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掬水へんろ館

21日目 1999年7月15日  曇、のち晴れ

 6時40分、ホテルの目の前にあるコンビニで買った弁当を道ばたで食べた。さっきから、若い二人の娘さんが、通る車に何度か手を上げている。ヒッチハイクにしては旅の途中という感じがない。待ち合わせて通勤車への相乗りならば、待ち時間が長すぎる。イタズラ心が少し湧いてきた。食べ終わった弁当を片づけて近寄った。

 「一緒に歩きませんか? たまには歩くのもいいもんですよ」 声をかけると、ひとりの娘さんの顔が固まりかけた。 『ヤバイ、調子に乗りすぎたか』 「ハハハ、ハハハ」 もう一人が、冗談を理解してくれたのか笑ってくれた。 『助かった。二人とも固まったら、俺はただのバカオヤジになるところだった』

 見知らぬ若い女性に声をかけたのは何年ぶりだろうか? あっ、そうだ。大岐海岸でもサーファーに声をかけたのだった。遍路になって度胸がついたというわけではないが、若い女性にも、それほど遠慮をしないで話せるようになってきたように思う。 ただ、今日は一瞬ビビったせいか、ターボはかからなかった。

 国道沿いに内子まで進む今日の行程では、できるだけ国道を歩かないようにするつもりだった。集落を抜ける旧道を選んだが、登校途中の中学生の90%以上が「おはようございます」と声を掛けてくれる。「おはよう」と返す僕の声が、とても爽やかなのが自分でもわかる。

 鳥坂トンネルに近づいた。もちろん鳥坂峠を越えるつもりだ。峠の入口で犬を連れて散歩中のオジサンに出会った。 「ここは、ええ峠やのう。人もあんまり通らんし、まだ朝で涼しいし・・・。よう頑張って遍路続けてな」 なにかほのぼのとした立ち話だった。今日は、僕の心もどこか落ち着いているようだ。8時15分、峠の入口ではいつも「行くぞー」と気合いを入れていたのに、今日は自然体で(いや、自然心で)峠道に入れた。

  きれいに草刈りはされているが、ほとんど踏み跡のない濡れた峠道は、回りの樹木からだけでなく、足元の草からも霊気を発しているように感じられた。登りが短く、なだらかな小道が続く女性的な峠だったからかもしれない。四国が「あなたを受け入れましたよ」と言ってくれているような感じがした。頬も上半身もリラックスしたままの峠道だった。

 9時45分、札掛大師を過ぎると峠からの道は国道56号線に合流する。しかし、トラックの轟音の中へ進む気がしなかった。少し遠回りになるが、国道から左に外れた農免道路をしばらく進んだ。あれは何だ? 「通行止め」の看板と柵が道路を塞いでいるではないか。「まいったなー。といっても下ってきた坂を登って戻る気にもなれないし・・・、突っ込もうかなー?」

 「すみませーん。あの通行止めは、歩きでも通れませんかねー?」と農作業中のオバサンに聞いてみた。「さあ、どうやろ。土砂崩れがあったらしいけど」 『土砂崩れなら乗り越えればいいんだ。ヨシ行くぞ』 チカラ技に頼るいつもの決断だ。現場は、土砂崩れで道路の5分の4は埋まっていたが、道路の端は楽に通れた。おまけに、通行止めのおかげで車一台通らない道を2km以上歩けた。今日はラッキー日なのだろう。

 高速道路のICそばで肘川にぶっつかり、大洲の町に入る。もう30年近く前だろうか、初めて遍路に興味を持った自転車旅行の時、肘川のもう少し下流を川に沿って走った思い出が湧いてきた。川沿いの高台にある知り合いの家に泊めてもらったのだ。食事前の夕刻、ずっと流れを見下ろし続けた。「こんな所に住みたいなー」と思いながら・・・。 今日の肘川も、あの時と同じように心を惹かれるものがあった。

 メーンストリートのホテルの食堂に「日替わりランチ」の看板があった。時刻も11時30分、「よし、食おう」  中にはいると、ネクタイの男性達が一斉に視線を飛ばしてきた。 『ヤバイ、場違いか?』 でも、平気な顔を装って席に着くと、視線は全然来なくなった。ウェイトレスも、ネクタイより笠と杖の男性を気遣ってくれた。きっと、遍路が問題なのではなく、遍路らしからぬ風体が問題だったのだろう。

  出された日替わりランチのメインは、かき揚げ。口に入れたのはよいが、その油が口に広がるとムッときた。それでも無理矢理すべてを食べきった。ウェイトレスの親切には、食欲で応えなければならない。かき揚げ自体はとてもおいしいものだ。が、どうも身体が油ものを受け付けにくくなっている。今までの日常を考えても、こんなことは余りなかった。おそらく、水分を要求している身体に油がなじまないのだろう。

 大洲の市街を出てからも、国道を進まず、ひとつ南側の田園の中の直線道路を内子に向かって進んだ。用水路の水が元気に流れていて気持ちが良い。道ばたの枯れ草を用水路に放り込むと、歩くスピードとほぼ同じに流れていく。これは面白い。草を蹴り込んでは歩き、蹴り込んでは歩き、だんだん愉快になってきた。ところが、そのうちに流速が増してきた。気を抜くと、草に追いつかない。必死になって草と競争してしまった。 気がつくと、十夜ケ橋のすぐ近くまで来ていた。

