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掬水へんろ館

平成9年『出会いの日々』
【7日目】(通算41日目) 5月18日(日)[ 晴れ ]

 ゆうべ宿の若奥さんが、「皆さんだいたい6時ごろ出発されます」とおっしゃったので、私も今日こそ早めに出ねばと思い、5時に起きた。
 がんばらなくちゃ。

 朝食はヴィダーインゼリー、まあまあいける。案外満腹感もあったので、これだけでOKだ。ミカンは、ヨコじいに教えてもらったように、皮をむいて中身だけを袋に入れてもっていくことにした。(文句言ったりしたけど、いいこと教えてくれて、ありがとうね、ヨコじい)
 準備万端、家の人を起こさないように静かに出ていく。(そういう約束だった)

なぜか、「昴」

 山を目指して歩きはじめる。町中だけど、朝はシーンとして静かだ。おまけに今日は日曜日なので、ほとんど人も通らない。

 せっせせっせと歩いて(朝はほんとに調子がいい)、石鎚橋を渡る。もすこし歩いて、やっと「妙雲寺」に着いた。あとは山を登りきって「横峰山」に着くまでお寺はない。ここでしっかりお詣りしておきたい。
 お寺に入ると、ご住職と奥さま(?)が、お供えの花などの支度をしておられた。ご挨拶しただけで、早めに出発。ここから延々車道を歩いたが、車はほとんど通らなかった。かなりの田舎道で、トラック1台、軽トラ2台、乗用車1台が通っただけだった。(数えるかなぁ)
お陰で車におびえることもなく、好きなように歩ける。これから「山越え」するんだから、最初のうちは体力温存せねばならない。
 それにしても、今日はやけに「昴」を歌っちゃう。

♪わーれーはゆくー、心の命じるまーまーにー、わーれーは ゆくー、さらばーー、すばるよー♪ 

なんで「さらば」なんだろ、とか独り言言いながら、けっこうゴキゲンだ。

 そろそろ山に入っていくのか? と思ったところに、ライオン2匹(オスとメスの)の写真を貼った看板が。ギョッ! この山には「ライオン」が出るのか!
・・・んなわけないじゃん。
でもさぁ、前から言ってるみたいに、山の登り口に「猛獣系」の絵や写真は、やめてくんない? いるわけないってわかってても、一応ギョッとするのよね。(私だけ?) 一人で歩いてるとけっこう怖いんだから、気をつけてよね。
 「ライオン」は、もちろん何かの広告に一役かってるだけだろうが、悔しいので、何の広告なのか、見てあげなかった。

おなごの足

 この辺りはまだ民家がチラホラある。畑で作業してるオジサンに、「おはよーございます」と挨拶したら、「どこのどなたさんか知らんけど(そりゃそーでしょ)、とにかく右へ右へ行きなさい。一人で歩きよるか、おなごの足でエライのう」と言われた。
 「おなごの足」「おなごの足」、自分で何度も繰り返してしまう。妙にうれしい。「おなご」なんて、もうほとんどの人、言わないよなぁ。時代劇でしか聞いたことないもんねぇ。私も「おなご」なのよねぇ。
「いなご」とか「あなご」じゃなくてよかった。(何を言っとるんじゃ、私は)

 八幡神社のちょっと手前まで上がった時、水が激しくこぼれ落ちる音がした。「水道の栓とめるの忘れてるのかなぁ、もったいない」と思ってかけよると、湧き水からホースで引っぱってきたらしい「水飲み場」があって、そのホースからすごい勢いで、水がほとばしり落ちているのだった。
「幸福の水 御自由に」と書かれていたので、エンリョなく、少し飲ませていただく。この辺の人は毎日おいしい水をただで飲めて羨ましい。(ごちそうさまでした)
 八幡神社で少し休憩。はじめて「エネルゲン」なるものを飲んでみた。おいしいものじゃないが、なんとなく力がつくような気がするから「コマーシャル」の力はすごい(どこかのJリーグの選手が飲んでるとCMしてた)。

犬のご飯、横取り?

