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掬水へんろ館

平成9年『出会いの日々』
【4日目】(通算38日目) 5月15日(木)[雨のち曇りのち晴れ]

 昨夜は、今回遍路にきてはじめてぐっすり眠った。布団もふかふかで、ものすごく気持ちよかった。部屋に刀が二振りもあったので(キジやイタチの剥製もあった)、ちと怖かったが、両手に数珠をつけたら、ハイこてん。

 朝、「もっと眠りたい」という久々の感覚で起床。ノドもそれほど痛くないし、超ゴーカな朝食をいただいた。それになにより、あーた! 朝からデザートにイチゴが、てんこ盛り! お皿にいっぱい、てんこ盛り! 11粒も!(数えるなよー)
 ここはホントにいい宿だ。宮本さんの奥さまは、ホントに素晴らしい人だ。
大好きだ!

大理石のお風呂と旧家の嫁

 ゴキゲンの食事の途中、きのうのやさしいご主人が、ご挨拶にみえた。
年齢は60才〜70才の間ってところだろうか。若い頃、神戸に住んでおられたそうで、新開地(昔、「映画館」や「遊郭」などもあった、神戸では有名な場所)の侠客(正統派ヤクザ屋さんのことらしい)にかわいがってもらって、いろいろオシャレに遊んだとおっしゃる。
 15分くらい、私もお箸を置いて話を聞かせていただいた。食事が終わって、荷造りができたところで、またご主人に捕まった。「自慢のお風呂」を見せて下さるという。男女に分かれていて、総大理石。(そういえばゆうべ奥さまが、「主人、石を敷くのが好きで」っておっしゃってた。確かに、私の入った方のお風呂にも、庭にも、そこここに「石」が敷きつめてあった)
「ゆうべボクが忙しかったもんで、こっちに入れてあげられなくて」と残念そう。

 ご自慢のお風呂の窓からは、ひろーい敷地が見渡せる。「ここから見える所は、ほとんどウチの敷地です」なんて、かるくおっしゃるが、聞いてびっくり、3千坪もあるのだそうだ ひえ〜。
(でも「地理全般に弱い」私には、それがどのくらいなのか想像もできないし、すごいのかどうかもわからないんだけど・・・)
 なんでもご先祖が、歴史の教科書にも載ってるほどの「旧家」で、ご自身が14代目、息子さんが15代目になる(当たり前だけど)のだそうだ。
私が「独身」だというと、「なら次男は41才なんだけど・・・」とおっしゃる。「なんだけど」のあとは? そこで終わっちゃあ「ヨメに来ないか」なのか「歳が近いねえ」ってだけのことなのか、わかりゃしないじゃん。ま、私にゃかわいい恋人がいるから、カンケーないけどサ。ハッハッハッー!
 でも一瞬「旧家の嫁」という言葉が頭をよぎった。

 いろいろ伺ってると、どうもこの方、「町の名士」のようで、以前、北条市の議員もしておられ、竹下登氏や金丸信氏も、時々家に来られるそうな。(「今は竹下くだる、金丸不信だけどね」と、笑わせて下さる)
 親分と慕っておられたのが、あの故田中角栄氏だそうで、角栄さんが倒れる1ヶ月前に2人で撮ったという写真が飾ってあった。角栄さんという人は、とても手の温かい、すごいオーラのある人物だったと、感慨深げだ。 
他にも掛け軸や絵画など、いろんなものを見せて下さり、目の保養になった。少なからずご苦労もあったようだが、ご主人も奥さまも、とってもハートのある、いいご夫婦だ。
 「豊かさ」が、旅の疲れを癒してくれた、そんな宿だった。

 しかし、これがまた時間をくってしまった。結局出発したのは、午前8時半。(今回の遍路はどうも、「人との出会い」がテーマらしい)
「民宿みやもと」にお手伝いに来ておられる女性に、雨の中、ずいぶん遠方まで見送っていただき、お別れした。今日は、カッパ完全装備で、せっせと歩く。

