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掬水へんろ館

20日目 1999年7月14日  曇、のち晴れ

 今日も短い30km。ゆっくり朝食をとって、7時30分にホテルを出た。空は晴れてはいないが、非常に蒸し暑い。そのせいか意欲があまり湧いてこない。また、今日の行程も短いので、心も燃えてこない。 「これは、ヤバイかなー?」 とも思うが、心を燃やす方法が思いつかない。

 決して、歩きたくないというわけではない。また、身体に問題は全然ない。おそらくは、マンネリの一種だろう。距離が少ないので、中だるみになったのかもしれない。そうであるなら、昨日の午後のパワーダウンもこれが原因のひとつだろう。距離を伸ばすといっても、内子までの60kmを一日で歩き通すわけにはいかない。内子の手前の大洲に泊まれば、翌日の行程が無茶になる。昨日からの予定通り、今日は30kmをゆっくり歩こう。

 宇和島の市街地のはずれの信号で止まっていると、前にいた、オカアサンが振り返った。 「あら、お遍路さん。・・・ちょっと待ってね」と言って、財布から100円玉を5枚取り出してお接待してくれた。そして、「あー、そうそう」と言いながら、袋に手を入れて、一掴みの1円玉と5円玉を僕の手の平に乗せた。コインは30枚もあっただろうか。

 「これはね、お接待じゃなくて、私からのお賽銭。今度のお寺で納めて貰える? 平成6年までに、車で12回お遍路をしたけど、脚を悪くしてもう回れないんで、歩いてるお遍路さんを見ると必ずお接待しているの」 お接待とお賽銭が混同しないように、別々のポケットに押し込んだ。たくさんのコインで、歩く度にジャラジャラ音がするが、なんとなくその音が嬉しかった。少し意欲が戻りそうな感じがした。

 務田(地名)まではダラダラ登りの車道が続く、湿度のせいか汗がダラダラ出る。歩き方もどこかダラダラしている。 「まいった」 歩き始めて1時間あまりしか過ぎていないのに、道ばたに座り込んだ。どこかがおかしい。思い切って、シャツは一番風通しの良いものに着替え、長ズボンを短パンに替えた。爽やかさが少し戻ったが、歩き始めるとやはり「ダラダラ3拍子」になってしまった。

 窓峠までのダラダラを終え務田の田園に入ると、風が吹き抜けて少し楽になってきた。 『郵便局に寄るんだった』 遍路コースを外れて宮野下の駅に向かって進む。 「お遍路さん、41番はあっちですよ」 と続けて二人も声を掛けてくれる。道を間違えたと思ったのだろう。

  郵便局への用は、不要な荷物の送り返しだ。昨日の電話で嫁さんが教えてくれた。「荷造りなんてしなくても、郵パックを申し込むと紙袋に入れるだけで大丈夫だから・・」 荷物を送れと催促するのは、早く写真を見たいためらしい。量が少ないので、一番小さめの袋で送ることにした。袋に入れたのは、インスタントカメラ・使用済みの地図や資料・長袖シャツ・使わない靴下・雑品などで、中身が少なすぎて収まりが悪かった。でも、1.5kgも軽くなった。

 41番龍光寺からは、出戻って山を巻くように進むと予想していたが、お寺の横から山を抜ける遍路道があった。ラッキー。荷物もずいぶん軽くなったような気がするし、調子が上がってきた。42番に続く道路沿いには、花壇に花が一杯植わっていて、これも元気を倍加させてくれた。花を管理している地元のお母さん達の気持ちが届くようだ。パンジー,○○、△△・・・。野草なら少しは名前は知っているが、花壇の花の名前はあまりわからない。けれど、名前は知らなくても美しさを感じる気持ちは、名前を知ってる人と同じだと思う。 言い訳かな?

 11時20分、42番仏木寺にお参りした後、門前の小さなお店のベンチで休ませて貰った。お店のオバサンとしばらく話しをしていると、近くに住むオバアサンがやってきた。 「ああ、ちょうど、ええもんがある」 とオバアサンに言って、裏から果物を持ってきた。 マクワウリ(プリンスメロンかな?)だ。喉が鳴る。 「お遍路さんにもお裾分け」と、4分の1を手渡してくれた。

 「うまい」なんて言ってる余裕はなかった。食べきるまで30秒もかからなかったと思う。顎から果汁のしずくが下に落ちる。 「あれあれ、お遍路さん。そんなに皮の近くまで食べるもんやないのに」 これがスイカなら、白い部分まで食べてしまったということか。 「もう一切れあるから、これもどうぞ」 今度はゆっくり食べた。味わいながら食べた。けれど、一つ目と同じように、食べ終わった皮はやはり薄かった。

 鎖場のある歯長峠を登る。やはり、相手が強そうだとこちらも燃える。気合いが戻ってきた。12時20分、42番から休憩なしで峠の頂上に登りついた。一休みの後の峠からの下りはとてもいい林だった。時折、山道のそばから白い蛾のような何かの幼虫が、音を立てて飛び出してくるのには驚いたが、見通しはないものの静かで落ち着いた林だった。

