掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
【2日目】(通算44日目) 4月16日(金)[ 晴れ ]

 ゆうべは結局8時過ぎに寝た。何度も目が覚めたわりには、よく眠れた。

 隣りの姉妹は、午前4時くらいには出発したようだった。(早い!)
だから朝食は一人きり。しっかり食べた。宿の奥さんは、やはりとってもやさしくて、これから行く道も、とっても丁寧に教えて下さった。
 気持ちよく出発。

「松」に呼ばれて

 でも、いくら歩いても、「お寺が見えたら曲がるんですよ」と教えられた「目印のお寺」が見つからない。途方にくれていると、前方に大きな松が見えた。
「お寺か?」と思って駆け寄ってみたが、そこはお寺ではなく、ただ「大松」が祀ってあるだけだった。でも、その松のあまりのりっぱさに、「呼ばれたなぁ、この松に」の気分(私は、人間以外にもよくいろんなものに呼ばれる)。
「目印の寺」じゃないが、もうガマンできず、ここを曲がってしまった、ら、ちゃんとあっていた。しばらくして人に訊くと、「そのまままっすぐ行けばいい、あってるよ」だって。かえって近道していたようだから、フシギだ。
(この能力、いつも発揮できるといいのにね)

 三角寺登り口の公園でトイレを借りて、今回初の山登り突入! 
最初はすっげー(言葉も乱暴になるくらい)、大変だった。
急坂が続いて、「ああ、こんな苦しみがこのまま続いたら、もう耐えられないかも」と思いかけた時、急に緩やかな車道に出て、アッという間に、第65番札所「三角寺」に着いてしまった。ナンジャラホイ。
 6時50分に宿を出て、8時45分には、最初の目的地に着いてしまったのだから、「拍子抜け」って感じ。

まじめな荷物

 65番三角寺は、境内に大きな桜の木が何本もあって、なかなか趣のあるお寺だった。まだ「花」も残っていて、ハラハラと、落花が美しい。
お詣りを済ませ、トイレの前で休んでいた若い女の子遍路さんに声をかけてみた。
「お一人ですか?」「はい」。(「19才」なんだそうだ)
 年々、若い一人歩き遍路が増えている。今年は一段と多いようだ。
彼女は徳島からで、通し打ち。つまりここまで一気にまわってきたのだ。
数十日間の健闘が、かわいい顔を黒光りさせていた。

 歩き遍路の年齢層が下がってきているので、「年齢の近い同行者」にもよく会うらしく、しばらく一緒に歩いたという、おもしろい男の子の話をしてくれた。
大学生のその彼は、とにかく「荷物の多い子」で、「遍路」=「野宿」と考えていたらしく、アウトドアグッズをさまざま装備していたらしい。着替えや洗面具の他に、味噌1キロ、お米は白米と玄米、水筒(なぜか3つも!)、テントにスコップにバケツまで持ち歩いていたという。「こんなの持って歩けないから」と、他の遍路さんとも言いきかせて、家へ送り返させたが、それでもすごい重さだったらしい。
 申し訳ないが、涙が出るほど笑い転げてしまった。
「でも、真面目で素直で、とってもいい子なんですよー」と彼女もおなかをかかえてる。そうでしょうそうでしょう。真面目で素直だから、一生懸命考えて荷物もいろいろ揃えたし、人の言うことも聞いて「送り返し」もしたんでしょう。
「いい子」だから、いろんな人にアドバイスもしてもらえたんでしょう。
 私もその男の子に、一目、会いたかったなぁ。

「野宿」回避

 ひとしきり楽しい話に花がさいて(ナント1時間以上もおしゃべりしてた)、いよいよお別れという時、「これから野宿をするかも」という彼女に、今回の為に新しく買っておいたサバイバルシート(銀シート)をあげた。
寝袋も持ってない様子だし、夜はまだまだ冷える。シートがあれば少しはマシだ。
「でも、気をつけてね」と、先輩遍路は思うのだった。
(私もいつしか「先輩遍路」なんて偉そうなこと思うようになってたのね)
 しかし、これで今回私は「野宿」が出来ないことになった。
(だって、シート無しでは不安だもの) 
 ラッキーだったりして! ははは。

