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ほかほか弁当屋で買っておいた鮭弁当をお茶で流し込んで、5時20分に宿を出た。今日の行程も約40km、朝早い出発が日中の余裕を生むことが分かっているので、早出もあまり気にならなくなってきた。2週間を経て、やっと歩き続ける毎日に適応してきたように思う。そういえば、右足のマメも左足の筋肉も、今朝はほとんど気にならない。
土佐清水の港をほぼ一周し、右に海を見ながら足摺岬の西側を元気に進んだ。朝早くは日陰も多く、海も凪いでいるので、さわやかな気持ちである。ところが、中浜のバイパス付近から腹の調子がおかしくなってきた。ゴロゴロと悲鳴をあげている。地図を見ても、公衆便所やお店がありそうな所が全然ない。また、あたりを見回しても適当な所が見あたらない。
大浜のトンネルを抜けて、浜辺に降りた。すぐに足で砂に穴を掘る。海の方には舟影はないし、浜辺に人はいない。道路がある山側はコンクリートの堰堤で問題なし。と思ったら、堰堤を散歩中のオカアサンがいるではないか。でも、向こうに歩いているので大丈夫かと思う。それ以上に、もう我慢できない。約1分の速攻で決めた。落下物も穴にきれいにゴールイン。ホッとした。
穴を丁寧に埋めてから堰堤に戻ると、さっきのオカアサンがすぐ近くまで戻ってきていた。 『シマッタ、見られたか』 オカアサンは、堰堤の下から急に現れた僕に驚いた様子だった。驚いたということは、それ以前に僕に気がついていないにちがいない。つまり、見られてはいないことになる。 『良かった。助かった。臭いは海の方に流れてくれー』
9時に、38番金剛福寺に着いた。破れた笠に大きな荷物、薄汚れた白衣を着たベテラン風の野宿遍路が話しかけてきた。年令は50才前くらいだろうか。39番への道は三原村経由が一番いい、国道をなるべく避けたほうが歩きやすい、炎天下はつぶれやすいので早朝と夕方歩いた方がいいなど、僕を初心者だと見てアドバイスしてくれる。確かに、参考になるアドバイスだった。
しかし、一通りのアドバイスが済むと、話しは2巡目に入った。さっきとまったく同じアドバイスが続く。少し嫌になったが我慢して2巡目を聞いた。返事がブッキラボウになっているのを自分で感じながら・・・。楽観的な予想に反して、アドバイスは3巡目に入った。またまた同じアドバイスが続く。 「先を急ぎますから・・・」 と話しを中断して逃げた。逃げた先の展望台から見た足摺灯台は、どこか精神的に疲れているように見えた。岩にぶつかる強い波も、今日はどこかノタノタしているようだった。風景も、見る人の心を写す鏡となるようだ。
10時に38番を出て、帰りは岬の東側を北上する。こちら側は、午前の太陽が当たるせいか、右側が海で視界が開けているせいか、なんとなく明るい。が、単調な道だ。単調な道になると考えが内向きになってくる。刺激がないからかもしれないし、歩き続けているうちに新しい刺激に鈍感になってきたのかもしれない。
昔のコーチ時代の試合がいくつも頭に浮かんできた。あの時こういう風に采配を変えていたら勝てたかもしれない・・・。あの時あの選手をもっと上手に使っていれば・・・。結論が出るはずのない考えが次から次へと湧いてくる。それとともに、時間の感覚がなくなっていった。
2人の歩き遍路が木陰で休んでいた。2人は昨夜一緒に下の加江に泊まった知り合いだそうだ。余裕のある40才くらいの人は、足摺に向かう途中で今夜は足摺泊まりだと言う。地べたに座り込んで苦しそうな年輩の人は、足摺往復で今夜も下の加江に連泊するそうで、38番を打ち終えて帰りの途中らしい。ということは、午前中だけですごい距離を歩いていることになる。
僕の今日の泊まりは下の加江なので、年輩の人と同じ宿だ。同行しようかと一瞬考えたが、体力的余裕が全然ちがうような気がして先に行くことにした。 『この人より1時間以上早く着いてやろう」 誰かに、けしかけられたわけではない。だのに、体育会的な勝負の発想が無意識に湧いてしまう。この発想には、自分を元気づける意味が含まれているのだろう。もしそうならば、自分では意識していなかったが、負けるものか、と自分を元気づけながら今まで生きてきたのだろうか?
