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掬水へんろ館

33日目 1999年7月27日  雨(降ったり止んだり)のち曇り

 今日は朝から雨だ。九州に近づいてきた台風の余波らしい。とはいっても風があるわけでもなく、梅雨に逆戻りしたようなシトシト雨だ。これはラッキーにちがいない。あの熱暑からオサラバできる。それに雨具を着ても暑苦しくはない気温だ。7時に宿を出て、コンビニで昼飯を買ってから二人で歩き始めた。

 今日は身体が軽い。体調が良いというわけではないが、心のどこかにウキウキした気持ちがあり、それが身体に伝染っているようだ。また、気持ちもどこかフワフワしている。「今日も遍路旅の1日。別に特別の日ではない」と頭が押しとどめるが、「88番に到着できる。嬉しい」と心は単純に喜んでいる。浮かれていいような、悪いような、複雑な心境である。

 今日の行程は短いのでユックリ歩いた。いつもより風景が心の中に届いてくる。余裕を持って歩くと、こんなにも見えるものが違うのかと不思議な感覚になった。嫁さんがいろいろ話しかけてくるが、見えるものの受け取り方が僕と違うので、それが新鮮なのかもしれない。87番の手前では遍路橋という名の橋を渡った。あらためて「僕は遍路なのだ」と思う。が、もう少しで遍路でなくなるかと思うと、少し寂しい。

 9時前に87番長尾寺を出て、駅の回りで喫茶店を探した。歩いてきた同年輩のオトウサンから、突然の現金のお接待があった。嫁さんにとって現金のお接待は初めての経験らしく、僕の対応を興味深そうに見ていた。そして、喫茶店でモーニングサービス、今日2回目の朝食を食べる。時間を気にせず、心に余裕を持って飲むコーヒーは、遍路中では一番ウマイものだった。

 10時、前山ダムに出て前方の山を眺める。雲は低いが山にはかかっていない。女体山の中腹を横切る送電線が、まるでゴールテープのように見えた。ゴールテープの向こうが実質的な遍路のゴールだ。かといって、込み上げてくるものがあるわけではない。最後の登りを丁寧に歩きたいと思うだけだった。

 譲波に近づくと、犬が大声で吠える。誰の遍路記にも出てくる名物の犬に違いない。普段は、犬に吠えられると「よし、オマエはいい番犬だ。吠えて義務を果たしたのは認める。だから、もう吠えないでくれ」と言って通り過ぎるのだが、今回は犬の姿が見えず、語りかけることができなかった。姿を見せずにしつこく吠えるとはキタナイ奴だ。

 譲波からは山道に入る。しばらく登ると、5m先の木の根が動いたような気がした。止まってよく見ると「マムシ」だ。まだ少年なのか、亀甲模様はあるが色が薄くてまだ小さい。後ろを歩く嫁さんを手招きして見せた。マムシは一度も見たことがないという。 「マムシって以外に可愛いのね」嬉しそうに見つめている。でっかいマムシを見たら、何と言うのだろう。

 1匹のマムシを見たら周囲に10匹いると思え、という教えがある。少年マムシは大きさに似あわず、堂々と動かずにいる。きっとバックにマムシの親玉が控えているのだろう。マムシの親玉が「俺達が四国にいることを教えるために、若い奴に挨拶させた。オマエが気に入ったので、今日まで姿を見せなかっただけだ。遍路道は人間のためだけにあるんじゃないぞ。他の遍路にも伝えておけ」と言っているように感じた。

 12時過ぎに休憩所でおにぎりを食べ、いよいよ最後の登りにかかる。雨も上がり、しっとりとした風情になってきた。雨具を脱ぐと、涼しくて快適だ。急な登り坂だったが、登山道がよく整備されていて、今日はそれほど苦しくなかった。頂上近くでは岩を登るという遍路記が多かったので、少し楽しみにしていたが、そんなところは全然なかった。普段山登りをしている人には、なにも問題のない登山コースだと思う。

 女体山の上から、讃岐の平野を眺める。雲が低く明るい色彩はないが、山々の頂上は見える。空の部分を切り落とした幅のある風景、そう、屏風に書かれた墨絵の風景画のようだ。右から五剣山(八栗)、屋島、五台山(根来、白峰)・・・、歩いてきた山々が見える。 「・・・・・・・」 しゃべる気は起こらなかった。笑顔もないし、涙もなかった。ポカンと口を開けたまま、無表情で風景を眺めていた。心の中も、まったくの空白のように感じた。

 頂上にはずっと長くいたかったが、際限がないと思ったため、思い切って88番への下り道に入る。段差の大きい急な道だ。風が強く吹いてきた。Something great が枝や木の葉に、何かを喋らせているように思う。しかし、耳を澄ませてみても、言葉は聞こえないし、その意味もわからなかった。 ザワザワザワ・・・・・。

