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掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
【6日目】(通算48日目) 4月20日(火)[ 晴れ ]

 このところ毎日選挙カーがうるさいせいか、選挙関係の夢を見た。

未熟者

 ある候補者の選挙活動の手伝いをしている夢。ウグイス嬢ではなく、台紙になにか張り付ける仕事・・・。
 「夢」には「深層心理」が隠されているなんていう人もいるが、これには「何」の意味があるんだろう。さっぱりわからない。
大師の故郷「善通寺」に泊まって見た夢としては、ちょっとガッカリだった。
 何かもっと「ありがたい夢」(例えば、大師や如来さまが夢枕に立って、ありがたーいお告げをして下さるとか)を期待したのだが、まだまだ未熟者の私には、とうてい無理なこと、だったようだ。

行き届いたサービス

 久々に、朝の「おつとめ」に参加。
はじめに「管主(このお寺の一番エライ人らしい)」のお話があったが、難しい話や宗教関係の話はほとんど無し。おまけに、
「サービスが行き届かないところもあるかもしれませんが・・・」なんて、けっこうサービス精神旺盛なのだ。
おつとめもあっさり短く終わり、何だか拍子抜けしてしまった。

 朝食は、とてもとてもシンプルだったけど、今の私にはピッタリ。
このところどの宿でも、おかずも量も多すぎて、まいっていたのだ。
(数年前の「大食い」とは大違い。なぜかしら、歳かしら・・・) 
 朝食が終わって、他の団体遍路の皆さんが誰もいなくなってしまっても、私たち2人は、部屋でゴソゴソ「荷詰め作業」に忙しい。 
でも、今日こそ「愛ちゃんを1人にしてあげよう、私もいいかげん1人で歩かなくちゃ」、で、約束通り、別々に宿坊を出発することにした。

「捨てて歩け!」

 愛ちゃんより先に出て、まずは、きのうゆっくり見られなかった寺内を見て回る。大師堂の地下にある「戒壇めぐり(真っ暗な廊下を、手探りで歩く)」をして、宝物殿も見学した。
大師絵や仏像はもちろん良かったが、何より、ほんの数冊並べて売られていた本のうちの一冊、マンガの仏教書のタイトルに目が釘付けになった。
「捨てて歩け!」と書かれてあった。
これだ! これなのだ!
「遍路」の、いや「人生」のあり方を一言で表現しているようではないか!

大感激したので、この言葉を、この先の「遍路」の、そして「人生」の「テーマ」にしようと思ったのだった。
(どこに「教え」がころがってるかわからないものだ)
「贅肉」も「贅沢」も捨てて歩くぞー!
(と、この時は「本気」で思ったのよ)

 宝物殿を出る時には、係りのお坊さんから、「1人で歩いてるの? なかなか出来ることじゃないですね。ほんとにエライ」とほめていただいた上、供物のお下がり(お菓子)までいただいた。お寺の方にほめられたのは久しぶりだ。
やっぱり「善通寺」はエライ!(なんのこっちゃ)
 参道途中にある観智院にもお詣りして、カメ池を覗いて、売店に寄る。
おみやげ用にキーホルダーを買って、次の寺への道順を教えていただき、やっと善通寺を出た。

 かなり丁寧に道を教えていただいたのに、途中でまた迷子になった。
そこで、近くにあった「葬儀場」に寄って、そこのオジサンに「76番さんは、どう行けばいいのでしょう」と訊いてみる。奥からもう1人、また1人と出てこられ、「76番?」「何寺?」「金倉寺?」「寺はいっぱいあるからなぁ」と大討論会になってしまった。葬儀関係の会社なら「お寺は得意」と思った私が甘かった。
ああでもないこうでもない、どこだっけ? なんて、長いこと議論しておられる。
「ああお願い、方向さえ教えて下されば、またどこかで訊きますから」と言いそうになったところで、1人のオジサンが、確信をもって「そこをまっすぐ行きなさい」と教えて下さった。(ホッ)ありがとうございました。
 この辺は札所が密集しているので、札所の番号で言っても、にわかにはわからないのだそうだ。・・・失礼しました。

