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掬水へんろ館
平成9年

 この年、私は忙しかった。秋に、大阪で開催される「なみはや国体」のマスコット「モッピー」の「声優」の仕事をしていたため、着ぐるみ(モズの形をしたぬいぐるみ)と一緒に、PRイベントに走り回っていたのだ。(私が着ぐるみに入っていたわけじゃないのよ、念のため)

 各地で開催される様々なイベントに顔を出し、私の声に合わせて機敏に動く着ぐるみを、舞台のそでから盗み見ながら、
「なみはや国体のマスコットのモッピーでございます〜! よろしゅうお願いします〜! 応援してなー、見にきてなー。ほななー」と、大阪弁で叫んでいたのだ。
 もちろんその間に、通常の仕事(取材や司会やナレーションなど)もしていたので本当に忙しかった。

 ところが、桜の花が咲き始める頃になると、また私は「遍路」に出たくなっていた。この時期を逃すと、1年を棒に振ることになる(夏は暑い、冬は寒い、秋は、スズメバチが恐い)。仕事は大事だが、「遍路」も捨てられない。
 幸い、国体関係からは、「5月の連休開けなら、モッピーの出番はしばらくない」と、了解をとりつけ、他の仕事もなんとか後へずらしてもらうことができた。(「帰るまで待っててあげる」という、心やさしい仕事先まであった。有り難いことだ)

 こうして、今度も2週間近い「休暇」を確保することができた。

平成9年『出会いの日々』
5月10日(土)[ 晴れ ]

 母に、これまで(4回)の「遍路行」ですっかり擦り切れ破れた「ずだ袋」を繕ってもらい、しばらく食べられない肉(極上のステーキ肉だった)を食べさせてもらい、お餞別までもらって、「第5次遍路行」に出発。
 恋人に神戸の青木港まで送ってもらう。毎日会っていた彼と、何日も離れるのはつらい。フェリーの待合室で、ひとしきり別れを惜しんだ。
 いよいよ乗船だ。

彼氏とおばさま

 前回の帰りと同じ「ほわいとさんぽう」で、松山へ向かう。
船室も、これまた前回とまるで同じ「310号室の1番」で、同室者も、おばさまが一人。何もかもが「同じシチュエーション」というのが、不思議におもしろい。
 私が「遍路杖と菅傘」をもっているので、さっそくおばさまが話しかけてこられた。それから怒濤のように話が続く。

 ただひたすら相づちを打ちながら、窓際ににじり寄ってチラチラと外を見る。(船室に入って、おばさまの話がしばらく続いたあとだから、けっこう時間がたっていたのに)港の道路わきに停めた彼の車が、まだそこにあったからだ。
しばらくして、船から離れたらしい彼の姿が視界に入り、駐車場を抜けて車の方へ歩いていくのが見えた。しかし、おばさまの話は続いている。
 笑顔で相づちを打ちながら、横目で彼の姿を追う。車に乗り込む彼が気になるが、口はおばさまの話にあわせている。「え、ああそうですよねぇ、へぇーそうなんですか」(ああ、車が出ていく) でも、ちゃんとおばさまの話も聞いている。
「え、そーなんですか、まぁ!」(・・・行っちゃった)「・・・」。

 感傷にひたる間もなく、また、おばさまの話に引き戻されていった。

老人ホームへ行く女性(ひと)

 おばさまは、山崎さんとおっしゃる京都の方で、これから松山にある「松寿園」という老人ホームへいらっしゃるところなのだとか。
 ご自身も老人ホームに勤めていたことがあるので、いろいろ良いところを探し回って、一番希望どおりの、山あり海ありミカンあり(ミカンがとてもお好きなのだそうだ)の、そのホームに決められたらしい。正式には7月からの入居だが、慣れるために、月に一度、数日間、泊まりに行くのだそうだ。
 「四国の人間は情があってとってもいい、そんなところも気に入ったの」とおっしゃる。
 延々2時間程の「身の上話」のあと、やっと「遍路」の話になった。お母様が娘の頃遍路をされて、その話をいつも聞かされていたので、私を見てとてもなつかしいのだそうだ。おまけに今日は、お母様の「命日」だという。
 これもまさに「ご縁」だと思って、今回遍路をはじめる「45番岩屋寺」で、お母様のためにお詣りすることを約束した。それにもう一つ。山崎さんが行かれるホームは53番寺の近くで、遍路道の途中にあるらしいことがわかった。たぶん彼女が京都に帰る日までには行きつけると思うので、「ぜひ立ち寄ります」と約束。

 これを「仏縁」というのだろうか、それとも命日のお母様が、引き合わせられたのだろうか。どちらにしても、この方の役に立たねばならないと思った。

 広い船室を2人でゆうゆうと使って、ゆっくり眠りに落ちてゆく。

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