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掬水へんろ館

平成5年『空と海の間』
【7日目】(通算17日目) 4月30日(金)[ 小雨のち曇り ]

 6時起床、7時朝食。今朝もまだ雨もよう。出発ギリギリまでドライヤーで靴を乾かす。旅館のお母さんと玄関先に置かれたボタンの花(りっぱなボタンだった)の話をする。毎年、島根から売りに来るんだそうだ。

魚屋さんは忙しい

 ほとんど雨もやんだ8時過ぎ、靴もほぼ乾いて、快適に出発した。今日は高知市内を歩きまわるので、さぞ皆さんに見られることだろう。でも、負けない。(人目を気にするなんて、私らしくないし) まずは1キロほど行った所にあるハズの「高野寺」(番外霊場)を目指す。
 通学時間らしく、(中学生くらいだろうか)大勢の生徒たちがわいわい歩いている。「この辺、遍路道だっけ」とか言いながら、皆こちらをチラと見ただけで通り過ぎて行く。商店街を抜ける。魚屋さんの前に、大きな丸太みたいな魚がころがっていた。好奇心の強い遍路(私)は、思わず駆け寄ってしまった。

 忙しそうな魚屋のおじさんに、遍路、話しかけるの図。
「すみません、あれ、何ていう魚ですか?」
「かじきまぐろ!」
・・・で、会話は終わった。

 開店準備忙しい魚屋のおじさんは、余計な口をきかない。魚屋は「活き」が勝負なのだ。のんびりおしゃべりして魚が腐ったらどうするんだ。ヒマな遍路にかまってはいられないのだ。だいたい「魚の名前」以外に何が訊きたかったのか・・・。(相手の都合も考えず、むやみに「コミュニケーション」を求める自分を、戒めた)

 街のまん中にある、番外霊場「高野寺」にお詣り。こぢんまりしたお寺だ。まるで公民館のような横開きのドアを開けると、りっぱな祭壇が現れた。「ボケ封じ」にご利益、なのだそうだ。どうぞ、「母」より先にボケませんように(最近、もの忘れの激しい自分がこわい)。

 また歩きだす。ここは高知の中心地。にぎやかな「旅館・ホテル街」を抜けて、「有名なわりには、拍子抜けさせる観光名所として有名」な(歌になるほどの橋なのに、短く風情がなさすぎる)「はりまや橋」を過ぎる。
 青柳橋を渡り、お墓地帯の山を登って、第31番札所「竹林寺」到着。突然、人、ヒト、ひと、が出現! 修学旅行なのか遠足なのか、団体学生群がわいていた。この竹林寺は「牧野植物園」と隣りあわせにあるので、どうもそこへ来ているらしい。でも、竹林寺の境内の方に入ってしまうと、うそみたいに静かになった。人もまばらだ。
 それにしても広いお寺で、五重塔もあるし、庭園も有名なのだそうだ。(有料なので庭園は見なかった) しばらく休憩。売店もたくさんあったので、ここでイロイロ買い足すことにした。まず輪袈裟。雨でヨレヨレだし、色はにじみ出るし、フサも切れてる。今度は紫色に変えた。そして、襟元が、今の輪袈裟のオレンジ色がまだらに染まってクタクタになってる、白装束。美しい音色の鈴。(修行僧の人が鳴らしてて、あこがれていた)あと、みかん水を買った。お寺で数珠を買ったら、そこにおられた「尼さまばあちゃま」が、おもいっきりの激励と、握手までして下さった。うれしい。

自転車遍路の女性

 コンパスで方向を確かめて、32番へ向かう。ここで、自転車遍路をしておられる63才の女性に会った。
 松山の方で、四国参りは何度もしたが、一度歩いてまわるのが夢だったとおっしゃる。10番まで歩いたところで、もうダメだと思って、あとは自転車を買ってまわっておられるのだそうだ。(自転車の方が、歩くより大変なことも多いと思うんだけど)「しばらく一緒に行きましょう」と、自転車を押して一緒に歩いて下さった。さほど長い道のりではなかったが、お互い、話に花がさいて、ゆっくり歩いた。徳島で、泊まる所がなくて困っていると、普通のお宅の方が声をかけて下さって、「2晩も泊めていただいたの」と、うれしそうにおっしゃるので、私も負けずに、今までの様々な出会いなどをお話する。 楽しい「お接待され自慢」で盛り上がった。

 一緒に、第32番札所「禅師峰寺」に到着。昼食用にとパンとヤクルト3本も下さって、私が食事する間もずっと見守ってて下さった。「松山をまわる時には、うちに泊まってね」と言って下さった。(結局はお訪ねできなかったけど) 私はまたひとしきり休憩したので、そこで彼女とはお別れ。一人暮らしだとおっしゃっていたが、「何か」を抱えて「遍路」をしておられるのだろうか。短い出会いで知る由もないが、「お母さん」のあたたかさを感じる、やさしい方だった。幸せでいらしてほしい。