 しばらく行った山の登り口に、「四国のみち休憩所」を見つけて、トイレに入る。ここにまた、犬。茶色の雑種、中型犬。首輪をしてないので一瞬ドキッとしたが、気の弱そうな、やさしそうな顔をしていたので、安心。
 誰も乗っていない車が1台止まっていて、休憩所のベンチのそばに、ビニール袋に入った残飯が置いてあった。誰か、この子に持ってきてあげたようだ。工事の人だろうか。私も、お菓子やパンをちぎってやってみたが、食べてはくれず、プイッと行ってしまった。(フラれちゃった)
 ただ、置いてもらってる残飯が、あまりにも陽の当たる場所にあったので、(腐るといけないので)少し日陰の方に移動させようと、ビニール袋を引っぱったら、彼(?)がまた、あわててとんできた。
「取らないよー、心配ないよー、陰に寄せるだけだからねー」と必死で弁解しながら移動させる。
(まだ、犬のごはんを横取りするほど飢えてはいない。もっと飢えたら、わからない。うそうそ!)

 さて、ここからいよいよ山に入る。「遍路道」が、まっすぐ「上」を指しているのだ。決死の峠越えがはじまるのだ! と意気込んだわりには、しばらくはずいぶん緩やかに登った。いやいや、この先に急坂があるはずだ、気をゆるめちゃイカン、イカン。・・・といいながらも、何のことはない。ぜーぜー言ったのは最初の16丁(すごい、丁で計れるのだ)くらいなもので、それほどにヒドイ登りではなかった。でも、出発してから5時間以上もかかったんだから、辛いのは辛かった。

ヨコじいと42才さんと私

 第60番札所「横峰寺」は、思ったよりこじんまりした古寺だった。
ここで、知り合いにたのまれた「お守り」も買う予定だ。

 大師堂の横で線香の準備をしていたら、見たことのある人が、横をすり抜けて行く。あらー、ヨコじいだ!(やっぱり会ったか)
 とにかくお詣りをして、納経所に行く前に声をかけた。むこうも、アララといった顔。ヨコじいは、私とは反対側、61番「香園寺」の方から登ってこられたのだ。「車道を来た」とおっしゃる。そして、この寺の入口手前、遍路道と車道が合流するあたりで、(あの、常に私の前を歩いておられたらしい)42才の男性と一緒になったとかで、ここで3人がバッタリ出くわすことになった。

 3人一緒に「香園寺」まで降りることになった。私はもちろんはじめての遍路道。ヨコじいは来る時は車道だったので、今度は遍路道。42才さん(お名前忘れた)は、来る時と同じ遍路道。同じ道を降りるのだが、「ここまでのアタックは、皆パターンが違ってる」、というのがおもしろい。
 3人仲良く歩きはじめる。男性2人は、おしゃべりしながら「ゆっくりペース」。「あとで登りもあるから、そんなに急がないほうがいいですよ」と、道をご存知の42才さんがアドバイスして下さるが、「これが私のペースなんだからしょうがない」とばかりに、私一人、先にズンズン降りて行った。
 今日は「42才」さんがいて下さるので、ヨコじいのお相手をしなくてよくて、ちょっと助かる。42才さんも、人と歩くのが珍しいらしく、一生懸命おしゃべりしておられる。私が先に行きすぎて、2人の姿が見えなくても、おしゃべりの声だけは聞こえてくる。よくしゃべる男性陣だ。
「お遍路」をやっててイロイロ考えるようになったこと、感じることなどを、一生懸命話しておられる様子だ。「フフ、まだまだかけだしね」(何の根拠もない優越感だけど)なんて生意気なことを考えながら、黙々と歩いた。
 山の中は、一人歩きが一番。何度か、ベンチのある所で2人を待って合流し、再出発する。

 ランチタイム。私の持っていたミカンを一房ずつと、ヨコじいの持っていたトマトを3等分ずつ、という質素なもの。(私は60番で、パン1個をすでに食べていた。ヨコじいも自分の回転焼きを食べていた。42才さんはハラペコ状態)
 私が持っていたもう1個のパンは、もう少し下で食べましょうということになった。

恥ずかしの、開脚しりもち

 このあたりから、立場が逆転。
今度は先に出発したヨコじい。「ボクは下りがメチャクチャ速いんだ」の言葉どおり(荷物は宿に置いてきてるから身軽だし)、ビュンビュン、飛ぶように降りてゆく。速い、速い。雲水か仙人のような軽業(かるわざ)に、私も42才さんもアゼン。・・・私も焦る。

