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掬水へんろ館

29日目 1999年7月23日  晴れ(熱暑)

 6時15分に宿を出た。オカアサンは、66番の登り口への経路をシツコイほど教えてくれた後、見えなくなるまで見送ってくれた。そのまま進むのが申し訳なくて、振り返って何度も頭を下げる。オカアサンの見送りに、遍路ころがしに向かう意欲はグンとアップした。

 遍路ころがしを快調に登る。標高が高いせいか、まだ朝早くのせいか、また、林の中のせいか、涼しさを満喫しながら登る。昨日の昼寝の時と同じように、思い出がグルグル頭を回り始めた。12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺・・・、キツかった遍路ころがしが思い出される。同じ遍路ころがしでも、序盤の徳島と終盤の今日では、どこか意味が違うような気がしてきた。

 徳島は、「試練の遍路ころがし」と言うべきか。ただただ、キツかった。それに比べて、今日は「確認の遍路ころがし」と呼べるだろう。 「なぜ、遍路ころがしを歩くのか?」 この答えを要求されているように感じる。ただ歩いてきました、では済まされないような気がする。かといって、すぐに答えが出てくるはずがない。またまた、大きな宿題だ。クリアでないにしろ、何とか答えられそうな気持ちはするが、言葉にすると、答えは違うものになってしまいそうな気がする。

 登山口から1時間で稜線の舗装路に出た。舗装路を少し進むと、石仏とベンチのある林の中に入った。静かだ。涼しい。ベンチに腰を下ろして石仏と対面した。石仏が、この遍路をどのように総括すればよいのか、ゆっくり考える状況を作ってくれているように感じる。が、考えがまとまらない。 「答えを出す必要があるのか?」 必要がないような気もする。 「では、このまま流すのか?」 流してはもったいないような気がする。しばらく考えたが何も明確にならず、汗で濡れた身体が冷えてきたので腰を上げ、アジサイが美しい参道を進んだ。

 66番雲辺寺にお参りし、8時35分に下りの遍路道に入った。木々の間から見える観音寺方面の平地は、太陽の光でギラギラしている。が、樹木で日陰の多い遍路道は爽やかだ。途中で2.3度、景色を見ながら休もうかと思ったが、尾根筋の下り遍路道を進むリズムが良かったので、休まずに、一気に遍路道を駆け下りた。

 9時40分、林を抜けると、田園の中の舗装路に出た。 「何だ、この暑さは!」 まるでシベリアから一気に熱帯の島にワープしたみたいだ。(シベリアも熱帯も行ったことはありませんが) 皮膚温が一瞬に10度くらい上がったような感じである。気温は30度をらくに越え、日向では40度近くになっているように感じる。快調な気分が、急にグニャッとしてしまった。

 1kmも進まないうちに、自動販売機の前に座り込んだ。水分を補給して身体を冷やさなければ、やっていられない。500ml缶を一気に飲んだ。太陽がほぼ真上に上がり、道路には日陰もない。山道に入る日は虫やマムシを警戒して長ズボンをはいているのだが、それを脱いでしまいたい、いや、できればパンツ一丁になって水をかぶりたい気分だった。

 それでも歩いて進む以外にない。ノタノタでも進むしかない。やっと67番大興寺に着いた、と思ったら、裏口に、反対側の山門に回ってから入るようにとの看板が・・・。回るしかなかった。愚痴を言う余裕もなかった。坂道を下り、山門から階段を登る。境内のヒンヤリした空気が心地よい。生き返った気がした。

 境内で一息入れただけで、また、熱暑の中に戻る。幹線道路に出ると、御影石の「四国の道」の道標があった。どこか、おかしい。ここから68番まで8kmあまりのはずなのに、2.3km距離が長い。また、矢印の方向も、遍路コースから外れているようだ。道標がおかしいのか、暑さで僕の頭がおかしいのか・・・。今までと同じように、自分を信じることにした。

 田園の中を進む。頭がボーッとしていて、考えることが出来ない。今朝の遍路ころがしで、宿題の答えが出そうな気がしていたが、ものを考えることさえ億劫だ。 「なぜ遍路に出たか、そして、その意味は何だったのか」 この答えが出ると、「香川は涅槃の道場」と言われるように、涅槃のようにゆったりと身体を横たえられるのだろう。が、今は、暑さで倒れて横になってしまうことを心配している。まさか、暑さで倒れることを涅槃というわけじゃないだろう。

