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掬水へんろ館

平成9年『出会いの日々』
【5日目】(通算39日目) 5月16日(金)[晴れのち曇りのち晴れ]

 国道に面した部屋。外はトラックの音が一晩中ガーガー、ドスンバタン。
繊細な私が眠れるのかしらと思っていたら、なんの、布団に入ったらすぐ意識がなくなっていたし、朝までピクとも起きなかったようだ。
 目覚ましの音で、びっくりして飛び起きた。

美しい別れ

 それじゃいっちょ顔でも洗って、と戸を開けた瞬間、ガラガラッと隣りの横浜のじっちゃんの部屋の扉の音。「イカン!」 思わずまた部屋に入って戸を閉めた。
 髪はボサボサ、眠くて超不機嫌顔なので、爽やかに「おはよーございます」を言えそうにないからだ。(ゆうべのこともあって、あんまり顔を合わせたくなかったというのもある)

 部屋の中で、荷造りや洗濯物たたみなどして時間稼ぎ。少したって、やっと洗面に成功した。朝から気を使ってしまう。でも、歯磨きしながら、いろいろ考えた。彼(横浜のじっちゃん)にも彼の人生と考え方があって、一生懸命生きてるんじゃないか。自分と違うタイプだからって、それほど嫌うのはヒドイんじゃないだろうか。お遍路だもの、いろんな人に会って勉強して大きくなるんだ。このまま別れたんじゃ、私が彼に、彼が私に出会った意味がない。
「お互い爽やかに良い気持ちでお別れしなくちゃ!」 
そう思ったら、今度はあわてた。まだゴハン食べてるかもしれないと思い、急いで食堂に下りてみる。
 いたいた。もう食事は終わりかけ。ひと息吸って
「おはよーございます」。 
 職業を思い出す極上の美声と笑顔でご挨拶した。完ぺきだ。
ヨコじい(「横浜のじっちゃん」は長いので、これからはこう呼ぶことにした)も、「おはよう」。彼は、私ほどイコンを残してはいない様子だ。(そりゃそうだ、私はほとんど黙っていたのだ。唯一逆らったのは朝食の時間だけなのだから) 「で、方針は決まったの?」と、いきなりおいでなすった。「ええ、だいたい」「泊まる所は?」「それはまだ決めていません」「ふーん」。
おや、それ以上追求しないのね。(彼も考えるところがあったのかしら)
 その後、急いで出発していかれた。玄関まで出て、宿のおばあちゃんと2人、しっかりお見送りした。美しい別れだった。これで思い残すことはない。私も行かなきゃ。
けして快適な宿ではなかったけれど、たった一つ、シーツがとてもキレイで、布団がふかふかだったのだけはとっても感謝しています。ありがとうございました。
 ヨコじいに遅れること30分、7時10分ごろの出発となった。

お礼は?

 「遍路道」に戻って、てくてく行く。でもほとんどは大きなバイパス(?)を歩くので、車がびゅんびゅんごーごー、わっさかわっさか走ってくる。けっこう恐くてつらかったけど、1時間もかからずに、第54番札所「延命寺」に到着。

 門前まで行った所で、アラッ! またヨコじい。私より30分も前に出かけたし、お経も読まない人が、何をしとるんです、こんな所で。
「遍路道がわからないので、車道の方へ引き返すところ」だという。「もっと奥から行くんじゃないでしょうか」、と地図を見せると、「そうかな」と、私についてくる。私もお寺に着いたばかりで、荷物くらい下ろしたいのに、あんまりヨコじいが頼ってくるので、「お寺の方に訊いてみましょうか?」と言ってみた。「うん、訊いて!」とヨコじい。なんで自分で訊かなかったのー? と思いながらも、そばにいたお寺の売店のオバサンに訊いてみると、とても親切に教えて下さる。
で、ヨコじいはというと、「うん、やっぱりこっちへ行くんだな」とか独り言を言いながら、もう、オバサンの指さした方向へ、とっとこ歩いて行ってるではないか!
 「おーい、お礼ぐらい言って行きなさーい!」

