。また、近所のヨドバシで買った990円のLANカードでルータに接続、ついに僕の机の上にデスクトップ・LAN環境が実現した。
先週、仕事で浦和に出かけて、某ホテルで用件を済ませたあと、少し時間があったので、駅に向かってブラブラ歩いていた。何事にも好奇心旺盛な僕は、大通りからそれて、何気なく小さな店が並ぶ細い路地に入ってみた。再開発を巡って意見の対立があるようで、営業している店と、「再開発を望む」と大きな張り紙をして閉店している店が混在していた。
路地を抜けて、駅に近づいたあたりに、古本屋が1軒あった。昔、大学の門前に並んでいたような、めがねをかけたおじさんが店の奥に本に埋もれてすわっているような、そんな店である。何気なく入ってみた。その本がぎっしり詰まった棚に、何と!何と!、僕が長年にわたって探していた高群逸枝「娘巡礼記」(朝日選書)があったのだ。四国遍路を論じる際には、必ずといっていいほど引用される本である。これまで、書店で注文しても入手できず、インターネットの「スーパー源氏」で検索しても見つからず、探究書データベースに登録しても反応なし…。感激して、店のおばさんに「これ、ずっと探していたんです。出張で来て何気なく入ってみたらあったのでうれしい」と言うと、「きっと、においがしたんでしょうね」。何気なく路地に入り、何気なく古本屋に入る。これをお大師さまのお引き合わせと言わずして何と言おう。
さて、僕が探しているもう1点、前田卓「巡礼の社会学」に巡り合うのはいつの日か。
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昨日は、1日がかりでマンションの部屋同士をLANケーブルで結び、壁面コンセントを設置するという Mission Impossibleな偉業をなし遂げた。大げさなようだが、それほど困難を極め、疲労困憊した。
明日7月17日からNTTの定額IP接続サービスが神奈川県にも拡大される。これを機会に、我が家の通信費用の大幅なコストダウンを実現しようというプロジェクトの一部である。これまでは僕がTAでデジタル接続、別室の大学生の息子は電話のモジュラージャックを毎回に差し替えてモデム接続でインターネットを利用してきた。このたび、この2台をLANで結び、新たにダイアルップルータを導入して定額接続を共同で利用することにより、通信費用とプロバイダ費用の大幅削減を図ることを目的としている。このうち、最大の難関が、部屋一つをはさんで離れた位置にあるパソコン同士を結ぶLANケーブルの敷設である。
詳しく書くのはやめておくが、とにかく壁面内の既存のパイプを利用してカテゴリ5のケーブルを通し、各部屋の壁面にLANのモジュラージャックを設置することに成功したのである。東急ハンズのおじさんにも「専用の道具が必要。素人には無理」といわれたのだが、猛暑の中、強い意志とあくなき創意工夫によってなし遂げたのである。てなことをここに書いても誰も感心してくれないだろうけど、とにかく自分を褒めてやりたいので書いちゃう。
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先週は「掬水へんろ館」の更新をさぼってしまった。毎週更新すると決めているわけではないのだが、事実上は週末ごとに更新することが多い。先週は単に素材が少なかったからパスしたのだが、「掬水へんろ館ニュース」が来ないと心配された方もあったかもしれない。
「掬水へんろ館ニュース」の配信を始めたのは1998年の9月だった。読者は右の図のように順調に増えて、1年後には100名、今年4月には200名を越え、現在は224名である。「談話室」に登場して下さる皆さんに一番励まされていることは当然だが、その後ろにおられるROM(注)の皆さんの確かな存在も、このサイトを続ける原動力になっている。
ROM: Read Only Memberの略。パソコン通信時代に生まれた言葉で、掲示板や会議室システムで発言しないで読むだけの人のこと。コンピュータの記憶部品の1種である Read Only Memory に引っかけた造語である。
