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掬水へんろ館

平成4年『遍路への旅立ち』
【5日目】 4月19日(日) [ 雨・小雨・曇り・晴 ]

 朝から、天気予報どおりの雨。ザンザ降りだったら、今日一日休んでやろうと、密かに期待してたのに、雨はだんだん小降りになってきていた。

 6時半に朝食をいただいてふと気がついた。ご飯詰めるんなら、ゆうべのじゃなくて、今朝のにすればよかった。「今度いつ食べられるかわかんない、いつまでもあると思うな、親とメシ」の根性がしみついたみたいだ。でも捨てるなんてできない。ゆうべのご飯を持っていくことにした。

超方向オンチ力

 いくぶん雨が小降りになり、宿のオバサンも「いつ行くのー?」と言いたげだったので、カッパに身を包み、傘もさした完全武装で出発した。やっとカッパが役に立った。持ち歩いたかいがあったというものだ。釣りの時に着ていたビニールの安物で、ちょっと魚くさいし、通気性はゼロだけど、雨には濡れずにすむのだ。

 宿の近くに番外札所「善覚寺大師堂」があったので、きのうの車のお接待と宿のお礼にお詣りした。

 ここでとうとう、私の超方向オンチが出た!
 昨日の後半はさておき、今日までが順調にきすぎていたのだ。今日は、私の「方向オンチ力」を、遺憾なく発揮することになった。まず、この大師堂から国道の方へ出られず、ぐるぐるぐるぐる。「へんろマーク」をたどっても、また大師堂に出てくる始末。朝も早いし雨なので、誰もいないし聞きようもない。イヌもカラスもちょうちょもいない。頼れるのは杖と自分だけなのだ。 ずいぶん迷って、やっと国道に出た。よかった、あとはこの道をずーっとたどって行けばいいだけ、もう迷わない。「ヨカッタ、ヨカッタ」と雨の中、道沿いにずいぶん歩いた、と思う。ふと左手にある看板が目にとまった。「神山温泉すぐそこ」 え? 「神山温泉って、今私が出発した所よ、なんでこんなとこにあんの? ひょっとしてひょっとするわけ?」
 そう、ひょっとしてひょっとしたのだ。私は神山温泉地帯をただぐるぐる回っていただけだった。(雨やのに何をやってますねん、朝から疲れるよーなことやめてよねー、と自分に腹が立つ)
 国道沿いに「へんろマーク」を見つけて駆け寄ってみると、まっすぐ、今来た道を指していた。ああ、また戻らねばならない。それでも位置関係がまだはっきりわからず、昨日の山越えの痛い経験もあり、なかば不信感を抱いたまま歩き出した。出発から一時間以上経過していた。スタートがこれじゃ、先が思いやられる。

 雨の中をテクテクテクテク。自分の身体の水蒸気でカッパの中がぐっしょり濡れてゆくのがわかる。わかるどころか、気持ち悪い! これじゃあ、雨に濡れてるのとかわらない。「脱ぎたいなあ、脱ぎたいなぁ」、と思いながらなおもテクテク。やがて国道は狭くなり、人が歩く道はなくなってしまった。
 民家のカベや山の斜面と車道の間は、わずか50センチほど。モデルよろしく、その間をはみ出ないように歩く。田舎道はとくに、歩道がない。車道を通るしかない場所がたくさんあるのだ。(この辺の子供たちは何処を歩いて学校やよその家に行くんだろう)危ない。
 国道はますます狭くなり、私は後ろからの車にいちいち怯えながら歩くことになった。しかし、交通量が少ない時には、時おり私の傍に車が止まり、「乗っていきませんか」と声をかけて下さる。今日は7台もの方のお接待を辞退した。車は敵にも味方にもなるようだ。(皆さん、ありがとうございました)

