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掬水へんろ館

平成4年『遍路への旅立ち』
【3日目】 4月17日(金) [ 快晴 ]

 久しぶりにぐっすり眠った。古くて、あまり美しいとはいえない宿だし、布団は独特の匂いがして、湿気ていて重かったけれど、不思議によく眠れた。
 元気に朝ご飯を食べて、きのうのオバサンたちにもお別れを言う。「車に乗って行きませんか、って言いたいところやけど、歩きはるんやもんねエ。気イつけてね」と励まして下さった。いい人だったんだ。

目からウロコの「柳水庵」

 今日も私はべべた(関西弁で最後という意味)出発。いつも一番に到着して、べべたこ(べべたの発展型)に出てゆく。活動時間(歩行時間)が短いのか、単にドンくさいのか・・・。
 坂本屋のおばさまが見送りに出て下さった。靴をはきながら少し話していると、「今日は柳水庵まで行けるね」とおっしゃる。「え? 行けるでしょうか」「いける、いける。今からやったらちょうどええわ。11番さんから電話したらエエ」「!」
 私は彼女のその一言で、突然、「柳水庵行き」を決心した。寸前まで、「今日は11番までなのよー、無理をしないのよー、おナカも心配だしねー、カメの歩みでいいのよー」、なんて、自分に言い聞かせていたのに。急に目の前が開けたようだ。目から、ウロコも涙も落ちちゃう。「めざせ、柳水庵!」ってもんだ。
 そうなのだ、なにもいっぺんに12番まで登りきらなくてもいいじゃないか、途中でいったん休憩すればいいのだ。あー、よかった、気がラクになった。これで元気に出発できる。
 出がけのおばさまの一言が、「大師の声」に思えた。「無理をしなくてもいいから、今日は柳水庵までがんばりなさい」 はぁーい、がんばりまーす。元気いっぱい藤井寺へ向けて、レッツラゴー! なのだ。

 田んぼを抜けて民家を抜けて、平たんな道をおもしろいくらいハイペースで歩いて行く。道行く人にお辞儀をすると、みんな応えて下さった。

四国三郎さま

 しばらく行くと、吉野川にぶつかった。車ならぐるーっとまわって、向こうの橋を渡らなきゃいけないのに、「へんろマーク」は大胆にも「直進せよ」とある。「ほんまにええんかいナ」とブチブチ言いながら堤防を上ると、眼下に「川」じゃなくて、「原っぱ」が広がっていた。なーんだ「川」じゃないじゃん。
 下まで降りてずんずん直進すると、申し訳程度の川が流れていた。それも、干上がりかけのチョロチョロ川なのだ。「あんたそれは『小川』ってゆーのよ。どこらへんが『広々と流れ下る四国三郎ー吉野川』なの? 誇大広告じゃない、ジャロに言うわよ!」などと悪態をつきながら、なおも進む。
 今度は田園風景だ。今来た道を振り返ると、遥か向こうに雄大な山々が脈打ち、目の前には見渡すかぎりの平野が広がっている。のどかな日本の田園風景。
 たまらなく美しかった。

 「へんろマーク」をたよりに、ずいぶん歩いた。
「おかしい。吉野川はどこへいったんだろう」
でも確かにここは、他より一段低い位置にあるように思う。おかしいおかしい。ガイドブックを疑いながらも、なおも歩き続けていると、あったあった、吉野川。
「たいして広かないけど、ナカナカいーじゃん、きれーじゃん」
 車がやっと一台通れるほどの、細い橋を渡る。水は澄んでいてとても美しい。橋の途中、対向車をかわす為に造られているでっぱりにリュックを下ろしてひと休み。そしてふと考えた。あれ? 向こう岸に見える堤防は、一番はじめに降りてきた堤防と同じ造りだ。ということは、今の巨大な田園地帯が、吉野川の中洲ってやつなの? えー、うっそー、それってスゴすぎる!
 ハッキリしたことはわからないが、どうもそうに違いない、と思う。吉野川をバカにした私がバカだった。三郎さま、ごめんなさい。