 小石の多い急下りになってきた。私一人の時ならかなり慎重に降りるのに、今日は2人に遅れまいと、焦って必死でついていこうとするものだから、とうとう、「ズベベベーー」っと、開脚しりもちをついてしまった。
 一人で歩いてる時ならまだしも、観客2人に前後からしっかり見学され、カッコ悪いったらない。しかもさっきまでは、さんざ「足が速い」だの、「若いから体力がある」だの言われて、「フフン」なんて得意顔してたのに。このてーたらく。
調子に乗ると痛い目にあうって、なんでわかんないんだろう。
 反省したので、もうカッコつけるのはやめて、あとはひたすら「慎重に」「慎重に」降りたのだった。42才さんも気を使って下さって、ヨコじいに、「やっぱり速すぎますよ。ペースが落ちて申し訳ありませんけど、ボクが先に歩きます」と、先頭に立って、「もうすぐ小石が多くなります、気をつけて」とか、「ここ危ないですよー」と、常に気を使って歩いて下さった。紳士な、いい人だ。(ありがとうございました)
 それに比べてヨコじいは、一番後ろの私を、一度も振り返ることなく、ひたすら「自分の道を行く」。
 こんなに他人に気を使わない人も珍しい。

「ヨコじい」に会った理由(わけ)

 ようやく、61番の「奥の院」まで降りた。ここでお詣りをして、また少し休憩。私が持っていた最後の1個のパンを、3人で分け合う。ハッピーターン(お菓子。栄家旅館で出されたのをいただいてきた)も分けあった。ミカンもちょうど3房残っていた。「世田薬師」でいただいた「おせんべい」は、今日一番遠くまで行く42才さんにお接待。なのに、それをまたヨコじいが半分もらっているではないか。
 別にヨコじいにいじわるするつもりじゃないけれど、ヨコじいは60番で、回転焼き2個も食べてんのよ! そりゃ、「分け合う」姿は美しいけど、何も食べてない人に、せんべいくらい全部(といっても1包みだけなんだから)あげたっていいのに。なーんだか、釈然としない。
42才さんは、ひたすら恐縮して、「ありがとうありがとう」、「有り難い有り難い」と言って下さるのに、ヨコじいはやっぱり「ありがとう」を知らない。
 でも42才さんが、あんまり何度も言うので、とうとう最後にヨコじいも、はじめて「ありがとう」と言った!
それに、私と42才さんが、札所以外のお寺でも必ずお詣りする(私の場合、道沿いの近い所にあるお寺に限るけど)のを見て、ヨコじいも、「さあ、お詣りお詣り」なんて言いながらちゃんとお詣りするようになっていた。
「あれー、今までキリがないとか言ってとばしてたんじゃないんですかー」なんてイヤミは、決して言わず(遍路じゃなかったら言ってる)、そうか「この人はこうやって学習していくんだ、ガンバレガンバレ」と、応援する気持ちになってしまうから不思議だ。それに42才さんとの会話を聞いていると、さすが年の功、「けっこういいこと言うじゃん」とか、「うーんやっぱり悪い人じゃないなぁ」、と思わせるものがある。(それがどんな内容だったか思い出せないのが悲しいけど)

 大師が、どうして何度もこの人(ヨコじい)に会わせたのか、やっとわかったような気がした。少し話したくらいで、あるいは、イヤなところが少し見えたからって、それだけですぐその人を「キライ」になったりしちゃイケナイんだよ、ってことなんですね。それに、「わからない人だ」なんて言う前に、自分やまわりが態度で表せば、相手は自然に気がつくものなのですね。

 なんとなくわかってみると、今までフシギに交換しなかった「納め札」を、交換する機会がやってきた。お札を交換するまでは何度も会ったりするが、お札を交換して別れたら、もうその人には会わなくなることが多い。(これ、とても不思議だけれど、いろんなお遍路さんに会っても、同じようなこと言う人が多かった)
 今度はなごり惜しいくらいの気持ちで、ヨコじいと「納め札」を交換する。
はじめてヨコじいの名前を知った。(日本人に多い名前の、トップ3に入るお名前だった)

ありがとう、ヨコじい

 最後は3人仲良く話しながら、長い長い下り坂を降りて、第61番札所「香園寺」に到着。ここからは、3人3様、皆違う所へ行くことになる。
 私はここ「香園寺」泊まり(もう少し歩こうかとも思ったが、今日はもう無理をするまい)。ヨコじいは、少し先の「ビジネス旅館」。42才さん(とうとう名前を訊かなかった)は、もっと先、このあと「64番」まで打って、その先の「湯の谷温泉」泊まりなのだそうだ。
 61番の門前でお別れだ。

