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掬水へんろ館

27日目 1999年7月21日  曇り、晴れ、小雨

 7時10分、ゆっくり宿を出た。今日と明日の2日間で、雲辺寺手前までの60km足らず。余裕の2日間になるはずである。今日は、長くても伊予三島までの平地歩きで、恐れることはなにもない。地図をみると、国道の脇には旧道がずっと続いているので、これも気分が楽になりそうだ。さっそく旧道に入った。

 旧道に入って、それほど歩いていないのに、オバアサンから現金のお接待があった。その言葉にシビレた。 「お大師さん。これどうぞ」 僕に合掌までしてくれる。 『僕がお大師さんだって?』 そんな心構えはなかった。僕の顔が強張っているのが自分でもわかる。なんと返事をしていいのかわからず、ただ頭を下げるだけだった。いっぺんに気持ちが引き締まった。

 国道より快適な旧道だが、2時間も歩いていれば飽きてくる。昨日の読経のことが思い出された。他人の力一杯の読経を批判する資格が僕にあるのか。それに、今まで他人の読経を一切邪魔をしなかったという自信があるのか。 「ない」 それでは、自分勝手な批判ではないか。確かに他人を批判するのは簡単だ。が、自分を省みると、他人の批判なんて簡単には出来ないものだと思う。もっと、他人を受け入れる力をつけなければ・・・。

 まだ午前中だというのに、どこかにヘロの兆候が現れてきた。今日の行程が楽なので、緩んでいるのだろうか。しかし、少々緩んでも、こんなに早くヘロは来ないだろう。わかった。暑さだ。こう考えれば、一昨日の壬生川手前のヘロヘロも理解できる。これからは、距離や登りと戦うだけでなく、それにプラスして暑さと戦わなければならない。四国の夏だ。甘いもんじゃないだろう。

 10時30分、国道に出てスーパーに立ち寄る。サラダ巻を買って駐車場の横の日陰で食べた。ずっと、不思議そうに僕を見ていたオトウサンが寄ってきた。「あんた、歩きよるん?」「はい」「暑いのに、えらいなあ」 笑顔をやっと見せて立ち去った。と思ったら、冷たい缶ジュースを持ってきてくれた。あわてて立ち上がり礼を言う。今日は自分の姿勢も崩れているのがわかる。反応も遅いようだ。なぜか人通りのない道を歩きたくなった。緩んだ姿を、人に見られたくないような気がした。

 遠回りになり登りも増えるが、池田池からは国道近くを離れ、新居浜ゴルフ場の上を回ることにした。登りはやはりキツイが、風がよく通るようになった。山沿いを走る高速道路に近づくと、ゴーゴーと車の音が響いてくる。どこを歩いても一長一短。理想的な道は山の中の遍路道しかないようだ。

 土居の町にはいると、自転車のオカアサンが急に止まり、現金のお接待をしてくれた。 「ホラ、お賽銭もってけ」 言葉は荒いようだが、決して(標準語の)言葉通りの気持ちでないことはよくわかる。でも、午前の「お大師さん」とお昼の「賽銭もってけ」の対比がとても興味深かった。言葉は全然違うが、遍路に対する気持ちは同じなのだと思う。 そうだとしたら、「もってけ」のほうが受け取りやすかったのは、なぜだろうか。

 別格の延命寺には12時45分に到着した。この時刻なので土居に泊まるわけにはいかない。やはり今日は伊予三島まで行く運命なのだと思う。そう考えると急に腹が減ってきた。国道に出て喫茶店に入る。食べたのは、カキ氷とカレーライス。変な組み合わせだが、身体を内側から冷やしたかったのと、刺激物のほうが食欲が出そうだと思ったからだ。この選択に間違いはなかった。

 昼飯後も旧道を進む。同じような道に飽き飽きしてきた。身体はヘロヘロではなく、まだヘロの状態だが、頭の中だけはヘロヘロになってきた。2日前くらいから気になっていた足裏の状態もおかしい。マメではなく、マメが固まったあと(足裏の前半部、人差指の付け根あたり)にシビレ感があるのだ。靴底がすり減ってきたのも原因のひとつだと思う。

 マメのあとが角質化したというより、岩石化したような感じだ。堅い出っ張りにその部分を乗せると、石と石がぶっつかったような感じで軽く痛む。そして、岩石化した部分の神経が、一日中麻痺しているような感覚が続いている。岩石化という表現は少しオーバーかもしれない。軽石化くらいだろうか。いずれにしても、放って置くしかないだろう。ここまで来たら「この痛み、有り難きかな」だ。

 伊予三島に近づくと小雨が降ってきた。気持ちがいい。笠も外して、濡れながら歩く。元気が少し戻ってきた。 「最初のビジネスホテルに飛び込もう」 国道に出て元気に歩く。久しぶりにヘロヘロを感じない一日になりそうだ。しばらくして、国道沿いにビジネスホテルが見えた。

