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掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
【3日目】(通算45日目) 4月17日(土)[ 晴れのち曇り ]

 ゆうべはあまり眠れなかった。寝苦しくて何度も時計を見た。
ゆうべの、宿のおかあさんの話が、原因のようだ。

「死」を選んだ遍路

 つい最近、遍路に来ていた若い子が、首吊り自殺したという話。
会ったこともないその子の顔が見えるような気がして・・・。
(もちろん見えなかったけど)
どんな気持ちで逝っちゃったんだろう、と思うと、切なくて悲しかった。
 しばらく泊めていただいたお寺から、「もう行きます」と言って出ていった日に、本当に逝ってしまったという。
詳しいことはわからないが、「遍路」が自分で「死」を選ぶなんて、悲しすぎる。「生きる道」を探して「遍路」しているんだと、私は思っているのに・・・。

 明け方5時頃、皆さんが出かけて行く音がした。
私も5時には起きて、リュックの荷詰め作業。きのう郵便局から「パジャマ一式」を家に送り返しておいたので、リュックにも作業時間にも、ずいぶん余裕ができた。やはり「背負うもの」は、少ない(方)がいい、ということか。

ハギモトケンイチ

 昨夜遅くに着いたらしい「バス・電車にも乗る」女性遍路(40才後半くらい?)の2人連れと一緒に、朝食。
 朝もまた、おかあさん(宿のおかあさん)のお話をBGMに、ご飯を食べるが、今朝はもう「姉妹遍路」がいないので、おかあさんは、私に話しかけてこられる。
職業がら、「話しかけられたら相手の目を見て相づちを打つ」というクセがついている私。お陰でなかなかご飯がすすまない。それに、話は、ほとんどゆうべのリピートで、NHKやショーケンが出てくる。でも、他の2人にとっては、はじめての話(彼女たちは、昨夜同席していない)。おかあさんも、楽しそうに一から丁寧に話されるので「それはきのう聞きました」とも言えない。
 おかあさんはショーケンのことを、ずっと「ハギモトケンイチ」と言っておられるが、「訂正」するスキもない。(ほんとは「ハギワラ」。「萩本欽一(ハギモトキンイチ)」と混同しておられるようだ)
 なんとかゴハンを盗み食いしながら、ただ相づちを打つしかなかった。2人の女性も、陽気で朗らか、よく聞き、よくしゃべる。よって、話がはずむはずむ!
 私もそのうち「相づち係り」がなかなかおもしろくなってきて、おかあさんが言い忘れた話に補足を加えたりするようになっていた。これ、けっこうラクでいい。(話の流れを自分でコントロールしなくていい、好きなときにちょっと口を挟む、というのって、なんだか楽しい)
「私が話をまとめなくちゃ」という、長年の間にしみついた「進行係」根性を見直す、いいキッカケになりそうだ。
 でも、ゴハンが終わっても、おかあさんの話は終わらなかった。
どれくらいたったのだろう。
もう足がしびれてダメ! という頃、やっとおかあさんが立ち上がって、叫んだ。

「お遍路さんは、はよ出かけなイカン!」「・・・」

 結局「ショーケン」は、最後まで「ハギモトケンイチ」のままだった。

「遍路は、はよ行かなあかん!」

 すっかり出遅れてしまったので、急いで準備をして玄関へ。
おかあさんは、今度はさっきの2人連れの部屋の前で語っておられる。
靴を履きながら、出発のご挨拶のタイミングをはかっていると、また、呼ばれてしまった。私に手招きして、「ちょっとまぁ、聞いてぇな」とおかあさん。
やれやれ。また靴を脱いで2人の部屋の前に行き、おかあさんと並んで廊下に座る。今度はおかあさんのお子さんたちの話が中心だ。2人の女性も、よく笑いよく話す。でも、化粧する手は決して止めていないのがさすがだ。
 6時半に朝食が終わってから、ほぼ1時間が過ぎていた・・・。

 やがて、またもやおかあさんのキメゼリフ、「遍路は、はよ行かなあかん!」の一声で、とうとう出発を許された。
まだ化粧が続いている2人を残し、まずは私。
おとうさんと2人で、道まで見送りに出て下さる。
 このおとうさんがまたいい! ここではおかあさんが完全主導権を握っていて、歩き遍路のあいだでも、「岡田のおばちゃん」として有名なのだそうだが、おとうさんは、ひかえめであまり表に出ないタイプながら、かなりいい味を出しておられる。おかあさんとわたりあえない私みたいな「気弱な遍路」(どこが?)を、陰でしっかりサポートして下さるのだ。
(きのうは「洗濯」の手伝いまでしていただいたのよ)

 2人で道に並んで、いつまでもいつまでも手を振って、見送って下さった。
「お接待やからね」と、もたせて下さった大きな「おにぎり」が、ほかほかと温かい。どうりで、この宿のリピーターが多いはずだ。
 おおきに、岡田のおとうさん、おかあさん!

