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平成5年『空と海の間』
【2日目】(通算12日目) 4月25日(日)[ 快晴 ]
朝起きるとピーカン! きのうの天気予報は何だったんだろう。雨なら24番(歩行距離14.9キロ)止まり、晴れなら26番(歩行距離25.7キロ)までと決めていたので、少し不安になった。でも、ゆうべよく眠ったので、すこぶる元気だ。これなら行けそうだ。
朝食の時、宿のオバサンにきのうの呉服屋さんの話をすると、やっぱりご友人だった。(どうもお世話さまでした。)
7時50分出発。海もキレイだ! そうそう、6時に起床して海側の窓から太平洋を眺めると、もうサーファーくんたちが波に乗っていた。サーファーくんて早起きなのね、感心、感心。でも、うちの宿に同宿のサーファーくんとサーファーちゃんはまだ眠っているようだ。 みんなマイペースで、みんないい。夫婦岩にとりつく人々
とにかく元気に歩き出す。まもなく夫婦岩が出現。なかなか大きくて綱なんか張ってあってごりっぱだ。そばまで行ける見学コースがあったので、まだ元気なことだし、行ってみた。どどーんとそびえる夫婦岩。「うーんナカナカ」と思って下までなめるようにして見てみると、「え? 釣り人?」 岩の下の方で、磯釣り師たちが、竿を振り回してがんばっているではないか。(さすが釣り人は、どこでも登る、どこでも降りる)
変に満足して、また国道に戻って歩き出した。歩く歩く。きのうの足の痛みもウソのようだ。ずっと海沿いの道なので、ずっと海を見て歩く。磯のところどころに釣り人が張りついている。やっぱり今度は釣りに来ようかなぁと思うのだった。しばらく行くと、「椎名漁港」という、とても美しい漁港に出た。海の色はエメラルドグリーン、その港に白い船がずらっと並んでいる姿は、「絵」のようにステキだった。何を見てもうれしい。上機嫌だ。今日はやけに調子がいい。
日曜日だからなのか、漁師さんはみんな陸に上がって網を繕っていた。長い長い網の、ところどころに漁師さんがとりついて、せっせと縫い物をしておられる。(漁師さんって、編み物も得意なのね)
今日は暑いが、風があって歩きやすい。次の寺が近いせいか、安心して飲み物を買い、安心して飲みながら歩く(寺が近いということは、トイレの心配がないということなのだ)。水分を補給しながら歩くと、体力が落ちないような気がする。ただ、遍路が自販機で缶ジュースを買ってる姿って、あんまりかっこいいものじゃないので、買うときは周りを見回してササッと素早く買う。意識しすぎなのはわかっているけど、でもやっぱり「お遍路」って、ただモクモクと歩く姿が美しいのであって、自販機利用しまくります、なんて、ちょっとナンパな気がするのだ。(そんなこと気にするくらいなら、もっと真面目に歩けって? ごもっとも)お遍路「応援歌」
今日は、ぜんぜん速度が落ちない、快適歩行だ。歌だってじゃんじゃん出てくる。サザンオールスターズに始まってCMソングから童謡まで、知ってるかぎりの歌を唄いまくる。(カラオケでは唄えないが、自分勝手になら、いくらでも唄えるのだ) 歩幅も大きくなる。
今日は「替え歌」で遊んだ。まずは「みなしごハッチ」
♪ゆっけーゆけーぇへんろ あるきのへんろ〜 ゆっけーゆけーぇへんろ 一人旅へんろ〜。 心やさしいモンシロチョウチョ おどけガラスに ちびトカゲ〜。 みーんなともだちー 仲間だけれどー 一緒に歩いちゃくれないよー♪
次は「迷子の子猫」で、
♪まいごのまいごの おへんろさん 次の札所はどこですか♪そして、これが一番の秀作だと思うのが、
「赤銅鈴の助」の節で、
♪つーえを持っては にっぽんいちに ゆーめはおーおきな あるきおへんろ げーんきいーっぱい いーちどや二度の 迷子なーんかにゃ くじけない! おお