 それにしても大日寺は遠かった。一本道なので、「へんろマーク」も少なく、何度も不安になる。ようやく神山町を抜けるあたりから、民家もちらほらあり、人もいたので、今日は人に頼ることにして、とにかく訊きたおした。
 最後までに、のべ何人に訊いたかわからないほど、道を訊ねて、ようやく大日寺方面への登り口にさしかかったころ雨も止んでいたので、カッパを脱ぐ。 通気性ゼロのカッパと自分の身体の蒸気のお陰で、長いこと雨に打たれてたんじゃないかと思うほど、身体はぐっしょり濡れていた。
 今度は、涼しい風に吹かれて、ひたすら歩く。「私は何のために、こんなことしてるんだろう」、そんなことばかり考えてしまう。とにかく足も肩も辛い。

 「家へ帰りたいなぁ」と思いながら歩いていると、「トンネル」が出現。こんなトンネルを歩いてくぐるなど初めての体験だ。車一台がやっと通れるくらいの幅、長さもほんの40メートル足らずの小さなトンネルに、不思議な感覚を覚えた。まるでそこが異次元空間への入口のように思えて、中で何か起こるんじゃないかという、スリルとサスペンスにわくわくドキドキした。
 トンネルの中は、ひんやりしていてとても静かだ。カツーン、カツーンと、杖の音だけが変わった音色で響きわたる。少し恐かったので、弘法大師と一緒なんだと確認するため、わざと杖をつき、鈴を鳴らしながら歩く。
 トンネルを抜けてホッとしたところへ、車がやって来た。トンネルの中で出会わなくてよかった(確実にどちらかが後退しなきゃならない狭さだったのだ)。
 緊張したので、家に帰りたい気持ちを忘れた。

青バナ一休兄弟

 歩きはじめて3時間ほどたった頃、山懐に、懐かしいような風景の農村が現れた。
 道沿いの小さな家から、男の子が出て来た。小学2年生だという。とても人なつこい。弟も出て来て、にいちゃんの方が「この子は1年生」と紹介してくれた。
 その一年生坊やは、今ではほとんど絶滅したのではないかと思われる「青バナ」をたらしている。もうすぐクチビルに届くという微妙な位置で、その乳緑色の物体は止まっていた。妙にかわいい。陽気なおにいちゃんの方は、アニメの一休さんを少しふくらませたような健康優良児タイプだ。
「どこ行くん?」と、にいちゃん。「大日寺ってゆーとこ」「あ、その名前知ってるわ」「そう、まだ遠いかなあ?」「ごーーっつい遠いけん。あと一時間はかかるき。ごーーっつい遠い。一の宮の小学校より遠い!」と、彼はしきりに心配してくれた。その後も、会話が途切れるとすぐ次の質問やお話をしてくれたが、ここで井戸端会議やってるわけにもいかない。「じゃあね」と一方的に別れを告げると、今度は弟の青バナくんが「カタツムリー」と、レゴブロックを見せにきた。うーん、「どうしてもカタツムリと言い張るならのなら、そのように見る努力をしてみよう」という作品だった。
 しかし、行かねばならない。兄のスピーチと弟の作品発表会に心を残しながらも、足は前へ出てゆくのだった。あばよ兄弟。

 そこから数百メートル行った所でも、子供があどけない笑顔でコンニチワと言ってくれる。ここはいい村だ。庭先で遊んでいた子供が私の姿を見て、おじいちゃんに言っていた。「あの人、お坊さんみたいや」 うふ、そんなにカッコイイかしら、うれしいわ。でもせめて「尼さん」にしてくれないかしらね。

スタンプラリー遍路

 やがて、鮎喰川に沿って第13番札所「大日寺」が現れた。苦労して到着したわりには、真向かいの一の宮神社の方が大きくて立派だ。それもそのハズ、ガイドブックによると、大日寺はこの一の宮神社の別当寺で、神仏分離以前は一の宮神社が「札所」、寺は「納経所」だったのだそうだ。その上、神仏両社の間を分断するように広い道路が横切っている。車がガンガン走っていて、騒々しくて落ち着かない。しかし「ここで昼食にしないと」と思い、縁側をかりてゆうべ詰めたご飯を食べる。

