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掬水へんろ館

平成7年『震災と遍路』
【2日目】(通算19日目) 4月13日(木) [ 快晴 ]

ミカンの効用

 7時30分、旅館出発。今朝は道に迷わず、ズンズン進む。でも、かなり疲労の色が濃い。足も超いたい。心も重い、苦しい。峠までが限界だった。8時45分、「塚地峠」で15分休憩。ブンタンを半分食べる。ちょっとだけ元気が出た。
 何年も後で知ったことだが、肉体疲労の回復には、柑橘系のものが最適、速攻効果があるんだそうだ。「家事で疲れた奥さま! 途中でミカンを食べてごらんなさい。あーら不思議! アッという間に元気が出て、またどんどんお掃除だってはかどっちゃうんですよ。疲労回復には柑橘類が、速攻で効果を発揮します」なんて、お昼の奥さま番組でやってたもの。この時知らず知らずに、効果的なものを食べていたのだ。これも大師のお計らいか? なーんて。
 何にしても、人間たまには休まないとダメだ。人生にも「休息」が必要だと、痛切に思うのだった。(私は休みすぎ?)

 一気に下って、海の方へ出る。海に出るまでに、何人もの人が道を教えて下さった。こちらが訊ねる前に、向こうから呼び止めて軌道修正して下さる。宇佐は、親切な人の多い町だ。宇佐大橋を渡るところで、外国人サイクリングカップルが、ぴゅーんと私を追い越して行った。なんてかっこよくて、さまになってるんだろう。チャリ(自転車)は、早くて爽快で、いいなぁ。(わたしゃ、乗れないけど)

考えなしのテンテンツク

 久しぶりに海を見た。おもいっきり、「うつくしー!」 海への感動を引っさげて、36番札所「青龍寺」に到着。ここでもまた、会う人ごとに震災の話。励ましていただいた。みなさんほんとにやさしい。でも、悲しいかな、ここには何も食べるものがなかった。寺の前の店にも、アイスクリームと飲み物だけ。また、「昼食食いっぱぐれの刑」なのか・・・。
 仕方なく、ポカリスエットだけ買って、店のオバアチャンに道を尋ねる。「横波スカイライン」へは、寺の裏の山を登って「奥の院」の方へ出るといい、と教えていただく。お寺のおばあちゃんにも訊いてみると、ちょっとだけ違うけど、裏を登れとおっしゃった。 お寺のおばあちゃんの方が、「確信をもって」言ってらしたので、そちらに従うことにした。

 宿に予約を入れる。スカイラインの途中の池ノ浦にある「旭旅館」。 「歩きだと、3時か4時になりますねぇ」と言われた。「はて?」 今は12時過ぎ。距離的には8キロもないと思う。なのに、店のオバアチャンも、「山を登ってスカイラインへ出て・それからウンヌンカンヌン・・・」と、えらく遠いとおっしゃった。でも、寺のおばあちゃんは「すぐ着くわ! すぐそこやから」とおっしゃる。うーん。
 とにかく裏山を登ることにした。ゼーゼー言いながら山を登り、スカイラインに出たところで、私は何の躊躇もなく、左へ歩きだした。「何の疑いもなく!」 あー、これが大バカ小バカ、考えなしのテンテンツク!(何のこっちゃ) 一生懸命エンエンと(と自分では感じた)歩いたところで、何だか見覚えのある景色に遭遇したのだ。「ひゃー! もどってるー、もどってるー!」
 私はナント、進行方向とは全く逆の、スカイラインの入り口の方へ、戻ってしまっていたのだ。あんまりじゃないの、あんまりじゃないの。足も痛いし、心も痛いし、疲れてヘロヘロだから、今日は早く旅館に着いてゆっくり休もうと思っていたのに・・・。 およそ1キロ、往復で2キロ。30分もロスしてしまったのだ。(人生は過酷だ)

彼に会うため?