がんばれ つーよいぞ ぼーくらの仲間 お遍路「あるき組」♪わいわい、歌ったり独り言を言ったりしてるうちに、少し「建物のある地帯」に入った。前方の建物から、館内放送が聞こえてきた。
「1号から12号の元気なおばあさんは、お風呂に入ってください」
なに? ああ、老人ホームなんだ、ここ。それにしても1号から12号なんて・・・。部屋の番号だったら、1号室から12号室って言えばいいのに。まるで、おばあちゃんが番号で呼ばれてるみたいで、変な感じじゃないか、ロボットじゃないんだから(「おばあちゃん28号」なんちゃって)、気をつけよーよね。とブツブツ言ってると、前方で止まった車から声をかけられた。
中年の女性2人が乗っておられ、白いビニールの袋を差し出して、「お接待に」と下さった。ミカン2個とお餅と柿の種が入ってた。うれしい! 今回初のお接待だ。しかも食い物!(泣けるぜ)「車には乗れないのよね」と歩き遍路の生態をよく知るご様子、ただものじゃない。とにかく、有り難くいただき、何度も頭を下げた。野良犬一家の悲劇
今度は前方のドライブインの駐車場に「子犬」発見。喜んで、少し近づいて呼んでみた。でも、こっちに来ない。ふつう子犬というのは、呼ばなくても、しっぽを振って走ってくるのに、向こうの方から、じっとこっちを見ているだけなのだ。ピクとも動かない。
「ええい、なんやねん、せっかくおねーさんが頭ナデナデしたろーと思てんのに!」
仕方なく、もう少し近づこうとした、その時、突然、親とおぼしき中型犬が、ワンワワワン、ワンワン、うちの子になんの用や、ワンワワン、と躍り出てきた。びーっくり! ちょっと脅してるだけで、向こうも本気じゃないというのはわかったが、親が見えていなかっただけに驚いた。ま、「うちの子にさわるな」というのはわかった。子犬の方もしつけが行き届いているのか、知らない人には近づかないようにしているようだ。
親犬に脅されてタジタジしていると、道の反対側から、オバサンが何か叫んでいる。なんだべーと、道を渡ってオバサンの説明を受けた。今吠えついた犬はノラちゃん(野良犬)だそうで、子犬を4匹も産んじゃったらしい。オスの方はドライブインの人たちにかわいがられて、首輪もつけてもらって、気の優しいいい子だけれど、メスの方は警戒心バリバリ。でも、どちらもノラなので、明日「犬取り」が来て、ぜーんぶ(もちろん子犬も)連れていかれることになっている、というのである。えー、そうなのかー、と不憫に思ってるところへ、「気だてのいいオス」が、わざわざ国道を横切って、私の方へ「挨拶」に来た。なるほど、おとなしくてかわいい。まあ、駄犬(ごめんね)という感じは否めないが、とてもいい子、黙って撫でられている。お接待でもらったお餅をあげたけど、これはフンっと嫌われた。しかし、メスの方は、茶色のきれいな毛並み、ピンとはった耳、外国種みたいなリンとした、とても「ノラ」には見えない犬なのだ。なのに、子どもまで一緒に「犬取り」だなんて・・・。いっそ一家そろってトーボーしちゃったらいいのに。でも、頼りなさそうなとーちゃんは、捨てていかれるだろうなぁ。
イヌの人生にもいろいろ試練があるんだなぁ、といろいろ考える。でも、私は通りすがりの遍路、どうすることもできない。犬のことはすぐ忘れて(けっこう薄情だ)、ずんずん歩いてゆく。と、おもしろい店があった。店といっても、よく道ばたで、ミカンやら野菜やらを台にのせて売っている、「お金は勝手に入れてってねー」という、無人のアレ。なんと「うつぼ、スルメあります」と書いてあるではないか。えーっ? そんなのはじめてよー!どんな風に売ってるのか見てみたかったのに、日曜日のせいか、閉めてあった。残念。
鯉のぼりと花輪
民家が多くなってきた。民家・田んぼ・民家・田んぼの繰り返し。緑が多い。前方を見ると、田んぼの緑の波の向こうに、グリーンの海が続いて、そのまま空の青へとグラデーションになっていた。印象派の絵を思い出させる。ふと田んぼをのぞくと、人の足あとがいっぱいあった。「風景画」の中に、「人」の気配を感じる。
