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掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
【8日目】(通算50日目) 4月22日(木)[ 快晴 ]

 午前5時、起床の鐘が鳴る。その前に起きてはいたが、頭が朦朧(もうろう)としていて、辛い。洗顔して着替えて、即「禅道場」に行ったのに、なぜか遅れてしまった。(夢のシーンと同じ。バタバタと道場へ走る)

 まだ日の昇らぬ暗い中、作法どおりに席に着いて「座禅」をはじめる。
ゆうべ寝る前に、「座禅の組み方」を少し練習しておいたので、今度は、あまり足が痛くならなかった。でも「45分間」を、きのうより「長く」感じてしまう。
「無」どころか、「邪念・雑念」のオンパレード。
 終いには「居眠り」までしそうになって、困った。

「禅宗」の先生たち

 目の前の壁の一点を見るようにと指導されていたが、外が明るくなってくると、窓から光りが入って、横に並ぶ人たちが視界(目の端)に入ってくる。
 ここではじめて、美代ちゃん以外の「寮生」を見た。
(もちろん修行僧もおられるようだ)
この道場では「極力ムダを省いた暮らし」をしているので、夜も明け方も、必要な場所でしか「電気」をつけない。「禅道場」の「灯り」も、出入りの時しかつけないから、きのうから「近くに何人かいるらしい」とは感じても、顔や形まではわからなかったのだ。
 ・・・ずいぶん小さい子もいるようだった。

 「座禅」が終わって禅道場を出る時に、ようやく全員の姿を確認。
美代ちゃん以外は、やはり全員が男の子で、小学生から高校生くらいの年齢だろうか。どの子も、まだ幼い感じがして、とてもかわいい。

 座禅のあとはすぐ、本堂(?)で、朝のおつとめ。ご本尊は、「薬師如来」だった。「真言宗」のお寺のように(88カ所の札所の多くは真言宗)、「きらびやかな祭壇」ではないけれど、禅宗の「簡素さ」が、落ち着いた「おごそかさ」を醸し出していて、気持ちがリンとひきしまる。(といっても、まじまじ観察する時間も余裕もなくて、どんどん「おつとめ」は進行していったんだけど・・・)

 「禅宗」の作法など、さっぱりわからない。歩き方から、手の組み方、お辞儀の仕方まで、何もかも、隣にいた中学生くらいの男の子が教えてくれる。
「手はこう組んで」とか「立って」「座って」「次は○ページ」(お経の冊子を渡されていた)とか、何か動作をする度に、小声で「指導」してくれるのだ。
(これがまた次々と、けっこう忙しい)
 愛ちゃんも、美代ちゃんの指導を受けていたようだったが、同胞を気にかける余裕なんてまるでない。

 約2時間の「おつとめ」が終わると、ようやく「朝食」になった。
お粥に、すり胡麻をかけていただく。山の幸・海の幸が少しずつ入った「煮物」が少しと、小さな煮干し、たくあん2切れ。
 量としては、ほんのわずかだし、本当にシンプルな食事だが、しっかり栄養を考えた、健康的で、とてもおいしい朝ごはんだった。
でも、気を抜いてはいられない。食事にもキチンとした「作法」があったのよ!
 隣りに座った、今度は、小学生くらいの男の子が、そりゃあもう、「手取り足取り」という感じで、また何から何まで教えて下さる。
 途中で、たくあんを一切れ口の中に放り込んだら、彼が、「あっ!ダメ」と叫んだので、ノドを詰まらせそうになった。たくあんは、一番最後まで残しておいて、「碗」を洗う時に使うんだから、今食べちゃダメ、と小声でおっしゃる。
(ひぇ〜、そういうことは、先に教えてほしかった) 
 口の中にたくあんを残したまま、「こりぇ、だひゃなひゃいへまへんか?(これ、出さなきゃいけませんか)」と訊くと、困った顔をしながら、「もう一つは最後までおいておくようにね」と小学生先生。(ああ、もう一切れあってよかった)
 いよいよ食事が終わるという時、隣りの幼い先生は、もう私につきっきりだった。小さな手で大きなヤカンを必死に持ち上げ、私の碗に、お湯を注いで下さる。
続いて、「こうやって、たくあんで碗を洗って、次の碗へ湯を移して・・・」と、自分の碗でやって見せながら、細かく丁寧に教えて下さる。
私も「はい!」「はい!」と、素直に従う。
最後に、碗を洗ったたくあんを食べ、湯を飲みきってしまって、終了。
 先生がホッと胸をなでおろされた。(私もホッとした)

