1999年6月25日から7月28日までの34日間で、四国八十八カ寺を歩き通した。決して早廻りを狙っていたわけではないが、終了期日が決められていたこともあって、結果的に比較的短い日数で歩き通したことになる。多い日で50km、短い日で20km、平均して1日35kmの徒歩遍路であった。
帰宅してからの2・3ヶ月は、高揚感もあって、出発前の予想より楽勝の遍路だったと思っていたが、月日が過ぎ、一日一日をユックリ冷静に思い出せるようになると、ヘバッていた日のほうが多いことに気がついた。これは、自分の身体について現実以上に自信を持つという、体育会経験者特有の心理が働いていたからなのかもしれない。
遍路前も帰ってからも、串間さんの日記をはじめ遍路の記録をいくつも読ませてもらった。読むうちに、自分が作者になりきり模擬体験をしていることに気がついた。記録を残せる人がうらやましくもあった。まさしく、作者と読者の同行二人ではないか。結願を終えて1年を迎えた頃から、自分の遍路記録を残したいという気持ちが強くなってきた。
2001年の正月は嫁サンに誘われて室戸市で迎えた。体育会系らしく、より難度の高い通し打ちに価値をおく僕が、嫁サンの区切り打ちを援助しているのだ。何人かの徒歩遍路にも出会った。1年を通してみると何人の遍路が歩いているのだろうか。多くの遍路が歩くのに、その記録を書く人はそれほど多くないに違いない。その数少ない書ける人になりたいと、いや、ならなければと、国道55号線を歩きながら強く思った。読者と同行二人をするためではなく、これから同行二人をしようとする読者のために。----いや、それ以上に自分のために----
体育会系中年と自称する以上、自分の運動経験等をはじめに紹介しなければならないだろう。
橘 直隆、昭和22年生まれ、遍路時の年令51才、169cm、67kg。中学から大学まで野球部に所属し、大学卒業後は、町道場で剣道(2段)に励む。25才からオリエンテーリングを始め、現在もシニアクラスに出場。30台からは、コーチも経験した。20才から始めたスキーでは、33才の時に準指導員取得。また、ジョギングは25年間継続し、フルマラソン完走の経験もある。ああそうだ、26才の時に7ヶ月間の自転車旅行も経験した。こう書くと、バリバリのおじさんをイメージする人が多いと思うが、(自分で言うのも何だけど)外見はいたって普通、また言動も普通(だと思う)。人に言わせると、体育会系にはあまり見えないそうだ。 仕事は大学の教員で、理論は野外教育、実技は登山、スキー、キャンプ、サイクリングなどを教えている。ある人に言わせれば外遊びの先生。趣味が仕事になった典型的な例かも知れない。
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