 下りの途中で、長い溝の縁のような所を歩いた。何のための溝なのか思いもつかない。溝の中には大木はなく、幼木だけが伸びている。しばらく考えながら歩いた。 「あ、そうか、遍路道の跡だ」 昔から、多くの遍路の足に踏まれることで、地面の草や表土がなくなり、そこを雨水が流れ、また踏まれ、また流れして、あんなに深い溝になってしまったのだろう。昔の遍路を想像していると、目の前の溝の中を、ワラジを履いた昔の遍路が歩く幻影が見えそうな気がした。少し怖くなって、大急ぎで峠道を下りきった。

 峠を過ぎて快調になってきた。僕には、少しはハードな道の方が調子が良いようだ。 皆田小学校の前を歩いていると、人気のないプールから声が掛かった。「43番はもうすぐですよ」 驚いて振り向くと、20代の若い男の先生が、笑みを浮かべてバケツを持って立っていた。とてもとても感じのいい先生だ。和顔施。僕も見習いたいと思う。この先生に習う子供がうらやましい。

 43番明石寺に近づいた。串間さんが迷った所だから注意しなければ、と慎重に進む。が、何も問題はなかった。串間さんは、疲れか何かのためにウッカリしていたのだろう。

 14時40分、明石寺を打ち終えると、やはりヘロヘロが顔を見せた。卯之町に出ると、昔風の町並みに心惹かれるものがあったが、ゆっくり見るだけの余裕は残っていなかった。いつもの日と同じように、ノタノタと町中を進む。 「30kmでもこんなにヘロヘロかー。今日は蒸し暑かったからだろう。これからの梅雨が明けた暑さの中でも、前半と同じように40km歩けるのだろうか?」 こう考えると、よけいにヘロヘロが倍加した。

 卯之町の町並みから離れ、上宇和駅が見えたとき、座って休むと決めた。「無人駅だから、少し眠れるかもしれない」 駅の階段に腰をおろす。数分もたたないうちに列車が到着し、高校生達がどっと降りてきた。 「休ませてもくれないのか」 覚悟を決めて、また歩き始めた。

 20日目 →28km、↑680m、43000歩、7:30〜15:55、宇和町松葉「宇和パークBH」

<ザック>

 この遍路のため、ザックだけは新しく購入しました。50リットルを越える大きなザックから小さなデイパックまで、7種類ほどのザックは持っていましたが、どうも「帯に短し、たすきに長し」の感があったからです。ちょうど近くのお店で閉店セールがあり、5割以上の値引きで理想に近いものが手に入りました。

 僕がザックに求めたのは、まず機能的な点です。

1.大きすぎず、また小さすぎないもの(25リットル前後)。
2.背の部分がしっかりしていて、型くずれがしにくい。
3.背に当たる面にクッションがあり、かつ隙間が多い(汗でベタつかない)。
4.ウェストベルト(ヒップベルト)がついている。(密着感と荷重の分散)
5.肩ベルトの伸縮がワンタッチでできる。
6.荷物が少ない時用に、ベルト等を締めて断面積を小さくできる。

 などが、これにあたります。

  そして、いつも使っているザックとの共通点も考えました。

7.上ブタ(雨ブタ)が着いており、ザック本体の開閉は紐である。
8.上ブタ自体が大きなポケットになっている

 山登りでは、小休止の度にザックを開けなくてもいいように、上ブタのポケットに、いつも行動食、トイレットペーパー、ゴミ用ビニール袋などを入れています。ですから、遍路でも、いつもの所にいつもの物があって欲しかったからです。

  また、遍路用に以下の条件も加味しました。

9.ザックの内側に隠しポケットがある(貴重品入れ)
10.ザックの上部に紐が付けられる。(笠の縛り付け、濡れたものを乾かす)
11.外部に500mlのペットボトルが付けられる。(歩きながらでも取れるように)

 このように条件をつけていくと、これらをクリアするザックは非常に少なくなってしまいました。数軒の登山用品店を回りましたが、条件に合うザックは結局2種類しか見つけられませんでした。そのひとつが、セールをしていたお店にたった1つだけ残っていました。この時は、このザックが僕を待っていてくれたように感じました。

 ザックをそのまま使ったのではなく、付属品を取り付けました。ウェストベルトには、万歩計とカメラ用のミニバッグを(結局は煙草入れになっていまいましたが)、 また、ザックの上部には別売りの布ベルトを取り付けました。

  このザックには、杖や笠と同様に、とても愛着があります。すべての行程を一緒に歩いた我が同志ということでしょうか。実は、遍路を終えた1年後に盗難にあったのですが、まったく同じ物をすぐに買い直しました。他のものを買おうという気持ちがまったく起こらなかったのです。


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