掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
【7日目】(通算49日目) 4月21日(水)[ 晴れ ]

 疲れのせいか、わりあい眠れるようになってきたが、相変わらず、何度も目覚めてしまう。しかもずっと夢を見ていて、眠りが浅い。
 毎朝午前5時にだるい身体を起こすのは、なかなか大変だったけど、きのう荷物を減らしたので、リュックに詰めやすくなったみたい。これなら、5時半起きでも大丈夫かも・・・。(荷詰めに30分もかかっている方がまずい?)

「さぬき富士」と地主の「門」

 朝ごはんを、たっぷりおいしくいただいて、出発のために玄関先で靴を履いていると、宿のおばあちゃんが表に出て、「さぬき富士だよ」と、遙か向こうを指さして教えて下さる。愛ちゃんと歩きながら、「なんだか富士山みたいで、印象的な山だねぇ」と、ずっと気にしていた山だったので、名前を聞いて納得。
 あらためて見直すと、山が胸を張ったように見えた。
玄関を開けると、見事な「さぬき富士」が見えるなんて、けっこうな「ご自慢」なんだろう、おばあちゃんまで胸を張っておられる。
 もう一つのご自慢は、この旅館の向かいにある、どでかーい「門」。
これは、讃岐でも一、二を争う「大きな地主」の家なのだそうな。
「当時(おばあちゃんの若かりし頃)は、おなごし(女中さん)を、100人も使っていたんだよ」と自分のことのように話して下さった。
 土地の「いわれ」を聞くのは旅の醍醐味、なかなか楽しい。
でも、そうそう油を売ってもいられない。(私たちがあんまり旅立たないので、見送りに出てくれた宿のご夫婦も、玄関先で困ってるじゃないか)

「売り物」なのに

 おばあちゃんにもお礼を言って、ようやく出発した。
商店街を抜けて歩いていると、途中、車でくだものや野菜を売ってるオジサンが、大きなポンカンを1個ずつ下さった。「売り物」なのに・・・。ありがとうございます。もう少し行くと、今度は薬屋さんのオバサンが、「お遍路さ〜ん」と私たちを呼び止めて、「栄養ドリンク」を1本ずつ下さった。「売り物」なのに・・・。
ホントに有り難い。「重い」けど、うれしい。
 他にも、車で私たちを追い越して行ったはずのおばさんが、またわざわざ戻ってきて「遍路道」を教えて下さったり、と、いろんな方のご厚意を受けて、アッという間に、次の札所に着いた。

 第79番札所「高照院天皇寺」。
 お詣りの後、私は「納経」、愛ちゃんは「写真タイム」。
さっきいただいた「栄養ドリンク」を飲んで、トイレも済ませた。
朝一番に訪れるお寺では、先のことを考えてあまり長居をしないことにした。
少し休んだだけで出発。
 しばらく歩くと、「坂出郵便局」の前で、「遍路の行く道」が二手に分かれる。今日は本当に愛ちゃんとは「別の道」をいくということで、お互いの健闘を祈り、ここまでの同行を感謝して、お別れすることになった。
私は、まっすぐ80番さんへ向かう左道。
愛ちゃんは「奥の院鷲峰寺」へ行く右道へと進む。
 お互い「がんばりましょう」と、手を振った。

 久しぶりの一人歩き。川沿いをズンズン歩く。やっぱり足が痛い。特に「左足首」は、ズキズキと疼き続けている。
 川を挟んだ向こう岸を歩いている愛ちゃんは(しばらくは、同じ方向に進むことになるのです)、どんどん前方へ遠ざかって行く。速い! 
やっぱり今まで、私にあわせてくれていたのね。(ごめんね)
 私の方は、一人になって一段とノロマになったようだった。
(私も少しは無理をしていたのかも)

人にやさしい言葉

 それにしても、このところひたすら「選挙カー」に追い回される。
進むたびに、違う候補者の名前を連呼されるので、混乱してしまうし(別に私が投票するわけじゃないけど)、何より、田舎の細い道を走ってくるので、いちいち立ち止まって避けなきゃならない。これがけっこう疲れるのだ。
もっと「遍路にやさしい選挙活動」はないものか、と勝手なことも考えてしまう。