  十夜ケ橋にお参りし、そのあとも裏道に入る。ガサッという音とともに、頭の高さの石垣の上から太い棒が落ちてきた。 「ギャーーッ」 道の反対側まで瞬間的に跳んで避けた。黒い蛇が舗装路の上を全力で逃げていく。1m以上もあるデカい奴だ。伸ばせば杖くらいの長さがあるかもしれない。「おい、驚かすのはやめてくれ、お願いだから。黒い蛇は不吉の前兆だなんて、もう言わないから・・・」

 新谷の町を過ぎると裏道がなくなり、国道を歩かざるを得なかった。高速道路の工事のため、ダンプも多く土煙りも多い。おまけに、雲が切れ、いかにも夏空という天候になってきた。暑い。今日はずっと快調だったのに、歩く意欲が失せてきた。と同時に、ヘロヘロ歩きになってきた。五十崎(いかざき)のあたりから左へ入る遍路道があるはずだったのに、なんとなく見逃してしまう。気がつくと内子の町に入っていた。

 そういえば、今日の宿を予約した「うちこスポーツイン」の場所を確認していない。人に聞いて回るのは好きではないので、書店に入って旅行ガイドの本を立ち読みして確認した。『駅の向こうの高台にある』 駅の向こうに出て少し進んでも、案内の看板がない。高台に見える、それらしい建物の大きな看板もスポーツインとはなっていない。

 「おかしい」 駅の近くまで戻ると、女子高生が二人歩いてきた。「あっちの方にスポーツインという宿があるはずなんだけど、知らない?」 「さあ・・・、あの上に見えるのはハイプラザですし・・・」  『旅行ガイドを信じろ。自分を信じろ。失敗してから人に聞け』 もう一人の自分が活を入れてくる。信じた。無駄足になってもかまわない。ヘロヘロの身体に鞭打って登り坂を登った。『ハイプラザの陰にスポーツインがあるはずだ』 

 登りきってハイプラザの前に立った。駐車場のある門には、小さな「うちこスポーツイン」の看板があった。2つの名前を持つ宿舎だったのだ。無駄足にならなくてホッとしたが、何となく納得がいかなかった。予約の際に、一言ことわってくれれば悩まなかったのに・・・。でも、スポーツインという名前から合宿所のようなものを予想していたが、国民宿舎のような立派で景色の良い宿だったから、あまり文句を言うのはやめよう。 (同行二人の改訂の際には、ぜひ2つの名前を載せるようお願いします)

 21日目 →34km、↑460m、 52000歩、6:40〜16:15、内子町「うちこスポーツイン(ハイプラザうちこ)」

<道の選択>

 四国の道路事情ですが、これは本州と変わりのないものです。というより、人口密度の低い北海道以外は日本国中ほとんど同じだと思います(沖縄は足を踏み入れたことがないので、よくわかりませんが)。したがって、人家のある所へは、ほとんど舗装路が通じていますし、交通が激しい所にはバイパスなど新しい道が出来ています。

 昔の徒歩遍路は、ほぼすべて土の道を歩いたと思いますが、現在では、土の遍路道を使わずに、すべてを舗装路で回ることも可能だと思われます。実際に、自動車遍路やバス遍路はガタガタ道を使わずにすべて舗装路を走っています。

 ですから、徒歩遍路にとっては、遍路道と呼ばれる細い土の道や山道を歩くことが何よりの喜びであり、これこそ徒歩遍路の特権だと思いました。たしかに、遍路道は、自動車道がウネウネと曲がっている斜面を直登したり、トンネルのある峠を越えたりするものが多く、身体的には負担になります。特に、「遍路ころがし」と呼ばれる急坂は厳しくて、本当に遍路を試しているように感じられました。 

 それでも、自動車などに邪魔されず、四国の懐に入っているという実感は、遍路道以外では難しいように感じます。体調やその日の行程などに影響されるため、すべての遍路道を歩き尽くすのは難しいことですが、可能であれば、ぜひ遍路道を選んで歩いてほしいと思います。僕の場合も、日程的な余裕があれば、もっと遍路道を歩いたのではないかと思います。

 しかし、遍路道はそれほど多くありません。感覚的には、全行程の10%くらいでしょうか。それ以外は舗装道路を歩く以外に方法はありません。国道を歩く場合も多いのですが、幹線道路のつまらなさは、自動車の騒音や恐怖感、空気の悪さ、歩道の歩きにくさ、無機的な風景・・・などでしょうか。

 そこで、僕は可能な限り裏道を使うようにしました。それらは、センターラインや歩道のない道巾の狭い舗装路であったり、バイパスに対する旧道でした。路面は舗装路ですから足への負担はありますが、自動車もあまり通りませんし精神的な余裕ができます。遍路前半は急いでいたため幹線が多かったように思いますが、後半は1割程度距離が伸びても、裏道を歩こうと心掛けていました。


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