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今年のゴールデンウィークは3年ぶりに「遍路なし」の休暇だ。ちょっとパソコンでやりたいまとまったこと(遍路とは無関係)があったので、5日間ほとんどパソコン三昧の生活だった。昨日だけは妻と二人で丹沢の大山三峰山に登ってきた。僕は3度目だが、10年近く前に妻と3月末に登ったとき雪が思いの外深くて途中でリタイアしたという因縁の山である。岩場や鎖もあって、88番手前の女体山以上の難所。丹沢で日帰りハイキングの山としては中級に分類できるだろう。その名の通り、三つの峰を越えなくてはならない。ガクガクする膝をかばいながら広沢寺温泉に下りて来ると見覚えのあるツツジの木があった。実は昨年12月に別の山に登って下りてきたときに季節はずれのツツジが咲いていて驚き、持ち主のオジサンとおしゃべりに興じたところなのだ。昨日も偶然そのオジサンがいて、話しているうちに向こうも「ああ、あのときの…」と思い出してくれ再開を喜び合った。何となく、遍路中の体験に似た感触のできごとだった。そのあと広沢寺温泉に浸かって汗を流して帰宅したが、今日は体中が痛くて仕方がない。
最近、パソコンの電源部分のファンがガラガラと音をたてるようになって、今にも昇天しそうな感じだった。パソコン浸りの毎日を送る僕としては、相棒が永眠すると困る。このパソコンは、1993年にGateway2000から個人輸入したものだが、マザーボード、CPU、HDD初めほとんどの臓器は交換済で、残っているのはケースと電源とFDDぐらいなものである。その電源部だが、どうもファンだけ交換するのは難しそうだ。そこで、先週、秋葉原を歩いてみた。ところが、最近はATX一色となり、AT電源はあまり売っていない。ジャンク屋でやっとCOMPAQの電源800円というのを見つけてもう少しで手が出そうだったがさすがに自制。DOSパラで、台湾製の230Wの新品を2480円で入手。電源交換後、ブートしなくなって一瞬青くなった。最後にバックアップとったのいつだっけ? だがIDEコネクタを差し直したら無事復旧した。中をいじくったため接触不良になったのだろう。今はガラガラもなくなり快適である。それにしても、AT互換機の「業界標準仕様」というのは偉大なものだ。電源ユニットの寸法もネジ位置もぴったり同じ。他の電気製品では、こうは行かない。
2週間ぐらいかけて格安ホスティングプロバイダへ移転作業を行った。今回は片足ずつ自分で確認しながら切り換えて行ったので、ほぼトラブルなくシームレスに移転できたようだ。ここで問題なく暮らして行ければ、かなりコストパフォーマンスが良い。何しろ、独自ドメイン・CGI可・容量130MBで1ヶ月600円を切る料金なのだ。ただひとつ、SMTPサーバーを提供してくれないのが難点。せっかくのドメイン名なのに hiroshi@kushima.comというアドレスで発信ができない。実際には、メールを受けるには一番確実なniftyのアドレスを使っているので、独自ドメインのメールアドレスが使えなくても実害はない。だが、かの「デジタル・エコノミー」で日本でも著名なドン・タプスコット氏のアドレスdon@tapscot.comを見て「あ! こんなことが出来るんだ…」と衝動的に取ったドメインなのだから楽しみたいんだけど。
先週からプロバイダのサーバ移行にともない、「掬水へんろ館」の「談話室」がメタメタになった。それに先立ち、僕が不用意な発言を書き込んだことから色々な方に迷惑をかけたが、さらにシステム上のトラブルが加わったため、読者・訪問者の方々には余計な心配をおかけしてしまった。今日は年休を取って一日家にいる。先週、岡山出張して一泊して帰った翌日には広島出張などと出張が重なり、疲れてしまったのと、たまたま今日は約束がないので年休を消化することにしたのだ。ところが、何と2・3日前から我が家のガス熱源機がついに寿命を全うしたらしく、給湯・風呂・暖房がすべてマヒしている。幸い、そんなに寒くないからいいがそれでも震えながらパソコンに向かうことになってしまった。さて、一連のサーバ移転騒ぎでプロバイダのサポート能力の欠如が明らかとなったのと、もっと安いところがあるという事実から、ホスティングプロバイダを乗り換えることにした。またまた読者・訪問者の方々にはご迷惑をかけるかもしれないが、仕方がない。それにしても、月々の料金を比較してプロバイダを選ぶことが多いが、ホスティングサービスは初期費用が結構高いので、僕のようにほぼ1年ごとに乗り換えていると、結局高くつくようだ。乗り換えるときは末永くお世話になろうという気持ちなのだが、僕が浮気性なのがよくないのだろうか。
