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平成11年『自分探しの旅』
【10日目】(通算52日目) 4月24日(土)[ 晴れのち曇り ]
たくさんの男性が、皆で私を取り合っている。
一人の男が私の前に立ち、「オレの女に手を出すな!」と両手を広げた。
そして・・・、目が覚めた。あー、ドキドキしたー。もう結婚してるし、お遍路なのに、なんか不純な夢を見てしまった。「手を出すな」と言った人はダンナじゃないんだもんなぁ・・・。
でも、正直言って「続き」が見たかった。(だからどうしたってんだ)自室で朝食をとって準備。素泊まりなので、あっさりおいとますることになったが、おばあちゃんはとてもやさしかったし、何より3000円は安かった!
気になる寺
第86番札所「志度寺」までは、アッという間だった。敷地内に「平賀源内の墓所」や「診療所」まであって、なかなか個性的なお寺だ。
ゆっくりお詣りしたあと、「奥の院」をまわるという愛ちゃんとお別れした。
私はなんと、今日中に88番まで打つ気になっていたので、先に出発したのだ。せっせと歩く。今日は長丁場なのだ。
先を急いでいるのに・・・。
なぜか「気になって仕方ない」、番外霊場「玉泉寺」に立ち寄る。お詣りをしているとご住職が出てこられ、お茶やおまんじゅうまで「お接待」して下さるので、とうとう座り込んでしまった。
ここは天台宗のお寺だが、ご本尊は、弘法大師が作られたという「日切地蔵菩薩」。大師信仰が盛んなのだそうだ。住職ご自身も、夜中に「捨身ヶ嶽禅定」(大師が身を投げて修行したという場所)に登って、大師を身近に感じられる体験をなさったのだとか、天台宗にも「禅宗」で行う「禅」のようなものがあって、それは「止観(しかん)」というのだとか、いろいろ興味深いお話を聞かせて下さった。
楽しくお話を伺っていると、なんと、愛ちゃんが来た。
「志度寺でゆーっくりして、その後は奥の院まわり」のはずの愛ちゃんが、なぜ?
「ゆっくりしようと思ってたのに、なんだかいろんな人に、追い立てられるように、こっちへ来ちゃったんです」とのこと。・・・まったく縁がある。
一緒に、またご住職のお話を聞くことになった。「夢」のおつげ
ご住職は、恐い夢を見たら「悪夢消滅、吉夢成就」と叫ぶといいと教えて下さった。(私の今朝の夢は悪夢?吉夢?)
夢といえば、ご本尊と、その隣りの阿弥陀さま、どちらの厨子も、日切地蔵さまが「夢枕に立った」という方からの寄進で作られたものなのだそうな。
ご住職がご本尊の日切地蔵さまに、「今はお金がないけれど、いつか必ず立派な厨子を作ってさしあげたい」と祈り続けていたところ、ある日突然一人の男性が現れて、「ここのお地蔵さまが、夢枕に立たれて、お寺のために何かするようにと言われたんです」とおっしゃるので、「それならぜひ厨子を作ってください」とお願いしたのだそうだ。しばらくして今度はまた別の人がきて、同じ事を言うので、今度は「阿弥陀さまの厨子」を作っていただいたという。
「とにかく不思議なことが起こるんですよ」と、ご住職は目をキラキラ輝かせておられた。
遍路にはたまらなく魅力的なお話をいっぱい聞かせていただいた後、私たちは、普段は見ることのできない、その「有り難い」ご本尊の日切地蔵さまのお顔を拝見することができた。とてもおだやかな「いいお顔」をしておられる。
私たちって、なんてラッキーなんだろう。(それとも、また「呼ばれた」の?)忙しい朝の時間をさいて私たちの相手をして下さったご住職に、
「せめて何かお手伝いをさせてください」と申し出ると、「じゃあ少し庭を掃いてください」とおっしゃる。喜んで2人でホウキを持ったが、なにせ小さなお庭。
すぐ終わってしまった。というより、ご住職が「お詣りの旅をしている人たちを、足止めしてはいけない」と、すぐに私たちの手を止めてしまったのだ。
(私たちの気が済むようにと、少しでもさせて下さったようだ)
その上、「今日はここで法要があって、お昼ごはんを食べさせてあげられないから、この先の店でおうどんを食べなさい」と、一人ずつに「お接待」のお金まで下さった。なんというやさしさだろう。「接待貯金」の使い道
ここで私は、突然「理解」した!