 この下りの遍路道にも遍路札が多くかかっている。赤い大きな文字の同じ札が連続して現れた。 『結願』、『結願』、『結願』・・・。 きた! こみあげてきた! 胸のあたりで沸き上がったものが、喉を通り過ぎ、鼻のあたりまできた。 突然、後ろを歩く嫁さんから声がかかった。「あなたのことだから、88番に着いても涙なんか流さないんでしょうね。今も平気でしょう?」 鼻のあたりまできていたものが、いっぺんに消えてなくなった。

 遍路を始めて33日目の午後2時22分に、88番大窪寺に到着した。頭はまるで空っぽ。なんとなく嬉しいことは嬉しいが、飛び上がるわけでもなく、叫ぶわけでもなく、大笑いするわけでもない。また、感激するわけでもなく、涙を流すわけでもなく、座り込んでしまうわけでもない。読経も、少し義務的な淡々としたものだった。合掌しても何も浮かんでこなかった。

 門前のうどん屋で2度目の昼食を食べる。昼食としては久しぶりに食欲があったが、あまり味はわからなかった。名物のたらいうどんは普通のうどんと変わらないと思ったし、ビールも苦いだけでウマイとは思わなかった。きっと、身体中のセンサーがシャットダウンしていたのだろう。

 いつもは赤飯がウマイとは思わない。が、夕食に出された赤飯はウマかった。結願祝いだから嫁さんには関係ないだろうと、嫁さんの分も半分食べてしまった。ビールもいつもよりウマイと感じる。自然に笑顔が出るようにもなった。やっとセンサーも感情も復活してきた。結願の喜びも湧いてきた。

 でも、もう1日ある。1番へのお礼参りだ。ここは卯辰越え(香川県回り)のランニングを予定している。が、嫁さんは、先日お世話になった9番法輪寺にぜひ寄りたいと言う。それならば、徳島県回りにしなければならない。バスに乗せる手を考えたが、うまい方法はないようだ。まあ、深くは考えないで、今日は寝よう。

 33日目 →20km、↑800m、30000歩、7:00〜15:00、88番大窪寺前「民宿八十窪」

<遍路と身体的効果>

 遍路をすると「痩せる」とのことですが、1ヶ月以上も一定以上の運動を続けるのですから当たり前のことだと思います。しかし、僕の場合はそれほどではありませんでした。予想では、体重は5kg前後、体脂肪率は5%前後少なくなるのではと思っていましたが、実際は遍路前に比べ、体重は2kg(67→65kg)、体脂肪率は2%(19→17%)、ウェストで2cm程度少なくなっただけでした。

 毎日の歩きで、消費カロリーは日常生活より相当多かったに違いありませんが、一日5-6食は当たり前ですし、朝夕飯は日常の2倍以上食べていましたので、摂取カロリーも多かったからでしょう。日常生活と同じような食事内容なら、もっともっと痩せていたと思います。 また、日常的に一般の人よりトレーニングを積んでおり、運動に適応できる身体になっていましたので、それが原因で、それほど変化しなかったのかもしれません。

 客観的数値ではこのようになりますが、主観的には少し違う感覚がありました。それは、贅肉がそぎ落とされたという感覚です。(脂肪率があまり落ちていないので、あくまで主観的感覚です) 表現を替えると、身体が締まったように感じます。つまり、日数とともに、どんどん歩きに適した身体に変化していくという実感がありました。それも、10-15日を過ぎてから急激に変わっていくという感じです。そして、身体の全体的な機能がアップしていくように感じました。

 人間の身体は、刺激に応じて中身を変えていく力がありますので、歩きに適した身体に変わっていくのでしょう。足の裏が堅くなるのもこのせいでしょうし、歩行に使われる筋肉が鍛えられていくのもこのせいだと思います。きっと、汗を出す汗腺の数も増加したに違いありません。 途中で病気が治ったり、歩けるようになる遍路の伝説があるようですが、これも、刺激に応じて身体を変化させていく人間の内なる力のせいだと思います。

 逆に、心拍数をあまり上げないで歩き続けたため(平地では1分間100未満)、効果が見られると思っていた循環器系の向上は(呼吸器、心臓など)、それほどなかったように思います。ただし、脚の筋肉の持久性は向上したようです。でも、これには歩いた場合のみという注釈つきで、走った場合はあてはまらないようです。(明日の日記を参照)

 僕の場合は以上のような結果でしたが、もともと体脂肪率の高い人や、日頃あまり運動をしていない人は、ウンと変化するのではないかと思います。


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