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掬水へんろ館

平成4年『遍路への旅立ち』
【9日目】 4月23日(木)[ 晴れ ]

 さすがに疲れたようだ、寝不足に飲酒も手伝って、起きるのが少々辛かった。(言っておきたい。私はかなりお酒が強い。久しぶりとはいっても、朝起きるのが辛いくらいだから、そうとう飲んだのだろう) でも、そんなことは言ってられない。明日には甲浦から、船に乗りたいのだ。それには、今日は「鯖大師」あたりまで行っておかねばならない。
 一生懸命、自分を励まして支度する。トイレにも行って、準備万端ととのったゼ、という時、オジサンが起きてこられた。朝から「会合」があるとかで、二日酔いでフラフラしながらも、アセッてらっしゃる姿が、かわいいやら申し訳ないやら・・・。
 このオジサンは、地元ではかなりの「顔役?」らしく、なんでも次期市長選に、うって出るとか出ないとか。今も議員さんのようだが、ゼンゼンえばらないし、キサクだし、手を土まみれにして働いてるし、いい感じだ。他の人たちも、「田舎でカッコつけてたって、誰もついていかんけんね」と言っていた。わが街の、えらぶりぶりカッコつけ議員の誰かさんも、ちっとは見習ったらいいのにねぇ、と思うことしきりだった。
 とにかく、オジサンも私も急いでいるので、別れの挨拶もそこそこに、お礼を言って出発。今日も30キロ近く歩くのだ、がんばらねばならない。(いつの間にか、こんなに「歩ける人」になってる、これはスゴイ)

 ユースを出て少し行った所で、車が停まった。きのう一緒に飲んで下さった方の一人だった。「車に乗せてってあげたいけど、歩かなあかんのやろ?」(昨夜、「私は車には乗らない」と言い続けたカイあっての、この思いやりある言葉、くー、泣けるゼ)「はい」「気ぃつけて行きや」「ありがとうございます」
 今日もいい日旅立ちになった。近くに食料品店を見つけて、一番日付けの新しいパンとジュース、おにぎりをひとつずつ買った。さあ、行くぞ!
 今日は55号線沿いに、ただひたすら南を目指すのだ。室戸、甲浦方面にさえ行けば、間違えることなく目的地に着けるので、ウロウロ道を探す余分な神経や不安は、必要ない。それだけでも気が楽だ。

南阿波サンライン

 しばらく歩くと、大々的に河川工事をしている所に通りかかった。工事をしているたくさんの人が、遠くから近くから、珍しそうに私を見る。歩き遍路なんて、あんまり見たことないんだろうなぁ。(この頃、まだ歩き遍路は少なめだった)なーに大丈夫。人に見られることには、仕事柄慣れてるから、いくらでも見て見て、と気取って歩いていると、一人、見覚えのある顔が、こちらを見ていた。「あ、きのうヤキトリ屋さんで会って、先に帰っちゃった人だ」 向こうも気づいて、喜んで駆け寄った私を、笑顔で迎えて下さった。ひとしきり昨夜の話をした後、道を聞く(チャッカリしてる)。
 彼の話によると、この先の海岸沿いに「南阿波サンライン」が通っていて、牟岐町でまた55号線に出会うらしい。55号線をそのまま歩くより、5キロ以上も長い道のりだが、とても景色がいいという。今日は体力もあるし(飲み過ぎ睡眠不足なんて、なーんちゃないもん)、旅はもうすぐ終わる。少々時間がかかっても、少しでも美しい自然を見ながら歩きたい。相談の結果、サンラインを行くことにした。

 長い立ち話を終えて、また歩き出す。サンラインの入り口あたりで、自転車を押して歩いてるオバサンに話しかけられた。彼女も車で88ヵ所をまわったそうで、歩く私を励まして下さる。「うちのおばあちゃんも歩いてまわったんよ」「え? すごいですね」「おばあちゃんが若い頃には、車なんかなかったけんね」 ナルホド。
 オバサンは、それからご自分の家に着くまで10分以上も、自転車を押して一緒に歩いて下さった。この土地の人は、本当に遍路に理解のあるやさしい人ばかりだ。都会じゃこうはいかない。