次の瞬間、今までの6回の遍路旅で貯まった「お接待のお金」を、ずだ袋から取り出し、「これを、このお寺で使ってください」と、夢中で差し出していた。
千円札や百円玉ばかりだったけれど、これまでにいただいた「皆さんからのご厚意」は、全部で2万円近くにもなっていた。
ご住職が少し困ったような顔をされたので、理由を話し、「皆さんの想いがこもったお金だから、役に立つことに使っていただけるとうれしいのです」とお願いすると、ご住職も納得して下さった。
「じゃあ、お寺に来られる人たちのために使わせていただきます」といって、ご本尊の前にお供えして、お経まであげて下さるではないか。(うれしかった)この「お接待貯金」の使い道に、本当に悩んでいたのだ。
「へんろ道保存協力会」に寄付しようとも思っていたが、なぜか「違う使い道」があるような気がしていたのだ。(収まるところに収まるようになっているのね)「夢枕」はなかったけれど、ちゃんと導かれてここへ来たんだもの。
これはやはり「呼ばれた」と解釈しておこう・・・。
ご住職も喜んで下さったし、私たちもこの「出会い」に大満足。「とっても幸せー」の気分で、愛ちゃんとまた歩きはじめたのだった。
「先達」は、クルクルまわる
先は長いのに、かなり時間をくってしまったので、2人して一生懸命歩く。
やがて第87番札所「長尾寺」に到着。お詣りをしていると、どこからかおじいちゃんが現れて、「ここは天台宗のお寺なんですよ」と解説して下さった。
さっきの「玉泉寺」も天台宗・・・。
今まで、札所の「宗派」なんて気にしたこともないのに、わざわざ教えて下さる人が出てくるなんて、やっぱり何か「縁」があるのかしらん。
今回は「宗派を越えた」何かを感じ取るように、ということなのか・・・。(「禅寺」にも泊めていただいたし)
おなかもすいたし、せっかくの住職のご厚意を無駄にするまい、と境内にある食堂で「うどん」を食べることにした。
愛ちゃんとうどんをズルズルやってると、少し離れたテーブルに一人座っておられた「遍路姿のおばさま」が、私たちを呼ぶ。
四国巡礼の寺のテレビ番組が始まるから、こっちに来て一緒に見なさいとおっしゃるのだ。それがまたうまい具合に、今日は、ここ「長尾寺」の紹介だった。
おばさまのテーブルに移動して、一緒にテレビを見る。先を急ぐので、今日はゆっくりお寺見学ができない分、テレビが詳しく解説してくれた。
(何でこう、うまくできてるの?)
しかも、私たちを呼んで下さったおばさまは、「大先達」として何度も四国をまわっておられるそうで、私たちの「うどん代」を、お接待して下さった。
(今日はいつもにも増して、出来過ぎてるんじゃないの?)
「ご厚意数珠つなぎ」という感じで、有り難いやら、不思議やら・・・。大先達というと、「88カ所を何遍もまわってて、エライんだぞー、威厳があるんだぞー」という風な人が多いのだが、このおばさまは、「この輪袈裟をかけたら、お寺まわらなしゃーないんよ、もう、クルクルクルクル」と、朗らかに自分を笑いとばしておられる。なんともかわいい方だった。
たくさんの人を連れてお詣りする以外にも、今日のように「一人で車に乗ってまわる」こともあるそうで、本当に信心しておられるのだと感心してしまう。
おばさま手作りの「ウサギのマスコット」までいただいた。
2人さっそく、お杖にぶらさげる。
私は数日前に、我が家の「まんさく(ペットのカメの名前)」にちなんだ「カメのキーホルダー」を買ってつけていたので、これで「ウサギとカメ」になった。(なんか「象徴的」?)
