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掬水へんろ館

平成11年『自分探しの旅』
【1日目】(通算43日目) 4月15日(木)[ 晴れ ]

 朝、目覚ましより早く起きた。
例年、歩き出しから何日も眠れないのに、ゆうべはけっこう眠れたようで、やはり、1年間の「主婦生活」は、心身を強く(ずぶとく?)したようだ。

 おととしと同じ感じの「朝食」をいただいた(何となく家庭的なメニューなのだ)。あの時の奥さんがおられ、「去年おいでると思ってたのに、おいでんやったから、心配してましたんよ」と、ちゃーんと覚えてて下さった。感激! 
フロントのおじさんも、朝食の準備を手伝っておられる。
(やっぱり2人だけでやっておられるのか?)

 7時に朝食をとって、7時半には出発。上出来だ。
フロントでおじさんにお礼を言って出てきたら、しばらくして、奥さんがあわてて追いかけて来られた。何事だろうと思ったら、「何にもないけど」と言いながら、私の大好きな「黒アメ」を、手に握らせて下さった。
今回初めての「お接待」、うれしかった。
 でも、何だか久々のせいか、どうも恥ずかしい。

うじうじ

 白い装束や、歩いている自分が、妙に「浮いている」ようで、しばしうつむいたまま進む。それに、快晴ぽかぽか、サイコーの遍路日和なのに、なぜか気持ちが盛り上がらない。少し歩いただけで、もう足が痛くて疲れてきた。 
 こんなんで、この先やっていけるのだろうか・・・不安だ。

 うじうじ歩いてると、右手に大きな観音さまが出現した。これ幸いと、荷を下ろし、お詣りをする。ローソクと線香を立てて、般若心経を唱えると、少し気持ちが落ち着いた。(遍路にはお詣りが一番ということなのね)
 国道を離れ、「遍路道」に入る。レンゲ畑が見えて、ようやく楽しくなってきた。今回はじめての「犬」にも遭遇したが、おとなしい子で、私を見ても「フン!」という感じなので、何だかおかしくなってしまう。

「こたないか」、スポーツカー

 また国道に出たところで、おもしろい道路標識を見つけた。
「酒の事故、こたないかでは すまんぞな」だって。
「こたないか」ってなにー? なんてことないか、悪いってこたないか、ってこと? どーゆー意味なんだろう。
(あとで、「たいしたことない」という意味だと知った)
 おもしろい「看板」もあった。どこかの不動産屋の宣伝らしいのだが、
「土地と息子は、遊ばせておいてはいけません」とあって、スポーツカーにかわいいお姉ちゃんを乗せてぶっとばしてる、サングラスにリーゼントの息子の絵が描いてあった。(今時こんな息子いないだろーけど) 
 広告主の遊び心が見えておもしろかった。

トホホ

 静かな道をキゲン良く歩いていると、今度は孫を連れたおばあちゃんがやってきた。挨拶すると、ばーちゃんは笑顔でこたえ、孫に「おばちゃん」と教えている。孫は言われたとおり、私を見て「おばちゃん」と言う。
 なーんか、おもしろくないなー。そりゃ、同世代の友人の子どもよりちっちゃいくらいだから、この子に「おばちゃん」と呼ばれても仕方ないけどさー、まだ私、「娘遍路」のつもりで歩いてんのよねー。
ばーちゃんもさぁ、「おねーちゃん」って教えてくれりゃいいのに・・・。
(え? あつかましい? ・・・でも、年々、「おばちゃん」を受け入れていく自分も、確かにいるので、許してください)

 しばらく行くと幼稚園があって、道路に面した金網のそばで、3人の園児が遊んでいた。この子たちはもう、人に教えられなくても、自分で判断してしゃべれるようだ。「こんにちわー」と声をかけると、私を見て、
「あ、お遍路のおじさんやー」。
「・・・・・・」。
(それなら、まださっきの「おばちゃん」の方がましだった)

 トホホの思いで先へ進む。

ウワサの2人遍路

 ようやく、今日の最初の目的地、別格第12番札所「延命寺」に到着。
とたんに、おじさんに話しかけられた。
 この寺の「いざりの松」と、「千枚通し」という護符が、とても有名なのだ、という話。それに、今しがた、若い2人連れの女性遍路が、すごいスピードで歩いていたけど、見たか? すごかったぞすごかったぞ、という話を、延々と聞かされた。私の「ひとり歩き」もほめて下さったが、おじさんはどうもその「2人の女性遍路」が気になって仕方ないようだ。と、そこへ、ウワサの2人が登場! 
 おじさんは、もう彼女たちに話かけていた。
(やれやれ、やっとお詣りができる)