南阿波サンライン

 いよいよまた、長い「ひとり歩き」がはじまった。ヤキトリ屋で会ったオジサンや自転車のオバサンが教えて下さったとおり、車はほとんど通らない(ドライブウェイのハズなんだけど)、広くてキレイな道だった。もうすぐ山越え、やっと海が見えるかしらん、というあたりで、後ろから来た車が私の横で停まった。さっきの、ヤキトリ屋(で会った)オジサン? 一本道で間違えようがない道なのに、心配して見に来て下さったようだ。
 「もうすぐ海が見えるから」と元気づけ、車で送ってあげたいのにとも言って下さった。車はやはりご辞退したが、写真を撮って下さるというので、にわか写真撮影会のはじまり。「杖をもってニッコリのポーズ」「うーん、この坂は辛い! と歩く姿」などを撮っていただき、彼にも私の杖を持たせ、傘をかぶせて、「即席お遍路」ハイ、パチリ。ナカナカかわいい。写真を送っていただくため納め札を渡してお別れした。(後日キチンと数枚の写真が送られて来て、その後も何度か手紙のやりとりをした)
  また一人になって、上り道をしばらく歩き、「千羽トンネル」を抜ける。抜けたら、太平洋が見えた!
 ででーん! きれいーー! ようやく、「高知」へ向かっている実感がわいてきた。「あー、よく歩いたよなぁ、私ってエライよなぁ」、とまたもや自分をほめる。(自分しかいないんだからしょうがない)
 だけど、このトンネルを抜けてから、ちょっと恐い思いをした。

鳥の渦巻き

 トンネルを抜けた瞬間、カラスが羽ばたいた。あんまり近くを飛んだので一瞬ドキッ、なーんだカラスかと安心したのも束の間、数メートル歩いたあたりから、だんだん頭の上が騒がしくなってきた。一羽また一羽と増えてくる。カラスだけじゃない、トンビかしらタカかしらワシかしら(種類はよくわからんけど)、大きめの猛禽系鳥類が、歩くほどに、増える増える。歩いている道は、山の斜面、それもけっこう高い所で、下の方には谷も見える。その谷へかけて、何十羽もの鳥たちが、乱舞していた。しかも私の頭上すれすれにまで、大きな翼を広げて舞い下りてくるではないか。
 「恐いじゃないかー!」と、声に出して抗議してみたけれど、数は益々増えるばかり。ヒッチコックの映画「鳥」を思い出して、身体がこわばってきた。あんまり近くを飛ぶので、大師杖を頭より少し高くさしあげて、けん制しながら歩く。(今度は、杖の先のオレンジ色のかぶせ物には反応してほしくないけど)
 それにしてもすごい数。「石を投げれば鳥に当たる」というほど、頭上にも眼下にも、渦巻くように飛んでいる。 でも、こんなにたくさんの鳥が生息できるということは、ここはまだ自然が壊されていないということか。ドライブウェイのわりには車もあまり通らないし。まだこんなに鳥がいて、ホントよかった。
 恐いやらうれしいやらで、心臓はずっとドキドキしていた。
 やがて「千羽大橋」という、どでかい橋を渡る。遥か下方の谷から鉄柱がのびて、しっかり大きな橋を支えている。圧巻だ。渡っていても圧倒される。こんな山に、こんな巨大なものを造った「人間」ってすごい。橋自体の存在は、けして自然を壊していない。それどころか、かえって美しいと思えるほど、きれいにその風景にとけ込んでいた。
 車がブンブン通って排気ガスをまき散らさなければ、たとえば人も、こうして苦労して歩いて登って来るだけなら、鳥の数より少ない数の人間がたまに通るくらいなら、ここの生きものと美しい山は守られるんだ、と思った。やはりこのコースを歩いてよかった。55号線を通っては見られない、また、バスや車でここを通ってもわからない、素敵にドキドキする体験をした。
 野生の鳥が、手の届く距離を悠然と飛んでゆく。美しくて恐かった。 山は彼らのものだった。