 彼女は「奥の院」まわり(さすが元気だ)。
私は、少しでもラクなコースを行く。(軟弱ですいません)

 で、65番から一気に下って、「最短距離」をとったハズなのに・・・。
・・・やっぱり間違えた。長い方の道を行った上に、変な所に出てしまった。
なんでこうなるんだろう(とほほ)。

「方向オンチは病気で、遺伝で、一生直らない」と聞いたことがあるけど、きっとホントだと思う。うちの母親は、私に輪をかけて「オンチ」だもん。
 小さい頃、母に連れられて、よく叔母の家に行ったが、いつも家から2時間以上かかっていた。遠いんだとばかり思っていたが、大人になって、自分でも電車に乗れるようになってみると、当時私たちが住んでいた「大阪市内」の家から、豊中市の叔母の家まで、1時間もあれば行けることが判明。
母は、幼い私を連れて、1時間近くも「梅田(大阪の中心地)」で迷っていたのだ。それも、毎回毎回・・・。あきもせず・・・。
 道を間違えるのは、やっぱり「遺伝」なのだ!(開き直るしかない)

 やっと現れた「人」に、訊き倒して、ようやく国道192号線に出た。
が、もう足がムチャクチャ痛い。

トイレの持ち主

 足の痛みにガマンできず、次の目的地「常福寺」のすぐ手前で、成瀧不動明王のお堂(畳敷きのきれいなお堂だった)を見つけ、入らせていただいた。
靴を脱いでひと息。ローソクと線香をあげて、般若心経をあげる。
 ここで、おととい買っておいたローソンのパンと、きのうじーちゃまにいただいたハッサク(さっきの女の子遍路さんと半分こした)で、昼食にした。

 さて、少し生き返ったので出発しよう、と思ったところへ、突然、せっぱつまった顔をしたおじさんが現れた。
お堂に顔をのぞかせ、まっすぐ、私の目を見ておっしゃる。
「トイレ貸してくれへんか!」
一瞬見つめ合う2人。
「・・・私も、通りすがりの者なんですけど・・・」
やっと声を出した時には、おじさんはもうトイレの扉を閉めていた。
・・・なーんだ、ちゃんと「場所」知ってんじゃないか。
(同じ扉が3つ並んでるのに、ちゃんと「大」の便器のある所に入ったのだ。
あとの2つは「小の便器だけ」、と「物置」なのだ)
 声をかけられた手前、黙って行ってしまうのも悪いと思い、しばらく待ってみたが、おじさんナカナカ出てこられない。「おなか痛いのかなぁ」、と心配になる。でも、ジッとしてるのも手持ちぶさたなので、靴を履きはじめた、ら、おじさん元気に出てらした。さっきとはうって変わった爽やかな顔で、
「ありがとう!」と言って去って行かれた。
「いいえどういたしまして」とも言えず、靴の紐を握ったまま、おじさんの車を見送る。私のトイレじゃないのになぁ、私も使わせてもらったのになぁ、私は、誰にお礼を言えばいいんだろう・・・。
 どーにも所在ない、という気持ちで、おじさんの分も「不動明王」さまにお礼を言っておいた。
「おじさんと2人分、ありがとうございました」

椿堂の悩み

 常福寺「椿堂」に到着。
小さいお寺だが、とても感じのいい別格番外霊場、第14番札所。
落ちていたお地蔵さんの前掛けを拾って境内に入る。
 お詣りを終えて納経に行くと、ご住職が話しかけてこられた。
先に行った「プロ遍路姉妹」のこと、私の素性(?)や、「一人歩き遍路」のことなど、いろいろお話して、ここでもかなり「油」を売ってしまった。
若くて人なつこい、いい感じのご住職だ。そこで、
「あとから、若い女性歩き遍路が一人でここへやって来ると思うんですが、今日泊まる所が決まってないというので、ここ(常福寺)なら泊めてもらえるかも、と言ってしまいました。相談に乗ってあげて下さい」と言ってみた。
(以前、帰りのフェリーで会った尼僧さんから、「常福寺さんなら、頼めば泊めて下さるかもよ」と聞いていたのだ)
 住職は、「え、この時間に泊まるところ決めてないって? のんびりした子やなぁ。以前は泊まりもやってたけど、今は・・・うーん」と考え込みながらも、「なんとかしてあげよう」というお顔。
ご自分でも「歩き遍路」をされたことがあるそうで、「歩き」の辛さや楽しさ、お接待の有り難さを、身をもって知っておられる、なんだかとても親近感のわく、頼れる兄貴という感じなのだ。
 この方にお願いしておけば、きっと大丈夫だろう。