孤独死

 しばらくして、養鶏場を発見。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・、大きな養鶏小屋(?)が、全部で6棟もあっただろうか。その棟のそれぞれに、にわとりがぎっしり詰まっている。コケコケ、ギャーギャーとかなりうるさいが、無理もない。
雨が降って蒸し暑いのに、ギューギュー詰めで、ひたすら「卵」を産んでいるのだ。つらいよねぇ。
 ある棟で、落下したのか病気でそうなったのか、一羽のにわとりが、下に落ちてひっそり死んでいた。他の鶏たちは、誰も気にしていない風。(聞いてみなきゃわからないけど) 哀れにわとり・・・。
 でも人間だって、見えない大きな箱に入れられて、ただひたすら「働かされてる」ってところ、あるよねぇ。そこで誰か「落下」してても、何事もなく、毎日が過ぎていくのだ。・・・何だか悲しい。

 国道に戻った。ここからの遍路道は、国道を行く。雨が小降りになって、あんまり暑いのでカッパの上を脱いで歩く。道はあいかわらず洪水状態なので、バッシャンバッシャンと、水しぶきが飛ぶ飛ぶ。今度は「ドロパック」だ。
 蜘蛛の巣パックもドロパックも、どっちも遠慮したいのに・・・。

クッキーとお賽銭の関係

 番外霊場「養護院」に到着。

 国道からほんのちょっと入っただけで、すごい静けさだ。
誰もいない境内で、カッパを全部脱いで身支度。ローソク、線香もして、さあ「お賽銭」と思って小銭入れを開けたら、あらら、10円玉が一つもない。5円玉もない。あるのは1円玉1枚のみ。うー、ここで100円入れる勇気もへそくりもない。「いや、さっきどこかのおばあちゃんから、お接待にと200円もいただいたじゃないか、あれは? いやいやそれでもやっぱり100円は多いぞ。よーし、この際1円でカンニンしてもらおーっと」と、1円玉を掴んだ瞬間、賽銭箱横の扉が開いて、ご住職がニュッと顔を出された。
「一人で歩いてエライねぇ。お接待にこれあげよ」と、クッキーを1箱差し出して下さってるではないか。「きゃー、ありがとうございます」と満面の笑みをたたえながら、小銭入れの中で掴んでいた1円玉を、あわてて100円玉にもちかえて、お賽銭を入れたのだった。
 ハー、お大師さま、私のこのゲンキンな性格をお許しください。ご住職はそのあと、納経代(300円)までお接待して下さったのだ。はずかしー、ハズカシー、ごめんなさーい。でも、うれしー。

鎌大師の親衛隊

 クッキーの箱を掴んで、白装束に戻って再び出発。次は少し山の方へ入って、今度も番外霊場の「鎌大師」へ。
番外は本当に人が少ない。一人でゆっくりお詣りさせていただく。

 88才になられるという庵主さまは、外出中で、今日はいらっしゃらない。お堂の屋根の修理をしていた近所のおじいちゃんたちが、「庵主さまがおいでになったら、上がってゆっくりできたのに、残念やねぇ」と言いながら、庵主さまの家に(勝手に)入って、お接待の缶コーヒーを持ってきて下さった。
(おじいちゃんたちは、どうも庵主さまの親衛隊のようだ)
 道を教えていただき、親衛隊じいちゃんたちに見送られ、また国道へ下りていく。

白いお供

 海岸沿いを進みだしたころ、前方に白い犬が現れた。鎖につながれてはいない。自由に歩いているようだ。「きゃー、吠えないで、吠えないでねー」、と目を見ないように通り過ぎようとしたら、彼(彼女?)も、私を避けて後ろの方へ行ってしまったようだった。 
 ホッとしてまたせっせと歩き出したが、何か背後に気配を感じる。振り返って、びっくり! いつの間にかさっきの犬が、私の後ろにぴったりくっついて歩いているではないか。
「キャー、あんたいつの間に近づいたん? 何考えてんの、そんなにくっついて歩いてたら、杖にあたるでー。車ビュンビュン通って私でも怖いのに、あぶないやんかー。はよ、さっきの所まで帰りー」
と、イロイロ言ってみたが、ぜんぜん聞く耳持たずって感じだ。
 最初は、足に噛みついたりしないだろうかと、ちょっと心配したが(それくらい足もとにくっついて歩いている)、前になり後ろになりして一緒に歩いているうちに、何だか彼が私の「お供(とも)」のようで、楽しくなってきた。