 パンパンに張った足をブラブラさせていると、少し痛みが和らいでいく。肩も少し揉んでみたが、触るとかえって痛いのですぐやめた。おかず無し、ただ「ご飯のみ」だったが、ありがたくガツガツ食べていると、門前にバイクが止まり、一人の青年が降りたった。
 道から一段上がるともう大日寺内。バイク青年は門前にバイクをおいたまま、納経帳2冊と掛け軸をかかえて、まっすぐ、私ががっついているすぐ横の「納経所」へやって来た。しかし、記帳がすむと、またまっすぐバイクに向かって歩いていくではないか。それは、私がほんの3口ほどゴハンを食べる間だった。私は次の一口のために開けた口をアングリさせたまま、「おいおい、にーさん! せっかくお寺に来て、本堂も大師堂もお詣りせんと、手ぇも合わせんと、納経所の往復だけっちゅうのは、あんまり味気ないんとちゃう? スタンプラリーとちゃうのよ」と、心の中で文句を言っていた。
 四国88カ所参りの証である納経済みの「掛け軸」は、豪華な装幀をほどこし、高値で売られるというが、彼も単なるアルバイトで、印を押してまわっているのだろうか・・・。 と、にーさんが帰ってきた。あ、ヨカッタヨカッタ改心したのね、いいのよ、わかればいいの。
 でも、にーさん今度は私の方に向かって来た。ギョッ! 文句言ったのがわかったのかしら、いきなりぶたれたりしたらどーしよう。まさか「君、かわいいね」なんてナンパしに来るハズもないし・・・。口を開けたまま(いつまで開けてんだ)かたまっていると、にーさんは、私の横に立ててあった地図にまっしぐら。なーんだ。でも、お詣りは? としつこく睨んでいると、バイクと地図の往復路の、ほんの10メートルほどの間にある「観音さま」に、少しだけ手を合わせていた。よかったよかった、ちょっとでも合掌して、事故のないようにお願いしますョ、気をつけなさいョ、とお母さんみたいな気持ちになる。

 当初の予定では、この13番寺で泊めていただこうと思っていたが、まだお昼を過ぎたばかりだし、がんばればあと7キロと少しで、次の宿泊地帯に着ける。もう「歩き遍路ペース」がでてきたようだし、きっと行ける。14番を目指した。
 「へんろマーク」を頼りに田舎道をズンズン歩いてゆく。一度間違えて反対の方へ行ったが、親切なオジサンが正しい道を教えて下さり、ロスは少しですんだ。川を渡ると電話ボックスがあったので、宿坊のある17番「井戸寺」(今日の最終目的地)に電話を入れた。「一人なんですけど、今日泊めていただけますか?」
 なんたってここには100人以上もの人が泊まれる施設があるんだ、もう安心。と思ったのが、大きな間違いだった。「あれぇ、今日は日曜日じゃけん。手伝いの人来てもろうとらんけん、休みなんじゃわ、すまんねぇ」 休みー? すまんねぇじゃすまない。じゃあ私しゃ今夜どうすりゃええのよ。野宿はイヤじゃよう! 「じゃ、じゃあ、近所にお宿があれば教えてください」「近所ゆーたら、3キロばぁ離れとるけんど」 ・・・めまいがした。今から、もうお昼も過ぎた今から、7キロに加えて3キロ。年配の人はサバ読むから、きっと3キロ以上あるハズだ。それは、今から10キロ以上も歩けってことなのか?
 そのままキゼツしたかった。でも、キゼツするより歩いた方が自分の為だと思ったので、落ち込みながらもひたすら歩く。とにかく次まではたった2キロ、かーるいもんよ。その「かーるいもんよ」を5回も繰り返せば、10キロなんてすぐだ、のはずだ。

哀愁の常楽寺

 住宅地の中に入って、まもなく第14番札所「常楽寺」に到着。常楽寺のすぐ手前に「常楽園」という建物があった。日曜日だというのに、子供たちばかりが大勢で遊んでいる。なんとなく不思議に思いながら通り過ぎて、ハッと気がついた。「そういえば、お坊さんが書いた本の中にあったぞ。ここは常楽寺が経営している養護施設じゃないかしら。あの子たちには、親がいないのかもしれない」 気がついて、とても切なくなった。

