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平成8年『野宿』
【7日目】(通算33日目) 5月1日(水)[雨のち晴れ時々曇り]
午前6時に目覚ましをかけていたのに、4時半くらいになんとなく目が覚めて、5時には起きてしまった。
早めの朝食をとりながら出発の準備をしていると、5時40分頃、田村さんが「出発」のご様子。玄関まで見送りに出る。私が出発できたのは6時45分。1時間も「差」ができてしまった。
田村さんが出発される時に降っていた雨はもう上がって、私が内子へ降りていく頃には、青空が見えていた。 軽快に、でも慎重に、足を痛めないように、ゆっくりペースで歩く。しかし、がんばれば「ひわだ峠」を越えて今日中に44番寺まで行き着けるかもしれない。だんだんやる気がでてきて、一生懸命歩きだす。
竜王荘のオジサンに描いていただいた地図を持って、ケーカイに歩く。学校へ向かう学生たち(みんな自転車かバイク)に、おはようを言いながら、1時間に10分以上の休みをとって歩く。珍道中、再び
田村さんの前を行く 時には田村さんが前を行く 長岡山トンネルを抜け、和田トンネルを抜け、大瀬の小学校を越えたあたりで、前方に見覚えのある人が! ナント、4キロ先(私より1時間前に出発したんだから)を歩いているハズの田村さんが座っておられるではないか。
「やっぱり。追いつかれるんとちゃうかなぁと思ってたんや」と苦笑いの田村さん。(私もちょっと思ってたけど)まさかほんとに追いつくとは。また、2人の「珍道中」がはじまった。どうも私が先を歩いてしまうので、何度も振り返っては彼を待つことになる。待たれるのも辛いだろうとは思うが、はいサヨナラともいかず、結局2人して「ひわだ峠」へ入る方の道を行くことになった。私は最初からそのつもりだったのだが、田村さんも心配して下さったのか(?)「同じ道を行く」とおっしゃって、一緒に行くことになったのだ。しかし、彼の足で「峠」を越えるのはムリなんじゃないだろうか。気の毒なくらい足が痛そうなのだ。見ている方が辛い。
偽善なの?
時々は、並んで歩いて話をする。田村さんは、自分を熱く語るタイプ。仕事に対しても人生に対しても、とても意欲的な人のようだ。ただ、他人にべたべたする人じゃないな、という感じを受けた。
大瀬を過ぎたころ、目の前でバイクがころんだので、私はびっくりして駆け寄ったのに、田村さんはそのまま行こうとする。(バイクに乗ってた「お兄さん」もころがったのに、よ!)
転倒事故より、そのまま行ってしまおうとする田村さんにビックリした。バイクの青年はすぐに立ち上がったし、怪我もないようだったからなんだろうけど・・・。一言「大丈夫?」くらい声をかけてもいいんじゃないのかなぁ、いつもいろんな人に助けてもらってる「遍路」なんだから、たまには人の心配もしたいじゃないか、と思った。でも、よく考えると、事故というほどでもなかったし、バイク青年にとって、人前でころぶのはかなり恥ずかしい出来事だったに違いない。「見ない振り」をしてあげた田村さんの方が本当はやさしいのかもしれない。 実際、「大丈夫ですから(ボクにはかまわないで)」と、少しオイルが漏れだしたバイクを押して、青年はそそくさと去って行ったのだ。
では、私の行為は、単なる「偽善」なのか・・・。人生って、難しい。
千人宿記念大師堂 「千人宿記念大師堂」で、1時間近くも休憩。キレイな畳敷きの、よく手入れされたお堂だった。そばに田村さんがおられるのもかまわず、久しぶりに長いお経を読んでゆっくりしてから、再び出発。
楽水大師堂を越えて、いよいよ最後の分岐点に立つ。峠に入るか国道の道を行くか、ここが思案のしどころだ。そしてやはり「峠道」を選んだ。
峠道とはいえ、きれいなコンクリートの、比較的広い道。でも、車はあまり通らないので、景色を見ながら(私は)気持ちよく歩く。田村さんは相変わらず辛そうだったが、手を貸すことも、足を貸すことも出来ない。振り返り振り返り行く。誰の気ごころ?