岡田のおかあさん、いつまでも

 この翌年、平成12年1月。
「掬水へんろ館」のホームページに、岡田のおかあさんの「訃報」が流れた。
「おかあさん」にお世話になった遍路たちの「哀悼のメール」が続く・・・。
「岡田のおかあさん」が、「歩き遍路」の間で、どれだけ愛されて親しまれておられたかがわかり、胸があつくなった。

「いつもウチに泊まる工事の子ぉはな、遍路さんが多い時期になったら、他のもんは断られるのん知ってるから、すぐ手前の公衆電話から、『遍路のもんやけど』ゆうて電話せぇて、親方に言われてくるんやで。すぐバレルのになぁ」と楽しそうに笑っていたおかあさん。「もう歳やし、身体はほんまにえらいけど、お遍路さんが来てくれはるから、年末も正月も休まへん。冬に野宿させたらかわいそうやしな」とやさしい目をした、肝っ玉かあさんに、私も、もう一度会いたかった。
 お世話になった「遍路」たちは、けして「岡田のおかあさん」のことを忘れないだろう。
 今頃は「極楽浄土」で、先に逝った多くの「お遍路さん」たちと、また楽しくおしゃべりしておられるだろうか・・・。

 心から、ご冥福をお祈りします。

(時を戻そう。民宿岡田を出たところだ)

アドバイス

 宿を出てほんの少しで、雲辺寺への登り口。さあ、いよいよだ! 
・・・いきなりキツイ。へーへーはーはー言いながらよろよろ登っていると、前方から平服(遍路衣装ではない)のお兄ちゃんが降りてきた。
「遍路の練習で、ちょっと山越えしてみてる」だって。
(こんなの1回で充分なんじゃない?「練習」するってことは、「本番」でまた登るってことでしょ? そんな根性あたしにゃありませ〜ん)
 お兄さんは、「山越えする前に、15分くらいストレッチするといいよ」とも教えて下さったが、その15分ぶんの体力が、私には惜しいのだ。
でももう一つ、「坂の途中で休憩する時は、下りを向いて休むといいよ」という教えは、その後、ずっと守り続けた。
(なるほど、登りを向いたままだと、背中の荷物が下に引っぱられて、よけい重い。クルッと下向きになると、かなりラクだった)
 ありがとうございました。

 今回も、お地蔵さんごとに止まって手を合わせるので、なかなか前に進まない。(休めていいけど)

遍路パワー

 今回の遍路で感じることがある。

 「遍路」は、何だか少し「テレビゲーム」に似ている。
札所はもちろんだが、山の中や町の中にある「お地蔵さん」などにも、時々「アイテム」が隠れていて、手を合わせるたびに「ゲット」できる。
 気づかずにビュンビュン通り過ぎる人も多いけれど、とてもわかりにくい所にある小さな石仏にも、実はすごいパワーがやどっていて、なんとなく惹かれて手を合わせると、「札所」の何倍ものパワーが手に入る。なんてね。
 そんなこと考えると楽しい。

 何度目かのお地蔵さんの所で、大アクビ。急に眠くなってきた。
なんで汗かいて歩いてる最中に「睡魔」が襲ってくるんだろう?
 「こんな中途半端な所で、眠ってなんかいられない!」と気を引き締めて、自分の足下を見ると、「(使い捨て)携帯カイロ」が、パッタリ落ちていた。
誰かがうっかり落としちゃったのねー、と少し行くと、今度はガケのすぐ下に「白いシャツ」が落ちてる。暑くて脱いで歩いてたら、風で飛んじゃったのかもねー、ちょっと、取りには行けない所だもんねー。で、も少し行くと、またカイロ。
・・・続いてまたカイロ。こらー! えーかげんにしなさいよ。
「山道にゴミしたらアカンやないかー!」
 明らかに「捨ててった」という感じだったので、なんだかムッとしてしまった。でも、拾ってゆく元気はなかった。(ごめんなさい)

百円分の山菜取り

 だいぶん登り、いったん車道に出た所で、わざわざ高知から、「いたどり(山菜の一種)」を採りに来たというご夫婦に会った。
収穫は、片手に掴めるくらいの1束だけ。
「これで、100円くらいでしか売れんけんのう」って、・・・おじさん、高知からわざわざ「100円分のいたどり」採りに来たの?
 ご夫婦は、100円分のいたどりだけを持って、「もう帰るけん」と言って、車で帰って行かれた。
(ガソリン代の方が高いんじゃないですかー?)