 でも、引き返す時に会った、おにいさんが良かった。車に乗せる、いや「歩き遍路」だから。コーヒーあげよ、いや飲めないから。と、接待を2度も断った、まことに失礼な遍路だったにもかかわらず、ずっとニコニコ話して下さる。話を聞くと、この方、おととい神戸から帰ったばかりだとおっしゃるではないか。この土地の潜水夫さんなのだが、神戸で、震災で崩れた岸壁から投げ出されて海に落ちた車や人を、引き上げてこられたのだそうだ。何人もの人を助けて下さったそうな。有り難い。なんという奇遇!
 彼の方も「神戸からの遍路」に「縁」を感じたようで、お互いの持つ「生々しい記憶」の上に、不思議にあたたかいものが通い合った。場面も相手も違うけれど、「お世話になり、ありがとうございました」「無事でよかった」の言葉を、「あの時」に置き換えて交わしあう。(「あの時」助けて下さった多くの方に、被災者はみな、心から感謝しているのです。手を貸して下さったすべての方に「ありがとう」を言いたいのです)
 彼の方も、私に、ご自分が助け上げた人たちを重ねておられたかもしれない。

 何度も手を振ってお別れした。 「私は、あの人と話をするために、2キロも余分に歩いたのだろうか・・・」

 でも、この2キロがよほど堪えたのか、すっかり疲れてしまった。何度も何度も休憩しながら歩くので、ちっとも進まない。でも、さすが山の上のスカイライン。左手には太平洋が広く大きく雄大にひろがって、景色は抜群。ピーヒョロロとかケキョケキョなんて、鳥の声もさわやかだ。車もあまり多くは通らない。歩き遍路の「気分」にはサイコー。でも、コンクリ道で、歩き遍路の「足」にはサイテー。足のかかとが泣きたいほど痛い。「なんて長い7,55キロなんだ」(地図にはそう書いてあったんだもん)とブツブツ文句を言いながらも、ようやく「池ノ浦」の看板(?)にぶちあたった。ここから旅館まで、スカイラインをはずれてまた2キロ、海辺へ降りていく。「30分くらいなら、ぜんぜんへーき」、とタカをくくっていたが、くねくね曲がりまくる2キロは、下り道なので、けっこう「足」にくる。明朝は、この道を延々登り戻ってこなけりゃならないのか?
 遍路道からはずれた旅館を選ぶと、予定より長い距離を歩くことになるのが、キツイ。

オーム潜伏?

 「旭旅館」のおかみさんは、笑顔の素敵な、若奥さんだった。洗濯機も洗剤も使わせていただき、食事の時もつきっきりでお話して下さった。
 ここは漁港だから、冬場は釣り人が180人くらいも来るんだそうだ。グレ、イサキなどが釣れるらしい。(遍路なのに「釣り」のリサーチなどしてしまった)
 きのう泊まった外国の人は、33番くらいから「歩いて来る」と言うので、「無理ですよ」と止めたのに、ナント午後4時半ごろにはやって来たのでびっくり。後で村の人が、その外国の人が「ヒッチハイクしていたのを見た」、と教えてくれたそうだ。「ぼく足が速いから、って言ってたけど、ヒッチハイクなら着くわよねぇ」とおかみさん、朗らかに笑う。
 それと、「オーム事件」が、こんな所にまで及んでいて、最近警察の人がよく来るらしい。オームの残党(?)が、遍路に化けて巡礼のフリをしながら潜伏しているかもしれないというので、泊まり客についてイロイロ調べにくるのだそうだ。「私にも何か訊きにきてくれないかなあ(反対にイロイロ訊いてみたい)」と思ったが、今夜は誰も訪ねてこなかった。

 ひとしきり楽しい時間を過ごして、ポットにハブ茶をいっぱい入れてもらって、部屋に帰った。しあわせだ。

 「母」と、いちおう「現在の彼」と、「今とても好きな人」に、電話を入れた。一番声を聞きたかった人だけ、通じなかった。(これも試練か?)

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