 碗は、使う前と同じ「ピカピカ」になっているので、あらためて洗剤などで洗う必要もなく、このまましまってまた明日も使うのだそうだ。
「禅の作法」とは、まったく合理的で、無駄がない。簡素でいい。
(なにより、この小さな先生が、かわいくてかわいくてしかたなかった)

やさしい時間

 ここにいる子どもたちは、皆「何か」を抱えて、この道場に来ているというのだが、とてもそんな風には見えなかった。
素直でのびのびしていて、とてもいい子たちばかりなのだ。
 朝、はじめてハッキリお顔を拝見したご住職も、子どもたちにとっての「お父さん」か「お兄さん」といった、気さくで頼もしいタイプで、エネルギッシュな中にも、おだやかなやさしさのあふれた若い方だった。
 テレビゲームもスポーツ施設も、何にもないけれど、素朴な暮らしの中に、自然と自分を対話させる「何か」があるって感じ。(いい環境だわ)

 朝食が終わると、もう私たち「遍路」は、出発しなければならない。
宿泊も食事も「お接待」ということで、お金はいっさい受け取っていただけなかった。愛ちゃんと「せめて、何かお手伝いでもさせてください」と申し出ると、「じゃあ、お茶でも飲んでって」とご住職。
結局、皆さんに混じって、お茶(コーヒー)までいただくことになった。
 ご住職はじめお寺の方、寮生の子どもたち、みんなで輪になっての、
「作業前のお茶の時間」は、とても楽しくて、苦手なコーヒーまで、とてもおいしく感じられる。
 厳しい「修行の寺」だけど、こんなにすがすがしい、やさしい時間があるのは、ご住職の人柄なんだろうなぁ、と思った。

 商売寺になってしまった「88の札所」より、「厳しい」はずのこの禅寺の方が、よほど「人にやさしい」みたい。(言い過ぎかもしれないけれど・・・)
「生活」そのものは、無駄をすべてそぎ落とし、シンプルそのもので何にもない。でも、「生活」に囚われずにいられる「何か」が、ここにはある。
 札所のお寺も、もう一度、「真言」の、「大師の修行された頃のお寺」に返ってほしいな。まぁ、その頃のことを知ってるわけじゃないけど、少なくとも、5時きっかりに参拝者を「拒絶」したりはしなかったんじゃないかしらん。

ついてくる「タケちゃん」

 喝破道場をおいとまして、長い長い「下界への道」を下りはじめる。
愛ちゃんと2人、心晴れ晴れ。
 「道場」に泊まらせていただいた「めぐりあわせの不思議」に幸せをかみしめ歩いていると、道場の2匹の犬がついてきた。
 ご住職から、「うちの犬は、お遍路さんについていきますけど、勝手に帰ってくるのでほっといて(そのままにしておいて)ください」、と言われてはいたが・・・、延々ついてくる。1匹は先に帰ったが、もう1匹は、後になり先になり、いつまでもいつまでもついてくる。
 とうとうガマンできず、お寺へ電話してみると、美代ちゃんが出て、「それは、タケちゃんの方だと思う」と、名前を教えてくれた。が、ご住職も奥さんも今お出かけで、どうしていいかわからないという。
 お寺からあまりにも遠くへきてしまっているので、「これ以上行くと、帰り道がわからなくなるかもしれない」と思い、愛ちゃんと相談して、近くにあった小さな神社で、ご住職と連絡がつくまで待つことにした。

