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掬水へんろ館

平成7年『震災と遍路』
【5日目】(通算22日目) 4月16日(日) [ 雨 ]

 昨夜、乾燥機が使えなかったので洗濯物を部屋に干して寝たが、やはり乾いていなかった。そこで、朝のおつとめの時に、乾燥機に入れておく。40分100円。(センパイは、午前3時に起きて乾燥機に入れられたそうだ)
 朝食のあと、団体遍路の皆さんは、嵐のように去って行った。あの方たちも忙しくて大変なんだ、と思うと、気の毒な気もする。私みたいにボンヤリしている人間には、とても団体行動はできそうもない。
 乾いた洗濯物をたたみながら、「皆、えらいなぁ」とつぶやいていた。

 私はグズなので、センパイを先に送り出すことになったが、お別れするのがとてもなごり惜しくて、私も、今日センパイが泊まる宿に「追いつこうかしら」なんて考えたりする。しかし、やっぱり「グズ」。出発が8時になった。追いつけるハズがない。
 ま、マイペースで行くしかないな、と外へ出ると、雨だ! さっきまで霧雨くらいだったのに、けっこう降ってる。折りたたみ傘を出して歩くことにした。何度も何度も地図で道を確かめながら行く。今日は先達がいないので、ボンヤリ歩いているとすぐ迷子になるけれど、一人なので、自分のペースでゆっくり休み休み歩いけるという利点もあった。歌もいっぱい歌ったし、お経も何回も唱えた。

センパイの通った道

 国道56号線をしばらく南下すると、やがて遍路道に入る。民家の間を抜けるまではよかったが、山に入ると、傘は不自由だ(木の枝などで傘がじゃまになる)。菅笠にかえて、濡れた下り山道をずるずる滑りながら歩く。「センパイはいつ頃通ったのかな」、「センパイのレインコートは蒸れ蒸れタイプなのに大丈夫かな」、「午前3時に起きたのに体調大丈夫かな」と、とても気になる。でも、遍路道も国道も、少し前をセンパイが歩いておられると思うと心強い。追いつきたいとも思ったが、さんざん別れを惜しんで、たいそうにお別れしたし、それに、とても追いつけるほど歩けない。山の遍路道を越えて、雨の国道をテクテク歩きながら、今日はやっぱり「佐賀泊まり」と決意した。

 結局、三宅センパイと歩いたのは、たったの2日間だったけれど、お寺での、心のこもったお詣りの仕方や、すべてのもの・出来事に感謝する気持ち、「遍路らしいあり方」を、言葉ではなく、態度で教えていただいたような気がする。

【センパイとは、その後も、「手紙のやりとり」をさせていただいている。
 平成11年に下さった、私への「結願おめでとう」の手紙に、センパイは、「貴女と歩いている時、私は『娘巡礼記』の著者、高群逸枝に同行した伊東老人の気持ちでした」と書いてこられた。そういえば偶然にも、その年(震災の年)、センパイに会う少し前に、自転車遍路の方からいただいた本が、そんなタイトルだったと、本棚にしまい込んだ本を取り出し、あわてて斜め読みしてみた。昔の文体 で読みにくかったのもあって、詳しい内容はほとんど理解していないが、その本の中の「お爺さん」と同じように、センパイは、私を大切に扱い、導いて下さったのだと知って、またまた頭が下がり、有り難く、あの時のセンパイこそ「仏の化身」ではなかったのか、と思えて仕方ない。
 あの時のセンパイの言葉が、私の「その後の人生」にも、大きな影響を与えることになるのだから・・・】

お風呂から太平洋

 佐賀温泉のあたりで宿に電話したら、「ちょっと早いけど雨も降ってるし、早く来てゆっくりするといいですよ」と、やさしいお言葉。「買い物に出るけど、玄関に書き置きをしておくから、入ってゆっくりしてて下さい」、とも言われた。有り難い。(今日は20キロしか歩かないから楽勝だ)
 宿までもう少しという所で、JR土佐佐賀駅に寄って、トイレを借り、安心感からジュースも買って一気飲みした。あー、気持ちいい。 そこから1キロほどで、今日の宿「内田屋旅館」に着いた。2時半過ぎだった。 早い! センパイには申し訳ない気がしたけれど、今日は休養日ということで、お大師さまが特別にお休みを下さったのだと思うことにした。

 でも、世の中そんなに甘くはなかった。 留守の宿に勝手に上がらせていただき、書き置きのとおり、指定の部屋に入ってはみたものの、コタツも座布団もない。雨で身体が冷えきっていて、かなり辛い。お風呂もまだだけど、とにかく乾いたものに着替えて、リュックから小さな布袋を出して、その上に座ってみた。しかしそんなもの何のたしにもならない。とにかく寒いのだ。ガタガタ震えながら、今度は食事の心配がはじまる。「食事のこと言い忘れたけど、大丈夫かなぁ。夕食食べさせてもらえるかしら」。
 寒さと空腹と不安で、せっかく早めに宿に入ったのに、ちっとも落ち着かなかった。

 しかし! 宿のお母さんが帰ってきて、お風呂に入れていただいたら、そんな不安も寒さも何もかも吹き飛んでしまった。お風呂が絶品なのだ! キレイな家庭風呂という感じなのだが、湯船は、身体をのばして、ゆったり横になって入れる広さ。シャワーはひとひねりで温度調節OK。それに何より、海が! 「う、海が見えるー!」 窓を開けると前は海なのだ! お風呂に浸かったまま、寝そべったまま、太平洋が見られるのだ! 露天風呂並みなのだ! それも一人でのんびり、なのだ!!
 感動しまくりで、身体も心もホカホカになった。あー、しあわせしあわせしあわせしあわせ!

 この家のお孫さんの3才と2才くらいの男の子二人が、ドタバタと激しく走り回るけれど、これがまたご愛敬。「お食事でーしゅ」なんて呼びにきてくれたりして、かわいい。お食事も良かった。甘エビとイカのおさしみ・焼き魚・コロッケ・ふきの煮物・お吸い物も、すっごくおいしかった。キャベツの千切りの1本さえ残さず、ぜーんぶ食べた。「カツオのたたき」じゃないオカズは久しぶりで、うれしい。(高知ではほとんどどの宿でも「カツオのたたき」が出てくる。確かにおいしいが、毎日じゃ飽きるのだ)

畑にタコ

 今日の泊まり客は私一人だったようで、食事のあと、ここのお母さんと二人で話をした。どうしても地震の話題になる。このあたりでも昔大きな地震があって、その時は、ものすごい津波が襲ってきたんだそうだ。津波が引いたあとは、田んぼに「船」が上がっていたという。ものすごく恐かったけれど、タコや大きな魚まで田んぼにいたもんだから、「魚取りほうだい」で、後で考えるとちょっとおもしろかったとおっしゃる。すごい! そんな光景、ちょっと見てみたい気もするけど、神戸で、あの地震を体験した直後だし、あのあと津波なんかが来ていたらと思うと、ゾッとする。(瀬戸内にも津波は来るんだろうか?)

 毛布を1枚多めにもらって、例のごとく部屋に洗濯物を吊りまくった。明日は、中村まで行くつもりだが、泊まる所がたくさんありすぎて迷う。少ないと不安だし、多いと迷うし・・・。なかなか退屈できない。

 寒いので、シャツを着てジャケットを着て湿布を貼って(湿布はからだがカッカするので、ちょうどいい)、布団に入る。 テレビでは「オーム特集」をやっていた。

 「大震災」に「オーム騒動」・・・。今年は「予期せぬ災難」が多すぎる。

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