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掬水へんろ館

平成7年『震災と遍路』
【3日目】(通算20日目) 4月14日(金) [ 雨 ]

 疲れてクタクタのハズなのに、ちっともグッスリ眠れず、うちらうつらしているうちに朝を迎えた。明け方からイヤな音がするなーと思いつつ、何度も眠る努力を続けたが、とうとうガマンできず目覚ましより先に起きて、外を見てみる。案の定、雨、雨、雨。それもけっこうヒドイ雨。あー、ゆううつ。足も痛いし、目の下には大きなクマ。おまけに右目は腫れて、痛がゆい。つまりすっごい、ブス! 心もドシャブリってもんだ。

 暗い気持ちでどんよりしてると、旅館の奥さんが、上のスカイラインの所まで、車で送って下さるとおっしゃった。「きゃー、ラッキー!」 宿泊料金7000円はちと高い、と思ったけれど、この雨の中、2キロの登り坂を送っていただけるなら、安い安い!(つくづく単純な女だ、私は)
 この2キロは、本来の遍路道ではないので、車に乗っても大丈夫でしょう(と誠に身勝手な解釈をする)。奥さま、ありがとうございました。

雨の同行者

 でも、雨は雨。全身、完全「雨防備」なのに、足もとだけが、エアロビクス用、通気性抜群の靴。なるべく(水たまりに突入しないように)気をつけたので、だいぶん濡れずに持ちこたえた。スカイラインを降りて、中浦へ出る。集荷場で少し休憩して、再び歩き出す。雨はまったく弱まらず、トラックのあげる水しぶきや、風に飛ばされそうになる傘に翻弄されながら、ただ黙々と歩く。と、鳥坂トンネルの手前で、後ろから声をかけられた。「歩き遍路」さんだ。

 倉敷から来られた、三宅さんという男性。とても若そうに見えたので、64才という年齢を聞いてびっくりした。しかも今日は、「36番から歩いてきた」とおっしゃるではないか。36番から歩いて、8キロほど差があるハズの私に追いつくなんて、やっぱり男の人はすごい!(私がトロいのか?)
 お話をしながら、しばらくご一緒させていただく。ほんとは、安和まで何度も休憩しながらトロトロ行こうと思っていたのだが、三宅さんの後を一心についていったので、トイレ休憩もとらず、ひたすら歩くことになった。(雨も降ってるし)
 押岡も過ぎて、ドンドン行く。だんだん二人の距離があいて、ああ、もうついて行けない、ここからまた一人ずつになって、勝手に歩きたい、と思って速度を落としかけたところで、三宅さんが振り返られた。 「お昼、その辺で、うどんでも食べますか?」 「はい!」 急に元気になった。(ごはんだー!)
 三宅さんの後ろ姿が「うどん」に見える・・・わけはないけど、足は速くなる。 でも・・・、ここからがまた長かった。三宅さんは、なかなか止まって下さらない。(ラーメン屋や普通の食堂などは、ぶち飛ばしていかれるのだ) 「この際、どこでもいいんですけどぉ・・・」
 足も痛くて、本気で泣きそうになった時(お恥ずかしい)、ようやく「得得うどん」を発見! 三宅さんと二人、店の外でずぶ濡れのカッパを脱いで、中に入る。「玉子とじうどん」は、とてもおいしかったし、420円は安い! 冷えた身体もすっかり温まり、トイレも済ませて、また機嫌良く歩く(単純だ)。

 番外霊場5番札所の「大善寺」に立ち寄った。なかなかりっぱなお堂だ。納経して、お茶も飲ませていただく。今日も「お詣り」ができてよかった。
 角谷トンネルを越えて、ビワの木の生い茂る「琵琶湖食堂」を過ぎ、絶景(晴れてたらもっと美しかったと思う)を左手に見ながら4キロほど行った所に、今日の宿「民宿あわ」があった。よかったー!
 途中ちょっと苦しかったけれど、お陰で3時には宿に着けた。お風呂もセンパイ(これ以後、三宅さんのことをずっと「センパイ」と呼ばせていただいている)より先に入れていただいて、近所の店で「非常食(カロリーメイト)」も仕入れて、ほっと一息。