 選挙カーは、自分のことを言うばかりだが、畑で農作業する人たちは、遍路にもやさしい声をかけて下さる。「歩き遍路」を見て、「いいお天気でよかったね」と言って下さる人、「いいお天気だから、暑くてかなわんね」とねぎらって下さる人。どちらもそのとおりで、まったく有り難い励ましだった。

あやしい「納経所」

 地に足の着いた方々に後押しされて、なんとか第80番札所「国分寺」に到着した。お寺は広くてとても「りっぱ」だったが、「納経所」がすごかった。
 何がすごいって、ここは「売店?」、それとも「大師堂?」
「売店が大師堂で、納経所?」という有り様なのだ。
なぜか琴演奏のBGMが流れていた。そして、88カ所の全部の寺の「みやげもの」が、80番の名札付きで売られてるんじゃないかと思うほど、(遍路グッズから箸やキーホルダーまで)雑貨店のように何でもかんでも置いてある。
そしてその奥、「おみやげもの」に囲まれて、「大師」が、鎮座ましましていらっしゃった。それに大師の前には「80番の大師は、よく願い事を叶えてくれる大師です」みたいなことを、デカデカと書いてあるではないか。
 「納経所」の中に座っておられたオジサンとオバサンが、「古道具屋の夫婦」みたいな、怪しい感じ(ごめんなさい)に見えてしまっても、仕方ないよねぇ、ホント。(「あやしすぎる!」んだもん)
 でも、「雑貨の山」は、購買心をそそる。
思わず、親類のために、「糖尿病封じ」と書かれた「お箸」を買ってしまった。

 「愛ちゃん」は、やっぱり来ないので(奥の院をまわってるんだから、来なくて当たり前なんだけど)、1人で次へ出発。町中を抜けて、山へ入る。
久しぶりの「へんろころがし」。気合いを入れて歩き出したわりには、最後の「登り口」で、少しすべったくらいのもので、たいしたことはなかった。
なーんだ、って感じ。
 でも、あんまり景色がいいので、「修行大師(の像)」がおられる、小さな展望台(?)で、休憩タイムにした。朝いただいたミカンを、大師に少しおすそ分け。
 小さな展望台風休憩所は、ムチャクチャ気持ちのいい所だった。モタモタしてると、愛ちゃんに追いつかれるかもしれない、でも「来るといいなぁ」なんて思いながら、長い時間、ぼーっとしていた。ついでに友人にハガキも書いたりする。
書きながら、あんまり気持ちがよくて居眠りしそうになる。
 「このままだとホントに寝てしまう!」と思ったので、イヤだけど、出発することにした。

「変則打ち」じいちゃんの言葉

 「イヤ」な予感は必ず当たる。
 81番「白峰寺」へ向かわなきゃいけないのに、その次の82番「根香寺」の方へ登る「遍路道」に入ってしまい、延々遠回り。アップダウンの激しい山の中を、ヒーヒー言いながら「上り下り」することになってしまった。

 途中の山の中で「じいちゃん遍路」に会った。
「へんろころがし」がイヤで、この辺だけ「変則打ち」(81↓82↓80)しているとおっしゃる。回る順番を変えると「坂」が逆になるので、「へんろころがし」を「登らずにすむから」だそうな。(あの坂は、下る方が大変だと思うんだけど)
 「今日はどこに泊まるの?」と訊かれたので、「82番根香寺の近くに宿がないので、『喝破道場』に泊めていただけないかと思ったりしてるんです」
(禅宗の修行道場だが、「泊めていただけるかも」と以前、尼遍路さんから教えられていた)と言うと、「なんだかものすごく厳しいらしいから、やめたほうがいいよ」とおっしゃる。えー、そうなんだ・・・。
「ボクも(喝破道場に)少し興味があったんだけど、前に泊まったって人に訊いたら、座禅も作法も厳しくて、男泣きするくらい辛かったって言ってたよ」とも。
 「82番から7キロほど下りたところに宿があるから、そこまでがんばりなさい、キミの足なら大丈夫だから」(何を根拠に?)と励まして下さり、「道場はやめといた方がいいよ!」と念を押して、じいちゃん遍路は去って行かれた。