 山道を登っていると苦しくて、つい足もとばかり見て歩いてしまうが、白い靴に、様々な枯葉がくっついてきていて、見るたびに違う種類の葉と交代しているのが、なんだか楽しい。たまに、小さなイモ虫までしがみついている。
(長距離移動しちゃって、大丈夫?) 

ブランドわらじ遍路

 あとほんの数百メートルで「雲辺寺」という所で、車を止めてタバコを吸ってる、兄ちゃん遍路を見た。そばを通り抜けて「遍路道」に入る。
ここからまた少し「登り」という石段で休んでいると、さっきの兄ちゃんが、歩いて登って来られた。それがなんと、わらじ履きに「プリマクラッセ(バッグのブランド)」のリュック姿なのだ! そのおそろしくアンバランスな格好で、一瞬道に迷ってウロウロしていらっしゃる。
目がテンのまま、黙って遍路道を指さすと(びっくりして声もでなかったんだもん)、彼の方も、ありがとーも言わずに、タッタカーと登り去って行った。
しばしボーゼン。
 すげぇもん見ちゃった!(言葉だって乱暴になるってもんでぃ)

 わらじ兄ちゃんに少し遅れて、第66番札所「雲辺寺」に到着。
なぜか、私よりあとに宿を出たはずの2人連れの女性遍路が、先に寺に着いていた。「最初は歩いてたんだけど、車のお接待受けちゃった」、のだそうだ(なるほど)。「民宿岡田」の続きで、またひとしきり話し込んでしまった。
やっぱり女はおしゃべりが好きだ。おしゃべりが「活力」になるのだ!
(え? ならない?)
 「お互い、あまり無理はしないようにしましょう」と、女性同士らしい言葉をかけあって、お別れ。私もやっとお詣りをはじめた。
と、さっきのプリマクラッセのわらじ兄ちゃんが話しかけてきた。
 愛知県から車で来られたのだそうだ。お寺より少し下に車を止めたのは、「それ以上行くとお金(駐車料金)を取られるから」で、わらじは今日おろしたて。
「わらじでは長い距離は歩けない」から、お寺に入る少し前に履くんだとおっしゃる。プリマクラッセのリュックについては、「気に入ってるから」という、わかりやすいお答えだった。
 ものすごーく変わったイントネーションの般若心経を、大きな大きな声で、それはそれは丁寧にゆっくり唱えておられた。オタッキー(オタクっぽい)なのは否めないけど、気さくで、とっても「まじめな人」みたい。
 それにしても、・・・写真に撮っておきたかった。
(けっこうかわいかったのよ)

 お詣りを終えたところに、今度は、きのうの若い一人歩き遍路の女の子が登場。きのうは椿堂さんに泊まったはずなのに、もうここまで来たのか、やっぱり早い!
と思っていたら、「椿堂から、ワープして(車で)来たんです」と。なーんだ。
でも、会えてうれしい。
 お互いここではじめて名のりあって、彼女の「愛」という名前を知った。
名前のとおり、愛らしくて、素直でかわいい子だ。彼女は、やはり「椿堂」(常福寺)に泊まって、ご家族と一緒にゴハンも食べさせていただいたという。
 楽しかったらしい。よかったよかった。

「遠く」より・・・

 また長話をして思いっきり油を売ったので、もう昼前になっていた。
愛ちゃんにお別れを言って、雲辺寺を出る。
 山道を下りはじめてすぐ、超かわいいビーグル犬を連れた、かっこいいお兄さんに会った。遍路ではなく、普通の服装。土地の人らしく、「ちょっと登りに」とおっしゃるので、「お散歩コースなんですか?」なーんて、お気楽なこと言ってしまったが、後で、それは「超おまぬけ発言」だったとわかった。
この山の下りのエライことエライこと! 下りても下りても、道が続いている。
朝はそんなに上ったおぼえはないのに、すごい。この道を登ってきて息もきらしてなかった、あのかっこいいお兄さんとビーグルは、本当にすごいぞ!

