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掬水へんろ館

平成8年『野宿』
【6日目】(通算32日目) 4月30日(火)[雨のち晴れのち曇り]

 午前6時起床。やはり「ベッド」は快適なのか、昨夜はよく眠れた。でも、目の下は腫れてるし、心の中もどんより。「もう神戸に帰ってしまいたい」、そんな気分にもなる。だからなのか、せっせと準備したわりには出発は7時半になってしまった。

 出発前に、Nさんからホテルの部屋に電話がかかってきた。もうすでに歩いておられるという。「寝坊さんを起こしてあげようと思って」だって。(面目ない)

 今日は雨。きのうの「野宿」に続いて、カッパが本来の活躍をする日だ。カッパ完全装備に傘までさして、出発! トラックにバッシャンバッシャンはねをかけられても、負けない。きのうさぼった分、ひたすら歩く。

脱皮

 今朝の天気予報では「降水確率90%、大雨や雷も」なんて言ってたのに、しばらくすると、雨はきれいさっぱり止んで、青空が出た。「それはそれでうれしくもありー」、てなわけで、道ばたの民家の道具置き場の軒先を借りて、カッパを脱ぐ。そこへ後ろから、歩き遍路の男性が一人やって来た。
 私を待ってくれるような仕草だったが、私は、青ガッパから真っ白の遍路姿への「脱皮」の最中だったし、えらく足の速そうな人に見えて臆してしまったので、「私は遅いので(捨てて行ってください)」と、やり過ごして、その後、彼の後ろ姿を見ながら歩くことにした。

 やがて「鳥坂トンネル」登場。長さ1,111メートルと書いてある。「ジョーダンじゃない、そんな長い時間排気ガスを吸っちゃ大変!」、と少し引き返して、近くにいたオジサンに「遍路道」を訊ねてみた。が、「今は行けない(通れない)と思う」と言われて、ガッカリ。
 覚悟を決めて、またトンネルまで戻り、千メートルの暗闇に突入した。タオルで口を押さえ、何も考えずただひたすら歩いてみると、存外早く出口の光が見えた。
 トンネルでは「無心で歩く」という行為ができるのかもしれない。

ウワサのハード遍路

 光の世界に戻ってしばらくすると、さっき道具置き場の前で私を追い越して行った男性が、道路脇の山沿いの壁にもたれて休んでおられた。
 追い越されることはあっても、「追いつく」なんて初めてだ。車が通る道ばたで、靴を脱いでのびきってらっしゃる姿に誘われて、私もご一緒させていただくことにした。少しお話してみてビックリ! きのうNさんと一緒に歩いておられたという「ウワサの人」ではないか。(Nさんがしきりにこの人の話をされていたのだ)
 大阪の吹田市からいらしてて、Nさんと同じ、歩き遍路、区切り打ち4年目。今回は63番くらいまで行く予定だという、ハード遍路の人?
 でもNさん曰く、「ボクよりずっと先を歩いているハズ」、なんじゃないの? なんでこんな所にいて、トロい私にまで追いつかれちゃってるの?

 「足が痛くて、ぜんぜん歩けない!」
と聞いて、納得した。
「今年は40番の前から歩くはずだったのに、勘違いして41番に行ってしまった。もう40番の納経は済んでいるが、40〜41の間を歩かないのは、自分を偽ることになるので、また40番までバスで戻って歩いている。予定を取り戻そうとあせってペースをくずし、足を痛めた」のだそうだ。
 確かに、ずっと歩いていると、「歩くべきところ」を少しでもとばしてしまうのは、耐えられない。この方も、「全部歩く」ということに、こだわりをもっておられるようだ。

オキテ発祥の地

別格第8番「十夜ヶ橋」
寝姿の大師の前で
別格第8番「十夜ヶ橋」
「いわれ」と同じ強風にあおられ凍えそうだった

 体格も良く、足以外はお元気そうな、田村さんとおっしゃるこの方と、歩くことになった。私が先にたって歩くという珍しいパターンだったのに、それでも速度が速すぎたらしく、何度も田村さんを振り返って待つことになる。でも、気がつくとすぐ、距離がひらいてしまう。足が痛いという彼を、せかせているようでとても申し訳なかった。それでも、大師が寝てらっしゃるという「十夜ヶ橋」まではがんばろうと、休みもとらず、2人とも一生懸命歩く。
 途中、道の真ん中でウグイスが死んでいるのを、田村さんが見つけて下さったので、十夜ヶ橋まで連れていくことにした。

 雨がすっかり止んだと思ったら、今度はものすごい強風が吹き始めた。何度も飛びそうになりながらも(身体が軽いので、うっかりすると何十センチか、ホントに飛んでしまうことがあるのだ)、なんとか別格番外霊場8番「十夜ヶ橋」に到着。
 弘法大師がこの地を通った時、宿を貸してくれる所がなく、橋の下で野宿することになったが、あまりにも寒くて、一夜が十夜にもまさる思いだった、という有名な場所だ。
 遍路は「橋の上で杖をついてはイケナイ」と厳しく教えられているが、それは「今もお大師さまが橋の下で寝てらっしゃるかもしれないから」で、その「オキテ」発祥の地がここなのだ。お詣りしないわけにはいかない。(でも、佛木寺で親切にして下さったおじさんが教えて下さらなかったら、知らずに通り過ぎてしまっただろう)