 「会う人は大師、会う人の言葉は大師の言葉」。
でも、今の言葉を聞いて、余計に「喝破道場」に「興味」をもってしまった。
 どうしたもんだろう・・・。

やっぱり、歩きたい

 ヘロヘロになって、やっと第81番札所「白峰寺」に到着。
お詣りを済ませ、納経も済ませ、さぁご飯でも、と思っているところへ、なんと、愛ちゃん登場! 
「奥の院を回ってなお、この時間に追いつくなんてすごい!」とほめたら、
「またワープしちゃったんです」と言う。
奥の院を出た所で「車のお接待」を受けて、80番まで乗せてもらったのだそうだ。
「乗って行きなさいって言われたら、つい断れなくて、ま、いいかって乗っちゃうんです」と、少し恥ずかしそうにしている。
「永井さんみたいに、ずーっと歩いてこられたのはすごい」とも言ってくれた。
なーにをおっしゃる、うさぎさん! 
 私はかえって、貴女のその「素直」で「自然体」なところにとても惹かれているのよ。愛ちゃんは愛ちゃんのやり方でいい、思ったように行けばいい、そう思う。
(実際には私も、迷子になった時と、あと一度、遍路道へ戻るまでの道を、車に乗せていただいたことがあるもーん)

 「歩き遍路」の間でも常に「話題」になることだが、
「遍路なんだから、お接待は断るべきじゃない」派と、「『歩き』遍路」なんだから、車の接待だけは断ってもいいはずだ」派。
 「お接待はお受けする」のが、遍路なのだ。「乗せてあげたい」と思って下さった人の気持ちを大切に、有り難いと思って、感謝して「お受け」するのが「本筋」で、私のように「かたくな」に「車のお接待はお断りする」態度は、何かに「固執」しているようで、「違うんじゃないか」という人もいる。 
 でも「車のお接待」は、本当に多い。1日に何台もの車が、止まって下さる。
寺から寺へと車に乗せていただくと、冗談ではなく、へたをすると(適切な言い方ではないけど)、一歩も歩かないで、88カ所回りきれてしまうかもしれないのだ。
それでは「歩き遍路」の意味がない。
 どちらが正しいか、答えは出ない。それなら愛ちゃんのように、「乗る時もあり、乗らない時もある」という自然体でいればいいではないか、とも思う。
でも、私の場合は、なんとか「歩きたい」のだ。人生で、何か1つ「やり遂げたい」と思ったのだ。それが今の私にとっては、「88カ所を回りきること」ではなくて、「88カ所を歩ききる」ことなのだ、と思う。

 「次のお寺に行く」のが目的ではなくて、「次のお寺を目指す道」に、私の「遍路の楽しみ」があるのだ、と最近考えるようになっていた。
(せっかくここまで歩き通したんだから、もったいないじゃないか、という気持ちが真実かもしれない)

間に合わない!

 何はともあれ、おかげさまでまた愛ちゃんと一緒に歩けることになったのだから
「これでいいんだよねー」と、仲良く82番を目指した。

 長い長い山の中の道を行く。
私の場合、半分は「さっき間違えて遠回り」した道を、また歩くことになった。(一度通った道は、様子がわかっているせいか「速く歩ける」ような気がするから不思議・・・)
「82番まで、あと2キロ」の標示が現れた。
「2キロならもうすぐだから、ちょっと休憩しよう」と、腰を下ろして時計を見た。見てビックリ! もう午後4時半になっているではないか。
「キャー、ヤバイ!『納経時間』に間に合わないじゃないかー!」

 普通の道なら、2キロは30分で歩ける。でも、ここは「山道」なのよ。
アップダウンのはげしい道を、とても通常の速度で歩けるはずがない。
根香寺(82番)さん、やっぱり5時ぴったりに「納経所」閉めちゃうんだろうな、とほとんど絶望していると、私の「絶叫」を聞いた愛ちゃんが、
「永井さん、急ぎましょう!」と、飲みかけたジュースのボトルを、リュックに詰めなおしていた。「え?」
「大丈夫、急げば間に合います。私だけでも5時までに着いて、納経所開けててもらいますから」とまで言ってくれた。
 泣かせるじゃないか〜!
 