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東加古川というところに出張した。行きは西明石から各停に乗って行ったが、帰りは新横浜停車のひかりがちょうど良い時間にあったので姫路まで行ってから新幹線に乗った。短い乗り継ぎ時間に、何か変わったおみやげは…と探してホームの売店でみつけたのが「きぬた」というお菓子である。筒状の餅の中心部に羊羹が入っているという怪しいしろもの。さらに恐るべきは賞味期限であった。
最近、少しずつ「談話室」の機能改善を計っている。
まず2月6日に書いた二重投稿対策である。以前から、二重投稿は時々起こっている。おそらく深夜などレスポンスの悪いときに「送信」ボタンを2度押してしまうのだと思う。この対策としては、最新の書き込みと全く同一記事の場合、送信操作を無視するようにした。2人以上の人がほぼ同時に談話室に書き込みを行うのでない限りは、問題を回避できると思われる。
次に、森春美さんが、「苦労して入力した文章が一瞬にして消えてしまった」と落胆しておられた事故の原因を想像して、「リセット」ボタンではないかと考えた。なぜか分からないが、FORM機能の例題には、決まって「送信」ボタンと並んでこの「リセット」ボタンがおいてあるものだ。入力フィールドの内容を初期状態に戻すためのものだが、考えてみるとこんなものは不要だ。これまで、僕も例題のままに、深く考えることもなくこのボタンを置いていたが、うっかりクリックすると、入力内容が消えてしまうことになる。そこでこれは、あっさり削除してしまうことにした。
今週は、新機能として、URLの自動アンカー化を計った。最近、右延さんが色々とホームページを紹介してくれているし、僕も問い合わせへのお答えの中でリンクを書いたりする。だが談話室の中では、タグを一切無視するようにしているので、たとえ発言中にhtmlを書いても、クリックして飛ぶということはできなかった。今回、URL(http://〜〜)が書かれた場合には、アンカー(クリックすると参照されたホームページに飛ぶ下線つきの青文字)を自動生成するようにした。過去の談話室も「秀丸エディタ」の正規表現による置換機能を活用してURLをすべてアンカーに変換した。タグの全面開放はやはり怖いのでやめておく。(世に「掲示板あらし」という輩がいるので…)
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2月7日に仕事で松山に出張した。松山では、仕事が早めに終ったので、JR伊予和気近くの53番円明寺に行って来た。円明寺に特に思い入れがあるわけではないが、JRの駅に近いので、帰りの飛行機の時間に合わせ易いからそこにした。1時間ほど、境内のベンチで、ときおり訪れる参拝客をながめていたが、残念ながら、歩きの人には出会わなかった。最近は四国に行くといつも宇和島のじゃこ天を買って帰るが、今回松山空港のJALのショップで買ったじゃこ天は今までで最高。またANAのショップでは、四国限定のお遍路バージョンのハローキティグッズを手に入れた。菅笠と杖に注目。
細谷昌子さんからの電話で、民宿岡田のおかみさんが亡くなったことを知る。もう一度会ってみたかった人の一人だ。森春美さんが談話室の書き込みで苦労されている様子。二重書き込みのことを恐縮されているようだったので、ついに「二重書き込みチェック機能」をつけた。これまでも二重書き込みは結構あったので、長年の課題ではあった。また、「掬水へんろ館ニュース」の申込み画面で、メールアドレスのチェックを入れた。これもまた、ミスが多いのだ。10%ぐらいは、入れてくれたアドレスではエラーになる。半角・全角などはすぐに訂正できるが、そうでないミスは各プロバイダのドメイン名を調べたり結構手間がかかる。アカウント名の誤りは基本的にどうしようもない。
愛媛新聞1月3日付、へんろみち保存協力会の活動を紹介した記事を「掬水へんろ館」に転載させてもらいたいと思い、愛媛新聞社にレターを郵送して申請してみたが、すげなく断られてしまった。回答文書には「ホームページに記事や写真を転載することについては、現在のところ許可いたしておりません。これは内容の如何にかかわらず許可していないというのが現状です」とある。自社のホームページ上には新聞協会の統一見解として「記事の転載をしたい場合は事前に許諾を求めるように」と記載していながら、申請を受けると「例外なく断る」という趣旨の回答には納得いかない。郵便料を返してもらいたいくらいだ。