 神社の前にあったタバコ屋のおばさんが、以前、犬を飼っておられたということで、タケちゃんのことを心配して、出てきて下さった。
疲れたタケちゃんに、スープやご飯まで「お接待」して下さるご親切。
「喝破道場からここまでなんて、犬の足でも大変やから、もしかしたら帰れんかもしれんねぇ」とおばさんがおっしゃるので、愛ちゃんと2人、「もう一度道場まで連れて帰ろうか」と本気で考えた。でも、やっと連絡がついたご住職の言葉は、
「ほっといていいです」。
・・・うーん。
 何車線もの広い道路を渡る度に、車に何度もクラクションを鳴らされ、電車の踏み切りまで越えて来た道・・・。
私たち2人とも、「あっ、タケちゃん轢かれちゃう!」と何度もドキドキさせられた、あの道を、本当に一人で帰っていけるのだろうか・・・。心配で仕方ない。
 でも、私たちも、進まなくちゃならない。
 
 タバコ屋のおばさんの「あとで車で送ってあげるから、ね、タケちゃん」という甘い誘惑にも耳をかさず、それからもタケちゃんは、私たちについてきたが、もうなるべく「かまわない(無視する)」ことにした。
ずっとついてくる犬を、振り返らずに歩くのはかなり辛い。でも、少しでも早く帰って、私たちの「気がかり」をなくしてほしいのだ。
 2人ともひたすらガマンして、前を向いて歩く。と、やがて83番寺のすぐ手前まで来た所で、ようやく後を追って来なくなった。
(道場から、実に12キロメートル以上も来たところなのだ)
心の底からホッとした。どうぞ、無事に帰り着いてね。

 お大師さま、タケちゃんのこと、どうぞよろしくお願いします。

「地獄」には行かない?

 心と足が軽くなったところで、やっと第83番札所「一宮寺」に到着。
ゆっくりお詣りした。

「地獄の釜の音」が聞こえるという、石の小さなほこらの中に、頭を突っ込んでもみたが、何も聞こえないので、「私たちは地獄に縁がないってことだといいけどね」と愛ちゃんと笑う。
 ここから家に電話を入れて、「禅寺」での体験を訴えて、母にも夫にも甘えた。
夫の声を聞いてすっかりうれしくなるところが、やっぱり「新婚さん」してる? 
 会いたいなぁ。

 さて、愛ちゃんも私も、きのう美代ちゃんに、持ってる食べ物全部(カロリーメイトからあめ玉まで)をあげてしまってるので、何にも持っていない(でも、これはナイショ。そんなの貰ったってバレたら、美代ちゃんが叱られるんだって)。
 おなかがすいてしょうがないので、一番近くにあった国道沿いのファミリーレストランに入った。そしてなんと、日替わり定食の「チキンカツ」と「メンチカツ」のセットを食べてしまった。
(何だかぜんぜん「遍路っぽくない」けど、私は今度の旅では、時々「肉」を食べている。「歩く」という以外の「自分の中の縛り」をやめたのかもしれない・・)
 それにしても、きのうはあんなに「健康的」な菜食生活で、「感動」もしたのに・・・。いきなり「俗物」に戻るところが情けない。

 ここで今夜の宿の算段。根性も体力もない私は、なるべく近い宿を探して、愛ちゃんの宿より2キロ近く手前のビジネスホテルに予約した。
 
 相変わらず楽しくおしゃべりをしながら、2人ともまた一生懸命歩く。
そしてとうとう、私の泊まるビジネスホテル「イーストパーク栗林」の前で、愛ちゃんとお別れした。
 また会えるかもしれないけれど、少しは「一人ずつ」にもならないとね。

 「イーストパーク栗林」は、まだ新しいらしく、とてもキレイだった。
ホテルで泊まると、民宿と違って、お風呂も食事も「自由きまま」だ。
さっそくシャワーを浴びて、ホテルの前のコンビニで「食料」を買い込む。
ホテルのコインランドリーで「洗濯」も完ぺき。
ツインの部屋なので、一方のベッドに、荷物広げまくり。(これが幸せなのねー)
 民宿のように、「誰かが入ってくるかもしれない」という心配がないから、好き放題だ。「すっぽんぽん」でだっていられる。

 安心して、このところ停滞気味だった「うんち」も出た。解放かーん。

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