地図では「谷の宮口」、実際には「宮の谷口」という待合所の手前で、また少し休憩。
田村さんにいただいたタケダのビタミン剤を飲み(田村さんは武田薬品にお勤めなのだ)、また元気に出発した。小田町農協田渡支所の所で、早々に宿に予約電話をしてみた。(今日の行程的にちょうどいい「真言宗福城寺」に泊めてもらいたかった) でも、「うちは宿泊はダメ、そのかわり45番手前の「門田屋旅館」に泊まりなさい」とおっしゃる。「まだ44番も打っていない」と言うと、今はみんな、ここだけ「逆打ち」するんだからそれでいい。45番から44番へ打てば同じ道を戻らなくてすむのだ。「だから今日は門田屋さんに泊まりなさい、気ごころの知れたいいところだから」、と丁寧に教えて下さった。「誰の気ごころが知れてるんだろう」と不思議に思いながらも、お礼を言って電話を切った。田村さんに話すと、不満そう。あくまでも順に打ちたい様子だ。それは私も同じだし、第一、門田屋さんまで行きつけるハズもない。(電話の人は、私たちの今いる場所を勘違いしておられたのだ)
「また野宿か?」の覚悟で歩く。それにしても田村さん、かなり足が辛いようで、ナカナカ前へ進まない。延命山厄除大師で休憩、お詣りして、次に店のある所まで、がんばって歩いていただく。
小田農協臼杵支所で、パンとジュースでひと休みしながら、私はひたすら宿探しをした。(田村さんは「やっぱり宿に泊まりたい」風なのだ)
農協のオジサンも、親切にイロイロ教えて下さったが、やはり宿はなかった。
やっぱり、とうとう「野宿」決定!葛城神社
葛城神社、野宿前晩餐 でも、野宿するにも「場所」が肝心なわけで、全身で「もう歩きたくない」と言っておられる田村さんにも、もうひとがんばりしていただかねばならない。
しばらく歩いて下坂場峠を越え、ようやく今夜の野宿予定地「葛城神社」にたどり着いた。
なかなか大きな神社で、境内にトイレも水もある。本殿前の板張りの舞台(?)には、大きな屋根もある。でも、「壁」がない! 能舞台のさびれたのみたいな、三方吹き抜けの場所なのだ。ちょっと寒いかもしれないぞーと、心配にもなる。
田村さんは、重いのにがんばって持ち歩いてこられた寝袋を、私に貸して下さるとおっしゃるが、お借り出来るわけがない。私の「銀のサバイバルシート」がどれだけ暖かいかを必死で説明すると、ようやく自分で寝袋を使うと言って下さった。やはり「男気」のある人だったのだ。(「この人が倒れたら、私が人を呼びにいかなくちゃ」と、一緒に歩いてきた。が、「付き添ってきた」つもりで、実は、私の方が、彼の「気がかり」になって、苦行をしいているのかもしれない・・・)さて、「境内で寝る」ことを、誰かに許可していただかねば、と思い、「私たちは遍路で、あやしい者じゃありません。決して火も使いませんから」と、近所の人や、神社に来た人に声をかけていると、神社のすぐ下の家のご主人が、「お風呂入りなさい」と、なんと「お風呂接待の申し出」をして下さった。うれしい! あつかましいとは思うが、「ご遠慮」なんてぜったいしたくない。もう即「お願いしまーす」、笑顔満面。
夕方は、田村さんが買って下さった魚肉ソーセージとバランスアップ、リンゴなども少し食べて、つつましく過ごした。
今日は「野宿」だし、なんだか冒険してるみたいで、ちょっとうれしかったりする。3日前の「野宿」とはシチュエーションが違う。山の中だし、車も通らない、民家も少し下の方にあって、ここだけ隔絶された感じなのだ。
今日の方が、だんぜん「野宿」っぽい。お接待のお風呂
迫りくる夜を感じさせる冷たい風が、汗で濡れた身体をなぶりはじめた頃、オジサンの「もう入れますよ」のお誘いの声がかかって、めでたく入浴となった。
田村さんは、「寝冷えするから、いい」と、すぐ寝袋にもぐりこんでしまわれたので、一人で神社下のお宅を訪ねる。うまく説明できないが、外からも、家の中からも入れる、不思議な造りのお風呂に入れていただいた。お湯を汚すと悪いので、「湯船にはつかるまい」と思ったが、あまりに身体が冷えてきたので、痛いほどゴシゴシ身体を洗ってから、やっぱりお湯につからせていただいた。洗髪に使うお湯もできるだけ少なめにして、シャワーも使わない。いつも長風呂の私も、今日はカラスの行水、行儀もいい。
