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掬水へんろ館

13日目 1999年7月7日  うす晴れ

 朝御飯はおにぎり弁当にしてもらい、5時40分にホテルを出た。まだ真横からの日差しなので、海風がひんやりして気持ちがいい。ホテルに滞在したのが11時間で、そのうち眠っていて意識がないのが8時間。残り3時間であの値段かー。でも、何も言うまい。今日の45kmを歩き通せるエネルギーを蓄えたと思えばいい。 とは言っても・・・。 『こらっ、しつこいぞ。終わったことは考えるな。先のことを考えろ』

 途中でおにぎりをほおばりながら、3時間で須崎の町に入った。横波からは、佛坂峠や岩不動を通る遍路道ではなく、鳥坂トンネルを通るコースを選んだ。今日の長距離を考えてのことである。左脚ににはキネシオテープを貼ったので、現在のところは快調である。右足のマメも楽になってきた。が、少しスピードを上げ過ぎたためか、午後にはヘバリが早く来そうな予感がする。

 別格大善寺にお参りして、なおも進む。久礼までは、幹線国道の黙々修行我慢歩きになる。ずっと地面ばかり見つめて歩いていたせいか、焼坂トンネルも気がつかないうちに過ぎていた。歩きながら何を考えていたのか、全然思い出せない。ただ、安和の付近で道路工事をしていた人達が、工事を中断して僕が通り過ぎるのを待っていてくれたことだけは覚えている。歩きながら眠っていたのだろうか?

 久礼の町へは、国道を離れて旧道を進んだ。 「そえみみず遍路道、分岐」 協力会の立て札を見て驚いた。もうこんな所まできたのだ。時計を見ると12時前だった。半日で、ほぼ25kmを歩いたことになる。 「さて、七子峠までどのコースを行こうか?」 真ん中の幹線国道はもちろん却下。では、右のそえみみず遍路道か、左の大坂越えコースか? 「そえみみずは評判がいいようだ。だったら、大坂越えを行こう」 論理的ではないかもしれないが、このように決めた。躊躇するのだけはイヤだった。天の邪鬼がささやいたのかもしれない。

 (実は、事前の計画段階では問題なく「そえみみず」を通る予定でした。しかし、地図をよく読むと、そえみみずはダラダラ登りが続きそうですし、七子峠近くに下りがある登って下るコースです。それに比べ、大坂越えはほぼ平地を進み、最後に七子峠直下から急登するというコースでした。時間的に早く着くだろうということと、登りは一気の勝負で決めたいというのが、選んだ理由でした。あとから考えると、けっこう論理的なんですね。)

 久礼の駅前から、37番の宿坊に電話を入れた。 「久礼ですか? けっこう距離がありますから、頑張って来てくださいね」 どうも言外に『本当に大丈夫か? 途中でキャンセルなんかするなよ』というニュアンスを感じる。 「はい、頑張って急いで行きますので、よろしくお願いします」 現在12時過ぎ。あと20kmほどだから、登りや休憩を含めても5時間くらいだろうか。 「よし、納経時間の17時までには着いてやる」 何でも勝負にしてしまうこの性格は、イヤだ、イヤだ。

 大坂越えまでの道は、のどかだった。車はいないし民家も少ない。のんびり歩けば最高だと思ったが、今日はそうもいかない。風景にはなじまない険しい目つきで歩いていたに違いない。奥大坂の集落を過ぎ、急登の手前で休憩をとった。今日もアンパンが携行食だ。うまい。小さなアンパンだが3個を一気に食べた。本格的な休憩は峠に着いてからだと決める。

  大坂越えの急登に取りつく。標高差220mを30分もかからないで一気に登りきった。汗が全身から噴き出す。七子茶屋の中に飛び込んだ。熱いものや油っこいものを食べる気がしない。 「冷やし中華」これだ。 見ると氷アイスも売っている。これに飛びついた。氷アイスがこんなにうまいとは思わなかった。堅く固まっているので、一生懸命大急ぎで掘り起こす。最後には木製のヘラが折れてしまった。 『俺は餓鬼に成り下がったのかー』

 14時20分、七子茶屋を出る。窪川までおよそ13km、17時到着はギリギリのようだ。全体に下り気味の国道で精神的にも助かったような気がする。これまでとは違い、今日は筋肉の張りも少ないようだ。身体が歩行に慣れてきたのであろうか。キネシオテープのお陰かもしれない。とはいえ、35kmを越えると、姿勢を維持する筋肉が疲れてフォームが崩れてくるのが自分でもわかる。こうなると、身体のどこからか「ゆっくり行こうよ、休もうよ」という声が聞こえてくる。

 途中15分休んだだけで歩き切った。37番岩本寺到着は17時15分。休憩の分だけ勝負には負けたが、達成感と満足感は大きかった。受付を兼ねた納経所に入ると、「久礼からの電話の人ですか? 本当に? 夕食には絶対間に合わないと思っていましたよ」 と『絶対』という言葉に力を込めて誉めてくれる。一般人より1時間も早かったのか。達成感と満足感に、優越感が加えられた。全身が疲れで強張っているくせに、頬の筋肉だけがゆるんだ。

