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1日30kmの行程だと、朝の緊張感と忙しさはそれほどでもない。今日は、朝御飯を宿で食べたあと、6時30分に雨が強く降る道路に出た。このところ雨は少なかったが、まだ梅雨明けにはならないようだ。だが、晴れたときの暑さを考えれば、少しくらいの雨は苦にならない。
この日は柏坂峠を越えることにしていた。というより、迂回路となる国道を歩く気はしなかった。問題は、5万分の1の地図には柏坂の遍路道が記載されていないことだ。事前に協力会の同行二人でも調べたが、山のどの部分が峠になっているのか読めなかった。また、下り途中の茶堂(地名)のあたりの経路もわからなかった。したがって、所要時間も予想できない。今日の午前は、協力会の立て札と遍路シールを頼りに歩くしか方法がないようだ。
7時、峠の入口の民家でトマトのお接待をいただき、立て札に従っていよいよ山道に入る。一気に尾根に登りきり、その後は尾根をダラダラ登るのだろうという予想に反して、遍路道は山の斜面を斜めに横切るように、徐々に高度を上げていくものだった。歩くリズムも取りやすく、所々にある俳句の看板も気分を転換してくれた。また、雨も止み始め、暑苦しくなっていた雨具を脱ぐこともできた。気持ちの良い遍路道だ。
一気登りになり、尾根はもうすぐだと思ったとき、目の前の黒い棒が動いた。 蛇だ。四国で初めて出会う蛇だ。 もちろん、四国の山道で蛇に会うことは覚悟していた。蛇は好きでもないが、見ただけで悲鳴を上げるほど嫌いでもない。きっと出会うのは、青大将かシマヘビ、もしかしたら、ヤマカカシにマムシだと思っていた。しかし、黒い蛇がいることは予想していなかった。思わず声が出た。 「オーッ?」 声を聞いて、蛇は草むらに逃げていった。「黒い蛇に出会ったということは、今日はいい日にちがいない」 白か黒か色は忘れたが、こんな迷信があったような気がする。「黒い蛇が正解」勝手に自分に言い聞かせた。
峠を越え、木々の茂ったゆるい下り道を進んで行くと、突然視界が開けた。「つわな奥展望台」だ。展望台というより伐採跡というだけだったが、眼下に海が見える。今日まで、高いところに登っても景色を堪能したことはなかった。焼山寺、鶴林寺、太龍寺、金剛頂時、神峯寺、松尾峠、・・・。いつも雨か、雨でない時も低い雲が垂れ込めていた。なんとか景色が見えたのは、塚地峠と禅師峯寺くらいか。が、両方とも視界が狭かった。
今日も雨上がりで、決していい天気とはいえない。空の雲は低いし、沖の方は見えない。ましてや九州が見えるはずもない。しかし、近くだけでも眼下に広い景色が見えるのが嬉しかった。くねったように曲がった岬と、それに囲まれた小さな湾と漁港。そして、数は少ないが民家と漁船。久しぶりに大きな気持ちになれたようだ。が、大きな気持ちと一緒に、何か寂しい気持ちも芽生えてきた。寂しいというより、孤独感というべきか。家を出てから今日で20日。ホームシックが顔を見せてきたのだろうか。
尾根を下り、茶堂の手前のあずま屋で現在地を確認し、この先の道を考えた。茶堂で車の通る舗装路に出るのだが、この舗装路はクネクネしていて、右回りでも左回りでも、大門(地名)の国道へは、迂回コースになる。もし舗装路がコースなら左回りのほうが距離がなさそうだ。舗装路が遍路コースでないならば、地図にはない細い遍路道があるのだろうか。あとは協力会の立て札とシールに注意を払う以外にないようだ。
舗装路に出て右を見た。すぐの所に協力会の立て札があり、矢印は左を指している。「なんだ、左回りの迂回コースか。それなら簡単だ。迷うことはない」舗装路をドンドン進んだ。舗装路は尾根に出たところから尾根沿いに下ると読んでいたのに、尾根を巻いてから下っていく。立て札もない。 「おかしい」 それでもなおも進むと、あるはずのない2軒の民家が現れた。道に座り込んで磁石を出し、地図を丁寧に読むと、どうも90度以上方向が狂っている。
焦りながらも、迷ったときの鉄則どおりに戻ろうと決めた。まずは巻いてきた尾根まで、それでも駄目なら茶堂まで。 考えてみれば、茶堂から立て札もシールも見ていない。 尾根まで戻ると、尾根沿いを下る道が見えた。が、入口がわかりにくいし、轍はあるものの土の道だ。このような場所には必ずあるはずの立て札もない。でも、地図で確かめると方向はよい。「茶堂まで戻るのは時間がもったいない。方向は良いのだから、もし道がなくなったら林に突っ込んで、沢沿いの舗装路まで藪コギをしよう」 結局はチカラ技を前提とした結論に至った。
下りの土の道はミカン畑にぶっつかり、ミカン畑の縁に沿って左右に分かれていた。「ミカン畑の下から道が続いているに違いない。左側を進もう」 ミカン畑を時計板とすると、1時2時・・と進み、6時にも7時にも次の道がなかった。8時9時と登り返しても道がない。10時まで来ると、最初の分岐が見えた。これはミカン畑へだけ繋がる道で、行き止まりだったのか。心は焦る。 「落ち着けー」 草の上に座り込んで一服することにした。