 イフの念をおぼえながら、渡り切って堤防を上がる。さて、どっちに行ったもんざんしょ。キョロキョロしてると、イヌが鳴いた。そちらを見るとやっぱり「へんろマーク」があった。いやあ、教えてくれてありがと。「いい子ねぇ」と(相手が子犬だったので)余裕の笑顔を向けて、堤防を降りる。
 堤防端で洗濯物を干していたおばさまと目が合ったのでオジギをすると、「お茶飲んでいきませんか」と誘って下さった。あらうれしや。今ちょうど、お茶が飲みたかったところなのだ。これ幸い、ホイホイついて行く。さすがに、家の中までというのはご辞退して、玄関のあがりがまちに座らせていただいた。おばさまは、私があまりに素直についてきたので少し面喰らっておられたようだが、すぐにおいしいお茶と、大きなおまんじゅうまで出して下さった。
 家の中には、ご主人の川柳の賞状や、おばさま作の「人形の額」、おばさまの趣味の「ストッキングフラワー」(文字通りストッキングで造った造花だった)などが飾られており、しばしそのお話をうかがう。ご主人はすぐ隣りの部屋にいらっしゃるようなのに、ついに一度も出てこられなかった。(「変なの引っぱりこんで、しょうがないなぁ」と思ってらっしゃるのかなぁ)
 でも遍路に遠慮は禁物。ここを逃してなるものか。一度担いだリュックをまた下ろして、あつかましくトイレまでお借りした。おいとまする時には、手を出しそびれていたおまんじゅうも持たせて下さった。きっと「欲しい」と顔に書いてあったのだろう(ホントに欲しかったんだもん)。
 期待どおりにおまんじゅうをいただけたうれしさにヘラヘラしながら歩いていると、また道を間違えそうになった。あぶないあぶない。ピリッとせねば。

 暑くなってきた、日射しもきつい、少しオナカも痛い。でも私は負けない。自分を励ましながら、ひたすら歩く。民家の間をひたすら歩く。あまり人は通らない。たまにすれちがっても、私には無関心。「フン、お遍路か」という感じ。慣れてるのか、かまうのが恐いのか。時々イヌだけが吠える。

 大きな道路に出た。歩道がないので、壁にへばりついて信号が変わるのを待つ。かなり恐い。大型トラックが、ぶぉんぶぉん走って行く。
 こんなのに轢かれたら、ゾウに踏まれたアリみたいに、「プチッ」でお終いなんだろうなぁ。人生の終わりが「プチッ」なんて悲しいよなぁ、なんて考えながら、排気ガスを吸っていた。
 やっと前進を許されてドンドン進む。

 ようやく山すその匂いがしてきた。
 考えてみれば、後ろの山から、そのすそに広がる民家を抜け、巨大な吉野川を渡り、また民家を抜け、反対側の山へやってきたのだ。「今日はこの山を登り越えて行くんだ」、そう思うと、自分をほめてやりたくなった。「私ってなんてエライの、よくがんばってるよねぇ、ほんとにえらい!」

イナリはこわい

 自分にほめられてすっかり気をよくした私は、またまた元気になってばく進する。さあもうすぐ、という山の麓に、食料品店発見! 都会じゃ苦労しないのに、ここでは見つけた時に買わないと、今度いつ「店にぶちあたれるか」わからない。でも、食べたかった「おにぎり」は一つもなかった。ローソンのおにぎりでも、しのぶちゃんでもおにぎりQでも近所のオバサンがアルバイトでにぎったのでも、何でもよかったのに、何にもない。「ご飯もの」は、のりまきとイナリのパックが一個ずつだけだった。
「イナリにしよう、いやまてよ、今日はこれから山のぼり。山の中へ一人で入ってイナリの匂いなんかさせてたら、ぜったいキツネに騙される。シッポのはえた『へんろマーク』が、あっちこっちに現れて、一生山の中を歩きまわるハメになるんだわ、どーしよう・・・」
 イナリをにらみつけて長いこと考えこんでる遍路なんて、きっと気持ち悪かったにちがいない。意を決して「のりまき」をつかんでレジに出した時、レジのお姉さんは、心からホッとした顔をしていた。

スター誕生!