 泣いてる場合じゃない。もう愛ちゃんは走っていた。
「愛ちゃん待ってー」 
 あわてて追いかける。(反対じゃないの?)

走り遍路

 夕暮れの近づいた山の中を、2人の女遍路が、駆け抜けて行く。
ひたすら走る。ひたすら急ぐ。(忍者になったみたいよ・・・)
 枝をかき分け、下り道を半ば滑り落ちながら、ふと、「私は何をやってるんだろう」と思った。「納経」は「私の用事」であって、愛ちゃんには関係のないこと(彼女は「納経」はしていないのだから)。
「納経時間」に縛られず、自由にお寺詣りをしたい愛ちゃんを、私の都合で「急がせる」なんて、どういうことなの? 私だって、
「お寺回りが目的じゃない、歩く道に意味がある」んじゃなかったの?
 私は何をこだわっているんだろう。これじゃあまるで、お寺の「印」が欲しいだけの「スタンプラリー遍路」じゃないか・・・。少し悲しくなった。
でもやっぱり「印」は欲しいし、私の為に一生懸命走ってくれている愛ちゃんに「もういい」とも言えない。
 自由な気持ちで歩いていたはずが、結局は「執着心」に縛られて行動していることに気づかされて愕然としながら、もしまた「遍路」をすることがあっても、
「もう納経はしない、お寺で、キチンと手を合わせてお経を上げるだけでいい!」
そう思っていた。

 「遍路に来て、これほど走ったことはない(これじゃあ、「走り遍路」だわ)」と思うほどがんばったおかげで、5時ちょうどに、第82番札所「根香寺」の「山門」に到着した。ああ、よかった。もう走れない。

 「え?」「ええー!」「・・・・・」

試練の根香寺

 そこはただの「山門」だった・・・。
(お寺の「本体」は、遥か向こうにあるのだ)
 山門から、すぐ長い下り階段、そして長い参道が続いて、また長い上がり階段。そこにやっと、お堂が見えている。
「ひえぇ〜〜!」 腰がくだけた。

 山門にすがりついて「果て」かけている私を置いて、愛ちゃんがまた走る。「私、納経所に行って『待った』をかけておきます」(重ね重ね、かたじけない)

 ヨタヨタと、それでも精一杯の「必死」で、階段を下り参道を走り階段を上り、私もようやくたどり着いた。
 5時を数分過ぎたところで、本当に閉めかけていた「納経所」の前、愛ちゃんと納経所の若いお坊さんが笑って迎えてくれた。
「危機一髪でした」と愛ちゃん。「・・・・・」。
ゼーゼー言うだけで、私は声も出ない。本当に死ぬかと思うほど、辛かった。「・・・ありがとう」と言うのがやっとだった。
 リュックから「納経帳」を取り出す。8年前からずっと持ち歩いてきた「私の遍路の証」。印の数だけ、重みが増している。
やはりこの「自分の足跡」には愛着があるのだ。たとえ「執着」という名のもとであっても、「がんばって走って報われた」というのは、・・・うれしかった。

 そこで納経所の若僧、いえごめんなさい、若い僧侶さんに、「お詣りする前に『納経』してもいいんでしょうか」と訊いてみた。すると、
「ええ(なんで?)」という反応。・・・うーん。
「ちゃんとお詣りしましたという証拠」に記してもらうのが、「納経」という行為だと思っているのに、「時間がないから、いいんですよ」という感じなんだもん。
はじめて、「お詣りより先に納経」なんてことをしてしまった。
 その後、納経所はアッという間に閉められ、境内にはもう誰もいない。私たちが最後の参拝客のようだ。(皆さんちゃんと、「納経時間内」に来られるのねぇ)