時間はどんどん過ぎて行く。すでに、88番そばの宿に予約を入れてあるので、もうあとには引けない止まれない、ついでに手前に宿もない、ときたもんだ。
愛ちゃんと、せっせと歩く。でも、今日こそは「郵便局」に寄りたい私は、途中、「全部山道を行く」という愛ちゃんと別れて、少し車道を歩くことにした。
ところが! 郵便局の前まで行ってはじめて気づく、
「今日は、土曜日じゃないか!」
・・・お休みだった。自分のドジに、虚しくなる。(くすん)
ガックリして、遍路道に戻った。双子とハチで、ビビッ
今日は、ロクに休みも取らずにひたすら歩く。てくてくてくてく・・・・。
それでも、どうしても座りたくなって、多和神社という小さな神社に入ってみた。社の軒下にリュックを下ろして一息、と思ったところに、超かわいい5才くらいの「ふたご」の男の子が出てきた。
一人が私の方へ来て、「お遍路さん、お接待するって」と言う。
5才の子どもから「お接待」なんて言葉が出るとは思わなかったので、一瞬何を言われたのかわからず、ただニコニコしていると、次に彼は「そこ、ハチの巣があるよ」と、私の座っている足もとを指さした。見ると、軒下の地面に穴がいくつも開いていて、確かに「ハチ」たちが、忙しく出入りしているではないか。
ぎゃー! よう言うてくださった。
慌てて立ち上がり、うながされるままに、その子と神社を出ると、すぐにいなくなっていた「ふたごの片割れ」と、そのお母さんがやって来て、「お接待です」と缶コーヒーを下さった。
(家から私の歩く姿を見て、ふたごを遣わせてくださったのだ)
有り難いことだ。缶コーヒーと交換に、愛ちゃんからもらったキャンディを男の子の手に握らせてお別れ。このごろ必ず「物々交換」になる。
それに、この缶コーヒーを受け取った瞬間、ビビッときた。これはまた愛ちゃんに会うぞ・・・。
運命の女(ひと)
予感は見事的中。険しい方の遍路道を歩いていると、
「今度こそ宿までは会うはずのない」愛ちゃんに、女体山登り口の少し手前、2つの遍路道の合流地点にある「太郎兵衛館」の前で、バッタリ会ってしまったのだ!
お互いの口からは、「どーしてぇ?」の言葉しか出ない。
愛ちゃんがたった1分でも先を歩いていたら、会えてはいない。
「ここで休憩」と思っていた私とは、どんどん距離が離れ、「宿で、やっと再会」となるはずだった。
私は車道から、愛ちゃんとは別のルートの遍路道に入り、途中、山の中で10分も迷子になってウロウロした。でも、迷ってる間中、
「今日は日切地蔵さまと一緒に歩いている(勝手にそう思いこんでいた)のに、なぜ迷ったりするのかなぁ、この無駄に歩いた場所に何の意味があるのかしらん」と真剣に悩んでいた。
「事象」には必ず「理由」があると信じているが、「結論」がでるまではそれがわからないものだ。でも、はっきりわかった。
「迷子」になったのは、場所ではなくて、時間に意味があったのだ。
ここで愛ちゃんと再会するために「時間調整」をしていたのだ、と理解した。
それに、愛ちゃんもまた、「迷子」になっていた・・・。
ずっと先に行っていなければいけない彼女が、「足踏み」させられていたのも、やはり「私と再会するため」だったのだ、と愛ちゃんも言う。
でも、「縁」があるにも「ほど」がある。
これじゃあまるで、「出会うべくして出会った運命の人」みたいじゃないか。
ここまでの「道中」でも、「なんだか新婚のダンナより長く一緒にいるみたい」「これが男と女だったら、とっくに恋に落ちてますよね」などと話していたのだ。何はともあれ、「2人で行きなさい」ということなのでしょう、とまた2人で歩きだす。
みんな一緒に
「ひとり」ではじめた遍路だったが、ここにきて「2人」でゴールしようとしている。まるで自分の人生を「暗示」しているようで、不思議な感覚だった。
「人は、一人で生まれ、死んでゆく時も一人ではないか」と思っている。