このあたりの家は不思議な旗を揚げていた。最初、漁師町なので「大漁旗」かしらとも思ったが、(そりゃあーた、船の上の揚げるものざんしょ)よく見てみると、鯉のぼりと一緒に揚げてる家もある。どうも男の子のための旗のようだ。「祝○○太郎」などと書かれた旗も一緒に揚がっている。模様も、馬に乗った鎧甲の武将だったり、桃太郎だったりする。何というものなのか聞いてみたかったが、近くに誰もいなかった。
田んぼの向こうの山の斜面に、何かキラキラ光っていた。よく見ると、ものすごくハデな花輪だ。(銀とブルーとあと何色かのかなりデッカイもの) なんと斜面のお墓に置いてある花輪が光っていたのだ。高知では、人が亡くなったら花輪を飾るのだそうだ。(これは後で、花輪を車に積んでたおじさんをつかまえて聞いてみたので確か。でも宗派にもよる?)天の神様仏様に、ここにいますから、早く見つけて引っぱり上げて下さいねーとアピールしているのだろうか。土地が変われば、葬式の風習もイロイロだ。そういえば、うちの田舎でもやってたような気がする(祖母が高知県にいるのだ)。
しつこく田んぼのある道を歩いていると、ギョ! 今度はヘビの死骸。それも頭から20センチくらいのところでブチッと切れて、ひからびかけてる。「下半身はどーしたのよー、なんでこんな姿になったのよー」とよく見てみると、ヘビの死骸のよこに、「まむしドリンク」かどーかわからないが、明らかに精力剤らしき小瓶がころがっていた。ちょっとー、ジョーダンみたいなことしないでよねー、変なのー。
なんだかアホらしくなって、深く考えるのはやめた。やっぱり歌でも歌ってる方が気楽だ。 また「リサイタル遍路」をはじめるのだった。ニューセラミック大師
今日はホントに疲れがでない。1時間5キロのペースで歩いている。途中、海を見ながら5分休憩を1回とっただけで、目指す室戸に踏み込んだ。
前方に大きな大きな弘法大師の像が、海を見つめて立っておられる。ああ、きっとあれが「御蔵洞」だわ、そーに違いない、あの下に洞窟があるのね、と喜び勇んで入り口に駆けよった。でも、なーんか変。洞窟なんてどこにも見あたらないし、「見学料」を払え、なんて書いてある。「なんなのー」 本を見ると「青年大師像」と紹介してあった。ここは大師像が立っている所であって、「みくろどう」ではなかった。でもここまで来て通り過ぎるわけにもいかない。(トイレにも行きたかったし)入ってみた。料金は100円ぐらいにしてよねーと思って受付へ行くと、ナント300円! うそ、高いんじゃないかい? 「歩き遍路」は割引してくれるとか、そんな配慮はないの? ちまちまケチケチ旅してる遍路から、さんびゃくえんー? とさんざ悪態をつきながらも、やっぱり入った。
19才の大師像は、台座を含めて高さ21メートル、塩害に強いニューセラミックで仕上げた「白亜の像」だった。ナカナカかっこいい。大師のすぐ後ろには、海に背を向けて「お釈迦さま」が横たわっておいでで、こちらは金パク張り。お金かかってまーす! 大師像の台座の部分に部屋があって、いろんな仏さまのレリーフが飾ってあって、上には七福神もお祀りしてあった(ご利益オンパレードか?)。300円も払ったので、どこにも「お賽銭」はしなかった。ケチでごめんなさい。
そろそろ行かないと、少し予定の時間をオーバーしそうだ。
