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掬水へんろ館

6日目 1999年6月30日  晴れ

 晴れた。スカッと晴れた。朝からウキウキ気分である。昨日までの5日間が雨模様だったので、梅雨がずっと続くような気がしていた反動なのかもしれない。

 7時20分、薬師会館を出発して200mも歩かないうちに、牛乳配達のおばさんからコーヒー牛乳のお接待を受けた。2日前の反省から、心構えと礼儀を何度か心の中でリハーサルしておいたので、今回は自分でも納得できる対応だったと思う。一言でいうと「感謝の気持ちをハッキリと表明すること」ではないだろうか。

 しばらく歩くと、前方から下り坂を利用して1台の自転車が突っ走ってきた。学校に遅れそうになった高校生のようだ。長髪がグシャグシャだし、シャツの裾もズボンからはみ出ている。 『デレーッとした奴だな、若いくせに。学校の先生を困らせているんだろうな』 と思いながらずっと見ていた。僕と目が会うと、大きく元気な声で 「おはようございまーす」と爽やかな挨拶を残してすっ飛んで行った。こんな奴が見知らぬ人に挨拶するとは・・・。 四国・おそるべし。 再々確認だ。

 空とともに心も晴れる。いつもなら、ここで鼻歌のひとつでも出ておかしくないのだが、もうひとつ歩くリズムに乗りきれない。昨日の午後からマメが広がってきていて、まだ快調にはほど遠い状態である。痛い部分に体重がかからないように着地すると、新たに着地する部分が悪くなる。これでは、マメが足を一回りするまで完治しないということなのか。そういえば、右足をかばっているせいか左足にもマメができつつある。

 寒葉坂手前の自動販売機の休憩所で、元校長と大将に追いついた。大将は、宿で一緒に食事をした同年代の恰幅のいい人で、元校長とは徳島あたりでも一緒になったそうだ。口数が少ない人なのであまり会話はなかったが、どこか信頼できそうな人だった。それで勝手に大将と名付けた。
 元校長は、「先は長いんだから、今日くらいはチャント休んでおけ」と命令言葉でアドバイスしてくれる。でも、予定通り2日間で室戸岬まで行きたいという気持ちは強かった。

 なんとなく3人で歩き始めた。寒葉坂の下りにはいると、元校長が快調に先頭を飛ばし、僕と大将がマークする、というような形になった。まるでロードレースのような展開だ。 「体育会系としては密着マークを外せない」と思ったが、考えてみるとロードレースをやっている場合なんかではない。頭を冷やして自分のペースをキープする。すると100m間隔くらいで落ち着いた。もう少し遅いペースのほうが足には良いと思ったが、これ以上遅れるのはプライドが許さなかった。

 牟岐のスーパーで昼飯を買い、11時過ぎに到着した内妻海岸の堰堤で食べる。サーフィンやボディーボードを楽しむ人達がたくさん海に出ていて、いかにも夏らしい雰囲気だ。兄弟だろうか、首輪のない2匹の可愛い子犬が寄ってきて、一生懸命ザックの匂いを嗅いでいる。山では、「野生動物に餌をやらない」という教えがあり、野良犬の場合は餌をやらないことにしているのだが、どこか僕と似たもの同士のような気がしてパンの残りを分けあって食べた。もちろん、可愛いところが似ているのではなく、浮浪(はぐ)れているところが似ているような・・。

 今日は甲浦近くまで行こうと考えていたが、午後は休みにしようかとも思い始める。風景に影響されたのか、のどかな気持ちになってきた。

 「オーイ、どこで先に行ったんだ?」 後ろの内妻大橋から元校長の声がかかる。牟岐に来る途中で、得意の地図読みを生かしてショートカット・コースを選んだため、僕の方が前になっていた。大将も僕に着いてきたが、牟岐の町で別れた。元校長は、牟岐の手前で、後から来るはずの2人を長い間待っていたそうだ。申し訳ない。
 鯖大師を元校長と一緒にお参りし、午後は休もうと思っていると話すと、近くの加島荘を教えてくれた。今日も同宿になる。

 内妻海岸の感じがとても良かったので海岸で昼寝をしたいと思い、13時に、人気のない大砂海水浴場のあづま屋のベンチに横になった。はじめは寝付けなかったが、気がつくと14時30分になっていた。急に海に入りたくなり、浜辺を横切って波打ち際に立った。水は少し冷たいが泳げないほどではない。10分間くらいは泳ごうかと膝上まで海に進んだが、「やめろ」と何かが身体を止める。海面はベタナギ、入江で潮の流れも問題なさそう、2時間の遠泳を何度か経験した僕の泳力も問題はない。だのに海面に身体を投げ出せなかった。なぜか内面からの命令に逆らえなかった。どうしてなんだろう?

