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掬水へんろ館

9日目 1999年7月3日  曇り、時々小雨

 朝食のために食堂に来たが、どうも食欲がなかった。頭痛などの二日酔いの症状はないが、昨夜のビールが影響しているに違いない。昨夜は、次の行程を考えているうちに日付が変わったのだから、寝不足も影響しているようだ。途中でへばるわけにはいかないので、無理をしてご飯にお茶をかけて流し込んだ。

 7時30分、雨上がりの道路に出る。湿度が高いとはいえ、この時間はまだ爽やかだ。奈半利の町では、雨具にザックを背負って逆方向から来る若者と大きな声で挨拶した。笠も杖も持っていないが、きっと彼も遍路なのだろう。また、田野の町では登校中の中学生にたくさん出会った。なんとなく元気が出てくる。身体の変調も気にならなくなってきた。

 「慎太郎アイスクリン」の工場があった。ネーミングがいかにも土佐らしい。次は竜馬が出てくるのだろうかと期待していたら、次は「土佐鶴」の工場だった。高知の地酒で名前を知っていたのが、司牡丹と土佐鶴だけだったので、なんとなく嬉しくなってきた。まさか試飲コーナーなどないだろうと思っていたが、やはり、そんなものはなかった。昨日の今日だというのに、酒には懲りていないらしい。

 9時ちょうど、27番神峯寺への登りに入る分岐にさしかかった。お寺がある山には低い雲が垂れ込んでいて、上を見ても何も見えず、永遠に登らなければいけないような気持ちになってきた。「真っ縦」という名の坂に少し恐れを感じていたのかもしれない。

 乗用車が停まって、窓から腕が差し出された。車の中を見ると、白衣に輪袈裟のドライバーで、差し出された手のひらには黒飴が数個のっていた。飴に対する感謝の気持ちはもちろんあったが、それよりも坂道に向かう勇気をもらった感謝のほうが大きかった。

 湿度が高いせいか、真っ縦ではすごい汗が出たが、予想したほどきつくはなく1時間で登り切った。それより、体内に残っている邪悪なもの(多分大半はアルコール性だろうが)が汗とともに流れ出していき、身体はもちろん精神までもが浄められていくような実感があった。このような感覚は登山で何度か経験したが、遍路では初めてのことである。

 境内で出会った車遍路の老夫婦と一緒にお参りを済ませ、来た道を一人で下り始めた。 「おーーっ」 二人同時に声をあげた。あの大将と鉢合わせになったのだ。太めの大将にはきつい坂のようで、汗まみれであえいでいた。大将は、牟岐で別れてから僕より前を歩いていたはずだったのに・・。大将の話しでは、昨夜のホテルが一緒で、僕が朝食を食べているのを見ながら出発したとか。だのに、いつのまにか抜かれてしまったのが不思議でならないようだった。

 下りの遍路道から舗装路に出た。下りはまだまだ続く。 「ウッ」 左の脚がカクッとなり、転びそうになった。もう一度左足に体重を乗せるとなんでもない。痛みもない。歩き始めるとまたカクッとくる。立ち止まっていろいろ確認すると、左膝を曲げたまま体重を乗せた時に力が入らないことがわかった。下り坂で、右足を前の低い所に運ぼうとすると、左膝を曲げて体重を支える瞬間がある。その瞬間にカクッがくるのだ。大腿の前の部分の筋肉(大腿四頭筋)の疲労が原因のようだ。

 いかにも冷静に分析したようだが、実際はそうではなかった。焦りに焦っていた。 「もう歩けないのかもしれない」これが一番こわかった。大量の汗が出て目にしみ込んだ。そのほとんどが脂汗であったにちがいない。 「昨夜のバチがあたったのか?」

 いかにして下り道を進むか、これが問題だった。歩幅を極端に狭くしたり、左足を前に出して右足を引きつける片足歩きだったり・・・。最後には、後ろ向きに歩いてみたりもした。力が入らないだけだった太股に痛みも少し出てきた。
 結局どのように歩いたかは記憶していない。とにかく坂道が終わる分岐までは進まなければという気持ちだけで動いていたような気がする。登りは1時間だった行程なのに、帰りの下りは1時間20分もかかった。

 高架下の分岐に座り込んでパンをかじりながら、いろいろ善後策を考えた。今日の予定は、安芸市か夜須か決めかねていて、まだ予約はとっていない。まず、すぐ近くの浜吉屋を考える。 「少し休めば回復するかも知れないし、今日は15kmも歩いていないうえに、まだ12時前だ。甘えてはならない」 ということで浜吉屋は却下。かといって安芸より遠くには行けそうもない。とにかく、もう少し休んでから動き出し、その調子をみてから決めることにした。 「時間をかけさえすれば安芸には着けるだろう」