ん? 「乱遊歩道」? おもしろそーじゃん。どうせ同じ道沿いだし、景色がいい方がいいし・・・。今度は国道に沿って海側の岩の間に造られた「乱遊歩道」を歩くことにした。大師が行水をされたという池?があった。こりゃ絶景! 太平洋を眺めながら行水ができる。これが温泉なら、誰もほっとかないだろう。でも水は汚かった。エボシ岩やら小さな岩がゴロゴロしたところを、くねくね楽しく歩く。そろそろ国道に戻らないと、と上の道に戻ってみると、案内板が見えた。御蔵洞まで車で1分。ふんふん近いじゃないの、でもなんで今来た方向を指してるの? え、通り過ぎちゃったの?「おっかしー、そんなに歩いてないよー」でも確かに矢印は反対を指してる。・・・悲しい後もどり。結局「御蔵洞」は、青年大師像から、あっという距離にあったのだ。カーブになってて気づかなかったのだ。ドジな私は、一本道で通り過ぎるという「おマヌケ」をやったのだった。あこがれの「みくろどう」
大師が修行を続け、悟りをひらかれたその時、空に輝く明星が口の中に飛び込んできたという、あこがれの「御蔵洞」は、ただの「洞窟」だった。山の岩肌の下部に、穴が二つあいていて、それぞれ奥に小さな鳥居を立ててお祀りしてある。あっけなーい、シンプルーな洞窟。奥行きも、たいしてない。でも大きい方の穴は奥に入るとコウモリが住んでいて、わいわいやっていた。これが、やかましい。昼間は眠ってるハズなのに、キュッキュキュ、キャイキャイと騒がしいこと。 奥から入り口の方を振り返ると、まっ暗な空間にポックリ、犬の首みたいな穴があいていて、道の向こうに海と空が見えた。ナルホド、あの空に明星が輝いたらさぞ美しかろう。私も口に入れてみたいなぁ、でもいくら私のでっかい口でも、やっぱ入らんよなぁ、などと考えて楽しかった。
さて、あまり時間のない「がんばる遍路」は、早々に御蔵洞をおいとまして、引っ返した道をまた引っ返して24番に向かう。24番への登り口はすぐだった。でも「登り口」という文字を見て、イヤな予感がした。予感的中! 前回の苦しみがよみがえる。けっこうキツイ山登り。もう1時にもなるっていうのに、昼ごはんも食べていない、つらいのだ! で、少し登った所で、さっきいただいたよもぎもちを1個食べた。すると、急に元気がでて、一気に上まで登ることができた。なんと単純。
第24番札所「最御崎寺」に到着。あー感動、といいたいところだが、昼ごはんだけを楽しみに登ってきた私には、感動より「失望」の方が大きかった。なんでー、なんでこんな地味なお寺なのー? 何百人も泊まれる大きなお寺で、ユースホステルだってやってるんでしょー、なのに何にもないじゃない。出店も売店も自販機さえないじゃない! ごはんー、ごはんー、ひるめしー、どーすんのよ、この空腹! 悲しくなるじゃないかー。・・・しかし今回初めての札所なのだ。とにかくお詣りだ。
本堂、大師堂と挨拶したが、空腹のせいで、宿坊やユースのある30メートル先までは進めなかった。納経所で「食事できるところー」と聞いてみると、下へ降りないとありません、スカイラインを降りた所に「はまゆう」という食堂がありますよ、と教えて下さった。(ホッ)その方に「お元気そうね、まだあまり疲れてないようですね」と言われた。そう、今日の私は元気なのだ。スカイラインくらいなんだ! はまゆうまで大丈夫さ!はまゆう
元気にお寺を出た。出たはいいが方向がわからない。団体遍路バスの運転手さんに、道を尋ねる。「あのー、はまゆうという食堂のある方の道へ行きたいんですが」「え、はまゆう???」
バカだ私は。大型バスの運転手さんが、そんな小さな(と思う)食堂のこと知ってるわけないじゃないか。「スカイラインを降りたいんですが」と言い直して、やっと教えていただいた。
ここのスカイライン、そりゃー美しかった。山の上からくねくねと何度も曲がりながら、ゆるやかに降りてゆくのだが、室戸の海と街がムチャクチャ美しく見渡せる。それに、ところどころ歩道もあるし、車もあまり通らない。もうすぐごはんが食べられる喜びも手伝って、たっぷり景色を楽しませていただいた。そしてスカイラインを降りてすぐ右に折れれば「はまゆう」。呪文のように繰り返した「はまゆう」がそこに!あこがれの「はまゆう」は、・・・日曜日でお休みだった。(なぜ天は私に試練を与えたもう!)