16日目、哀愁の?後ろ姿 帰りの大岐海岸は「はまみち」、つまり砂浜を歩いた。休憩中のサーファーに「海辺を歩く哀愁を帯びた中年遍路の後ろ姿、というイメージで撮ってもらえませんか?」と写真をお願いした。 「哀愁ですか? 後ろ姿ですか? いいですよ」 笑いながら引き受けてくれたが、後日プリントした写真には、とても元気に歩く後ろ姿が写っており、哀愁のかけらもなかった。モデルが自分で頼んでおきながら、哀愁という設定がおかしくて、笑いながら歩いていたのだからしようがない。
向こうの方から、遠目で美人と見える女性サーファーがボードを脇に抱えて歩いてきた。なぜか話しかけたくなった。思えば、遍路に出てから、遍路以外の若い女性と話したことは一度もない。歩くコースを変え彼女に近づいた。 「こんにちは」 「こんなに暑くて、歩くのも大変でしょうね」 「いえ、好きで歩いているんですから」 「頑張ってくださいね」 たったこれだけの会話であった。たったこれだけだったのに、ものすごいパワーがでた。一気に砂浜を通り抜けた。そして、下の加江までの道では、歩きにターボがかかっていた。これからは、ヘロヘロになったら若い女性を探そう。
途中の電話ボックスからひとりの遍路が飛び出してきた。 「やーやーやー」大将だった。今日は以布利で、明日は下の加江に泊まるそうだ。 「もう1日分も前に行かれてしまったか」大将が残念そうに言う。これで本当に会うのは最後になるだろう。でも、明るく一気に別れた。まだエンジンには美人ターボがかかったままだったのだ。
15時30分、歩いた距離の割に、それほど疲労感もなく下の加江に着いた。宿に荷物を入れて一休みした後、翌日の携行食を仕入れるため、ご主人にお店の場所を聞いた。それなのに、ご主人は、何を買うんだとか、携行食なんかいらないとか、理由をつけてお店の場所を教えてくれなかった。しようがないので、散歩がてら下の加江の町を歩き、小さなスーパーでパンを仕入れた。
宿への帰り道で、お昼に会った往復遍路が遠くに見えた。僕よりも1時間20分の遅れである。 「いいぞ、やったぞ。これで明日からも自信を持ってがんばれる」 小さなキッカケであったが、出発から2週間が過ぎて、やっと心の余裕が出てきたようだ。
食事の前後に話してみて、やっとご主人が少し理解できるようになった。おそらく、ご主人独自の遍路観があって、その遍路観から外れる人にはとっつきにくいようだ。したがって、僕のような遍路の端くれとは波長が合わないように思う。短パンで歩いても白衣を着て歩いても、人間の中身は変わらないと思うが、他人にとっては全然別の人格に見えるのだろう。やはり、形から入るのが良いのだろうか? だが、やはり形で勝負したいとは思わない。
16日目 →41km、↑320m、54000歩、5:20〜15:30、下の加江「安宿」
<トイレ> 浜辺での排泄はこの日だけでしたが、林の中の排泄は3〜4度経験しました。やり方は大体決まっていて、穴を掘り、排泄し、木の葉で尻を拭き、穴に土を被せるという順序です。木の葉がなければトイレットペーパーを使いました。分解が遅いティッシュペーパーは使いません。
基本は、自然にある素材で、分解が早いように、臭いが残らないように、排泄の後が見えないように、ということでしょうか。猫でさえ穴に土を被せますから、やりっぱなしでは獣以下の人間になってしまうでしょう。登山のように、一定個所に多くの排泄物がなされると汚染の原因になると思いますが、歩き遍路の数は少ないのですから、人家から離れていさえすれば、自然の中に住んでいるタヌキやイノシシの仲間になりきって、やってしまえば良いと思っています。
大自然の中での仕事が多い僕にとっては特に違和感のない行動ですが、経験のない人には少し抵抗感があるかもしれません。が、慣れてしまえば楽しい思い出のひとつになると思います。昔はみんなこうだった、と開き直ってしまえばいいだけですから。 遍路という日常から離れた活動をするわけですから、排泄も日常から離れていいのではないでしょうか。とはいっても、可能であればトイレを使うのが一番です。
男性の場合はこれでいいのでしょうが、女性はもっと大変だと思います。どこにでも公衆便所があるとは限りませんし、一切排泄をしないというわけにはいきませんので、何か解決策を事前に考えておく必要があると思います。大きな町では公衆便所が比較的多いし、民家がまったくない山の中では道から少し外れてしまえばいいのでしょうが、中くらいの集落が連続する所が特に問題になるかと思います。
「協力会の地図で事前に場所をチェックしておく」 「トイレがあれば、早めでも出しておく」のは当然としても、急な時にはそうもいきません。僕の嫁さんを見ていますと、以下のような優先順位があるようです。(一般用のトイレが用意されていない7・8は経験なしだそうですが)
1. コンビニで
2. 喫茶店などの食べ物屋さんで
3. 大きなお店で買い物をして
4. 自然の中で
5. 役場、駐在所、郵便局等の公共施設で
6. ガソリンスタンドで
7. 小さなお店で
8. 民家に飛び込む
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