 また一人で歩く。「今日で最後」という思いが、一歩一歩を大切に踏みしめさせる。

「黒板消し」に乗って

 33番寺へ行くには二通りの道がある。「浦戸大橋」を歩いて渡るコースと、「渡し舟」を利用するコースだ。「ぜったい渡し舟に乗ってみたい」と思っていたので、何人もの人に道を訪ねて、なんとか「渡し場」にたどりついた。地元の人が気軽に利用する、無料の渡し舟なのだ。舟が来るまで、あと20分。わくわくしながら、到着を待った。やがて、あこがれの「渡し舟」が・・・。
 「渡し舟」なんていうから、時代劇にでも出てくるような、数人しか乗れない「木の小舟」を想像していたのに・・・。今は「平成の時代」だってことを忘れちゃいけない。「渡し舟」ったって、車を6台も乗せられる、小さなフェリーなのだ。でも変わった形。車が乗り降り出来るように、前も後ろもズバッと開いている。大きな黒板消しが海に浮かんで、車や人を乗せて移動してるって感じかな。想像とは違ったけれど、軽自動車や自転車と一緒に「黒板消し」に乗って、ぽくぽく海を渡るのも、なかなかオツなものだ。

 あっという間の船旅だったが、歩き遍路を続けてはじめての「乗り物」(「渡しは本来のへんろみちである」と本に書いてあるから、いいのだ)。なんだかずいぶん得したような気がした。実際、浦戸大橋経由に比べて2キロほど近道なのだ。舟の着いた所から、第33番札所「雪蹊寺」までもすぐだった。でも到着した時にはすでに午後5時。お寺の中にはもう人もなく、ちょっと寂しい感じだ。今回の旅の終着ということもあって、少し念入りにお詣りする。前回ほど、「歩ききったぞ!」という感動はなかったが、やはり充実感がある。

 もう夕方だというのに、泊まる所も帰りのバスの予約もとっていない。とりあえず、明日の昼のバスで帰ろうと思い、電話してみた。・・・してビックリ! 乗ろうと思っていた、大阪・高知高速バス「よさこい」は、5月5日まで「満席」だと言われた。さすがゴールデンウィーク! どうしたものかと思案していると、納経所のおじさんが、相談にのって下さった。すぐそこの桟橋から大阪へ、船が出ているという。夜9時20分発のがあるのだそうだ。状況を確かめるべく、また門前の電話ボックスに向かうと、寺の真向かいにある「民宿高知屋」のおばあちゃんが、「どうぞ泊まってくださーい」と客引きして下さる。昔の旅籠みたいで、いいなぁ、お風呂にも入りたいしなぁと、心誘われる。でも、泊まるならもうすこし町中にして、夜、一杯飲みたいもんなぁ。残念ですが、高知屋さん、ごめんなさい。 とにかく大阪・高知特急フェリーに電話だ。今日なら「予約なし」で大丈夫。でも「明日はあぶない」と脅かされた。しかたない。これは「素直に帰りなさい」ということなのだろう。親切にして下さったお寺のおじさんおばさんにお礼を言って、まだずいぶん早いけれど、フェリー乗り場へ向かうことにした。
 いよいよ終わりだ。「また必ずここから歩きはじめますからね」と誓って、雪蹊寺を出た。とその時、ずいぶん遅い時間なのに、団体遍路のバスが着いた。バスからこぼれ落ちてくる遍路の皆さんに、挨拶をしながら出ていこうとする私に、先達らしいお坊さんが、声をかけてこられた。「一人で歩いてるの?」「はい」「これお接待」「え、でももう帰るんですけど」「それでもお接待。6番や」「え?」「6番の安楽寺のもんや」「あ、はい。ありがとうございました」 6番札所「安楽寺」のお坊さんが、団体さんを連れてこられたようだ。1000円握らせて下さった。悪いなぁ。でも、おおきに。

私は「シロ」

 お寺のすぐそばから出ているバスに乗った。せっかく「乗り物」に乗ったのに、おドジな私は、一停留所乗り越してしまい、また歩くはめになった。今まで100キロ以上も歩いてきたんだもの、今さらバスの一駅くらい、なーんちゃありません。大きな警察署を見つけたので、道を訊くために立ち寄った。皆さんギョッとした顔で、一斉に私に注目。そーよねぇ、この辺は遍路のコースじゃないもの、珍しいわよねぇ。でもそんなに大勢の警察官から一斉に見つめられると、悪いことしてないのに、なーんか、居心地悪いんだよなぁ。 警察官の皆さんの、興味津々の視線が突き刺さる。いくら見たって、お遍路なんだから、「私はシロよ!」 
 一番近くにいた若い警察官が、たいそうな地図を広げて説明して下さった。それほどややこしい道でも、長い道のりでもないハズなんだが、説明はやけに長かった。

 説明がよかったのか、近かったのか、出航3時間前にはフェリー乗り場に到着。おみやげを買ったり、だんだん増えてくる人を眺めたりしてるうちに、アッという間に時間が過ぎた。悩んだあげく、ちょっと贅沢して、2等寝台にした。同じ部屋に、オバサン2人、若い女の子1人と私の、4人が入る。8人用の部屋なので、それぞれが2段ベッドの下段をキープ。カーテンを引けば個室になるのだ。フェリーのお風呂で、シャワーも浴びた。そして、ぐっすり眠った。(2等より、だんぜんよく眠れた) カーテン一枚でこんなにも違うものなのか。

 5月1日(土)午前6時20分、大阪南港に到着。
「遍路衣装」とともに、「旅する自分」をリュックにしまい込んで、船を下りる。もう「仕事」のことを考えていた。
 また「生活」が戻ってくる。

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