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掬水へんろ館

28日目 1999年7月22日  晴れ(熱暑)

 今日は、たったの20kmあまり、昨夜の予約では、「三島からなら昼過ぎには着くよ」と言われたので、のんびり起きた。7時20分に宿を出る。まだ登りにかからないのに喉が渇いてきた。とにかく暑い。8時だというのに、身体感覚では30度を超えている。自動販売機でペットボトルの水を買い足した。

 約束通り、毎日嫁さんに電話をしているのだが、昨夜、携帯へ電話したら、徳島の6番の宿坊に泊まっていた。僕の遍路の最後の2.3日は一緒に歩きたいというので、高松で落ち合う宿は出発前に決めていたが、その前に歩きたくなったようで、昨日1番をスタートした。そして今日は11番まで歩く予定らしい。遍路のトレーニングで一緒に歩いているし、山登りの経験もあるので、距離や登りにそれほど心配はないが、この暑さで大丈夫であろうか。少し心配になるが、徳島のことを愛媛で心配しても、どうにもならない。

 65番に続く車道は、斜面をウネウネと登っているが、それをショートカットするように遍路道が登っていく。思ったより早く65番三角寺に到着した。無人の境内は日陰も多く、静かで涼しくて気持ちがいい。境内のベンチに座り、昨日書き忘れた日記メモを書くことにした。昨夜は十分寝たのに、居眠りしてしまいそうなくらい心地よい。しばらくして、団体遍路が現れたので、腰を上げて照り返しの強い舗装路に戻った。

 65番からの遍路メインコースは、三角形の二辺を通るように、金田町まで一度下り、そこから国道を境目トンネルを目指してダラダラ登るようになっている。この下って登る長い国道コースが嫌で、事前に他に道がないか調べると、国道途中の椿堂方向へ斜面に沿って、三角形の一辺を通るように舗装路が繋がっているのがわかった。この道は昔からある古い道ではないように見える。今日はそのコースを進むことに決めていたので、門前の舗装路を右に、ダラダラ坂を登るように進む。

 登りはすぐに終わって、ダラダラの下り舗装路が続く。眼下に、三島と川之江の町が見え、その向こうに海が輝いて見える。海の手前には赤白の大きな煙突、右下には高速道路、文句をつける気持ちはサラサラないが、これらがなかったらもっと涼しげな風景に見えるのではないだろうか。とはいえ、これまでの遍路で最も拡がりのある景色に見とれ、杖に身体をあずけたまま、ずっと立っていた。

 舗装路は木々に囲まれるようになり、快調に進む。遍路コースを外れている新しい道なので、注意して地図を読まなければと思っていたが、所々に協力会の立て札があった。こんな道にまで遍路マークがあるのだと嬉しくなった。が、こうも考えた。すべての遍路コースが短くて登り下りの少ないものになったら、遍路はどう変わるのだろうか。楽になるのは確かだ。しかし、楽になることや便利になることは本当にいいことなのだろうか。楽をするなら車で遍路すればいい・・・。でも、厳しくて不便なら、やりたくても出来ない人が増える・・・。 「んー、難しい」 こんな暑い日に考える問題ではなさそうだ。

 65番から車のほとんど通らない舗装路を使って、11時30分に国道沿いにある別格の椿堂に出た。国道に出たら昼飯にしようと思っていたが、食堂はもちろんお店もない。国道に食堂の看板があった。「あと5分」と書いてある。これはラッキーと思ったが、その横に書かれていた「5km」にガックリきた。 『そうだよなー、歩きの人のために看板を出すはずはないものなー。車なら5分なのかー』 5kmなら、あと1時間は我慢しなければならない。国道の照り返しが一層強くなったように感じた。

 この境目峠に続く国道は、20数年前に自転車で越えた道だ。やはり、暑い夏の日だった。現在は道幅が広くなっており、そのころの記憶もあまりないのだが、なんとなく嬉しい。峠がもう近いかなと顔を上げると、峠らしい稜線が見えた。そこに繋がるウネウネとした道路らしいものも確認できる。フッと記憶が鮮明になった。「そうだ、この風景だ。峠が見えて、気合いを入れ直し、ここから一気にペダルを踏み込んでヘアピンカーブを登ったのだ」 

 「もう少しだ、行くぞ」 気合いを入れたら、すぐにトンネルが見えた。忘れていた。あの頃はトンネルがなく稜線まで登ったのだが、現在はトンネルができているのだった。旧峠まで登ろうかと思ったが、空腹と涼しさには勝てず、トンネルの中に入ってしまった。