 なんだかガラにもなく語ってしまったが、とにかく、彼らの昼食になることもなく(襲われ、食べられるんじゃないかと、本気で恐かったのだ)無事、千羽海岸を見下ろす「第一展望台」に到着。緊張と肉体疲労で、心身ともヨロヨロだったので、心からホッとした。だからもう、ゆっくり、のーんびりさせていただきましたさ。
 朝買っておいたパンとジュース、おにぎりを食べてシップを貼って、トイレにも行って、そんでもってクツを脱いでベンチで足をプラプラさせていると、展望台の売店のおにーさんがやってきた。「何だ、何だ」と身構えていると、「ボクも歩いてるんですよ、がんばって下さいね」と、かしわ餅とさくら餅を一つずつお接待して下さって、アッという間に売店に帰っていかれた。あのおにーさんも、休みの度に歩いてまわってるのかなぁ、おにーさんもがんばってね、と後ろ姿にお礼を言う。こんな所でも声をかけて下さる人がいる、幸せだ。
 まぶしいくらいの青空と心地よい風とさくら餅の香りの中で、私は、展望台のベンチと一体化していた。
 私がすっかりふやけている間に、何人もの人がやって来てはまた出発して行く。車で来てる人は、休憩時間もスピードアップしているようだ。せわしない ( 忙しい ) こと。人間もっとゆっくり生きなくっちゃ。(私はゆっくりし過ぎ?)

 シップが効いて足がラクになってきたので、元気に出発。またドライブウェイをデンデン行く。車はたまにしか通らないので、道のまん中を「貸しきり」で歩く、気持ちいい。一人旅の道に、いくつもカゲがおちてくる。タカかトンビかウミウか知らないが、どうも道路が好きなようで、山の上の方から、ぐるーっとまわって道に出てくるのだ。どうも、本気で道を偵察してまわっているようだ。道に出てくるネズミかトカゲでも狙っているのだろうか、でも、私のことは襲ったりしないでね。(まだ恐がっていた)

ぼんさんが屁をこいた

 鳥たちの飛来にもずいぶん慣れたころ、ようやく第二展望台に到着。まだ元気だけど、ちょっとだけ休憩しようか、と足を向けた。と、いきなりワンワカワンワン!すっごいケンマクの犬の声。「あちゃー、ヤバイ」
 いくら犬には慣れてきたといっても、人も通らない山のハイウェイのまん中で、山犬に噛みつかれちゃあ、たまんない。犬の吠え声にビビッた私は、即、足を道の方へ戻した。西村さんに、「目を合わせると、敵意を持ってると思われて襲われるかもしれないよ」と教えられたので、どんな犬か確かめることさえせず、前だけ見てスタスタ歩きだした。でも犬はしつこく吠える。歩いても歩いても、声が小さくならない。
 「ついてきてるの?」 あんまりしつこいので、そーっと、(犬の「顔」は見ないようにして)振り返ってみた。なんだ、ちょっと小さめの犬じゃないか。私は杖だって持ってるし、恐くなんかないぞ、安心安心。「フン」という気持ちでまた歩きだす。でも、彼(彼女?)は鳴き止まない。しつこく吠えながら追いかけてくる。相手が小物とわかったので、今度はちゃんと目を見て、「君とケンカする気はないからね」と大声で言ってみた。それでもやっぱりひどく吠える。「声、嗄れちゃうよ・・・」
 こんな山の中に、ひとりぽっちで住みついてるのかナと思ったら、なんだか不憫になってきたので、食べ残したパンを置いてみた。私がずーっと離れたところで、やっと食べた。それから、ずーっとずーっと後をついてきた。それがおかしい。振り返ると、ピタッと止まる。私の10メートルほど後ろから、同じ距離を保ってついてくるのだ。私が止まると彼も止まる。まるで「だるまさんがころんだ」(関西では「ぼんさんが屁をこいた」ともいう)みたいだ。あんまりおもしろいので、何度もやってみた。テクテクテク(歩く)、くるっ(私が振り返る)、ピタッ(彼が固まる)。テクテク、くるっ、ピタッ。テク、くるっ、ピタッ。かなり楽しい。足の痛みもすっかり忘れていた。でも、あんまり長くついてきて、途中で車の 前に飛び出したりしたら大変。ほんとはそのまま一緒に歩きたかったが、元の所に帰ってもらうために、しばらく無視することにした。振り返りたいけれど、ひたすら前だけ見て歩く。しばらくすると、すっかり吠えなくなった。今度は、ついて来てるのか帰ったのか気になってしょうがない。ガマンできず、そっと後ろを盗み見る。おとなしくついて来ていた。かわいい。
 その後もしばらくは、黙々とついて来ていたが、やがて少しずつ距離がひらいて、とうとう見えなくなってしまった。(やっぱり帰っちゃうのねー)
 でもあの子、どうやって生きてるんだろう。犬にとっても、簡単に里に下りられる距離じゃないように思うんだけれど・・・。展望台のゴミでもあさってるのかなぁ。 別れは辛いけど、お互い一人で生きてかなくちゃね、うん。がんばってね、あたしもがんばる。