 ご本尊、大師堂とお詣りして、さんざ聞かされた「千枚通し」とやらも買ってみた。足の悪い人に、とにかく効くと、有名らしい。購入の最中にも、全国から問い合わせ、購入申し込みの電話が、ひっきりなしなのだ。
 そこへさっきの2人の女性遍路がやってきた。
すぐそばでお経をあげはじめる(ここは、ご本尊と納経所が同居しているのだ)。横で2人のお経を聞いて驚いた。ただものじゃない! 
素人とはまったく異なる、その声、そのリズム、そのお経のあげ方! 
(きゃー、「尼さん」なのかー、この2人?)
 菅傘も、私たち一般遍路のと違って、丈夫そうで、上等そうで、すっぽり顔がかくれる編み笠タイプなのだ。
「へー、尼さんの二人遍路なんてカッコイイ!」とおもわず見とれてしまった。

 2人はその後、いざりの松のある休憩所で、私に声をかけてこられ、
「今日と明日の宿は、早めにとったほうがいい」と教えて下さった。
「いらないものは、即、郵便局から送り返しちゃうので荷物が小さいの」と言って、軽軽(かるかる)スカスカぺったんこのリュックを背中に張り付けて、颯爽と去って行かれた。かっちょいーい! 
それに比べて・・・。ぱんぱんに膨らんだデカイ荷物を横にころがしたまま、一人ボーゼンと座ってる私の姿。(差ぁついてるなぁ)
「でも相手はプロだもん、しゃーないや」(この時はそう信じていた)。

キリスト郵便局員

 私もトイレを済ませ、ボロボロになった一般遍路菅笠をかぶって、
「さぁ出発!」と立ち上がった、ところへ、今度は若いお兄ちゃんが、ニコニコしながら近寄ってきた。
「なに? なんかセールスマンみたいなお兄ちゃんだけど、郵便局の赤い車から降りてきたよー。私に何か売りたいの? 
ハガキくらいだったら買ってもいいけどねー」、と思って身構えていると、
「何を思って、歩き遍路やってるんですか?」ときたもんだ。
久しぶりだなぁ、このぶしつけな質問。 
「えーっと、なんとなく四国参りに来てしまって、歩きはじめたら皆さんが誉めて下さるんで・・・」と、一生懸命、「本当のこと」を答えてみるのだが、それは、彼の求める「答え」ではなかったようで、家族はどーした、子どもはいるのか、ダンナはなぜ置いてきたのか、何か理由があるのか、と、かなりしつこい。
郵便局員だというが、何を意図して質問しているのかさっぱりわからん。
 変わってるなぁ、若いのに、と思っていたら、「ボク、クリスチャンなんです」とのたまった。納得。以前つかまって大変だった宗派の人ではなく、「ボクはプロテスタントです!」とおっしゃるが、なんだかよくわからない。
ただ、「遍路に出なきゃならないほど辛く苦しいことがあるなら、ボクの力で救ってあげようじゃないか」、という意気込みだけはゴンゴン伝わってきた。
(でもね、私は今なーんにも悩みはないんです。新婚のダンナと母親を家に置いて、一人お気楽に「遍路旅」を楽しんでいるんです。「遍路」=「不幸を背負ってる」というイメージは、今あんまり当てはまらないんですよ。もちろん今でも、辛い思いを胸に、心の平安を求めて歩いておられる方もたくさんいらっしゃいます。でもね、相手を選んでね。私、そんなに「苦労人タイプ」に見える?)
 
 何を訊いても、私がニコニコ答えるのを見て、とうとう彼も、方向転換を計った。今度は「宗教観」の質問で迫ってきたのだ。これはダメだ! 
時間がかかりすぎるし、私は仏教の専門家ではない。
それに、私の都合もおかまいなしに、あんまり長時間「拘束」しようとするので、うんざりしてきた。リュックも背負ったままだし、もうカンニンして下さい状態。そこで、「さっき行かれた2人の女性なら、尼僧の方たち(まだそう信じていた)だと思うので、貴方の聞きたいことに的確に答えて下さると思いますよ」と、逃げをうった。彼も、「あ、車で追いかけたら間に合うかもしれませんね」と興味を持った様子。成功だ!
 最後に、「この近くにボクの行ってる教会があるので、ぜひ一度来てください」と教会のパンフレットを下さったので、私も、「貴方もぜひ一度、歩き遍路をやってみてください。とってもいいですよ!」と勧めたら、苦笑いをしていた。

 やっと歩き出せたが、なんだかとても足が痛い。太ももの付けねがグキグキしてる感じ。肩も痛い。初日から、もう足をひきずりはじめちゃってる。ヤバイ。
「休憩したいー、おなかすいたー、足いたいー」、を心の中で連発。
(結婚しても、「軟弱体質」はちっともかわっていないようで・・お恥ずかしい)
 とうとう小さな公園で、おにぎりを1個食べた。

不思議な町

 寒川郵便局を過ぎたあたりで、変わった光景を目にした。
前から来る人来る人が、みーんな「犬」を連れているのだ。
一人残らず、全員が「犬」を連れてるんだよ!
(この辺りでは、昼の1時過ぎが、犬の散歩時間なの?)