 待っててくれた愛ちゃんと、やっとお詣り。まずは本堂へ。
2人で般若心経を上げ、ここまで無事に導いて下さったお礼と、愛ちゃんへの感謝の気持ちなどを思って手を合わせていると、さっきの若いお坊さんが来て、本堂に続く廊下の窓を、・・・閉めはじめた。
「お寺の業務も終わりなんでしょう、私たちもなるべく急ぎましょう」と、今度は、大師堂へ進む。ロウソクを灯し、線香を焚く。大師堂の前でも、もちろんまずは「般若心経」。目をつぶり、手を合わせてお経を上げる。
「仏説摩訶般若・・・」 ガラガラッ! 「?」(何の音だろう)
「観自在菩薩・・・」 ガラガラッ!(まただ)「何なの?」。
 目を開けて状況を見た瞬間、今度はあきれて、口まで開いてしまった。

 さっきの若い坊さんが、一生懸命「大師の戸締まり」をしているではないか。「ガラガラッ!」は、私たちが今お経を上げている、目の前の大師堂の「扉」が閉められている音だったのだ。 
 あのねーおにいちゃん、「早く閉めたい」気持ちはわかるけど、もうちょっとだけ待ってくれてもいいんじゃないかなぁ。いちおう目的は「お詣り」なんだよ。
大師に導かれて、ここまで来られたお礼を言ってるんだから、その最中に「大師」を隠しちゃうことないんじゃないのー。 
 2人の遍路の「抗議の目」にも気づかず、サッサと弘法大師をしまい、私たちには目もくれず、若い坊さんは行ってしまった。
「・・・・・」。

 フクザツな気持ちで、お経を終わり、しつこくお祈りもして、参道へ続く階段を下りる。もうお寺には人っ子一人いなかった。
(もちろん、お坊さんらしき人さえ、だ)
「もてなして」なんて言う気はないが、なんだか冷たい。
こんな思いを味わうために(まして、たかがハンコのために)、山の中を必死で走った、走らせたと思うと、またいろいろ考えてしまう。
 それでも、「お寺にも都合があるんだろうしね」と、自分たちに言い聞かせる「健気」な遍路2人であった。

 山門を出たのは午後5時半。もうあたりは暗くなりかけている。
一番近い宿でも、ここから7キロほどある・・・。
 2人で相談して、やはり「喝破道場」にお願いしてみようということになった。(喝破道場は、この82番寺のすぐ裏手にあるはずなのだ)
山門そばの電話ボックスから、おそるおそる、その「禅宗の寺」に電話をしてみると、「今からだと夕食はできないけれど、それでいいのでしたらどうぞいらして下さい」という、やさしそうな女性の声。
 やったー、泊めていただける!

許される「殺生」とは

 あたりはどんどん暗くなってきた。 

 「急ぎましょう」と、教えられた道へ歩きはじめた途端、小さな畑の中にグサリと垂直につきさされた「棒」が目に入った。何か黒いものが吊されている。
近づいてよく見ると、それはなんと、本物の、「カラスの死体」だった。今、息絶えたばかりか、と思わせるような、生々しい「むくろ」。(むごい・・・) 
すずめよけかカラスよけかは知らないけれど、なにもそこまでしなくても・・・。
おまけに畑の真ん前は「自分の家」のようなのに、平気なのだろうか。
 お寺のすぐ近くで、こんな「残酷なこと」が行われていることがショックで、2人ともその場に立ちすくんでしまった。
家の人に「イヤミ」だと思われてもいい、と、私たちにできる「せいいっぱい」のこと・・・「お経」を上げた。
 しばらくは、暗い気持ちで歩く。人間は時にとても「非道」だ。

 でも、こんなことは昔から「行われてきた」ことなのかもしれない。
タヌキやイノシシを食べるし、クマやトラの皮を剥いで飾る。キツネを首に巻き付けたり、これ見よがしに「毛皮」を着て歩く人までいる。「私は毛皮は着ない」と言っても、牛の皮でできた製品は、何の躊躇もなく家の中にあふれているし、私だって、「魚釣り」をするじゃないか。魚の「活け造り」はムゴくはないのか? ・・・キリがない。
 「必要なら許される」というなら、あの家の人にとって、大切な畑を守るための「カラスの死骸」は「残酷」ではないのではないか。
どこからが「残酷」で、どこまでが「許される範囲」なのだろう。
 人間もいつか「他の生物」に支配される日が来れば、「みせしめ」として、カラスのように吊されたり、戦利品として「首」だけリビングに飾られたりするのかもしれないなぁ・・・。
 なんてことを考えながら、「喝破道場」にたどり着いた。