穴あいてまんねん

 雨はザンザカ降っていたのに、今回持ってきた上等(?)のレインスーツ(「釣り用に」と、知人からもらった)のおかげで、ほとんど濡れずにすんだ。(中も蒸れなかったということ) やっぱり、通気性にすぐれたレインスーツがベストだ。ケチケチせず、文明社会の恩恵に浴すのがいいのだと実感。でも靴はダメだった。 通気性・クッション・柔らかい皮・・・、足を痛めず、マメの一つもつくらずにすんでいる最高の靴だと思うが、雨には、「すんまへん、通気性がええように穴開いてまんねん。イヤでも、雨、入りますわなぁ」って感じ。エアロビシューズだもの仕方ない。だからって防水性に優れたものを履いても、今度は足にあわなくて「マメ攻撃」にあいそうな気がする。だから、他の人から、どれだけウォーキングシューズや軽登山靴を薦められても、この「靴」だけは、その後もずーっと変えなかった。(ただし、一度の遍路行で底に穴が開くので、同じのを何足も履きつぶしたけど)
 そんなわけで、やっぱりグッチョングッチョンになっちゃった靴に、今回も「新聞紙丸め攻め」。宿でいただいた新聞紙を、何度も何度も詰め替える。その度にいっぱい水を吸ってくれている新聞紙。なんて健気なんだろう。エライぞ、靴!

いのししのおこぼれ

 「民宿あわ」のお母さんも、陽気でやさしい人だった。ここでも「オーム」の話で盛り上がる。俗世を離れた「遍路」のつもりでも、「オーム」の脅威からは逃れられないということなのだろうか。 でも、遍路は負けない! すぐ、おいしい夕食の話に戻っちゃうのだ。
 今日はおかずいろいろと白ご飯の他にも「たけのこのちらし寿司」を作って下さっていて、これが、絶品だった。最近、たけのこは全部イノシシが食べてしまうそうで、「イノシシの食べ残した2本」だけが、今年の収穫。その貴重な2本で作って下さったお寿司だったのだ。プレミアもついて、ほんとにおいしかった。それに今日は、ビールを飲んでしまったぞ。三宅センパイが、「お遍路は、お酒は飲んでもいいんだよ」とお接待して下さったんだもの、断れるもんですか(断る気もなかったけど) どちらも甘露甘露。ごちそうさまでした。

三宅センパイ

 三宅センパイは、とても紳士でやさしくて、温厚な方だ。歩いている時も、「しんどかったら、ゆっくり歩きなさいよ」と言いながら、ご自身が、速度をゆるめて下さる。とても思いやりのある言葉と態度は、ただ者ではない。
 センパイの、赤い「納め札」をいただいた。(88カ所を、8回以上まわっておられるということなのね)
 多く回った人ほど「悟っておられる」と、一概には言えないと思うけれど、センパイは、「祖父も遍路をしました」とおっしゃる、生粋の遍路の家系。(そんなのある?)「生まれてまもなく、『この子は長く生きられないかもしれない』と言われたボクのために、祖父は遍路に歩いてくれたんです。お陰で、この歳まで元気に生きてこられました」と、きれいな言葉で「仏さまへの感謝の気持ち」を説明して下さる。 物腰の上品さと笑顔の爽やかさに、そのお人柄がにじみまくっているのだ。(私の言葉には「品」がなくて・・・どうも)

 そのセンパイの提案で、明日は一緒に、予想もしなかった「焼坂峠越え」をすることになった。(なんだかキツイ道らしい・・・。不安)
 濡れた物を、万国旗よろしくロープで部屋に吊りまくり、コタツの中にもおもいっきり入れた。

 明日は5時起き。「峠越え」もある。(しかも2つも!) 大丈夫かなぁ。センパイにご迷惑かけなきゃいいんだけど・・・。

 もう寝よ。

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[遍路きらきらひとり旅] 目次に戻るCopyright (C)2000 永井 典子 (イラスト・obata55氏)