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掬水へんろ館

あとがき

 遍路を終えた翌日は、故郷・和歌山の実家に寄って、母と兄に遍路の報告をし、父の墓参りをすませたあと、高野山にお参りした。そして、その日のうちに茨城県の自宅に戻った。これで、期限を決められてヘロヘロになりながらも四国八十八カ寺を歩き通した遍路旅は、完全に終わったことになる。20年来の願いが成就したわけだから、純粋に嬉しい。自分を誉めてやりたい。夏の、日の長い時期だったからこそ、できたことだと思う。

 また、遍路と同じように、「ヘロヘロ遍路旅」も書き終えることができた。これも純粋に嬉しい。串間さんをはじめ、いろいろな方の応援やアドバイスがあったからこそ、できたことだと思う。遍路記掲載を快く引き受けてくださった串間さんと、応援やアドバイスを下さった方々に、深く感謝したい。と同時に、このような遍路経験の場を与えてくださった、おそるべき四国の人々や風土や自然にも感謝したい。

 「まえがき」に、この遍路記は「読者と同行二人をするためではなく、これから同行二人をしようとする読者のために」と記した。なぜならば、「掬水へんろ館」の冒頭には「このホームページは『情報のお接待所』です」と書かれていたので、投稿にあたってはその趣旨に従おうとしたためだ。

 書き続ける途中ではスランプもあり、やめようかと思ったこともある。しかし、遍路旅と同じように、途中でやめるわけにはいかなかった。それ以上に、四国でいただいた物心両面にわたる多くのお接待のご恩返しを、ささやかであってもしなければ、という気持ちが意欲を支えてくれた。また、「掬水へんろ館」で情報のお接待を受けたのだから、そのお返しをしなければという気持ちも強かった。このような意味で、お返しとして「情報のお接待」ができたならば、これ以上の喜びはない。

 「幸い」か「残念ながら」かわからないが、それほど「お四国病」の病原菌に侵されなかった。以前からの登山病やジョギング病や旅病が、体内に強くはびこっているせいかもしれない。しかし、次の体育会系チャレンジ遍路はほぼ決まっている。
 『10年後の定年になったら、嫁さんと二人で、通しの逆打ち徒歩遍路だ!』

2001年6月15日 記す

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