初体験は、「痛い」

 道場の2匹の犬と、かわいい女の子の出迎えで、中に入れていただく。

 女の子は、この道場で修行中の「寮生」で、食堂の上にある、彼女の部屋に泊めていただけることになった。
(女子の寮生の部屋だが、現在、女の子は彼女ひとりらしい)
 「このあとすぐ座禅の時間になりますから、食事は先に済ませて下さい」と言われたので、二階の部屋で荷を下ろし、自分たちが持っていた食料を出して、ひとまず「夕食」をとっていると、いきなり「下に降りてきてください」と呼ばれた。
口に入れたばかりのパンを飲み込んで、バタバタと食堂へ。
 私たち2人のためだけの「座禅のビデオ」鑑賞会がはじまった。

 禅宗だもの「座禅」が基本。遍路の途中で「座禅」の経験が出来るなんてラッキーだよね、と愛ちゃんとニンマリ。でも・・・。
HOW TO(ハウツー) ビデオを見ているうちに「こりゃ大変だ」と冷や汗が出てきた。「作法」が難しすぎる!
 道場に入る時は必ず○足から(右か左か、もう忘れた。お恥ずかしい)、ここで手を組んで、ここでお辞儀して、ここで座布団を引き寄せて、ここでクルッと回って・・・と、「作法の型」は細かく続く。
「きゃー、ぜんぜん覚えられない! どーしよーどーしよー」と叫ぶまもなく、とうとうそのまま、道場に連れて行かれた。
 案の定、入室からいきなり間違いまくる。
僧侶のような方に、ひとつひとつ「指示」していただき、何とか「座禅らしき格好」に落ち着ついた。(ホッ)(愛ちゃんを振り返る余裕もなかったよ)

 でも、「落ち着いた」のは見かけだけ。足の組み方が悪かったのか、根性が足らないのか、45分間の「座禅修行」の間中、ムチャクチャ足が痛かった。
「痛い痛い痛い痛い・・・・」と、そればかり考えていたので、かえって「雑念」が入らずにすんだかもしれないけど・・ね。
(でも、せっかくの「はじめての座禅体験」が「無」ではなくて「痛い」だったなんて、少し悲しい)
 また「作法」に従って道場を出る。

かしましい

 「禅道場」を出るとすぐ「入浴」。
寮生の美代ちゃん(たった1人の女の子なので、私たちの世話係になってしまった。申し訳ない)と、愛ちゃん、私で、急いで「お風呂」へ。
「早く入って、早く出ないと男子から文句が出る」という言葉で、いつもの「のんびりダラダラ」は返上して、テキパキ服を脱ぐ。
(ここでは必ず「レディファースト」、といのがちょっと意外だったけど)
 湯舟にもロクにつからず、必死で身体を洗う。まるで「作業」のように忙しい。
ついでに「口」も忙しい。(女が3人寄っているのだ、黙ってるわけがない) 
「なんで遍路を?」「なんで、禅修行を?」と興味津々。
 お互いが珍しくてしかたないのだ。

 美代ちゃんは21才。朗らかで愛くるしい、まったく「今風」のかわいい女の子。
「なんで、貴女が禅修行?」と私たち。彼女は彼女で、「なんで、お遍路なんかしてるの? どんなことがあったの? なんで1人で歩いてるの?」と、シャンプーの貸し借りをしながら、裸の質問会が続く。

 タイムアップして、お風呂を男子に明け渡し、部屋に戻ってからも、お互いの今までの生活や、現在の状況、これから何になりたいのか、など話はつきない。「育った環境」や「生き方」が違っても、すぐ共鳴しあえるのは、お互いに
「何かを探している」人間同士で、「気取りも垣根もない」からなのかな、と思ったりした。
 2人とは一回り以上も歳が違うのに、同じレベルで話をしている自分が、おかしいやら、うれしいやら・・・。(いつまでも少女のような私。・・・違う?)