よく見ると、9時の方向に見える林がおかしい。林の中の幅3mくらいが、木々が小さくてマバラなのだ。そこに繋がる背の高い草に覆われた荒れ地も、幅3mくらい平地になっている。そうか、廃道なのか。草をかきわけて突撃する。林の中に入ると、廃道には幼木が生えていたが、古い轍も確認できた。しばらく進むと廃道は舗装路になった。が、枯れ枝や草が道を覆っており、2.3年は車が走っていないようだった。
ホッとして休憩した。1時間くらいは迷っていたと思っていたが、ロスは15分くらいのものだ。が、2.3日分の精神的エネルギーを消耗したように感じた。焦りが静まったので、どこで間違えたか落ち着いて考えてみた。地図でも確認した。
おそらく、茶堂の舗装路に最初に出た時だ。右に見えた「左に進め」という立て札は、舗装路を右に10mくらい進んでから、左の林の山道にカギ形に入れということだったのだろう。それを、舗装路を左に進めと勘違いしたに違いない。だとすると、もう少し行くと、右からの遍路道に出会うであろう。しばらく進むと、はたして、右の尾根から遍路道が下りてきていた。
大門の国道には10時30分に到着した。だが、気分的には、もう午後の3時頃のようだった。でも、歩いた距離はまだ3分の1くらい。まだ20kmも歩かなければならない。
大門からは、津島町を経て宇和島まで、ずっと国道沿いを歩いた。旧松尾トンネルも予定していたがやめた。迷うのが怖かったわけではない。精神的なエネルギーが枯渇していた。それ以上に、得意の地図読みが原因で負けたという、得意技を封じられた悔しさと落胆が後を引いていたせいなのかもしれない。
宇和島城が近くなってからは元気が戻ってきた。どこからか、キーンという打球音が聞こえてくる。元野球部の中年遍路を誘う音であった。そういえば、高校野球の県予選の時期だ。打球音を頼りに歩いて、高校の横に出た。宇和島東高校。甲子園によく出場する学校だ。が、グランドの方に回っても、塀の金網はすべて農作業用のブルーシートで覆われており、中が全然見えなかった。残念。監督のどなり声だけが虚しく聞こえた。
黒い蛇はいい日の前兆だったはずなのに。今日は、なにか空回りのする一日だった。やはり、黒ではなく白い蛇が正解だったのか。また足が重くなる。駅前のホテル目指して、久しぶりの都会の中をトボトボ歩いた。人は多いのに、誰も視線を投げかけてこない。冷静に考えれば、宇和島では日常の一部になっていて、遍路なんて珍しくもないものだろう。だけど、この時は、みんなに無視されているような気持ちだった。
19日目 →33km、↑500m、50000歩、6:30〜16:00、宇和島市「ターミナルホテル」
<迷いやすい人> 世の中には、迷いにくい人と、よく迷う人がいるようです。僕は迷わない方ですが、うちの嫁さんは迷いやすい人です。嫁さんが一人で初めて遍路に出た時、3番から4番へ行く道(西へ行ってから北に行く)を進むつもりで、吉野川の近く(南方向)まで行ったそうです。この時は、3番を出て線路を渡ったので間違いないと思ったそうです。
今までの経験から考えますと、迷いやすい人には一定の傾向があるようです。
ひとつは「思いこみ」です。嫁さんの例でも、3番の西側の線路ではなく南側の線路を渡ったのに、線路は3番の西側にしかないと思い込んでいたようです。このように、可能性の判断がうまくできない思いこみの激しい人や、客観情報と主観情報を混同しやすい人、また、伝聞などの確度の低い情報を信じやすい人などは、迷いやすい傾向を持っています。この傾向の迷子の場合は、周りの人が予想した範囲を越えて移動することもあり、リカバリーに時間がかかることも多いようです。
次は、不安傾向の強い人です。不安傾向が強い人は判断や決断が遅くなります。迷ったらどうしようかと考えるあまり、動けなくなることが多いようです。この場合は、行動範囲が小さいため安全面では心配は少ないのですが、予定時間に目的に着かないなど、行動予定を大幅に変更せざるをえない状況に陥る場合があるようです。
依存的な人も要注意です。登山の授業で、後ろの方にいた人は「前の人が行ったから」前の人は「後の人がついてきたから」というのが理由で、10数人がまとめて迷ったことがありました。全員が判断を無意識に他人に依存して、だれも客観情報(地図で確認するなど)にあたろうとしなかったのが原因です。
大きな目と小さな目の使い分けも大事です。迷いやすい人は、山全体のどのあたりいるとか、遠くに見える特徴物との関係とかの、大きくて遠い目で地図や現地を見る習慣があまりありません。目の前の分かれ道のどちらを選ぶかという小さな目で見ます。大きな目があれば、小さな迷いに早く気がついたり、迷ったあとでも別ルートをとるなどリカバリーができますし、不安も小さくなるはずです。
いずれにしても大切なことは、一度も間違わないようにするのではなく、短い間隔で地図と現地を対応させて、間違いに早く気づくことだと思います。
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