しまなみ海道PR作戦

 第76番札所「金倉寺」に着くと、案の定愛ちゃんがいて、また合流。
お詣りを済ませて一緒にお寺を出たが、郵便局の前でまたお別れ。私はここで、長袖のシャツ・長袖の肌着・半袖の肌着少しと、折りたたみ傘まで送り返した。
「歩き遍路」だというと、郵便局長さんが、お接待にと、「しまなみ海道絵はがきセット5枚入り」を下さった。「5月1日開通ですから、よろしくね」の言葉も。(はい。ありがとうございました)

 1時間、テクテク歩く。やはり足が痛い。左足首うしろの筋がズキズキして、どうしても足を引きずってしまう。ヨロヨロしてる自分が情けない。
あんまり無理はしてないのになぜだろう。
(薬師さまの威力も、今日はもう効かないのかなぁ)

 でも、久々の一人歩きは楽しくもあって、麦畑の中をどんどん進んだ。
どんどん、どんどん・・・、ムッ! 行き止まり。
引き返す。どんどん引き返す。また進む。
 それにしても見事な麦畑だ。
緑の波が風にさわさわして、「ポエムしてる〜」って感じなのよ。いいなぁ。

気楽です

 生まれてはじめて「アスパラガスの畑」も見た。
土の中から、白いアスパラが、にょきにょき突き出ているのだ。
まるでムーミンに出てきた「ニョロニョロ」みたいだった(わかる?)。
 次に、レンコンを掘ってるオバサンを発見。ドロの中でレンコンを引き抜いてる姿を見て、思わず「私もやりたい!」と思ったが、「力がいるから大変なんよぉ」とオバサン。(でも、楽しそうに見えるんだけど・・・)
 「歩いて(四国を)まわりよるんかい?」と訊かれたので、やや得意げに(またほめてもらえると思って)「はい!」と答えると、「まぁ、気楽やねぇ」と言われた。カクッときたが、確かにまちがいない。この忙しい世の中で、1400キロほどもある道のりを、ポチポチ「歩いて」まわっているのだ。確かに「お気楽」に違いない。
 「エライエライ」とほめていただくのもうれしいが、「時間かけて好きなことして、いいわねぇ」的に思われるのも、とても心地良かった。

 第77番札所「道隆寺」に到着。もちろん、愛ちゃんも着いていた。
また合流して仲良くお詣りも済ませ、ちょっと早いが、ここで(きのう買い込んでおいたパンとジュースで)昼食。また2人で次へ向かう。
 足が痛いし、暑くて辛い。若い愛ちゃんは、きっともっともっと元気なんだろうに、「根性・体力、共になし」の私につきあって、ゆっくり歩いてくれている。
彼女のためにも、何とかがんばって歩く「健気」な私(ははは)。
 それでも、さすがに2人とも疲れてきた。どこかでちょっとでも座りたい。

仏縁

 日陰を求めて、フラフラと古びた小さなお寺に入り込む。
札所でも番外でもないし「真言宗」のお寺でもなさそうだ。けして入りやすい門構えでもないのに、なぜか引っぱられるように中に入って(あとから思うとだけど)、お堂の前に腰かけさせていただいた。
 もう使われていないような、ボロボロの小さな小さなお堂の中から、誰かがお経をあげる声が聞こえてくる。
不思議に思いながらも、その声が、「疲れた遍路」の耳に心地よく、しばらくゆっくりさせていただいた。
 「読経」が終わっても、何となく立ち去りがたくて、しつこく座っていると、お堂からオジサンが一人出ていらして、「中に入ってもいいよ」と言って下さった。うれしい! さっそく入れていただいて、・・・驚いた。
 ムチャクチャりっぱな「観音さま」がおられたのだ。
しかも、かなり古いもののようで、「こんなボロお堂(ごめんなさい)に、なぜ?」という感じなのだ。