 常楽寺は、古びたお寺だった。町中にあるのに、奥が深く、おごそかな山寺の風情。夕暮れが似合いそうな、寂しくもあたたかい感じ。境内で、3才から5才くらいの小さな子が、3人だけで遊んでいた。この子たちにも親がいないのだろうか。
 手をひいてくれたからと、3人のおばーちゃん遍路が、その子供たちにそれぞれ100円ずつあげていた。「わーい、いいことしたら、こんなにお金もらった。今度またいいことしよう」と口々に言っている。お金のためにいいことをするという風になってほしくないな、と勝手なことを考えながら本堂に手を合わせ賽銭を入れていると、後ろの方でまた子供の声がした。「ねぇこのお金、お賽銭に入れようよォ。もっともっとお賽銭入れたいねぇ」 涙がでそうになった。ご本尊の弥勒菩薩さまに、「どうぞこの子たちが幸せに育ってくれますように」とお祈りすることしかできなかった。私には何もできない。何をしていいかもわからない。とても悲しかった。

 以前、ある「農業祭」のイベントの司会をした時のこと、式典の前に、その年とれた野菜を地元の子供たちにプレゼントするという企画があった。冷めた表情で野菜を受け取る子供たちを見て、「お父さんお母さんの方が喜ばれるかもしれませんね」と軽く言ってしまった。あとで、その子供たちが、親のいない施設の子供だと聞かされ、心臓が凍りついた。
 知らなかったではすまされない。言ってしまった言葉は、けして消えない。あの時、小さな心をどれだけ傷つけただろうと考えると、十数年たった今でも、申し訳なくて胸がキリキリ痛くなる。
 ほんとうにほんとうにごめんなさい。

 いろんな思いがこみ上げて、夕暮れの古寺は、ますます切ない色に染まっていくように見えた。
 納経所に行くと、厳しそうなのにとてもやさしいご住職が、私の「歩き遍路」をねぎらって下さった。ご自身も何度か88ケ所をまわられたそうで、「お守り」にと、113回もまわった方の錦のお札(まわった回数で、札の色が違う。ちなみに錦のお札は、100回以上回った人しか持てない貴重なもので、これをいただくと大変ご利益があるそうな)と、お接待にとバナナも持たせて下さった。このご住職が子供たちの面倒を見ていらっしゃるのかなと思うと、ほんとうの仏さまのように見えて、本気で手を合わせてしまった。
 できることなら、こんなお寺に泊まりたい。でも泊まる施設は無いのだ。豪華絢爛、きらびやかにお祀りされたご本尊のある寺には、モチロンりっぱな宿泊施設がある。でもってお客はバンバン、団体さんが泊まるからお金もおちて、また豪華にできる。貧乏なお寺はビンボーなまま。これも仕方ないのだろうか。

 名残り惜しいが、先へ進まねばならない。ご住職が何度も何度も、「人に道を聞いて行くように」と教えて下さった。結局、道中誰にも会わなかったが、「へんろマーク」が、しっかり、細い道、抜け道を教えてくれ、アッという間に、第15番札所「国分寺」に着いた。
 ここもちょっとだけ寂しい感じだ。ご本尊の薬師如来さまに、さっきの子供たちのことをお願いする。 どうぞ、大きな病気などせず健康に元気に育ってくれますように。

ドライブスルー納経

 納経所は窓が閉まっていて、ベルをピンポンと押すと、ガラッと戸が開いてオバサンが印を押してくれる。終わるとピシャン! と閉まる。すぐ次の人が来てピンポン、ガラッ、ピシャン。またピンポン、ガラッ、ピシャン。何だかドライブスルーみたいだ。
 肩のあまりの痛さに、納経所の前のイスにリュックを下ろして休んでいると、「ボクはお遍路のツウなのさ!」という感じの(どんな感じか説明しにくい。なぜかそう思った)30才半ばくらいのおにーさんが、慣れた雰囲気で颯爽と入ってこられた。私が「歩き遍路」と知ると、「いいものあげよう」と、錦のお札を下さった。あら、さっきいただいた札と同じ、と出してみると、やっぱり同じ人のものだった。さっきのは113回目69才の時ので、今度のは108回目68才の時のもの。一年で5回も回るとはすごい。
 霊験あらたかーという「錦のお札」を2枚もいただいて、ずだ袋にはバナナも入って、かなり幸せだ。すっかり気をよくして、次は1.7キロ、16番寺へ向かう。