 納経所のお坊さんは、別格のお寺にしてはなんだか事務的だった(別格とはいっても、ここは弘法大師の有名な逸話のある場所なので、団体遍路も多く、いちいちかまってられないというところかな)。しかしここで休みたい。近くのベンチでご飯を食べて(田村さんが民宿のオジサンに作ってもらったおにぎりを2個も下さった。いい人だ)、いよいよ、大師が野宿されたという橋の下へ降りてみる。大きな「寝姿の大師像」がおられた。

 連れてきたウグイスの亡骸を大師像の前に置いて、お経を唱える。どうぞやすらかな世界へ連れていってあげて下さい。

へんろの意味

 お祈りしてる間中、(なんだか「出来すぎ」みたいだけど)本当に大強風が吹き抜けて、歯がガチガチいうほど寒かった。身体が凍える。大師が、寒い辛い思いをされたというのを、身をもって体験したようだった。
 田村さんは、「宗教心はまるで無い!」とご自分でおっしゃるとおり、お詣りもそこそこに写真をパチパチ撮っておられる。「歩き遍路は、自分の体力への挑戦なのだ」とおっしゃるが、神仏に手も合わせないなんてのは、「お寺詣り」をしてる意味がないんじゃないかしら、と思ってしまう。・・・でも、「歩いてまわる」ということに意味があるのだから、どんなやり方でも、人を批判するのは間違っているのかもしれない。
 「自分が一番正しい」と思う奢った気持ち、「こうしなければ意味がない」などという自分勝手な考えを戒めなければ、私の旅にも意味がなくなるのかもしれない。・・・いろいろ考えさせられる。

龍王温泉

 内子(うちこ)の旅館に電話してみた。1軒は12000円もするというし、もう1軒はいっぱいでダメ。
 遍路道からははずれてしまうが、「竜王荘」という宿を教えていただき、やっと今夜の宿泊先が決まった。もちろん田村さんも道連れだ。
 遍路道が見つけられなくて、今日はずっと国道沿いを歩いている。足をひきずり、かなり辛そうな田村さんを振り返り振り返り、教えられた道を行くが、五十崎町に入っても、いっこうにそれらしき所に出てこなかった。44番を指す「へんろマーク」からはずれて、ずいぶん歩いたのに、大丈夫なのだろうか。町の人に何度も訪ねた。皆さん「すぐそこ」みたいにおっしゃるが、ぜんぜん着かないじゃないか!
 田村さんのことが気になって仕方なかった。足、かなり痛そうなのに、かわいそうすぎる。それに明日、またこの道を引き返して遍路道に戻るのかと思うと、なんだか申し訳ない。

 竜王荘は、少し山の上にあるので、最後の坂道を登って、やっと到着。がんばったかいあって、景色はバツグンだった。宿の人に訊いてみると、ここから内子の町までは、すぐなのだそうだ。つまり、今日歩いた道を引き返さなくても、そのまま前方に降りて行けばいいらしい。よくみると、遍路地図にも「龍王温泉」と、名前だけは載っていたし、ちゃんと進行方向に向かっていたのだ。ヨカッタ、ヨカッタ。
 おまけにここは「温泉」ではないか! ゆっくり温泉につかって、筋肉をほぐし、すっかり温まることもできた。さらに! 5500円で、夕食は超豪華(天ぷら・お刺身・鮎の煮付け・ゆで豚・メロンまで)で、ほんとにおいしかった(豚は田村さんにさしあげた)。
 竜王荘のすぐ下に、龍神さまをお祀りする「龍王庵」があったので、夕食前にお詣り。石段の一段一段に「お札」を埋め込んである厄除石段を、「六根清浄」を唱えながら108段登る。宿のすぐそばに神社があって、労せずお詣りできるのは、得したみたいで、うれしい。
 田村さんとは、明日は、出発の時間も違うし別々の道を行くことになるだろうので、夕食後に納め札の交換をして、お別れの挨拶をした。お互いの無事を祈ってそれぞれの部屋に戻る。

がんばった足

 今日、休憩の時「靴」を脱いだら、靴下にすごい血がにじんでいた。いつの間にかできたマメがつぶれたらしい。
 宿に着いて靴を脱いだら、今度は靴下に穴があいていた。それほど強行軍だったろうか。予定より3キロ余分に歩いただけなんだけど、けっこうがんばったのかもしれない。でも、ぜんぜん痛くないんだ、これが。・・・フシギ。
 マメができたのは、あとにも先にも、この時だけだった。

 家にも彼にも、「明日はまだ帰らない」と電話を入れた。

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