 車がバンバン通るのもかまわず、わずかな隙を見つけて道を横断。向こうで遊んでも、また必ず私のそばに帰ってくる。「私、この遍路の連れのもんです」って感じで、かわいい。去年ですっかり犬嫌いになっていたが、道案内とかしてくれた、最初のころに会った犬のことを思い出して、うれしくなる。エサが欲しいのかと思ってクッキーを置いてみたけど、気に入らない風。
「ねぇ、おいしいから食べてごらん。ホントだって。ちょっとかじったらわかるから、ね。これお寺でもらったクッキーだから、残さないで食べてね」
と、何度も説得。国道にしゃがみこんで、2人で長いこと話し合って(彼は聞いてただけだけど)、やっと食べていただいた。
「さあ、もういいでしょ、おうちに帰り! ほらトラック来てんだから、ウロウロしない・・、あ、ああ!(轢かれた?)・・・大丈夫だった。心配させんないでよねー。子どもができたらこんなかなぁ。でも、子どもは国道のトラックびゅんびゅんのところ、ウロウロさせないよなぁ」なんて、独り言ぶつぶつ。
 でも、この子は本当ににかわいい。エサをねだるでもなく、ホントに「ゴキゲンにお散歩」という感じなのだ。あんまり早く行きすぎると、振り向いて私を待ってる。彼(?)があんまり道草くってると、私が待ってる。(気がついて急いで走ってくる)この繰り返し。 
事情を知らない人から見たら、白い犬を連れた白い遍路ってところだろうか。自分のイヌならいいな、と本気で思った。
 私に付き添いながらも、家々を覗いたり草の匂いをかいだり誰かのウンチに駆け寄ったり。とても忙しいし、好奇心も強そうだ。大きな犬が2匹もいる家へ平気で入っていって、ワンワン言われてても、ぜんぜん無視しちゃって、家の中のもの見学したりしてる。でっかい犬は、檻の中でただ叫びもがくだけ。
この子は度胸もあるし、賢い。話しかけると、必ず、座って、人の目を見てきいている。
 ここはいつもの散歩道なのだろうか。それにしてはかなり遠くへ来てる。
「ねぇねぇ、こんなに来ちゃって大丈夫なの? ねぇ、まだ帰らなくていいの? どこまで一緒に来てくれるのー? ねーったらー!」
「・・・」
さっぱり返事をしてくれない。無口な子だ。(「返事」する方が恐い?)
 クッキーは好みじゃないようなので、途中、店に入って売店のオバサンのご厚意で「おにぎり」をもらってあげたのに、やっぱり食べなかった。
「ねー、なんで食べないの? ひょっとして、すっごいグルメなの? 好き嫌いしちゃイケナイんだよー」
「・・・」
 ああ、男心ってわかんない。(いや、乙女心かも)

シロちゃんとの別れ

 一度だけ、性別を見分けるチャンスはあった。急に目の前からいなくなったので、あわてて探しに行くと、道から離れた木陰で、腰を低くしていたのだ。腰をおとしてたからメスだろうと思うのは間違いで、オスだって、ウンチの時には同じポーズなのよね。「あ、トイレか」と思った瞬間、彼が遠くから、「お願い、見ないで!」という目をしたので、「はいはい失礼しました」と、先に通り過ぎた。
 まじまじ見るなんて、彼(?)に悪いしね。

 それにしても、番外札所「遍照院」までの、なんと5キロ近くも一緒についてきてくれたのだった。ナイトみたいで頼もしかった。
 遍照院でも、一緒にお詣り。おつとめの間も、ちゃんと待っててくれて、昼食も一緒に。
 さっきの売店で買ったパン、まず私がかじってみせて「ほらね大丈夫、食べられるでしょ。これ食べてごらん」と、今自分がかじった半分を手でやったら、やっと食べてくれた。それからは、結局パンは完全にかじりっこ。クッキーも、手でやると食べる。どうも下に置いたものは、バッチくて食べたくないらしい、上品なおイヌさまだったのだ。
 食べ終わっても、私のそばでゴロン。お昼寝状態で待っててくれる。それなのに、お寺のお世話(?)をしてるオバサンが、いろいろ話しかけてきて、すんごい長話になってしまった。(今回はオバサンの長話に悩まされる) 退屈した彼は、途中でその辺まで遊びに行ったりしていた。帰ってきてもオバサンの話は終わってなくて、私も立つきっかけを失ったまま。彼はまたどこかへ遊びに行く。