 「仏事」があったとかで、一心にお経をあげていた(5人くらいいた)おばさまたちが出て行かれたあと、このお堂の管理をされているという、先ほどのオジサンが、お祀りしてある仏像の説明をして下さった。
 この観音さまは、昔、かの「金比羅さん」にお祀りされていた、古い古い「十一面観音」さまなのだそうな。
現在琴平宮にある観音さまは「新しいもの」で、こちらが先代にあたる。
だから、昔「坂本龍馬」やその時代の剣豪たちが拝んだのは、この観音さまなのだ、と、オジサンは胸を張る。
 この古寺に来た「いわれ」は、あまり詳しく訊かなかったが、オジサンの話は絶対に間違いないだろうと確信させてくれる、素晴らしい「お姿」だった。
そして、涙が出るほど美しい「お顔」だったのだ。(ホントよ)
 仏像の「芸術的な価値」にはまったく詳しくないが、とにかく、
「これほど見とれたことはない」と思うほど、素敵な「観音さま」にうっとり。
 両脇をかためる「不動明王像」「愛染明王像」「毘沙門天像」も珍しい「作」なのだそうで、本当に、素人目にも、感動ものだった。

 観音さまのお姿に、本気で「涙ぐんで」いると(自分でもよくわからないけれど、勝手に目が潤んでいた)、オジサンが「お守りに、あげましょう」と言って、「般若心経を写経した紙」を、私たちに1枚ずつ下さった。
 この土地に住んでいた、ある信心深いおじいちゃんが、99才で亡くなる直前まで書いていたものの1枚で、おじいちゃんの為に、その「写経書」を供えてお経をあげ、その後も、観音さまの前で、何日も読経したものなのだそうだ。
元は「おじいちゃんが書いたもの」だが、今や「お守りの威力バツグンの、有り難いもの」だということで、皆が欲しがる「お札」となっているらしい。
これを持っていれば、「観音さま」が必ず守って下さるという。
そんな大切なものを、「檀家」でもない、通りすがりの私たちに下さるなんて。
 有り難くて、また涙が出そうになる。

 普段はカギをかけて締め切ったままのお堂なのに、今日はたまたまこの時間に「仏事」があって、開いていたこと、たまたまこの時間にここを通った私たちが、なぜか、決して「入りやすい」とは思えないお寺にフラフラ入り込み、この古びたお堂の前に座ってしまったこと、
「呼ばれた」としか思えない、この偶然(必然)を、「仏縁」というのだね、と3人で不思議な納得をしたのだった。
 しつこいけど、「お目にかかれて本当にうれしい」と思える、全くすばらしい「観音さま」だったのです。

 貴重なお札と、先ほどの仏事のお下がりの「赤飯」までいただいて、何度も何度もお礼を言っておいとました。
 2人ともすっかり気分が良くなって、「なんて幸せなのだろう」と、足どりも軽くなる。

「人」に会うために

 気分ハイ! のまま、第78番札所「郷照寺」に到着。
ここでもゆっくり時間をかけてお詣りした。その上、「庭園」の方にまわって池を眺めながら、また犬と遊んだりしていたものだから、なんと午後4時になってしまっていた。(よく遊ぶ遍路だ)

 仕方ないので、予定を大幅にカットして、ここからあと3キロほどの所にある「宿」、(愛ちゃんの「遍路地図」には載っていて、私のには無い)坂出市内の「川久米旅館」に予約した。
 今日は「さぼりまくった」わりには、18キロほど歩いていた。

 今回は(も?)、ほとんど「距離」が延びないが、その分、いろんな「人や出来事に遭遇」しているので、これはこれでいいのかもしれない。(いいとしよう!)

 宿に落ち着いて、途中で買った湿布を、足に、すきまなく貼る。
疲れがたまってきているようで、眠い。母にもダンナにも電話していないが、もう時間も遅い。(宿の夜は早いので、暗闇の中、一階の公衆電話まで降りて行くのがおっくうなのよ) 
かわりに、2人には「ハガキ」を書いた。

 それにしても・・・、眠い。

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