 私ひとり、オバサンにぺこぺこ頭を下げることになった。
まったく、そんなに急がなくてもいいじゃないか。私に追いつかれたのがショックだったんだろうか。ゆうべ、「なんだ、45番からはボクより早く下ってるから、もうとっくに行ってしまってると思ってたのに、なんでボクより遅くなってんの?」、なんて嫌味なこと言った手前、焦ったのかなぁ。
ま、いいや、とにかく私はお詣りをするのだ。私は「お寺での時間」がとても好きなんだから、ゆっくりするのだ。

 ゆっくりしてたら、さっき道を教えて下さったオバサンが、「一人なの? じゃ、このおにぎりあげましょ」と、高菜のおにぎりを1個下さった。うれしい! 今日の昼食はこれでOKだ。「お接待していただいた」というのが、何よりうれしい。ね、ヨコじい、ゆっくりまわると、こんなにいいことがあるんだよ。フフフ・・・。でも、せっかくだから、どこかで追いついたらヨコじいにも半分あげなくちゃイカンなぁ、と漠然と考えていた。私って、ちょっといいヤツ?(遍路の時だけ、だけど)

 教えられた遍路道を、東へ向かう。でっかい墓地の中を抜けて行く。その墓群のまん中、高台になった所で、トイレを借りて、少し休憩していると、2匹の犬を散歩させてるオジサンが、「気をつけてね」と何度も言って下さった。
 茶色の方の犬は、鎖をはずしてもらって自由に走り回っていたので、ベンチの私のところまで訪ねてきて、しばらく私を見学してから、「フン!」と鼻を鳴らして去って行った。「フン」とはなによ「フン!」とは。
「私のシロちゃーん!」。また思い出して切なくなる。
 お墓の皆さん(墓地に眠る人々)にお礼を言って、どんどん東へ下る。

親切なヤンママ

 大通りに出たところで、また迷った。
幼稚園児を連れた若いママが目に入ったので、55番「南光坊」への道を訊ねてみると、これがまたものすごく詳しく教えて下さった。(話の途中、幼稚園のお迎えバスが来て、子どもを乗せて、その後も延々と説明して下さったんだから、どれだけ長い時間だったかおわかりいただける?) おかげさまで、ものすごくよくわかった。地図の通りだったし。(だったら訊くなよなー、ごめんなさい。でも、「いま自分がいる場所」が、わからなかったのだから仕方ない)
 綺麗なヤンママに丁寧にお礼を言うと、「お遍路さん、よく迷って、訊かれるんですよね」ですって。ホント、みんなで迷惑かけてごめんなさい。なのに、ヤな顔もせず一生懸命教えて下さって、なんていい人なんだろう。ご主人は幸せだ。(何だか、おばちゃん発言?)

山下清と尼寺

 第55番札所「南光坊」到着。
 門を入ったとたん、あらまた「ヨコじい」。タバコ吸って、休憩してるようだ。「あらあら」と言っただけで、私も本堂の方に。次に大師堂に行った時には、もうヨコじいは消えていた。(フフ、追われる身はつらいですねぇ)

 それより私は、本堂でお詣りしてる時から大師堂まで、ずっとくっついてきたフシギな「オジサン」のことが気になって仕方なかった。
半袖・半パン、一言もモノを言わない。でも、ついてきてジッと私のことを見てる。テレビドラマで芦屋雁之助さんが演じていた、山下清風の人なのだ。
あんまり見つめるので、ニッコリ笑って「こんにちは」と言ってみると、オジサン、急にベラベラしゃべりだした。「一人なのか、歩いてるのか、えらいなぁ、今日は何処まで行くんだ?」、と。なんだ、よくしゃべる人なんじゃないか。さっき他の人がオジサンに道を訊いた時、ぶ然として一言もしゃべらず、ただ一方を指さしただけだったのは、あれは、なぜ?(やっぱり不思議だ)
 遍路地図にもないし、ダメでもともとと思って、このオジサンに「59番の近くに宿はないでしょうか?」と訊いてみた。すると、「尼寺」が一つあって、泊めてくれるかもしれないと教えて下さった。でも、お寺の名前も正確な場所も忘れちゃったのだそうだ。それだとちょっと無理かもしれない。
 でもなんとなく救われたような気がして(もっと探せば、もしかしたらあるかも)、オジサンに感謝した。気をよくして、納経所でも訊いてみた・・・が、やはり、なかった。でも、「57番か58番のお寺で、も一度訊いてみなさい」とやさしくアドバイスして下さった。「はーい」