 12時10分、高速道路をくぐった先にスーパーを見つけた。そういえば腹も減っている。食欲はなかったが、食欲を刺激するものが欲しくて中に入った。鯖のバッテラ寿司なら食べられそうだ。風が一番通る日陰を探して座り込み、ウーロン茶で寿司を流し込んだ。太陽が差し込まない日陰の地べたは、ヒンヤリしていて、いつまでも座っていたかった。

 お昼を過ぎて、風が出てきた。空腹感もなくなり、少し元気が出てきた。観音寺の町に入り風景が変わったのも、刺激になったのだろう。でも、余裕は相変わらずなかった。財田川の橋を渡るまではよかったが、その先はどちらに行けばよいのかわからなかった。しばらく立ったまま考えていると、「あっちですよ」とオトウサンが教えてくれる。いつもするような地図確認もせず、言われたとおりに進むだけだった。

 同じ境内にある68番神恵院、69番観音寺にお参りして、大休止にしようとした。まだ14時前だし、残りは5km、長く休んでも問題はない。が、休むなら宿について休んだほうがいいかなと思う。声を出して立ち上がった。

 70番までは、財田川沿いの土手の道だ。風がよく通るし、日差しも少し弱まった気がする。今日は距離も少なかったので、筋肉的なヘロヘロはほとんどない。が、身体的なダメージはやはりある。ガンガン歩くと、体温が上がりっぱなしになるような気がする。スピードを抑えて、静かに歩いた。

 右に目をやると、はるか向こうに雲辺寺の山が見える。約20kmの距離が一目でわかる。今日はあの向こうから歩いてきたんだ。今まで、自分が歩いてきた遠さを、このように目で感じたことがなかった。半日で人間はこんなに歩けるものだと思う。もちろん、そうでなければ、一月あまりで四国一周なんてできるはずがない。そういえば、今日で積算距離が1000kmを越える。よく歩いたものだ。人間の無限の力を知ったような気がした。自分を自慢できるような気がした。

 土手を進むと、向こうに70番本山寺の塔が見えた。 「ここまで来れば、今日はこれで終わりだよー」 と、やさしく呼んでくれているような、心落ち着く風景だった。 「宿に着いたら、真っ先に、冷たい水のシャワーに入るぞー」 気合いが戻ると、スピードが上がった。

 29日目 →30km、↑770m、44000歩、6:15〜15:15、観音寺市本山寺近く「本大温泉BH」

<遍路道と四国の道>

 昨日のコラムで、遍路マークやシールについて書きましたが、四国には、「四国の道」という道しるべも多くあります。遍路マークは木製の簡素なものですが、四国の道の道標は石製の立派なものが多く、大きな案内板も所々にあります。

 四国の道が制定された経緯はよくわかりませんが、各地方にある自然歩道の四国版と理解するのが、一番当たっているように思います。ですから、四国の道に指定されている遍路道は、道幅や階段や土留めなどの、道の整備が行き届いていて、慣れない人にも歩きやすいように保守されているようです。また、休憩所やあづま屋も作られています。

 山あいでは、古い遍路道が、そのまま四国の道に指定されているように思いましたが、平地や市街地に入ると、古い遍路コースとは異なる道を指定していることも、少なくないように思いました。たとえば、1番から2番へは、門前の幹線道路をまっすぐ行けばいいと思っていましたが、四国の道は門前から裏の方へ斜めに入っていました。遍路初日にこれでしたので、その後は、四国の道は遍路のためだけの道ではないと考え、悩んだときは、遍路マークを信用することに決めていました。

 四国4県のうち、愛媛県が歩く人のための道の整備に、一番力を入れているように思いました。が、それでも、まったく遍路道とは異なるルートを「四国の道」に指定している場所も、いくつか見受けられました。

 面白かったのは、「四国の道」の道標が異なるルートに遍路を誘導しようとする場所には、目立つように遍路マークが立ててあり、石製の道標と木製の道標がケンカをしているかのように見えたことです。「四国の道」は行政が指定したものですから、地域振興や地域名物の紹介という役割も兼ねているのかもしれません。また、行政という立場からして、特定の宗教活動(遍路)のための道標は立てられないのかも知れません。

 いずれにしても、「四国の道」は、歩き遍路のためだけに制定されたものではないことを理解する必要があると思います。数は少ないのですが、歩道ではなく車道に向けて立てられた道標があることが、これを示しています。逆に、遍路マークは、歩き遍路のためだけに立てられたものですので、遍路がどちらを信用するべきかは、おのずとわかることだと思います。

 まとめますと、「歩き」のための汎用案内が『四国の道』、「歩き遍路」のための専用案内が『遍路マーク』と言えるでしょう。また、官製の道が「四国の道」、NGO的な道が「遍路マークの道」と言うこともできるかと思います。


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