 2人で話し込んでる時、中年くらいの男性の歩き遍路が2人、お寺の前の道に現れた。「話し相手が増えた」と思って、住職と見ていると、2人は、そのままお寺を素通りして、行ってしまった・・・。
 番外霊場の場合、遍路道から遠く離れているお寺だと、確かに寄りづらいのはわかる。でも、ここは道からそれほどはずれてはいないし、何より、目の前まで来てるのに、なんで行っちゃうの? 寂しいなぁ。
 住職が、「88の札所以外は、寺だと思ってない人が多い」と嘆いておられた。
なんだか気の毒になって、「ここのこと、あちこちで宣伝しておきます」と、つまんないなぐさめ方をしてしまった。とにかく、
〈「別格番外霊場第14番札所、常福寺『椿堂』」は、いい! ぜひ、お立ち寄りください!〉 (宣伝効果、ありそう?)
 納経代、ジュース、モナカまで「お接待」していただき、
「あと2時間くらいで(貴女の泊まる)宿だから」と、送り出された。

「腹ヘリ遍路」と「次期僧侶」

 しばらく行くと、さっき「常福寺」をブッチして(とばして)いった、2人の男性遍路に追いついた。
「私は足が遅いので」と言ったのに、「いいからいいから、旅は道連れ」と、3人で歩くことに・・・。

 1人は名古屋からの、とっても体格のいい、よくしゃべる、そしてよく食べるらしい(ご自分でおっしゃったのだ)68才のおじさん。この人、ひたすら「しゃべる」。とにかく「しゃべる」。大きな身体を揺らしながら、「自分」のこと、これまでの「遍路」のことを延々語られる。
最後には、ご自身の「郵便貯金通帳」まで見せて下さった。
「納経」以外に、「本当に四国を一周した証拠」として、土地土地の郵便局で、1000円ずつ「預金」をして、印を押してもらっているのだそうだ。
(なるほど、そんなやり方もおもしろいなぁ) 
 ところがこのおじさん、一緒に歩いたのは、その後数分間だけで、突然、「どうしてもおなかがすいた」とおっしゃって、食堂の前で立ち止まってしまわれた。
そして、「よかったらお接待しますよ」と私たちを誘って下さるのだが、もう宿はすぐそこ、じきに夕食の時間なのだ。当然、ご辞退した。
(おじさんも、私と同じ宿に泊まるはずなのに・・・)
「今ごはん食べちゃって、夕食、入りますか?」なんて、こっちが心配してしまう。でもおじさん、「入る、入る!」とうれしそうに食堂の中に消えていかれた。(豪快な彼を、「腹ヘリ遍路」と銘々した)

 そこからはもう1人の、物静かな40才過ぎくらいの人と歩くことになった。
この若い方の人は、今度「得度(出家)」するということで、今回はもっぱら「野宿」されるのだそうだ。そんな人がなんで「別格札所」に寄らないんだろう? 
疑問がわいたが、まずは彼の話を聞くことにした。
 前には「キリスト教」もやってらしたという。でも、高野山のお坊さまに、「猿田彦の神がついている」といわれ、その気になられたのだとか。(どんな気?)
よくわからない。わからないが、今日も「野宿」だとおっしゃるので、持ってた食べ物をさしあげた。

 私の今日の宿に着いたので、彼のために「新聞紙」をもらっていると、「プロ遍路姉妹」も出てきて(今日も同じ宿)、お接待にいただいたという「切り干しダイコン」を渡しておられた。
 これで今日彼は「布団(新聞紙)」と「晩ごはん」を確保。
こうやって、「遍路」は生きていけるのね。がんばってくださいねー。
でも、「別格」にはお詣りしないし、途中の「お地蔵さん」にも手を合わせない、というちょっと変わった「次期僧侶」さんだった。

