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掬水へんろ館

平成8年『野宿』
5月3日(金)[ 晴れ ]

 朝は宿でゆっくりして、昼頃帰途に着こうと思っていた。
 起きたらまた絶不調で、喉は痛いし顔も腫れていて(まぶた周辺まで腫れてる感じ)、すごいブス! 相変わらず、足も痛いので「やっぱり帰ろう」、そう思ったのだ。でも、まだ心の隅っこの方に、「下(44番)まで歩いてからでもいいかな」という気持ちも残っていた。
 だから朝食には、遍路装束を着て降りた(部屋が2階だったから)のだが、宿のおかあさんに「バスは朝7時37分のだけ。昼のは20キロ降りんと乗れんよ」と言われて、気持ちがグラグラッと揺れた。
「朝のに乗れなかったら、20キロ?」
 どーしよう・・・。

有り難い決断

 一人歩きの個性派オジサンは、朝早くに発って、もうおられない。そこで、岐阜組のおじいちゃんが朝食に来られた時、帰ろうかどうしようか迷ってることを相談してみた。するとおじいちゃんは、「もう、今日の朝のバスに乗って帰りなさい」と、きっぱり言って下さるではないか。(やった、許可が出た!)
 迷っている時、誰かに「・・・しなさい」という断固たる「決断」をしてもらうのは、とても有り難い。(ラクな方を選んで下さったから、余計うれしかったのかもしれないけど) これ幸い、「これは弘法大師の声なのだ」とばかり、喜んで受け入れる。
 でも食事の間に、今度はおじいちゃんの方が悩みだしてしまった。「いや、下まで歩いて降りた方が、来年来た時、ラクかもしれん・・・うーん」と、私の来年度の行程の心配がはじまる。いいえ、じいちゃま、もう聞きません! もうすっかり「帰る気」になってんですから。
 早々にご飯を片づけ、部屋に戻り、新記録の早わざで支度した。部屋中にかかった洗濯物を、だだーっと店じまい。あれやこれやの小物も必死で詰め込み、遍路衣装を脱いで「帰りの服」に。荷物を持って降りて、玄関先で化粧。(やっぱり顔が腫れてる。ブスだ)
 皆さんと一緒に、宿で朝のお祈りも済ませ、トイレまで済ませても、(バスが来るまで)まだ時間が余った。 人間、やればできる。

 でも、あわてるとロクなことはない。彼(恋人)から借りた小さな電卓を忘れたことに、あとになって気づいた。・・・やっぱり抜けてる。

消失感

 7時37分、宿のすぐそばから岐阜組の皆さん3人とバスに乗った。久万へ向かう。きのう、あんなに苦労して越えた山や峠が、あっという間に通り過ぎてゆく。皆であらためて「車と人間の足の違い」を感じた。「へんろマーク」も、ビュン!と通り過ぎてしまう。
 きのう3時間半もかかったのに、今日はたったの20分で、久万の町に着いてしまった。
 ここからJRに乗ろうかと迷ったが、またじいちゃまたちと同じバスに乗って、松山まで行くことにした。45分間の待ち時間も、じいちゃまたちと遍路の楽しさを語っていると、アッという間だった。

 バスに乗り込んだ。田舎のバスは、ガタゴト走る。じいちゃまたちは、46番浄瑠璃寺手前、峠の下りになっている塩ノ森という所で降りて、歩かれる。このままあと3日、遍路を続けられるのだ。うらやましくもあり・・・。
 他の乗客の皆さんの微笑みの中、大きな声でお互いの健闘を祈ってお別れした。3人の老遍路が手を振りながら車窓の隅に消えていく。そこに、遍路姿の自分も置いてきたような、かすかな消失感をおぼえた。

ゆっくり「俗世」へ

 松山に着くと、目の前に伊予鉄道の駅があって、松山観光港へ連絡しているという。JRで高松まで行ってフェリーに乗るか、松山から乗るか。神戸に着くのが早いか遅いかの違いだ。彼氏に電話を入れると、「『遅い方』が迎えに行く都合がいい」というので、「松山からコース」を選んだ。遍路が終わると、途端に人に頼る人間に戻るのが情けない。(いや、遍路中も同じか)

 三宝海運の「ほわいとさんぽう」で、松山観光港を12時に出港。神戸に着くのは午後9時半の予定なので、なんと9時間半もかかることになる。他の船は大変な混雑なのに、昼の神戸行きはガラガラだった。
 貴重なゴールデンウィーク、少しでも時間を有効に使いたい人たちにとって、神戸まで9時間半もかけるなんて「ジョーダンじゃない!」のかもしれない。でも、ゆっくり「俗世」に戻りたい私にとっては、好都合だった。

 この船の2等船室には、ちゃんと指定席(?)があって、私は310号室の1番。1畳ほどのスペースが私の指定空間。でも、15人用の部屋に、私と大阪からのオバサンの、二人きりだったので、のびのび開放感がある。同室のオバサン、「遍路」に興味があるらしく、お貸しした「遍路地図」を見て、長いこと研究しておられた。
 お昼にお弁当を買って食べてから眠くなったので、少し横になる。目が覚めて、ギョッとした。左目が異常に腫れているではないか。おまけに目尻から黒目のふちにかけて、薄い膜がはって、水がたまっている感じだ。左側を、横目で見られない状態。何か変な病気になったのだろうか。
 「アメリカ放浪旅」の時、やはり目頭のピンクの膜が腫れあがって大騒ぎしたのを思い出した。(その時は、泊まってた小さなホテルのオーナーが、近くの目医者さんに連れてって下さって、事なきをえたけれど) 私の場合、疲れると「目」にくるらしい。きっともう限界だったのだ。今日、帰ることにして、ホントによかった。目薬を点したり、ティッシュで押さえたり、いろいろやってるうちに、少しマシになってきたような気もするが、今度は鼻水までたれてきて、もうサイアク。

 そういえば、去年も「帰り」は絶不調だった。「気が張ってる」あいだはわからないが、知らず知らず身体を酷使しているのかもしれない。
 そりゃそうだ、私の普段の生活に、「運動」「スポーツ」「歩く」なんて言葉、どこにも出てこないんだから。ま、これで、今年の「厄落としになれば幸い」ということにしておきましょう。

 「でも、こんなブスな顔で、彼に会いたくないなぁ・・・」と思いながら、やがて眠りの底に落ちていった。

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