「喝破(かっぱ)道場」

 ここ「喝破道場」では、広く一般からも「短期間の禅修行希望者」を受け入れているという。(例えば「企業研修の一環としての禅体験」など)
それに、不登校やいじめなどで傷ついたり、行き場をなくした子ども達を「寮生」として住まわせ、面倒を見ておられるのだそうだ。
 今、女の子は美代ちゃん1人だが、男の子は数人いるようで、「僧」になるもよし、またもとの社会に戻っていくもよし、新しい人生を見つけて旅立つもよし、ということらしい。

 美代ちゃんも、「まだ、禅僧になると決めたわけじゃないんです。ここで暮らしながら、将来何になるか、考えているところなんです」と言う。
何だかホッとした。
 21才で、「禅僧になる」と決めることはそれはそれで素晴らしいことだろうが、「まだわからない、いろんなことしてみたい」というのが、当たり前。
ここでは、そんな彼女に、何も「強制」することなく、
「じっくり考えて自分の道を決めなさい」と温かく見守っておられるようだ。
「こんな所で、じっくり将来のこと考える時間をもてるなんてうらやましいなぁ」と一瞬思った。

 でも、ここが「外界と隔絶された禅寺」だということを忘れてはいけない。
美代ちゃんも、「ご住職の奥さん(電話に出て下さった方らしいが、結局一度もお目にかかれなかった)以外の女の人に会うのは久しぶりだし、こんなにおしゃべりしたのも久しぶり、いつもおなかがすいているし、お菓子だって食べたーい!」と言っていたではないか。
 朝は5時起床、即「座禅」「朝のおつとめ」「お粥の朝食」「作業(これは人によってイロイロ違うみたい)」「夕食」また「座禅」「入浴」、午後9時消灯、「就寝」。この規則正しい生活が、毎日毎日毎日続くのだ。
テレビを見ることもないし、友人と喫茶店や映画館に行くこともない。
(だいたい山の中で、何にもない。携帯電話もつながらない。公衆電話もないんだぞ!)
ここはあくまでも「修行の道場」なのだ! なめたらアカンで!
(誰にゆうてんの?) 
 私みたいに「今日も居酒屋で一杯」「明日は立ち飲みで一杯」なんて暮らしとは、天と地、月とすっぽん、象とアリ(?)、なのだ。
ここは「禅道場」なんだぞ!(もうええって)

 とにかく、いい加減な気持ちでは「暮らせない」けど、「世間から離れて、自分を真剣に見つめなおしてみたい」という人には、とても「心静かに暮らせる場所」なのだ!(ではないか)と思う。

落ちていく「肉体」

 消灯時間を過ぎても、(こっそり)かしましい話は続いたが、「もう寝ましょうか」と言った次の瞬間には、2人とももう寝息をたてていた。(早い!)
 よく働き(歩き)よくしゃべって、健康的な肉体が2つ、スコーンと「夢の世界」へ落ちていった。やがて、右からイビキ、左から寝言が聞こえてきた。
(私は、3人枕を並べた、まん中に寝かせてもらっていたのよね)

 2人ともそれぞれが、「今の社会の一般的な流れ」にうまく乗れず、いや、乗りたくなくて、「自分探しの旅にでてきた」、そんな感じを受けた。
(それは私も同じなのかもしれないけれど・・・)

 でも、私はスコーンとは落ちていけない。
身体は疲れてクタクタなのに、頭の中で「何か」が渦巻いて、ちっとも眠れない。
禅道場にいるのに「無」になれない。布団に入っても「夢」に入れない。
 明け方まで、2人の寝言やイビキを聞いていた。

 でも、少しは眠ったのだろうか。ようやく短い「夢」を見て、目が覚めた。
朝の「座禅」に遅れる夢だった。

 ・・・それは、正夢になった。

次へ
[遍路きらきらひとり旅] 目次に戻るCopyright (C)2000 永井 典子