 また元気に進む。今日は暑いので、宿でもらってきたお茶を半分以上とジュース1本を飲み干した。
 JR今治駅の裏を、南西にまっすぐまっすぐまっすぐ行ったところに、第56番札所「泰山寺」があった。ここのご本尊は、地蔵菩薩さまだ。
どこにもご真言(神仏ごとに決められた呪文)が書かれてなかったので、そばにおられた老夫妻に、「地蔵菩薩の真言、ご存知ですか」と訊いてみると、「納経所で訊いてごらんなさい」とやさしい笑顔が返ってきた。(このご夫婦とはまたお目にかかることになる)

 ご真言は「オンカカカビサンマエイソワカ」だった。お詣りして、納経して、トイレも行って、門を出た所で、またまた「ヨコじい」出現。
さっき南光坊さんの近くで、宿に荷物を置いてきたんだそうだ。今日は、身軽になって「59番」まで打って、後は車で宿へ帰るのだと。ふーん。

 今度は私が先に出発した。お寺を出てすぐの所に、田んぼ道へ入る「遍路標識」。でも、その標識の矢印の部分に、板が打ち付けられていて、よくわからなかったので、そばにいた大工さんに、一応訊いてみた。
「ここ、遍路道でいいんですよね?」
 さあ、そこからまた始まってしまった。・・・長い長い長い説明。
もう一人の大工さんまでやって来て、「いや、国道の方が分かりやすかろう」なんて言いだすので、ぜんぜん終わらない。(方向さえわかれば後でまた訊くので、いいんですが・・・) とにかく親切なのだ。

 時間はくったけど、そのやさしさがうれしくて、気持ちがよかった。よかったのに・・・。大工さんにお礼を言って頭を上げたら、向こうから、ヨコじいが!

ヨコじい 再び

 「なんでー? 早いじゃないー、やだもう!」、と言いたい気持ちをグッとこらえて、結局一緒に歩くことになった。
 私の歩きは、彼よりけっこう速いのだが、一生懸命ついてこられる。そしていろいろ質問する。「両親は?」とか、「なんで遍路をはじめたの?」とか。

 この人が何か言うたびに、私は2年前一緒に歩いて下さった「三宅先輩」のことを思い出す。
道行く人に挨拶をし、何事にも感謝の言葉を忘れず、明るく爽やかで、静か。人のプライバシーに、決して踏み込まない(つまり何も訊かない)、ほんとに素敵な方だった。
 ヨコじいは、ちょっと俗っぽい。道々、いろいろお説教して下さるのだが、何だか、「それって、自分に言い聞かせたほうがいいんじゃないの?」という感じさえする。
 ずいぶん黙って聞いていたが、もうガマンできない。とうとう「地(じ)」を出して、私も言いたいことを言いだしてしまった。
 突然の小娘(彼から見て、だけど)の反撃にびっくりしたのか、それからのヨコじいは、あまり説教くさいことを言わなくなった。おとなしく私の言うことに頷いたりしてる。(「しゃべり」は私の本業なので、うまくいいくるめてしまったのかもしれないけれど・・・)
 この年代の人は、あまり他人から逆らわれたことがないのかもしれない。
「説教がましくなくなったヨコじい」は、なかなか素直ないい人だった。

本物の「遍路」(老夫婦の愛)

 少し打ち解けて、わいわい言いながら、第57番札所「栄福寺」到着。
 私はグズだから、どうぞ先に行って下さいね、と言っておいたら、ほんとに「行くね」とも言わず、アッという間にいなくなっていた。(気をつけてねー)