 またさんざ歩いて、第3展望台。トイレどーしようかなぁ、行っとこーかなぁ、でもまだ大丈夫だしなー、と悩みながら到着したのに、なんのこたぁない、閉まっていた。やーね。 先のことをアレコレ悩むなんて、ムダなことなんだと学習した。

 気をとりなおしてもうひとふんばり、昼前には、第4展望台に着いた。売店は閉まっているが、自動販売機はあるし、トイレもある、海も見える静かな場所だった。足も痛いので、昼休み決定。前に買い込んだカロリーメイトとさっきいただいたお餅、自販機でジュースを買って、ゆっくり昼食。一人でのびのび。天気が良すぎて少し暑かったが、屋根のあるベンチを占拠していたので、10分ほど「昼寝」もした。(なんともお気楽遍路で、すいません)その間に、何台バイクが来ただろう。入ってきても、ちょっと景色を見るぐらいで、忙しそうにすぐ出ていってしまう。ホントに忙しい人たちだ。でも、私もいい加減行かなきゃ。足のシップを取り替え、トイレにも行ってようやく出発した。

 このドライブウェイ、まだ続くのかなぁ、海も見えるし、車はあんまり通らないし、静かで景色もいいけど、あんまり長いから、不安になるし、「もう、飽きちゃったよー」という頃、やっと人里に降りてきた。牟岐駅に出て、ようやく55号線と合流だ。ここから鯖大師まで7キロくらい。やっと見つけた公衆電話で「宿泊予約」もとって、一安心。
 しかし、足が痛い。「もうカンニンしてーなぁ」と悲鳴をあげる足首を励まし、杖なしでは歩けないほどヨタヨタしながらも、「八坂八浜」というそれはそれは美しい海岸に沿って、その美しさに気をまぎらせながら、ひたすら歩く。砂浜づたいに続く国道55号線に、潮の香りが吹き抜けてゆく。
 鯖大師まであと500メートルという所で、海へ降りる道を見つけ、とうとう腰を下ろした。砂浜まで降りる体力はないので、降り口の坂に、リュックを下ろして座り込んだ。青い青い海を見ながら、残ったお餅をほおばる。 後ろの国道を、車がゴンゴンブンブン走るのに、ジッと海を見ていると、だんだん、波のザザ~ン、ザザ~ンと打ち寄せる音しか聞こえなくなってきて、しまいには、コンクリートのその坂に、「ちょうどいいあんばい」と寝ころんでしまった。
 青い空に雲がいく。波のBGMが心地よくて、眠ってしまいそうだ。でも待てよ、こんな交通量の多い国道の道端で、白装束の遍路が一人仰向けにころがっていたら、「あー、お遍路さんが死んでるー」と言われかねない。ドライバーや同乗車の皆さんをドキドキさせないためにも、「起きあがらなくちゃ」、と、3分もたたないうちに、「まじめに歩く正しい遍路」に戻った。