岡田のおかあさん

 今日の宿は、プロ遍路姉妹に教えていただいた「民宿岡田」。
「腹へり遍路」のおじさんもじきに到着して、夕食時には「歩き遍路」が勢揃いした。姉妹遍路、腹へり遍路さん、秋田からの67才男性、その人にくっついて歩いてるとおっしゃる72才男性。
 私以外の5人は、みな40日以上かけて88カ所を一気に歩く「通し歩き遍路」だし、姉妹の「かっとびぶり」(むちゃくちゃ早く歩く)は有名らしく、食事中はもっぱらその話だった。おまけに姉妹は、この宿の「常連さん」(毎年ここに泊まってるんだそうだ)で、宿のおかあさんも、2人を大絶賛。
 何だか私一人、「区切り打ち遍路」で、肩身が狭かった。

 夕食のあいだ中、宿のおかあさんは私たちにつきっきりで、しゃべりっぱなし。昔の遍路の話、最近の「歩き遍路」の話、(NHKの遍路番組で)ショーケン(萩原健一)がここに泊まった話、NHKに出演した話・・・。
おかあさんの話はつきない。他のおじさんたちも、負けじと口をはさむ。
私はというと、「今までの人生で、こんなに無言だったことあるかしら」と思うくらい、ひたすら、「聞き役」に徹していた。
 黙々とゴハンを食べながらも、一応相づちは打たねばならない。
とうとうまた「1日何キロ歩く」とか「たくさん歩くのはエライ」という話になる。耳が痛い。
「いーじゃないか、お寺でゆっくりお坊さんや他の人と話したり、立ち止まって近所のおばさんの話聞いたってサ。足が痛いの。早く次へ行く必要なんか、私にはないの。自分と話したり、自然と話したり、人と交流したいのよ。道ばたの花や犬と話したいの!」
ご飯を口に突っ込みながら、心の中で、懸命の抵抗を試みていたが、とうとう最後まで、私に関心を向ける人はいなかった。
 夕食が終わっても誰も席を立たず、話も終わらない。自分がそこにいないも同然の気持ちで、ジッとしているのは、なかなかの「忍耐」がいる。
普段から無口であまり発言しない人って、いつもこんな気持ちなのかしらん。
(早く部屋に帰って、洗濯干したいなぁ)

ありがと、母

 でもこの時、自分が以前よりずっと「自然体」でいることに気がついた。
ホメられても以前ほど舞い上がらないかわりに、自分が「無視」されていても、それほど心騒がない。これでいい。いつも「私が、私が」と前に出ていくのも、一種の「無理してる」状態なのかもしれない。
ここで「中心人物」にならなくても、あせらなくていい。私は私で、ここに「存在」していればいい、そう思えるようになっている気がした。
 何より、黙って「客観的」にまわりを見ていると、それぞれの「人間性」がよくわかる。持ち上げられても決して奢らず、慎ましく礼儀正しい「姉妹遍路」。
秋田弁がやさしい67才さん。ただひたすら誰かについて行く「他力本願タイプ」に見えちゃう、72才さん。誰も聞いていなくても、ただひたすら自分の話をしている、名古屋の腹へり遍路さん。 
 でも、誰も「おかあさん」には勝てない。どんな話をしていても、主導権はおかあさん。必ずおかあさんが、話題をさらっていくのだ。
 絶対君主のもと、食後のミーティングは、いつまでも続くように思えた。が、そこは「歩き遍路の泊まる宿」。早寝早起きの遍路たちのために、その後まもなく「解散」となり、私もようやく無罪放免。自室に帰ることを許された。

 明日も、誰よりも遅く出て、誰よりも歩く距離が短いけれど、ゆっくり、できるだけ楽しんで歩きたい。母に電話をしたら、
「マイペースでね」と言ってくれた。
この言葉に、おもいっきり救われた気がした。
 人に合わせる必要なんかないし、ほめられなくてもいい。「私の旅」なんだ。
自分のペースでがんばる。

 ありがと、母。

次へ
[遍路きらきらひとり旅] 目次に戻るCopyright (C)2000 永井 典子