 どれくらいたったろうか。彼がまた戻ってきた。今度は、私の座ってるヒザのところまできて、キュッと目を細めて、耳をしなっとたらしてみせた。あ、「もう行くね」って言ったんだ、となぜかハッキリ理解できた。で、本当にそれきりいなくなってしまったのだ。
 その後も、オバサンの話は延々と続き、やっと解放された時には、もう2時半になっていた。あわてて宿を予約して、また歩き出す。

 しばらくは、「わたしのシロちゃーん」(勝手に名前を決めていた)「わたしのシロちゃーん」と、心の中で叫びっぱなし。でも彼は二度と現れてはくれなかった。「ああどうか、国道ウロウロして、ケガなんかしませんよう、お大師さま、あの子のことお守り下さい。どうか幸せに暮らせますように」

くれくれオバケ

 国道から一本、村の中へ入った。シロとの別れの悲しみに打ちひしがれ、トボトボ歩いていると、向こうから、背広を着て自転車を押して来るフシギな2人のじいちゃんに、突然、「お遍路さーん!」と、でっかい声で呼び止められた。
「何? 何かくれるのかしら」、と笑顔をむける。
「はーい!」
「がんばってやー!」
「・・・はーい。・・・ありがとうございまーす」 
なんや、それだけかいな。
 いや、イカンイカン。どうも何かくれくれという「あさましオバケ」に取り憑かれてるらしい。そのお言葉だけで、心からうれしゅうございます、はい。

神髄をつく、おだんごたち

 もう少し行くと小学校があって、ちょうど下校してくる小学生の集団にでくわした。人なつこい子どもたちで、皆(5〜6人)で、私の後ろから、おだんごになってついてくる。
「なあ、88カ所まわりよるん?」(ほほー、遍路慣れしたご質問ですな) 
「そうよ」
「ふーん。全部まわったら、どうなるのん?」(ドキッ、それは私にもわからない)「うーん、どうなるのかなぁ」 「わからんけど回りよるん?」「うっ、・・・そうなの」「気いつけてな」「あ、ありがとう」「バイバーイ」「・・・バイバーイ」
・・・何と言ったらええのやら。まったく「痛い」ところをつかれてしまった。
でも、とっても素直そーな、くりくりかわいい子どもたちだった。
 その後も、違う小学校の女の子に会ったけど、すんごいかわいい顔して「こんにちわ」と言う。「かわいー! いいー!」 お姉さん、まいっちゃう。
あんなにかわいいと、スケベなお兄さんが連れていきたくなる気持ちわかるなぁ。あぶないなぁー。(菊間町の子どもたちは、本当にかわいかった)

 いよいよ、タオルと造船のまち大西町(そう書いてあった)。
ここからはとにかく、地図で次の目標を目指して歩く。次の目標は「小野田レミコンK.K」だ。よしあった。次は「大原屋商店」。・・・あった、てな具合。
(へんろみち保存協力会刊の、「四国遍路ひとり歩き同行二人」という地図は、本当にエライ! 「歩いて」遍路するものにとって本当に分かり易い、地名や宿、店の名前、目標にできるもの、を細かく書き込んでくれているのだ)
 町の中ではこの「短い目標物」が心を支えてくれる。
夕方になると足も気持ちもつらいがひたすら歩く。

 5時少し前にようやく宿に着いた。と、中から見たことのある顔が。45番から下って行く時に会った横浜のじいちゃん(?)だ。(白髪・白ヒゲぼーぼーなのでよく覚えていた) やっぱり私を追い抜いて、先に来ていた。

 夕食まで、けっこう忙しい。洗濯・荷造り・お風呂(せっかくのお風呂だけど、湯船にはとうとう浸かれなかった。白いの黒いのの毛がいっぱい浮いてて、何だか気持ち悪かったのだ。ごめんなさい)。
 やっと人心地ついて、夕食。横浜のじっちゃんと一緒だった。食事はきのうとはうって変わって・・・だし(皆まで言うまい、食べさせてもらえるだけ上等。それにそんなにヒドかったわけじゃない)、横浜のじっちゃんは、私が「無計画」だとなじるし、辛かった。

説教!