 それなら私はのーんびり。ここで、さっき「56番」で声をかけ合った老夫婦(80才と81才だそうだ)にまたお目にかかった。(彼らは車なので、先に着いていた)
「もう、追いついてきなさった?」「若いのにエライ」と、ねぎらって下さる。
 おばあちゃまはかなり腰が曲がって、足も悪そうで、大師堂の5段ほどの階段を上るのさえ大変そう。それを、いつもいつも(ご主人の)おじいちゃんが、「大丈夫か」とやさしい声とまなざしで、手をさしのべられる。なんていい夫婦なんだろう。
 お詣りが終わると話しかけてこられた。おばあちゃまが腰にぶら下げている写真を、見せて下さる。49才で亡くなった娘さんの、カラー写真だ。ひっくり返すと、裏には、学生服を着た小学生くらいの男の子の、セピア色の写真。戦争で亡くなった息子さんだという。
 早く亡くなった2人の子どもたちの為に、80才を過ぎた老夫婦が、痛い足を引きずってお詣りしておられるのだ。本来のお遍路の姿を見たようで、久々にジーン。

 ジーンとしてたら、おばあちゃまが「ミカン」を下さった。わーいわーい、ムチャクチャうれしい(もう「ジーン」はどこかにいってる)「ミカンだミカンだー!」 心の中でも、声に出しても叫んでしまった。(情けない) ハイチューもたくさん下さった。ハイチューだハイチューだ(私はハイチューも好き)、わーいわーい。ホントにうれしい。今日の昼食は、おにぎりとミカンでカンペキだ。(でも、もしまた「ヨコじい」に会ったりしたら、やっぱ半分こしなきゃイカンよなあ。ま、だいぶん先へ行ってるはずだから、もう会うことはないだろうけど)
 おじいちゃまおばあちゃま、ありがとうございました。いつまでも、どうぞお元気で。

 納経を済ませて、さあ出発、と思ったら、急に雨が降ってきた。あらやだ、カッパに着替えた方がいいかしら、どうしようかしら、この雨じゃやっぱり遠くまで歩けない、と考えて、「そうだ、ダメもとで、ここで訊いてみましょ」と納経所へ引き返す。
「59番へ行くまでに、お宿はやっぱりないのでしょうか」とおそるおそる訊いてみる。「ありますよ」「え?」「あります」「ええー?」
 今までさんざ訊いても、「ない」「知らない」「尼寺なら」なんて言われてきたのに、そんなあっさり・・・。

 59番「国分寺」の4.5キロほど手前に、新しく6階建てのビジネスホテルができているのだそうだ。遍路道からははずれてるので、少し後戻りすることになるけど、こりゃムチャクチャらっきーだ!(ほらほら、ヨコじい、行き当たりバッタリでも、けっこううまくいくものでしょ。大師のお導きって、本当にあるんだから!)

 それにしても、今まで「これでもかこれでもか」と歩かされることが多かったのに、今回は「早め早め」に(時間ではなくて、体力的に)休ませて下さる。フシギだ。若くないし、身体を痛めないようにということなのだろうか。何にしても有り難いことだ。

また「ヨコじい」

 お寺から電話で予約を入れさせていただき、ゴキゲンに出発。急坂遍路道もなんのその。「やっぱり山の中がいいなぁ」、なんて機嫌よく登って、少し広い道に出た。
 出た! また出た!
前方にヨコじい! 何をしとるんですか、あーた、ほんとに。
「もう来るだろうと待ってた」とおっしゃる。(待たないでー)
 私、もう充分お相手したつもりだし、そろそろ一人で、のんびり歩きたかったのよ・・・。
(歩くキョリを短くするかわりに、今回は「人と会って学びなさい」ということなのですか、大師?)
 結局また仲良く(?)一緒に「58番」への山を登る。登り坂は、ヨコじいの方が強い。2人してぐんぐん登る。最後の「うわぁ、カンニンしてほしいー」という石段も、2人で前になり後ろになり登る。ヨコじいのおかげで、弱音を吐かずにがんばれたようだ。
 やはり「出会い」に無駄はないということなのだろうか。ありがとう、ヨコじい。