俗世での生活でも、「ひとりっこ」として育ってきたので、「ひとり」で生きていくことに、あまり寂しさや不自由を感じたこともない。だから、「結婚」にはまるで興味がなかったし、する気もなかった。・・・なのに、「結婚」してしまった。
遍路でも人生でも、誰にも煩わされず、「ひとり」で「自由」に歩いていきたいと思っていたのに、ここにきて、「誰かと一緒に目的を果たすのも悪くない」と思いはじめている。そして、これが今の私に与えられた「状況」なのだと思った。
何にも抗(あらが)わず、「流れのままに」進めばいい。そう思った。
何かに「執着」する心(例えば、何が何でも、ひとりでゴールしたいという思い)が、少し、なくなってきたようで、うれしくもある。それに、愛ちゃんにも私にも、「とても気にかけてくれている人」がいる。
こんなに何度も再会するところをみると、心配のあまり「誰か」がついてきてるんじゃないかとさえ思えてくるのだ。
私は、「1人で遍路に出すのが心配でしょうがないウチの新婚のダンナが、愛ちゃんに変身して守ってくれてるみたい」と思い、お父さんっ子の愛ちゃんは、「ウチのお父さんが、永井さんに姿を変えて付き添ってくれてるみたい」と言う。
やれやれ。「同行2人・弘法大師と2人旅」のはずが、実体のある愛ちゃんに加え、意識だけ飛んできてしまったダンナや愛ちゃん父と、わいわい「遠足」状態なのかもしれないと思うと、おかしくなる。これが「人生」を暗示しているなら、これからの私の未来は、けっこう「にぎやか」になるのかもしれない・・・。
「女体」を越える、女遍路
さて、とうとうウワサの「女体山越え」だ。
出会う遍路皆さんから、「女体山越えは、キツイですよぉ」と脅かされてきたが、なんの、たいしたことはなかろう。
「なーに、ここまでがんばった私たちですもの、少々の山、へっちゃらさ」とタカをくくっていた、のに!
これがまー、すごいのよー!最初の方は普通の、「まあ、険しい山」、くらいなのに、最後の登り口は、本気のロッククライミングなのだ。そそり立つ岩場を一つ一つ確かめ、岩肌にへばりついて登るのだ。ひとりだったら、立ちすくんでしまい、前に進めなかったかもしれない。これでまた私たちの再会の意味(ひいては迷子の意味)がわかったというものだ。必死で登りきったものの、下りもまた、急で長い。
最後には2人とも、足がガクガクになっていた。「結願」
最後の難所を越えて、とうとう第88番札所「大窪寺」、結願の寺にたどり着いた時には、もう午後5時半をまわっていて、納経所はおろか、境内にも誰一人いなかった。「シーン」、なのだ。
火は危ないので、ローソクや線香を立てるのは明日にしようということになったが、「今日は大安吉日だから、今日のうちにお詣りしなさい」という玉泉寺のご住職の言葉に従って、お詣りだけはさせていただくことにした。
本堂、大師堂に手を合わせ、ここまで導いていただいた感謝と、平和を祈って、見事「結願」!
私の8年がかりの「遍路旅」に、ようやく終止符が打たれた。各お寺のご本尊さま、そしてずっと見守り、導き、共に旅をして下さった、お大師さま、本当にありがとうございました。
あんまり遅い! というので、宿(「八十窪」)の方が心配して玄関に出てこられたところへ、私たちが到着。
「どこで道を間違えたの?」「なんでこんなに遅くなっちゃったの?」
先に着いてご飯を食べておられた遍路のおじいちゃんたちからの質問を浴びながら、私たちも即、夕食をいただく。
宿のおかあさんが作って下さっていた「満願赤飯」がなかなかおいしかった。
ゆっくりお風呂にも入って、家に報告の電話を入れた。今夜は愛ちゃんと同室。
(今日は満室なので、私たち2人は相部屋になった)
愛ちゃんは、鎌大師でいただいたという本を読み、私は日記をつける。
おもいおもいの最後の夜を過ごした。今夜は「満願の夢」でも見られるといいんだけど・・・。
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