 13時、トンネルを過ぎて、やっと昼飯にありついた。腹は減っているが食欲はあまりない。ザルソバを流し込んだ。今日の宿はすぐそこだが、こんな時間では申し訳ない。日陰を探して少し昼寝でもしようと思う。脇道に入り込み、大きな木の下のヒンヤリした舗装路に座り込んだ。カロリーメイトを食べ、水を飲む。すぐ眠気が襲ってきた。

 車の警笛に驚いて上体を起こした。トラックが目の前にいる。「すみません」 正座して頭を下げると、運転手の目が笑っていた。時計を見ると10分も眠っていない。どうも道路では眠れそうにもない。というより、道路は眠るための場所なんかではないのだ。あきらめて宿に向かう。

 申し訳ないと思ったが、14時すぎに民宿岡田に入った。オカアサンの第一声は、「あんた、若いねー。学生? それとも会社を辞めてきたん?」 単刀直入にズバッときた。それにしても、50を越えた男に向かって、他人より若く見られるといっても、「学生?」はないだろう。だけれど、悪い気はしなかった。何か、田舎のオバーチャンの家を訪ねた時のような感じだった。

 洗濯を先にすませ、窓を開けっ放したまま畳の上に横たわった。家の中を通る風が心地よい。遍路を通して、こんなにリラックスした気分を感じるのは初めてだ。横になったまま、遍路1日目から順番に思い出していった。あんなこともあった、こんなこともあった。それらがすべて、今日の今に繋がっているように思う。思い出が徳島を巡り、高知を歩いているうちに、意識がなくなっていった。

 同宿の人がいないため、オカアサンと2人の食卓だ。「今日で28日は速い。あんたの足なら、あと5日で結願じゃ」 遍路の話から、話題はオカアサンの家族に移っていった。本当に話好きの人で、このところビジネスホテル泊まりの多かった僕にとって、とても楽しい夕食になった。ただ、時々見せる疲れたような表情が少し気になった。 (その後、オカアサンが亡くなったことをお聞きして、本当に残念に思いました。この宿でお世話になった遍路もみんな同じ気持ちだと思います。ご冥福をお祈りします)

 昼寝をしたため、寝つけなくなってしまった。明日からの地図を出して、綿密に計画を練る。明日の66番だけでなく、五色台も屋島も八栗も女体山も厳しそうだ。距離と登りだけなら問題はないが、梅雨の明けたこの熱暑にどう対処するか、それが問題だ。しかし、正体のわからない熱暑への対応策にこれといったものはなかった。イキアタリバッタリでやるしかないだろう。

 28日目 →21km、↑580m、31000歩、7:20〜14:00、池田町佐野「民宿岡田」

<遍路シールと立て札>

 現在の歩き遍路を成り立たせているもののうち、絶対に忘れてはならないものが、「へんろみち保存協力会」の遍路立て札と遍路シールだと思います。僕の場合は、地図と地図読みがしっかりしているという自信があったため、あまりお世話にならないですむと思っていましたが、やはり、その威力は絶大でした。何より、立て札やシールが見えるだけで、自分のコースが正しいという自信になります。意識して遍路コースを外れた時は別ですが、そうではないときは、しばらくシールやマークが見えないだけで不安になりました。

 丸の中に、ただ赤い矢印が書いてあるだけの単純な意匠のシールでしたが、道の角度に応じて、矢印の向きを微妙に変える配慮は、きっと歩いた経験のある人にしかできないと思います。少なくとも、行政のお役所仕事では無理でしょう。できることならば、将来シール貼りのお手伝いがしたいものだとも思いました。

 赤い矢印に愛着を持ちましたが、それ以上に愛着を感じたのが、遍路立て札の赤い「人型遍路マーク」です。マークに笠と杖とザックが描かれているのが嬉しく感じました。時々、協力会純正マークではないものに出会いましたが、似ていても偽物だとすぐわかりました。

 もっともすごいと思ったのは、メインでないコースにもこれらのマークがあることです。僕はメインの遍路コースから外れることが多く、ここはコースではないだろうと歩いていても、今日のようにマークが現れるのです。どのように経路を取捨選択しているのかわかりませんが、歩き遍路の5%くらいの人数が通るであろうコースには、すべて付けているのではないかと思われる程でした。マークのついた経路を総延長すれば、四国を2周以上するのではないでしょうか。

 同行二人の本といい、遍路立て札・シールといい、「へんろみち保存協力会」は偉大な遍路の味方です。困ったときに現れる、正義の味方のようです。「人型遍路マーク」を歩き遍路界のウルトラマンと例えるのは、言い過ぎでしょうか。


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