 これが1.7キロとは思えない長い道のりで、不信感を抱いては、何人もの人に道を尋ねたのだった。皆さん快く教えて下さり、合掌してお辞儀する私の姿も、なかなかイタについてきた気がする。

 町の中、ほんとに古い商家の中の一軒みたいに、ささやかに、第16番札所「観音寺」があった。
 本堂と大師堂で、ここまで来られたお礼を言って納経所へ行くと、ぶあいそーなオバサンとちょっとハンサムなお兄さん坊さんがいた。でも今はポーッとしているバアイではない。肩も腰も、痛みと疲労でボロボロだけど、私は負けない、「それ進め!」なのだ。
 次の17番までは、ガイドブックにまあまあ詳しい地図が載っていたせいか、案外早く歩けたような気がする。だいたい、地図も持たずに歩くのがムボーなのだ。(ちょっと反省)でも、人に聞きながらってのも「遍路の醍醐味さ」と言い訳する。(懲りていない)
 やっと着いた、第17番札所「井戸寺」は、150人もの宿泊が可能というだけあって、まあリッパ。「なのになんで泊めてくれないのよう!」 文句も出る。
 今日最後の寺ということもあって、念入りにお詣り。(他も丁寧にやってるつもりだけど) よくぞここまで歩かせて下さった、そしてもう少し歩かねばならないだろうので、お力添え下さいとお祈りした。
 納経所では、記帳係りのちょっと俗っぽそうなオジサンが、「一人歩きに興味あり」という感じでイロイロ話しかけてくる。「このあいだ19才の女の子が来た、19才とは若いなあ」とひとしきり感慨深げだ。悪かったわね「歳」くってて。ひとまわりも違うんだもん、しかたないじゃん(何が?)。そんなことより、私は今日泊まるとこがないのよー、早く知ってる人出してよー、とあせってるところへ、俗オジサンとは違う、やっぱり坊さまは坊さまらしい、ナカナカ人情に厚そうなお坊さまが出て来て下さった。ヨカッタ。そして、それはそれは丁寧に「常盤旅館」という宿を紹介して下さり、それはそれは詳しい地図を描いて、噛んで含むように説明して下さった。その間、納経に来たお客さんも、ニコニコして待ってて下さった。ここには「愛」がある。有り難いことです。しかし、その地図によると、やはり、宿はここから軽く3キロはあるのだ。ああ・・・。

愛しのストロベリー

 教えられた道は、納経所の正面の道を直進するのだが、門前左手にイチゴが並べてあったのを思い出し、ちょっと寄り道。あたしはイチゴがだーい好き。しかも「朝取りイチゴ100円」と書いてある、惹かれないわけがない。行ってみると、3人ほど人がたかっていたのでちょっと心配したが、あと3つもあった。ほんとうにおいしそうなイチゴだった。形はふぞろいでブサイクなのもあるけど、ぷりぷりしてとってもキュート。「ああ、愛しのストロベリーちゃん、ここで会えてほんとにうれしい!」と、自分でも気持悪いくらいニコニコしていた、と思う。2パック買おうと思ったが、「欲ばりばあさんは、カエルやヘビの入った箱をもらいました」という昔ばなしを思い出し、謙虚に1パックにしておいた。
 この辺の農家が自分の家先で売っているのは、売り子さんなどいなくて、カンカン(缶)に「料金ばこ」と書いてあって、買いたい人の良心にまかせて「お支払い」するようになっている。誰でもすぐ取り出せてしまう、ただのプラスチックの箱には、それでもちゃーんと何枚かの「良心」が入っていた。
 私も当然の良心を一枚入れていると、その時一緒にイチゴ選びをしていたひと組のカップルが、話しかけてこられた。なんでも、今日、焼山寺からここまで歩いてきたという。「しょーさんじからここまでーー?! きょうー?!」と、すっとんきょーな、はしたない声を出してしまった。それって30キロはあるでしょう。すごい、すごすぎる(と、この時の私は思った )。鉄人レース並みじゃないの(と、この時の私は思った)。 女性の方は「もう足がガクガクでだめ」なんて言っておられるが、なんとも、爽やか颯爽ハイキング夫婦という雰囲気。(その強さにあやかりたい) もう今日家に帰られるそうで、方向も違うので、そこでお別れした。

