掬水へんろ館目次前日著者紹介
掬水へんろ館

あとがき

 たいした考えも悩みもなくはじめてしまった「歩き遍路」に、8年もの歳月をかけることになるとは、最初は想像もしていませんでした。でも、はじめてみると、「寺詣り」が与える「心の安らぎ」、野山を歩く「快感」、出会いや「お接待」で感じる「人のやさしさ」といったすべてのことに「有り難い」と思える自分が、うれしくて楽しくて仕方なくなりました。
 「ただひたすら歩く」ということが苦しくて、「私は何でこんなことしてるんだろう」と思うこともしばしばでしたが、それ以上に、なんでこんなに毎日「素晴らしいこと」に出会えるんだろうと思わずにはいられなかったのです。
 「遍路の旅」は「不思議なこと」の繰り返し。
自然も人も、キラキラと「生き」て、私たち遍路に様々な「感動」を与えてくれます。人生に「偶然」はなく、どんな出来事も「必然」、起こるべくして起こっているのだと実感させられます。それは「自分探し」の旅でもあり、「遍路は、人生の縮図」なのではないかとも思うです。
 
 5番寺の境内で「カケ」をした方からは、後日、大変な達筆で、「貴女との賭けに負けました」という「報告」の手紙が届きました。「靴」はもとより、他にもいろいろ送り返して荷を軽くしたけれど、どうしても「足」が痛くて歩けなくなられたそうです。宿で数日間療養したあと、車の接待などを受けて、無事88カ所を巡り「結願」。でも、2ヶ月の予定を、ほんの20日あまりでまわりきってしまい、「歩き通せなかった」こと、車で次々訪れたお寺の「印象が残っていない」ことをとても残念がっておられました。やがて、「やはりもう一度、ちゃんと歩いてまわることにしました」と、2通目の手紙がきました。
 彼の中での「遍路旅」は、まだ完結していなかったようです。

 今も「遍路たち」は、四国をグルグルまわっています。弘法大師が「悟り」を求めた地で、遍路もまたそれぞれに「何か」を探し歩いているのかもしれません。

 私の「四国遍路の旅」は終わりました。
自分の探す「何か」を「見つけた」とは言い切れませんが、「私は、何をするために生まれてきたんだろう」という、幼い頃からの自分への問いかけに、少しヒントを与えられたような気がします。
「何かをするために、何かになるために生まれた」のではなく、そこに存在するすべてのものと「共に生きていることの幸せ」を感じるために、私もまた「存在」しているのではないかしら、と思うようになったのです。
そして、少し違った自分になりたければ、少し前へ、1歩でも進めばいい。
山があれば登ってみればいい、川があれば渡ってみればいい、
・・・新しい友を探しに行けばいい。
 勇気を出して未知の世界へ足を踏み入れてみれば、そこにまた新たな風が吹いていて、また新しい「喜び」の存在を知るのではないでしょうか。

 野山で自然の恵みに包まれ、里で人の情に触れ、都会で人類の英知を学び、風のように「旅」をする。
「悟り」とか「解脱」なんて言葉からはほど遠いかもしれないけれど、「歩く(生きる)」楽しさを教えてもらった、それが私の「遍路旅」だったように思います。

 今回の旅で経験した、人のあたたかい「思いやりの心」に、そして、「自分を省みること」に気づかせて下さった「様々な出来事」に、そして、弘法大師はもちろん、仏さま、神さま、人間を含む動物、植物、鳥類、昆虫のみなさん、そこに存在し、私の旅を導いて下さった、すべての方々に、そして、大切な「家族」に、心から感謝します。

 ほんとうにありがとうございました。

合掌

 

最後まで読んで下さった皆さまに

 お忙しい時間をさいて、こんなにも長い、まして素人の書いた「遍路記」を、最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
 多いのは「文字量」ばかりで、「遍路に役立つ情報」を何もお伝えできていないことを、恥ずかしく申し訳なく思いながらも、
「読んでいただけて、うれしー! しあわせー!」の気持ちでいっぱいです。

 ここにきて、ホントのホントに(今度こそ!)、
その後も「書くこと」で続いていた、私の長い長い『遍路旅』の終着です。

 「パソコンやインターネットのことなんか、ぜんぜんわかんない」「でも、遍路記をどなたかに読んでいただきたい」という、あつかましく虫のいいお願いに、快く、その力とページをさいて、ここ「掬水へんろ館」に「連載」させて(「レイアウト」までして)下さった「くしま様」(まさに最大級の「お接待」をいただき、感謝の言葉もありません)、事前に読んで「このくだりはイランやろー」、などとアドバイスして下さった「こうべケーブルビジョンの石原さん」(元原稿はもっと長く苦しい道のりでしたもんね、お世話をかけました)、連載中「励ましメール」を下さった「お遍路仲間」及び友人のみなさま(むちゃくちゃうれしかったです。メールをいただく度に、パソコンの前で「小躍り」を繰り返しました)、
 そして、長い時間をかけて、ここまで全部読んで下さった奇特な皆さま、

 本当に本当に、ありがとうございました。

 最後に、私が「四国霊場」で唱え続けた「お祈りの言葉」を・・・。

「すべての人が、心静かでお幸せでいらっしゃいますように」
(かっこよすぎて「ウソ」みたいですが、ホントです)

 皆さまの毎日に、どうぞ、きらきら「幸せ」が降りそそぎますように・・・。

 もう一度、心から、ありがとうございました。

もう一度、合掌

[遍路きらきらひとり旅] 目次に戻るCopyright (C)2000 永井 典子