燃え上がる「おつとめ」

 「鯖大師」に到着。ここは番外霊場だし、名前の感じからしても、少しさびれた、寂しいお寺というのを想像していたが、あにはからんや、何をおっしゃるウサギさん! たいそうリッパなお堂を建築中だし(この時は)、団体遍路はウジャウジャいるし、300人以上も泊まれる「へんろ会館」まであるじゃないか。そういえば、ここまでたどりつく道々で、「鯖大師」の看板をどれほどたくさん目にしたことか。山の中でも、ここのご住職が付けられた「ガンバレ」のお札をいくつも見たではないか。長戸庵に住みついてるクマさんにも、ここのご住職の話を少し聞いていたので、ぜひお目にかかりたいと思っていたのを思い出した。
 予想とのギャップはさておき、とりあえずお詣りだ。納経所に座っていたのは尼僧さんで、若くてかわいらしい、でも「とっても頼りになりそう」という感じの方だった。「若くして出家しておられる、声にハリもある、ああ、人格よさそう・・・」 いろんなことを考えて、しばらく口を開けたままボーッと見とれてしまった。ヨダレをたらしていたかもしれない。こんな人だったら、女どうしでも思わず恋心が・・・などと、とんでもなくフラチなことを考えてしまった。お大師さま尼さま、お許しください。

 部屋に案内していただいてから、支払いを先に済ませておこうと、事務所に行ってみた。ここでまた、大口アングリ。コンピューターあるわ、お堂にセットされてるらしいカメラのモニターあるわ。「おお! 寺もここまで近代的になっているのか」と感心することしきり。おまけに洗濯機3台、アメリカのコインランドリー並みのでっかい乾燥機2台、いたれりつくせりなのだ。
 お食事タイム、これがまたおもしろかった。団体遍路さんがいーっぱいで、食堂は満席。団体といっても一つのグループではないようだし、それでなくても、もうみんな揃ってるのに、誰も箸を付けない。ひとりで食べはじめる勇気もなく、皆さんと一緒にジッと「何か」を待っていた。やがて、おもむろに「何か」、いや「住職」が登場! 皆さんはこの「ご住職」を待っていらしたのだ。
 若くてハンサム、大きなよく通る声で、キビキビ話される。食事前の挨拶で、ひとしきり疲れた遍路を笑わせて下さるユーモアセンスもバツグン。なるほど、このカリスマ的ご住職の力で、新しいリッパなお堂が建つんだな、と変な感心をした。さて、いよいよ待ちに待った「食事」! と思いきや、今度は「食事前の言葉」、ですと。みんなで合唱しなけりゃならない。じいちゃんもばあちゃんも、声をあわせて「今日も食べられることに感謝・・・」的な言葉(団体遍路の皆さんの、食事前の「キマリ文句」なのか)を叫んでいる。幼稚園の時の、「せんせい、みなさん、いただきまーす」を思いだして、おかしかった。でも、さすが他の宿坊より少し値段が高いだけあって、料理はベリウマだった。

 「おつとめ」というか、「護摩供養」もスゴかった。護摩焚きの為の巨大なセット(?)が組んであって、お経を唱えながらそこに護摩木をほうり込むと、真っ赤な火柱が上がる。その大きく赤い炎と、僧侶たちの読経が、一緒にメラメラと燃え上がっていくようなド迫力だった。ご住職のパフォーマンス(いい意味です)もさることながら、尼僧の方々の、声の通ること美しいこと! 圧巻、だ。真言密教の「密教」を見た! って感じなのだ。
 不謹慎かもしれないけど、一つの「ショー」としても見ごたえがあると思うので、機会があればぜひご覧あれ。

 今夜が、この旅最後の夜、感慨もひとしお、だった。

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