 42才さんが行ってしまっても、ヨコじいは、なごり惜しげに私に話しかけてこられる。「気をつけて行くように」と、何度も何度も言って下さった。
この時点で、私はとうとう、ヨコじいのことが好きになっていた。
 最後に「早くいいダンナさん見つけなさい」とおっしゃるので、両こぶしを握って、「がんばる!」と答えた。ヨコじいも、元気でがんばってね!
 そういえば明日が誕生日だと言ってらした。泊まる所を訊いておいて、「おめでとう」の電話をしたかったな・・・。「80才までまわれるかなぁ」と、しきりに言ってらしたけれど、貴方ならぜったい大丈夫。がんばって下さいね。
ホントにいろいろありがとうございました。達者でね〜!

 さて61番「香園寺」。考えてみれば、けっこうな山越えをして、キョリもかなり歩いた。予約もしていないし、ここで「泊めらんない」って言われたらどうしよう、なんて少し心配しながらも、「予約」より先に「お詣り」をすませる。
 もうすっかり歩く気力はなくなっていた。こわごわ、受付のおばさんに訊いてみる。とってもやさしい人と、ブアイソーな人がいた。宿泊はOKとのこと。よかった。それにしても、「やさしいオバサン」は、ニコニコ朗らか。「ブアイソーおばさん」は、私を一瞥して、何やあんた予約もせんと急に来て、今私は機嫌が悪いんや、最低限のモノしか言わへんで、・・・みたいなぶ然とした態度だった。
 人間、同じモノを言うにも、こうも違うものか、という「サンプル」のような2人だった。同じ女性なら(男性でも)、やさしい人の方が、ぜったいかわいく見えるよー。人間「愛想」は大事だよー。(私はヘラヘラしすぎ?)

 3時半には部屋に入れてもらって、ホッと一息。たまった洗濯をし、お風呂にも早めに入れていただいた。
 ここは、「祈祷」をしてくれるお寺(宿泊施設のある札所寺は、だいたいしてくれる)なので、叔父と友人の「病気平癒」の祈祷申し込みをしておく。

初心を忘れない気持ち

 このお寺は「大日如来」がご本尊で、弘法大師は「子安大師」とおっしゃる。
門前で、難産で苦しんでいた妊婦のため、大師が護摩炊きの祈祷をしたところ、りっぱな男の子が産まれたということから、「安産の寺」として知られているらしい。遍路に限らず、たくさんの人がお詣りしていて、とてもにぎやかで、活気のあるお寺だ。それになにより、本殿がでっかーい! 
「ここは何教のお寺?」と思うほど、りっぱな「近代寺」風の造りなのだ。

 夕食のあと、おつとめのために、ご本尊のあるお寺に入って、またまたびっくりした。でかい! 部屋もデカイけど、ご本尊「大日如来」のでかいこと! 
「ひぇ〜、かっこいいー」、って感じなのだ。
 プラネタリウムよろしく、ご本尊を三方から囲んで椅子席が並んでいる。
ここで1時間のおつとめ。メインの若い僧侶(この人も42才だそうだ)の他に、尼僧さん2人、もう一人ヒゲをはやした僧侶、というたいそうな布陣だ。(フンイキ出ます) お客は、私同様の歩き遍路の男性2名、バイク遍路1名、あと、グループの人たちが5〜6人といったところだった。
 護摩炊き祈祷は、鯖大師以来、久しぶりに見たので、何だか楽しかった。(ちょっと長くて、般若心経唱えながらアクビしちゃったりしたけど)
 最後に僧侶のお話。私以外のすべての観客(?)が、自分(42才の僧侶さん)より年上で、しかもまだ「かけだし」の僧(自分でおっしゃったのだ)ということもあって、超キンチョー口調だった。なかなか言葉がうまく出てこなくて、シドロモドロになりながらも、一生懸命お話して下さる(もしかして、ご住職なの?)。
「あと30年たっても、自分はまだかけだしの僧だ、という気持ち、初心を忘れない気持ちを持ち続けたい」とおっしゃった。私もそうありたい。心に留め置きます。
「歩き遍路」をどんなにほめていただいても、けしておごらず、謙虚にがんばります。仕事だって、(どーしてもイヤな仕事はしないけど)謙虚に、懸命にがんばります。(この気持ち、帰っても続いてるといいんだけど)

 今日もいろんなこと教えて下さった方々に、心から感謝し、幸せをお祈りしています。

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