泣く泣く、また歩きはじめる。こうなったら25番の途中で何か買うしかない。執念のように歩いたせいか、すきっ腹のわりには、比較的しっかり、疲れもみせず進んだ。第25番札所「津照寺」到着。門の下のスーパーで、とうとうパンとジュースを買った。お寺でゆっくり食べよう。とにかく階段を上る。長い長い高い高い階段。いいぞー、上の景色は抜群のハズ、ここで昼食なら文句なしだ。そして本堂のある「てっぺん」は、本当に気持ちのいい所だった。お詣りをすませ「さて大師堂」、と思ったら、なんと大師堂は、階段を上る前にあったのだった。お詣りをすませずにゴハンを食べられるわけがない! また長い長い階段を下りて、大師堂のお詣りと納経をすませる。そこはもう、イスもなけりゃそっけもない、ゴハンなんて食べられる場所じゃなかった。なんてかわいそうな私。仕方なく昼食の袋をさげて門を出る。(がっくり)
急に足も痛くなってきた。門を出たところに薬局があったので、筋肉疲労のスプレーを買う。歩いてると言うと、一人いたお客さんがしきりにほめて下さった。やっぱりうれしい。薬局には、遍路の置いていった「納め札」がいっぱい貼ってあった。そこにはあの、去年で113回も回ったという徳島の人の「錦のお札」もいっぱいあった。113回のオジサンもスプレー買ったのかしらん。空腹のまま26番へ向かう。ここに着くまでに室戸郵便局の前の電話ボックスから予約を入れた。なんとしても今夜の宿「26番寺」へたどり着かなくちゃならんのに、もう3時になっていた。・・・ああ、ゴハン。昔、ひもじい旅を続けたお遍路さんの悲しみがわかる。26番までは、4キロ。最後に山登りもある。とうとう我慢できず、途中の海辺でパンをがっついた。
風がビュンビュン吹く中、なんのこれしき食わねば死ぬるとばかり、急いで食べた。食べながら、「今食べると夕食入らなくなるなぁ」などと考える。なんといやしい人間なのだろう。食べることばかり考えているではないか。でも、すっかり元気が出たからヨカッタ。またテクテク歩く。登り口まではあっという間だった。遍路を勧誘する人
途中、やっかいな人(40才過ぎくらいの女性だった)につかまった。驚くなかれ、「□□□の商人(けして他人の血を「輸血」しないので有名なキリスト教の一派)」の信者さんだった。こんな正統派スタイルの「お遍路さん」をつかまえて、説教というか勧誘するんだから、すごい。空海の教えの元も、□□□の教えだったとおっしゃるからまたビックリ。お口アングリ(開いた口がふさがらない)の世界だ。でも私は「遍路」、どんな人とも心静かにやさしく対応せねばならない。先を急ぎたいけれど、ガマンしてしばらく聞いた。だけどぜんぜん話が終わらない。この人は、○を忘れている。文章の終わりにはマルをつけるものなのだ、その、○を合図に私も口をはさめるってものなのに、○がない。次々に言葉がつながる。
うんざりするほど聞いたあと、ようやく話をさえぎって、「今度もっと勉強しておきます。それじゃあ」とお別れした。あー、しんどかった。宗教について人にアレコレ言うつもりはないけれど、人の行く手をさえぎってまで、自分の道を押しつけるのはよくないと思うなぁ。一生懸命なんだなぁとは思うけど、ほんとに人のためを思っての時間がとれるなら、ボランティアの方がいいんじゃないのかなぁと思うのだった。
大変だ、陽は傾きかけてくる、早く行かなきゃ。登り口から頂上までヒーヒー言わされた、第26番札所「金剛頂寺」は、とても広いお寺だった。今日は団体遍路の泊まり組もたくさんいて、お風呂ではえらいえらいと背中を流していただき、いっぱいねぎらってもいただいた。ほんと、これが一番うれしい。洗濯もして、明日の祈祷のお願いもして、今日は終了。
しかし、足はムチャクチャ痛いぞ!
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