現在kushima.comを設置しているホスティングサービスは月3000円だが、もっと安いところがあるので乗り換えようかなと検討している。するとそれを察知したかのように、現在のプロバイダから「2月分は無料にする」と通知が来た。値下げを検討しているようなことも書いてある。ユーザとして、競争激化は大歓迎だ。
先週、談話室のバグを直した積もりだったが、4種類ぐらいのケースで不具合があったうち1種類しか直っていなかった。今回は充分確認したのでOKだと思う。また、遍路日記の方もIE3.0xではレイアウトの乱れるところがあった。これははっきり言ってIEのバグだと思うが、MSのサイトではバグとは認めていない。HTMLの仕様記述の不備をたてにとっているが、新バージョンでは直しているのだから首尾一貫していない。談話室のバグも、遍路日記のレイアウト乱れも、読者の方からのご指摘で初めて気がついた。大きな改造をしたときは各種のバージョンでチェックしているのだが、少しずついじっているうちにバグが混入してしまったようだ。
「談話室」のバックナンバーの表示にバグがあって、古いページがうまく表示できなかったり、トップページに戻ったときページタイトルが「談話室」のままになったりすることが分かった。当サイトはミラーサイトを含めて3カ所のサーバーに同じものが置いてあるのだが、談話室は分散するわけにいかないので一カ所で動作している。これをうまくコントロールすることと、ブラウザの新旧バージョンやスクリプトの許可・不許可など、色々の条件を考慮して、談話室の部分は、使いたくない「フレーム」も使って少し凝った作りになっている(もっとも見た目ではフレームを使っているとは分からないだろうが…)。以前も同種のバグがあって修正したが、今回は、ページデザインのリニューアル等の過程でまたバグが混入した模様だ。一応手入れをして直した積もりだが、果たして…。2000年問題の方は事前に対策を施したが、1月2日から遍路旅で留守になったため心配していた。特に問題は起こらず、一安心。
先日、秋葉原で衝動買いした2980円のSCSIカードを取り付けた。今まで使っていたのは、何年も前に買ったADAPTECのISA版のカード。これもバルクで当時9800円ぐらいだった。今度のはPCIなのでIRQがまた一つ空いた。でもコネクタが今までのものと違ってハーフピッチなので、ケーブルまで新調しなくてはならないことに気づいた。このケーブルが3000円以上もしたので複雑な気持ち。
今日は休日だが、仕事だ。幕張メッセで今日から開催中の「ウェステック 廃棄物処理・再資源化展」に出展しているため、9時半現地集合だ。朝、目が覚めたら7時20分。大変だ。メシも食わず、ひげも剃らずに飛び出す。
ようやく、Windows98 Second Editionの導入に成功。
Windows98 Second Editionの導入を先週からトライしているが、途中でエラーになってしまいうまくいかない。SETUP.TXTのトラブルシューティングをよく読んで、CD-ROMをハードディスクに移して試すことにする。DOSプロンプト配下で解凍するが超遅い。そのまま外出して数時間後に帰宅してもまだ終っていない。こらアカン。
足慣らしを兼ねて、妻と一緒に自宅から東戸塚まで、横浜環状2号を往復14キロ。東戸塚に新しくオープンしたオーロラシティーのダイエーと西武を見物した。リュックを背負って歩いている人は意外に多く、年齢を問わずカップルが目立つ。
ようやく表紙のリニューアルが一段落した。従来の表紙は今年1月から使っていたもの。当時、雑誌に「掬水へんろ館」が紹介されたときのページの写真が、他の人のビジュアル指向のページと比べてスカスカで間が抜けて見えたので、バックに濃いめの色を使って編成したものだった。その後、色覚関係のサイトを色々と巡っているうちに、ホームページの色使いについて考えるところがあり、今回、白背景で作り直した。また、ヘッダー部の「へんろ館」のメニューとアイコンが重複していたので、デザインし直し、新コーナーの「遍路百科」から使うことにした(このページにも適用)。徐々に既存のコンテンツも直して行きたい。全体に大規模な修正となったのでミスがないか心配。
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