 歩けるスピードで歩いた。時速5kmなんて出るはずがなかった。それに、雲が時々切れて気温もグングン上がってきた。はじめは3kmくらいと思っていたスピードも、国道になってからは2kmを下回っているように感じる。それも休み休みなので、地図をみても全然進んでいないようだ。そのことが一層疲労に拍車をかけた。 「倒れるときは前向きに倒れたい」 坂本龍馬の言葉にこのようなものがあったような気がする。こう思わせるのも土佐の風土なのだろうか。 「でも、倒れるわけにはいかない」

 下山郵便局を過ぎ、倉庫の軒下にへたりこんだ。安芸市街まで約5km、時刻は13時前。でも、17時頃までに安芸に着ける自信はまったくなかった。とはいえ、安芸に今日着かなければならない理由もない。が、安芸まで行くと決めた以上、ここで挫折するのは敗北となる。敗北はくやしい。このように考える体育会系の自分がおかしいのはわかっているが、習い性はしかたがない。

 結局は、バスを使うのもやむなしと腹をくくり、協力会の宿舎一覧のコピーをザックから引きずり出した。なんと、すぐ近くに国民宿舎があるではないか。プラニングの段階ではノーマークだった宿だ。渡りに舟とは、このようなことを言うのであろうか。歩き出してすぐに公衆電話があった。宿泊OK。ホッとして進むと、200mくらいで宿舎入口の看板が見えた。泣きたいくらい嬉しかった。

 チェックインまでの待ち時間をロビーのソファーで過ごした。現実に戻されるのが嫌で、職場には一切連絡しないと決めていたのだが、電話をすることにした。なぜなら、スポーツ現場に近い職場には、実績のあるトレーナーがいるからだ。だが、以外にも冷たいアドバイスが返ってきた。 「明日になってもダメでしたら、お医者さんに診て貰うのが一番ですよ」 「そりゃそうだけど・・・」 特効薬か特別の手法を期待しすぎていたようだ。

 風呂では、お湯と冷水を交互に何度も患部にかけて血行を良くし、夕食までは、ストレッチングとマッサージを丁寧にやりすぎるくらいやった。だのに、夕食にはビールを忘れなかった。遍路完遂とビールとどちらが重要なのかわかっているはずなのに・・・。

 (結願後、トレーナーはこう言っていた。 「患部を見ても触ってもいないのですから、アドバイスのしようがないじゃないですか。先生なら基本的なことはわかっているはずですから、時間が解決すると思っていました。それに、何かあっても帰ってくるはずがないですし・・・。他に何かできます?」 当たっているからこそくやしい。が、突き放したような冷たいアドバイスが 「すべて自分で解決するしかない」 という覚悟に結びついたことは確かだ。身体の専門家であるトレーナーが心の分野に大きく影響を与える、という話しをよく耳にするが、それを実感できる出来事だった)

 9日目 →19km、↑480m、?歩、7:30〜13:20、安芸市「国民宿舎あき」

<35日間通し打ちの作戦・戦略>

 約35日の期限付き遍路でしたので、プラニングについては十分時間をかけました。おおまかな戦略は、前半は行けるだけ行く、後半は残り日数を考慮しながら余裕を持って歩く、というものでした。自分の日頃の行動や性格テストによる分析を考え合わせると、僕の行動パターンは「最初と最後は強くて追い込めるが、中間は中だるみする」ことらしいのです。ですから、1週間を終えたあたりの前半の中だるみを抑えることが勝利(期限内結願)に結びつくと考えていました。

 しかし、日和佐付近の全身疲労と今回の脚の筋肉疲労で、この戦略は変えざるをえませんでした。といっても、追い込むのが好きな性格ですのでイーブンペースはどうも面白くありません。また、プラニングが大好きですのでイキアタリバッタリの作戦も性にあいません。ですので、5〜6日につき1日はリラックスした気持ちで歩こうと考えました。

 とはいっても、はじめから距離を抑えるのではなく、あくまで精神的にリラックスした日を設けようということです。これは比較的うまくいきました。リラックスの日を設定しておくと、その前の2・3日を気持ちよく追い込むことができました。また、リラックスの日でありながら、追い込むことなく距離をかせげることもありました。もちろん、リラックス日は天気や体調によっては前後に移すという流動的なものです。ただし、完全休養日はまったく考えませんでした。車と同じで、楽なものを経験するとキツイものを避けようとする傾向が現れるのを警戒したからです。

 1日内の作戦は、午前中に稼げるだけ稼ぐということでした。あと10kmを切ると精神的にすごく楽になります。できれば午後1時ごろにはあと10kmになりたいと思っていました。そうすればウサギさん昼寝もできるようになります。
 この意味で、1日40kmまでは比較的余裕を持てました。が、それを越える行程では午後の距離が長くなり、疲労が加速度的に増すように感じました。

 午前を重視したのは、もうひとつの理由があります。梅雨明け以降の瀬戸内地方は暑いのです。いや、アーーーツーーーイのです。気持ちよく歩けるのは、甘めに見ても午前9時まででしょう。この時間までに15km歩いておくと、すごく楽な行程になります。ですから、夏の遍路では、早めに歩き始めるのがとても重要だと思います。


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