 あづま屋を振り返ると怪しい2つの人影が・・・。急いで戻ると、2人が缶ビールを飲んでいる。年令は40才くらいか。この時間にビールを飲めるのは地元の漁師さんかなと思う。 「お遍路さんも、これ一杯やらんか?」 「はい、いただきます。でも、そっちの小さい缶でいいですか」 アルコールは好きな方だが、なんとなく遠慮してしまった。

 一人はよく話す。 「都会と違うて、ここらへんには何にもないやろう。何にもないのが四国や。それでも、これがええんや。何かあればあるほど悟りに遠くなる」 ウーン、納得だ。回りに刺激がありすぎると、確かに意識は心の内面に向きにくくなると思える。 「ワシは、何かあったほうがええけどなあ」もう一人が茶化す。

 どこから来た? いつから歩いている? どこでも聞かれる質問のあと、「ワシが子どもの頃、ようオバアチャンに言われてた。お遍路さんに袋に入れたお米を渡す時なんかになあ。 『なんで遍路に出たのか絶対に聞いたらあかんで』 いうてなあ」と話す。そう話しながらも、僕がなぜ遍路に出たかとても聞きたそうな顔をしていた。僕もあえて話さなかった。
  30分ほど話したあと、すぐ目の前に見える宿に向かうことにした。 「悟ってくれ」「絶対に負けるな」の言葉と、手がしびれるほどの強い握手は、とても嬉しく心に残るものだった。

 6日目 →22km、↑120m、30000歩、7:20〜13:00、海南町「加島荘」

<服装・持ち物>

 寒さの心配のない夏の遍路でしたので、持参した(着ている物を含めて)衣服は以下の物でした。衣服はすべて登山用かスポーツ用で、吸汗、速乾、保温の性能に優れたものです。(日頃使っているもので、遍路のために購入したものはありません)
 ・袖なしTシャツ(1)  ・半袖Tシャツ(2)  ・長袖Tシャツ(1)
 ・襟つき半袖ポロシャツ(1)  ・パンツ(3)  ・長ズボン(1)
 ・短パン(1)  ・靴下(6)  ・登山用雨具(セパレート)(1)  
 靴下が多いのは、もっとも足になじむものがわからなかったので、厚さの違うものや五本指を持ちました。後半は足になじむものを買い足し、残りは長袖シャツと一緒に送り返しました。

 靴下を除いて、衣服に関しては満足のいくものでした。遍路後半の熱暑の時も、汗をよく吸い逃がしてくれましたので、ベタツキ感はあまりありませんでした。

 その他の持ち物は以下に記します。
 洗面用具
 ・タオル(2)  ・歯ブラシ・練り歯みがき(小)  ・簡易ひげそり
 ・ボディーシャンプー  ・トイレットペーパー  ・洗剤(小袋入り)
 ・ティッシュペーパー  ・針金ハンガー(2)  ・洗濯ピンチ(5)
 野外用品
 ・地図  ・アーミーナイフ  ・ライター  ・水筒(ペットボトル)
 ・虫除けスプレー  ・ヘッドランプ  ・予備電池  ・細引き
 ・ 万歩計  ・コンパス
 事務用品等
 ・携行ノート  ・4色ボールペン  ・宿一覧コピー  ・作戦予定表
 ・蛍光ペン  ・地図入れビニール袋予備  ・ゴミ入れ用の冷凍袋
 ・ 買い物用袋  ・インスタントカメラ  ・住所録(1枚)  ・名刺(5)
 救急用品等
 ・縫い針セット  ・肉刺パット  ・テーピングテープ(2種)
 ・ガムテープ(2mくらい)  ・爪切り  ・耳かき
 ・ 消毒薬 ・鎮痛・解熱薬 ・整腸薬 (薬は混ぜて一袋に)
 貴重品
 ・キャッシュカード  ・テレホンカード(1日目紛失) ・保険証(写し)
 ・身分証明書  ・財布用ビニールケース  
 その他
 ・ザック(28リットル)  ・ザックカバー  ・ザック取付ポケットバッグ

 針金ハンガーと洗濯ピンチが異様に見えるかもしれませんが、歩きながら濡れたものを乾かそうという作戦です。結局そのようなチャンスはなかったのですが、ハンガーは宿で濡れたもの干す時に細引きとともに重宝しました。また、ピンチは笠をバッグに取り付ける時などに便利でした。

 遍路を通して一度も使わなかったものは、ヘッドランプ、予備電池、内服薬、保険証、身分証明書でした。これらは、いずれも緊急時用ですので、今回の装備は夏の遍路にとって必要かつ十分であったと思っています。

 荷物の重さは測っていませんので確かなところはわかりませんが、感覚的には4〜5kgだと思います。最初は少し気になりましたが、中盤からは全然気にならない重さでした。


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[期限付ヘロヘロ遍路旅] 目次に戻るCopyright (C)2001 橘 直隆