 「飛び込みですけど・・・」「すみません。満室なんですよ。それに、今日は高校生のテニスの県大会で、三島のホテルや旅館はどこも満室だと思いますよ」 何ということだ。こんなことは予想もしていなかった。土居まで戻るわけにはいかないし、かといって三島の先まで歩く気もない。 『野宿を覚悟しなければならないか・・・』 急にヘロヘロになった。 『とにかく三島の駅まで行こう、予約をしない自分が悪いのだ』 

 16時30分、三島駅前のベンチに座り込む。 『まだダメだと決まったわけでもない。とにかく10軒の宿に電話を掛けて、それでもダメなら次を考えよう』 1軒目、「少々お待ち下さい。ああ、デラックスツインなら空いてますよ」「おいくらですか」「2万2千円です」「・・・・・」「少しなら値下げできますけど」「僕は歩き遍路なんですけど」 さもしいかと思ったが、善意に期待した。 「ああそれなら、無理ですねえ」 1軒目は完敗だった。

 2軒目は、「すみません。満室です。(ガチャン)」 これもダメだ。 3軒目はもうアキラメ半分だった。 「ちょっと待って下さいね・・・。(しばらくして)ついさっき、高校生が試合に負けたので帰るという連絡がありました。どうぞ、いらっしゃってください」 『わーい、やったやったやったーー。バンザーイ』 こういうときは、普通の遍路ならお大師さんのお導きと言うのだろう。だが、この時は「捨てる神あれば、拾う神あり」とか「窮すれば通ず」という格言を思い浮かべただけだった。

 先にお風呂へと言うので、宿に着いてすぐ風呂にはいった。なんと、まだお湯が沸いていない。でも、愚痴ひとつも文句ひとつも出なかった。野宿に比べれば風呂に入れるなんて天国ではないか。一番お湯の温かい(といっても、まだぬるいが)表面の部分に、身体を仰向けに浮かべてしばらく漂った。無重力の脚から、疲労がぬるいお湯の中に流れ出ていくような感じがした。

 明日は距離のないリラックス日だ。今夜は、あっさりしたものを、腹いっぱい食べたいものだ。駅に来る途中、国道近くに回転寿司があったのを思い出した。少し遠いが出かけることにした。食べた食べた。おそらく、皿の枚数では最近の自己新記録だろう。商店街をブラついて帰る頃には、もう真っ暗になっていた。

 27日目 →36km、↑320m、52000歩、7:10〜16:45、伊予三島市「ろんどん荘」

<読経スタイル>

 それぞれの札所で、いろいろな読経に会いました。遍路の前半は、まともな読経ができなかったので、可能であれば上手な人に合わせようと思い、それなりの人を無意識に探していたようです。

 この意味で、団体遍路の読経は教科書となりました。先達を中心に声を揃える読経は、僕が声を合わせても違和感がなく、スッとお経の世界に入っていける感じがしました。また、団体によっては、その他の人のお参りを妨害しないように、お堂の正面ではなく斜め前で読経するので、その心配りにも敬服しました。

 宗派の違いでしょうか、団体によっては、いろいろな鳴り物(?)を使ってリズムを刻んでいて、これも楽しいものでした。特に、錫杖の小さなもの(頭に金属の輪を数個つけた短い棒状のもの)をジャラジャラ振り鳴らしながら、3拍子を刻むお経(修験道の系統だと思いました)は、とてもリズム感があり、ヘロヘロの僕を元気づけてくれるようで、とても好きになりました。

 個人でお参りする人の読経は、それこそ十人十色でした。声の大きさも、速さも、リズムも、抑揚も、息継ぎの場所も・・・・。どういう読経を真似すればいいのか、いろいろ考えましたが、途中から開き直ったのか諦めたのか、自分なりのやり方でやるしかないと思いました。読経の上手下手でお参りの成否が決まるわけではないのでしょうから。

 でも、できることなら朗々とした読経をしたいと思います。僕の傾向は、最初はゆっくり大きな声で始まるのに、途中から速くなってしまうことです。早くなると声も小さくなります。きっと、一息で何行も読んでしまおうとしすぎるからだと思います。速くなればなるほど、心の安定から遠ざかるようにも感じました。

 この意味で、読経の途中の息継ぎの場所をどこにするのか一番悩みました。いろいろの人の読経を聞きましたが、一定の決まりはないように思います。僧侶が複数で読経する時も、皆が一斉に息継ぎをしているわけではないようです。

 四国で、約200回の読経をしたことになりますが、結局自分なりのスタイルを作ることができませんでした。でも、最初に比べれば、ずいぶん上手になったような気がします。自分なりの読経にするには、少なくてもあと5回は遍路をしなければならないでしょうね。


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