 様々な種類の様々な大きさの犬を連れて、町内のおじさんおばさんじいちゃんばあちゃんが現れる。道の途中で「プリプリッ」なんてフンする犬もいた。
その犬に引っぱられながら、
「フンしとるけん、フンだらいかんよー」とおじさんが私に叫ぶ。
 不思議な町だなぁ、けどおもしろいなぁ、とクスクス笑いながら歩いていくと、角を曲がった所で、突然ナゾが解けた。
公民館(?)の前で、「犬の予防注射の申し込み」みたいなことやっていたのだ。そういうことだったのか。でも、ナゾのままの方が、よかったなぁ。
「昼の1時に住民全員が一斉に犬を散歩させる町」なんて、おもしろいじゃないか。
 それにしても、ここの人たちは、ほとんど全員、お遍路に挨拶して下さった。
じーちゃまに「ハッサク」もいただいた。私もいつのまにか、いつもの「愛想のいいお遍路」に戻っている。笑顔と笑顔がいったりきたり。いい感じ。

 バイクに乗ってすれ違ったおじさんが、「お接待」にと、わざわざ栄養ドリンクを買って引き返してきて下さった。それだけじゃない、このおじさんは指で印を結んで、私の顔の前でぐるぐる回しながら、真言を唱えはじめた。
(なんだなんだ、なんの「まじない」なのー?) 
ちょっと恐かったけど、「これで大丈夫!」とか言って、ご本人は納得しているようなので、とりあえずお礼を言っておいた。よくわからないけど、「無事を祈って」下さったんだと思うと、やっぱり有り難い。

青空の下で、石になる

 さて、このまま行くと宿に早く着きすぎるので、高野山一等格院「持福寺」という、小さなお寺に、お詣りさせていただく。
本来、遍路の立ち寄る寺ではないので、だーれもいないし、だーれも来ない。
お寺の人の住居らしき家からも、誰も出ていらっしゃらない。

 壁に囲まれた静かな空間。前に白い小石が敷きつめられた、小さな古いお堂の軒下で、しばらく膝をかかえていた。

 青い空に、ホウキで掃いたような雲が、ゆっくりゆっくり流れていく。
なぜか、時間が止まっているような気がした。
(私も、足もとの小石の1つになっていたのかもしれない・・・)

 青空の奥に意識をやりながら、天に、地球に、大師に、すべての方々に感謝していた。

プロ遍路

 午後3時前、今日の宿「大成荘」に到着。
かなり古い建物だが、宿の奥さんはとてもやさしそうな人だった。
この宿を教えて下さった「プロ遍路」の2人(尼僧さんだと思ってた2人連れの女性)も、とっくに着いておられた。
 夕食の時、話を聞いて、「尼」ではないが、「遍路5回目」のほとんど「プロ遍路」(遍路のプロという意味。私が勝手に銘々した)だとわかった。
 2人は姉妹で、これまでは毎年お母さまと3人で歩いておられたそうだが、今年は2人だけだから、「ちょっとがんばって、別格番外霊場20ヵ寺も全部踏破する」のだとおっしゃる。(すごい!) 
千葉から、毎年やってきて、40日ほどの日数で88カ所全部まわって帰られるのだそうだ。(すごすぎる!)
 明日も宿は同じ所に泊まる予定だが、私とは、出発時間も歩く距離もぜんぜん違う。「奥の院」の方もまわるらしい。
(お姉さんの方は私と同じくらいの年齢だと思うんだけどなぁ。エライなぁ)
 気になっていた「郵便局プロテスタント兄ちゃん」には会わなかったそうで、ホッとした。
(自分が逃れたいばっかりに、何も知らない彼女たちに押しつける形になったこと、反省していたのだ)

 この姉妹、とても礼儀正しく静か。だからよけい「尼僧さん?」と思ったのかもしれない。
お姉さんの方は、最初は、(私と同じで)普段は歩くのが大嫌いだったらしい(私は今もキライ)。それに、いろいろ「物」もたくさん持ってなきゃイヤ、というタイプだったのが、遍路をするうち、リュックの中身もほんの少し、家でも「なーんにも置かない生活」になったのだそうだ。
(私も「贅肉を取った生活」、したいハズなんだけどなぁ)
「重すぎるリュック、なんとかしないと明日辛いし、帰ってからの生活も、もっとムダを省かなきゃ」、と彼女たちと話をしていて真剣に思った。
「愛」さえあれば、それでいい! (ほんまかいな)

 食後、家に電話を入れた。あちらの2人暮らしも、なんとか順調のようだ。

 午後8時、寝るには早すぎるが、今日、宿の客は、私たち3人だけのようで、宿じゅうがシーンとしている。隣りの「プロ遍路姉妹」の部屋も、もう静まりかえっていた。でも、さっき筋肉痛の薬を塗ったばかりで、身体がカッカカッカしている私は、簡単には眠れない。

 やがて、ファンヒーターが勝手に切れた。どんどん寒くなる。
・・・寝るしかないのね。

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