 じっちゃんは、数十日間のスケジュールと宿をびったし決めているのだそうだ。
寺ごとに止まってお経をあげたりもしないし、札所以外に行ってると「キリがない」とおっしゃる。とにかく、ビュンビュンまわるのだと。 
なんで? 私たち遍路は、「お寺詣り」に来てるんじゃないの? 番外霊場だからって、すっとばすことないじゃん。わざわざ道をはずれて数キロ、数百メートル行けっていうんじゃない(それは私もイヤ)、道なりにあるお寺もいっぱいあるんだから、ちょっと時間のある時、線香の一本もあげたって、いいんじゃないのー?
 何回も歩いて回ってるっていうんなら、たまにはのんびりお詣りしてみてもいいじゃない。「若いものは無計画でイカン」だの、「危ないことを平気でする」だの、大きなお世話だ! 
そんなびっちりスケジュール組んでたって、計画通りに行かないこともあるのに。だから人生おもしろいし、立ち止まって人と話すから、いろんなふれあいがあって、心のこやしになると思うのに・・・。(今回はこやしが多すぎるけど)

 じっちゃんの言い方が、心配して言ってくれているというより、あんまりタカビーでゴーマンな感じだったので、(遍路なのに)ついムカムカきてしまった。
 たとえ何回まわっても、たとえ歩いていても、何か大切なことに気づかないままでいる人もいるんだなと、少し悲しかった。自分がどう考えようといいけれど、人のやり方まで否定したり、ムリヤリ自分に従わせようとするのは、断固反対!
 私の朝食の時間を勝手に「6時」に決めるな! 宿の人だって、「6時半より早くしたことないのにー」って、困ってらしたじゃないか。なのにかまわず「2人とも6時にとりますから」なんて言うから、お箸くわえたまま、目が点になってしまった。遍路の間は、どの人の言葉も「大師の言葉」。逆らわず、なるべく流され従ってみようと思っていたが、これはかなわん。「私は6時半にしてください!」と思わず叫んでいた。(宿のオバサンの目が「あんたはいい子ね」と言っていた、ように見えた) それでもじっちゃんの意志は固く、「一人でも6時朝食」を、オバサンに約束させる。それがすむと、また私へのお説教がはじまった。
「お遍路は、早く出て早く宿に入らないとダメだ」「今日みたいに、夕方遅く着いたら(私のこと)ダメ。洗濯もできないじゃない!」だって。
ほっといてくれー! 遅く着きたくって遅く着いたんじゃないの、もう歩きたくなかったけど、せいいっぱいがんばったの! センタクだってちゃんとできたんだから! と心の中でさんざん文句を言ったら、すっとした。
 その後も、明日あさっての行程のレクチャーをして下さるつもりだったようだが、「センタク干さなきゃならないので」とご辞退した。
後で見ると、8時にはもう、じっちゃんの部屋の電気は消えていた。(早い!) そりゃ6時には朝食とれるハズだ。

 午後11時、そろそろ私も寝る準備に入る。今日もたくさんの人に親切にしていただいた。(横浜のじっちゃんも悪い人ではないと思う)
 いつものように、すべての人に幸せが訪れますようにと「やすらかな気持ち」で布団に入った。

・・・が、眠れん!

お茶セット作戦

 この宿、部屋が狭くて汚いのはまだ許せるが(お風呂なんて、蛇口ひねったら、カランがカラーンって落っこちたんだぞ)、部屋にカギがない! おまけに、「ガラス戸」2枚の引き戸なので、電気を点けると廊下からまる映りなのだ。もっとすごいのは、なんと「トイレ」までカギがかからなかった。(廊下に面した扉を開けたら「あら、お尻!」なのだ)
 横浜のじっちゃんは「お遍路」だし、もう眠ってるからいいが、ナナメ向かいの部屋の男性が、さっきから廊下をウロウロウロウロしてる。大丈夫だとわかっていても、なんだか気持ち悪い。
 ささやかな防衛手段として、「お茶セット・ポット・ジュースの缶を戸口に並べる作戦」を決行した。もし侵入者があれば、缶を踏んだり、お茶セットにつまずいたり、ポットでむこうずねをしたたかに打つ、という寸法だ。
遍路なのに、人を疑うなって? ごもっともです。でも、これで少し安心。

 安心して布団に戻ると、今日歩いた、山の中の風景がよみがえってくる。山ではもうセミが鳴いていた。(ちょっと早くないかい?)
 斜面に植わってるミカンの木は、みんな「伊予かん」の木だった。さすが伊予の国。伊予かんの花の香りがあふれていた。甘い香りに包まれて、やがて意識を失った。

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