不思議のパンフレット

 第58番札所「仙遊寺」到着。ゆっくりお詣り。(お接待にいただいたおにぎりとミカンで、2人で昼食しよう、と言っておいたので、ヨコじいも待ってくれている)
 納経所に行くと、印を押して下さったおばさまが、「一人で歩いておられるの?」と訊かれるので、いつものように「はい」。「それじゃあ」とおばさま、部屋の奥の方に手をのばした。(ああダメ、期待しちゃダメ、またそんな、いじましい・・・。でもおばさま、何くれるのかなぁ? わくわく)
 やがて、おばさまが、何か掴んで、振り返った。
「これ、差し上げます。ここのパンフレット」 
「・・・ぱんふれっと?」
 三つ折りにした薄い紙、確かにお寺のパンフレットだった。
「あ、ああ、どうもありがとうございます」。うやうやしく、おしいただいてきたけど、ちーっともうれしくない! おばさまー、なんでわざわざ「一人で歩いてるの?」って訊くの? 2人なら2部くれるってことなの? 「歩いてる」には何の意味があるの? 車の人にはあげないの? なんでなんでー?

 もういいや。ヨコじいが待ってるし、昼食にしなきゃ。

 まずは2人して、ジュースを買いに自販機へ。ヨコじいは、自販機の前で、長いこと悩んでる。「そんなに悩むんなら、私に先に買わせてくれー」と思ってるのに、そんなことお構いなしだ。「何にしたらいいだろう」って、相談されても困る。
 ひとしきり考えて、彼はやっと缶コーヒーを購入した。やっと私の番だ。私のお昼ごはんを分ける、と言ってあるし、自販機の前をどかないから、ジュースでもお接待してくれるのかしらと思ったが、自分のコーヒーを買ったら、もう知らなーいって、さっさと行っちゃった。(期待する方が間違ってるか)

「ありがとう」を言わない人

 ヨコじいとベンチに座って、高菜おにぎりを半分こ。
けっこう大きなおにぎりだったし、半分でも、ちゃんと大きい方をさしあげたんだけど、彼はすぐに食べ終わって、手持ちぶさた風。私はまだおにぎりをかじってる最中だったが、「ミカンむきましょうか」と言ってみた。「お、ミカンもらおう、ミカンミカン」と無邪気に喜ぶ。で、かじりかけのおにぎりを置いて、ナイフを出し、一生懸命ミカンを2つに切ってる間も、「ミカン、お接待でくれるのはいいけど、重いんだよねー。はじめから皮むいて持って歩けばいいんだよ、重いんだから」、などと講釈たれてらっしゃる。なーんかハラ立つなぁ。
せっかくくれた人にも悪いじゃないか、「重い重い」って。
 そして今度も大きい方を(泣く泣く)あげたのに、ありがとうも言わない。
この時、ハタと気がついた。この人って、「ありがとう」を言わない人なんだ。
 そういえば、きのうご飯ついであげた時も、お茶入れてあげた時も、一言も「ありがとう」って言わなかった。自分のために、誰かが何かしてくれても、有り難いと思わないのかな。(思ってても言えないタイプなのかもしれないけど)
 けっこう自分中心の人なのね。こりゃぁ、まわりに嫌われちゃうぞー、と思ったら、少しかわいそうになった。何かしてもらったら「ありがとう」と言いましょうって、習わなかった世代なのかなぁ・・・。
 でもここで、ハッと気がついた。
「ありがとう」の言葉を期待して、「何かしてあげる」だなんて・・・。「してあげる」という私の「奢った気持ち」はどうなんだ、恥ずかしくないのか? 
・・・こちらも反省した。(どっちもどっちだなぁ)

 この先も私と一緒に行くつもりらしく、「私はまだトイレに行ったりしますから」と言っても、「待ってる」とがんばるヨコじいだったが、この先は違う道を行くことになるのだからと、地図で一生懸命説明して、やっと納得してもらった。
 とうとうここでヨコじいともお別れ。(自分の反省は、棚に上げ)人に感謝の気持ちを持って、気をつけて行くのですヨ、と、70才の先輩の行く先を案じてしまう。