お風呂を出てから、お茶まで飲ませていただきながら、玄関口に腰かけ、家のご夫婦としばらくお話をした。昔、この家は「遍路宿」をしてらしたんだそうだ。(だから、こんな親切にして下さったのね)「家に泊まってもらってもいいんだけど」、と言って下さるのを、「連れがありますので」と丁寧にご辞退すると、毛布を貸して下さった。有り難い!2度目の野宿
神社の境内に戻って、すっかり「みの虫状態(寝袋姿)」の田村さんに、「私は毛布をお借りしたんですが、田村さん寒くないですか?」と声をかけると、「寝袋はとてもあったかい」とおっしゃったので、安心した。
田村さんは社の舞台の入口「賽銭箱近く」で、私は奥の「神殿の扉にくっついた所」に寝床をとった。かなり離れた位置にころがった遍路ふたり。どちらにしても、吹きっさらしにかわりはない。そんな状況で、あったかく眠れるわけがない、と思っていたのに、なんと、ぜんぜん寒くなかった。それに、板張りに、じかに寝たのに、背中も痛くなかった。ピクニックシートの上に、お借りした毛布を三つ折り、その毛布の2枚と1枚に分かれる部分に挟まって、得意の銀シートをかぶった。その上から重石がわりに、田村さんからお借りしたポンチョのカッパをかけて、濡れた髪と顔にはタオルをかけ、首をすっこめて寝た。すごい格好だ。でも、自分の息がシートの内側にこもってあたたかい、毛布のベッドはやわらかい、で、8時頃から横になったにもかかわらず、眠れたのだ。もちろん浅い眠りだし、夜中に何度も目が覚めたけれど・・・。
ここの夜は、騒がしかった。カエルの大大大合唱、鳥の声、おまけに夜中、急にウーーという大きな「警報音」が鳴って、村中に響き渡る「お知らせ」が入った。「○○地区の○○さんの家が火事です。消防団の人は出動してください」だったろうか。「あらまぁ大変だなぁ」、とは思ったが、見に起きる気力はまるでなかった。そのまま、またウトウト。
もののけ
ところがこの夜、私たち野宿遍路は、「不思議な体験」をした。(と思ったのは私だけかもしれないけれど)
夜中、何だかものすごく「恐ろしげ」なものがやってきたのだ。それは、田村さんの寝ている近くに、「突然」やってきた。木の上なのか、地面なのか、暗くて見えないし、恐くて見る勇気もなかったが、「それ」は突然、ものすごくおそろしい、妖怪のような声で鳴きだした。声から察するに、そうとう大きなモノのようだ。犬類でも鳥類でもない、もちろんタヌキやキツネ、猿でもなさそうだ。 不気味な存在感をもって、「ぐえー」とも「ぎゃー」とも表現できない、今まで聞いたこともないおぞましい声で鳴きはじめた。
寺に「幽霊」が出ても驚かないが、ここは「神社」なのだ。幽霊というより、「妖怪」や「物の怪」「邪神」のたぐいなのだろうか? などと想像を巡らしてしまう。
さすがの田村さんも気持ち悪くなったようで、寝袋に入ったままイモムシのように伸縮しながら後方へ下がっていかれる。何をするのかと思ったら、寝たままの状態で、手だけ出して、金剛杖を取り上げた。杖についている鈴が「シャン」と鳴る。
途端、「鳴き声」が止んだ。見事にピタッと!声の主が、どこかに飛び去ったとか走り去ったとか、そんな「音」もまったく聞こえなかった。でも、それきり「声」も「気配」もなくなってしまったのだ。
それは、突然来て、突然去ったのだ。
「ぬえの鳴く夜はおそろしい」なんていう映画の宣伝コピーがあったけど、その「ぬえ」みたいなものだったんじゃないかなぁ。何者だったんだろう、何処から来て何処へ行ったんだろう・・・。(ものすごい不思議)「異次元からの魔物到来」みたいな、つくづく不気味な時間だった。でも、田村さんと一緒で、ホントによかった。
それにしても「お杖」の威力はすごい! なんてこと考えながら、その後(私は)、朝まですやすや、あたたかく眠ったようだ。
恐かった。でも、おもしろい体験だった。
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