 そういえば、「旅は道連れ」とか言うのに、今回の私は見事にずーっと一人っきりで歩いている。すれ違ったりバッタリ会って立ち話をしたことはあっても、3歩と一緒に歩いた人はいない。こんなものなのだろうか。

 さて、ここからの3キロがまた、ひたすら長くて辛い道のりだった。リュックを下ろすこと、早く足を投げ出すこと、あとは「おふろおふろおふろ、ゴハンゴハンゴハン」(この色気のない思考) とにかくそれしか考えられない。

快感

 地図をたどって蔵本の駅に着いた時には大カンゲキだった。都会なのだ、ここが、ナカナカの! 店もいっぱいあるのだ、イロイロ。そして「常盤旅館」を見て、また感涙。「なんて、旅情あふれた宿なんでしょう」 昔のあの、時代劇に出てくる「旅籠」、まるでそんな雰囲気なのだ。広い広い玄関の4枚のガラス戸に、常・盤・旅・館と書かれてあった。ガラス以外はぜーんぶ木造り(木造ともいう)。
 きしむ階段を、2階へ案内された。どこもかしこも、昔風の造りのままの廊下や部屋に大満足。部屋に落ち着いたあと、宿帳の職業欄を空白にしたのを咎められたので、「アナウンサーです」とこの旅に出てはじめて自分の職業を述べると、宿の女主人であるらしいそのオバサンは、「へーえ」とおっしゃった。どういう意味の「へーえ」かはわからないが、それだけで取り調べが終わったのでホッとした。でもとても親切なオバサンで、その後もポットのお茶の入れ替えやお風呂や布団や、おソバは食べるかと、何かと、かまって下さる。でもこの宿では食事が出ないと知り、外へ買い物に出てホカベンを買って食べた直後だったので、おソバは遠慮した。
 それよりも久しぶりにショッピングというものをして、心がハレバレしてしまった。近くのお弁当屋さんで、夕ご飯用に、カツ丼・みそ汁・スパゲッティサラダ・きゅうりとくらげの酢の物・卵焼き、明日のお昼のお弁当に、おにぎり3個、朝食用にはスーパーでパンと紅茶のミルク。それから、きのう神山温泉で忘れたブラシのかわりに、一番安い380円のクシも買った。そして、もうガマンの限界だった肩と太もも、ふくらはぎのために、筋肉疲労用スプレー。「気のもん」だけど、栄養ドリンク。あと旅行用の洗剤パック。(もっとイロイロ買いたかったが、荷物になるのでガマンした)
 それにしても、買い物する時の快感ったらない。やっぱり物質文化の中で育った世代なのだ、物があるのがうれしいし、買い物は楽しい。お陰でお金もたくさん使ったけれど、宿代は4000円という安さだし、よくがんばったごほうびだと思えば安いものだ。

 物に囲まれテレビの音声をBGMに、久しぶりの豊かな満足感に浸る。布団も清潔、おこた(こたつ)も暖か、オバサンはやさしい。今日は、近くに買い物するところもあって、こんなステキな宿にも泊まれるようにと、井戸寺さんが宿泊を断わって下さったんだと思うと、ほんとに、お大師さまに、すべての方に、心から感謝!
 明日も長丁場、がんばろう。

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