名前が悪い

 仙遊寺を出て、またひとり元気に歩く。
 しばらく山道を下っていくと、「五郎兵衛坂」という所に出た。昔、伊予守が仙遊寺に大太鼓を奉納。しかしこの太鼓の音があまりに大きくて、魚が驚いて逃げる。さっぱり漁ができないというので、怒った五郎兵衛が、包丁で、この太鼓を破り、仏さまにも悪口雑言を吐いた。その帰り道、ころんで腰を打ったのがこの坂で、五郎兵衛はその後、このケガがもとで亡くなったんだとか。それから、この坂を行くときは気をつけてゆっくり歩くようになったのだという。
 「フーン、気をつけよー」と思ったそばから、滑った。
 だいたい「五郎兵衛」なんて名前が悪いんだ。「ごろべえ」の「ご」のてんてんを取ったら、「ころべえ」じゃん。「ころべ」っていってるみたい。それに仏さまは、悪口言われたって、人の命を取ったりなさらんわ。五郎兵衛さんの運命だったのよ、などとブツブツ言いながら、なんとか、五郎兵衛坂を下りて、まだまだ山道を下る。と、目の前の段の所に、長い黒い「棒状のもの」が。なんだろー、と近寄りかけたら、少し動いた。「わーい、ヘビだー!」 
今回はじめての遭遇だった。わーいわーいと寄って行こうとしたら、杖の音に驚いて、シャシャシャーと、茂みの中へ消えてしまった。もっと近くで観察したかったのに。(それにしても、お杖の力は、すごい)

高く飛べ

 今年はかなりヘビが多いのだそうだ。
「もうザクザク出てきてる」と、栄福寺のご住職が言っておられた。
58番へ登る、詳しい道順を教えて下さって、そのあと「草が多いけんね、ながむしも出るし」とおっしゃっる。「ながむし?」「ヘビ、ヘビ」「まむしも出ます?」「出る出る、まむしが多いがよ」「キャー」(私のキャーは、ちょっとスリルがあっておもしろそー、のキャーだ) 
でも、あなどっちゃイケナイ。咬まれてからじゃ遅いのだ。

 途中であったオジサンにも「まむしに気をつけなさい」と言われた。
「まむしは、びよーんって飛んでくるけん」ともおっしゃる。
「飛んできたら、どうしたらいいんでしょう?」と訊くと、
「まむしより高う飛んだらええけん」だって。

・・・遍路をはじめる前に、ジャンプの練習もしておくんだった。
 しかしそれからは、1匹も、なーんにも出なかった。

コスモオサム

 あとは順調に進み、今日の宿「ビジネスホテル コスモオサム」に着いた。(ちょっと変わった名前だ)
 電話で丁寧に応対して下さったおじさんがフロントにいらして、いろいろねぎらって下さる。住所欄に「神戸市」と書いたので、地震の話になった。
震災の時、おじさんは消防団の一員として、淡路島へ応援にかけつけて下さったのだそうだ。ホントにいろんな方に助けていただいたのだと、兵庫県民として、心から感謝、です。

 このホテルは、6階建ての新築ピカピカホテル。「ま、ビジネスはビジネスね」、という感じではあるが、2Fには健康ランドなみの、ゴキゲンのお風呂(コスモ温泉)もあって、うたせ湯・ボディシャワー・超音波湯・リラックス湯・etc・・・と、しっかり楽しませていただいた。

 今日は早めの時間に、母と彼に電話。神戸ではまた地震があったのだそうだ。
彼が、一人でいる母のことを心配して電話をしてくれたらしい(やさしいじゃないか)。その彼とも久々の長電話ができた。ホテルだと、気兼ねなく電話できるので、いい。今日の地震はたいしたことなかったようだし、2人とも元気そうでなによりだった。

 三宅先輩と、去年、神社で一緒に野宿した田村さんに、ハガキを書いた。

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