 風呂に入るために、膝上から股関節近くまで筋肉に添って貼ってあったキネシオテープを剥がす。ジワジワ剥がすと痛いようなので、一気に引っ張った。 「痛っ、痛っ、痛ーーーい!!!」 太股のつけ根の皮膚がテープと一緒に剥がれてしまった。テープ幅の5cm×長さ3cmくらいであろうか。体液が分泌して湿ってくるし、空気に触れるだけで痛い。それでも風呂に行った。少しお湯を掛けただけで、めちゃくちゃ染みて痛い。覚悟を決めて湯船に突撃した。湯船を出て、タオルに石鹸をつけてゴシゴシ洗う。成算のない荒療治であったが、そのうち痛みに慣れてしまった。

  明日はリラックス日の30km。今夜は平和な眠りにつける予定だった。身体も歩きに慣れてきたし、筋肉の調子もマメも快復に向かっている。だのに、だのに、チョットした油断から皮膚を剥がしてしまうなんて、なんということだろう。いったい、いつになったら絶好調で歩けるようになるのだろうか? それとも最後まで、どこか不十分な状態が続くのだろうか? まあ、それも良いだろう、絶好調には落とし穴があると言うではないか。Something great がそれを教えてくれている、と思い込むことにしよう。

 13日目 →45km、↑540m、52000歩?、5:40〜17:15、「37番宿坊岩本寺」

<携行食と非常食>

 どら焼きが一番だとすでに書きました。確かに、食べやすさ・腹持ち・回復力は良いと思います。が、思いがけない一つの欠点がありました。それは、飽きがきたことです。5日ほどで、もう食べたくなくなりました。毎日食べるには、僕には少し甘過ぎるようでした。

 その後、どら焼きはアンパンになり、アンパンはクリームパンになりました。が、愛媛に入り夏も盛りになってからは、甘いものは身体が受付けないようになってしまいました。ちょうどお店も比較的多い場所になり、山奥に長い時間入ることも少なくなりましたので、買い置きではなく、その日に食欲をそそるようなものを買って食べることが多くなりました。最後まで飽きがこなかったのは、巻き寿司などの酢メシでした。僕の場合は酢メシでしたが、人によってはいろいろだと思います。

 どうしても買えない日は、緊急用の非常食として持っていた、カロリーメイトを食べました。パサパサするうえに腹持ちも良いとはいえませんが、名前のせいか心理的効果はあったように思います。また、非常食として軽量なのも利点です。 (非常食として、これ以外にクッキー数個と羊羹を持っていましたが、最後まで食べる機会はありませんでした。そこまで食料的に追い込まれなかったということです)

 最初のうちは、日常のようにお昼時に食堂で昼御飯を食べていました。が、2つの意味で僕には向かなかったようです。ひとつは量が多いことです。追い込んで歩き続けたあと、休みを取らないで一人前のご飯を食べるのは少し苦しいものがありました。かといって、お店に入る前に休みを入れて、昼飯に1時間近くも時間をかけるのは、時間的に無駄になります。

 もうひとつは、お昼まで腹が持たなかったことです。朝食6時-早昼10時-遅昼14時-夕食18時、というサイクルが僕には最適でした。この意味で、喫茶店のモーニングサービスが時刻的にも量的にも早昼に最適なものでした。遅昼に適したお店はうどん屋でしたが、お店がなければ持って歩くというわけにはいきません。ですから、遅昼用には午前中にスーパーやコンビニで買ったものを持って歩くことが多かったようです。

 簡単にまとめると、歩き遍路の昼食には、少量づつ何度かに分けて食べる分散型が適していると思います。(これは僕だけにあてはまるのかもしれませんが) これなら、お昼に大休止をとらなくても、小休止ごとに食べることになって、時間も節約できそうです。また、シャリバテとかハンガーノックと呼ばれる、腹が減って動けないという状態を作らない方法にもなります。

 これは夏だけだと思いますが、7月中旬からの熱暑の日には、うどんなどの熱い汁物と、フライ・天ぷらなどの揚げ物が食べられなくなりました。(夕食なら、いつも食べられましたが) 高松の屋島の近くでケンタッキーの店に入り、チキンのバーガーセットを注文しましたが、パンと野菜は平気で食べられたのに、チキンは一口しか食べられず捨てました。もったいないとは思いましたが、食べられないものは仕方がありません。

  真夏には、カロリーが十分で、あまり甘くなくて腹持ちの良いゼリー状の流動食が欲しいと思いました。これなら理想的です。NASAの宇宙食にこのようなものがありそうですが、値段やその他の理由で、遍路用に市販されるのは恐らく無理でしょうねー。


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[期限付ヘロヘロ遍路旅] 目次に戻るCopyright (C)2001 橘 直隆