 延々と続く「下り」に、足の関節が悲鳴をあげるので、何度も立ち止まる。
頭上では山桜が散りはじめていて、ハラハラと落花の舞いが美しい。
山道に花びらの絨毯を敷いたようだ。「いいなぁ」、と遠い目をしていると、
ズベベベーー。・・・滑った。

「遠く」より、足もとを見て歩きましょう。

 鳥もたくさんいるようで、様々な鳴き声がする。
「この山にいる鳥の絵」を描いた看板があったので、声がするたびにそのたくさんの鳥の絵を思い出しながら、「あなたはだあれ〜?」「なんて鳥〜?」などと言ってみたが、これはバカな質問だった。
 鳥に名前をつけたのも、「トリ」と呼んでいるのも人間じゃないか。トリが自分で「私はホオジロよー」とか「私はアオバトなの」なんて言うわけがない。
・・・一人ブツブツ言いながらひたすら下る。

遍路の寄る「家」

 おなかがすいてきた。
どこかで、(岡田のおかあさんが持たせて下さった)おにぎりを食べようと思い思い、村落に下りたところで、一軒の家の窓が開いて、「お茶飲んでいきなさーい」と、その家のおかあさんが声をかけて下さった。
「うれしー!」とばかりに早速(あつかましく、とも言う?)、玄関口へ。
 すると、分厚い座布団とあったかいお茶に続いて、なんと「昼食」がでてきた。
おかあさんが自ら打ったという、文字通りの「手打ちうどん(どんぶり1杯)」、赤飯、「のりの佃煮(これも手作り)」。どれも、ムチャクチャおいしかった。
 おなか一杯の昼食をごちそうになったあと、今日泊まる宿の相談をしたら、お父さんも出てきて下さって、近くの宿の電話番号などいろいろ調べて下さる。
「うちに泊まってもらってもいい」とのご厚意を、「もう少し先に進みたいので」と丁寧にご辞退した。

 このご夫婦は、昔から、こうやって遍路をお接待されているそうで、今までお世話になったお遍路さんたちが、笑顔でアルバムにおさまっていた。
おとうさんは満州からの引き上げで、とても苦労されたという。
「貧乏なのに、お遍路さんの接待ばっかりして、近所の人にあきれられてるんだけど、自分たちも苦労したから、何かしてあげたくて」と、おかあさん。
お2人とも、やさしくてあったかくて、ホントに良いご夫婦だった。
 長い時間お話をしたが、もう行かなくちゃいけない。
他のお遍路さんたちと同じように、私もしっかりカメラにおさまって、ヤクルトを5本もいただいて出発した。
 安藤さんのおとうさんおかあさん、ありがとうごちそうさまでした。 

 途中の道でまた、おじいちゃんに「ミカン」を4個もいただいた。
「うれしーい、でも重ーい、でもうれしー」、とやかましく歩く。

お気楽モード

お気楽モードに入ってゴキゲン

 第67番札所「大興寺」に着いた時には、午後3時半になっていた。
案の定、後から出発し、別ルートを歩いたはずの愛ちゃんが、先に着いていた。
別格の寺への道がわからず、かなり迷ったものの、無事到着してお詣りした後は、お寺の前から車に拾われて、「またワープしてきた」んだそうだ。
 お詣りのあと、安藤さんに教えていただいた「かんぽの宿」に電話を入れてみたが、今日は土曜日なのでもういっぱい。困った。
これ以上先の宿というと、あと7キロは歩かなきゃならない。
 迷ったあげく、「今日はここまで」にして、この寺のすぐそばにある「民宿おおひら」に愛ちゃんと同宿することにした。
(今日は〔も?〕、ラクさせてもらいまーす)
 すっかりお気楽モードに入っちゃった愛ちゃんと私は、大興寺さんで、そのまま暗くなるまでおしゃべりしたのだった。

 「民宿岡田」という、「歩き遍路」御用達宿が20キロ足らずの手前にあるせいか、今日泊めていただく宿には、歩きの遍路が少なそうだ。
土曜日だというのに、私たちの他には、年配のご夫婦(車遍路さん)が2組だけで、とても静かだった。
 愛ちゃんとかわりばんこにお風呂に入って、お互いの部屋で、ゆっくり荷をとく。一度、彼女の部屋を訪ねたら、タオルや洗濯物がぶら下がってるわ、部屋いっぱいに荷物が広がってるわ、で、「歩き遍路」はみな同じなんだな、とおかしかった。

 ボリュームたっぷりの夕食をいただきながら、「今日ラクした分、明日はがんばらなきゃイカンかなぁ」と思っていると、愛ちゃんが言ってくれた。
「のんびり行きましょうよ」
 ・・・いい言葉だなぁ。

 夜半を過ぎたころから、しとしとと、すがりつくような雨が降りはじめた。

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