 昼のお弁当を確保した私は、最後の急な坂もなんのその、意欲満々の足どりで、第11番札所「藤井寺」に到着。
 ここにも、団体遍路の皆さんがおられ、一人一人が、別々に同じことを聞いて下さるので、お答えするのに大わらわだった。今までで一番注目された感じだ。わいのわいのと取り囲んでは、えらいのすごいのとほめて下さる。それだけならまだしも、男性のガイドさんが、
「この子は12番まで、なんとこの山を越えてゆく女の子なのだ。しかも、たった一人で! これは、ものすごいことなのだ!」と、大声で発表して下さったものだから、もう大変。私はイッキに、遍路たちの「スター」にのし上げられてしまった。
 オバサン、オバーチャンたちは、私をうっとりと見つめ、口々に賞賛と励ましの言葉を投げかける。私の身体に触ろうとする人まで出てくるしまつなのだ。これほど期待されて、裏切るわけにはいかない。
「ええ、苦しく困難な道のりかもしれません。途中、めげることもあるでしょう。でも、なんとか成し遂げたいと思います」
 アルプス未踏峰へ登る登山家がインタビューに答えるみたいに、せいいいっぱいのさわやかな笑顔をつくった。
 ああ、もうあとにはひけない・・。

 先を急ぐ団体遍路の皆さんは、一人一人手を振って励まして下さりながら、やがて、一人残らず行ってしまった。最後にガイドのお兄さんも、「あんたはほんまにえらいなぁ」としつこくほめて下さって、去っていった。

 さあ今度こそ私の番だ。今の騒ぎで、落ち着いてお詣りできなかったが、「これからのことキチンと聞いとかなくっちゃ」と、納経所でご住職にたずねてみる。と、「柳水庵? ああ、すぐや。あんたやったら、3時間もかからんやろ」と、意外なお言葉。横から奥さまらしき人が、「今からやったら焼山寺まで充分いけるよ、もったいない」とまでおっしゃる。
 なによー、話が違うじゃないか。何が「もったいない」んだ。ガイドには「焼山寺への道は阿波23ケ所中の最大の難所」だの、「ひと山越えて8時間かかる」だの「遍路ころがしの坂」だのと、えらいたいそーに書いてあるから、かなりのカクゴをしてきたのに。こうもあっさり「なんでもない」風に言われると、かえって傷つくなあ。さっきの団体遍路さんの、「あこがれの人」になった私のプライド、どうしてくれるの?

へんろころがし

 公衆電話から、 柳水庵に「泊めてくだいコール」をして、さらに追い討ちをかけられた。「今からいらっしゃるん? ちょっと早いですよ。まあ次のお宿紹介しますし、どうぞいらっしゃい」
 ああ、次のお宿って、焼山寺のふもとの宿でしょ。皆さん、軽くおっしゃるけど、「次へ行け」なんて言われてもあたしゃ自信ないのことよ。
 それでも、藤井寺のご住職の、「無理せんとゆっくり行きなさい。柳水庵まででよろしい。大丈夫、大丈夫」の言葉に勇気づけられ、奥さまには、家の中のトイレを貸していただいたり、山の途中に住みついている変な人に驚かないように、などという注意も与えていただき、「いってらっしゃーい」の言葉に送られ、元気に「遍路ころがしの坂」を登っていったのだった。
 おかしい、おかしすぎる、「へんろころがし」なんてネーミング。おもしろすぎるじゃないか。
 確かに、急な坂だし、細くて危ない。でも、「ころがし」って言うんなら、下り坂じゃないといけないのに・・・。一番上の人がすっころんで次の人にあたり、2人でごろごろところげて、また次の人にあたり、その人もころんでまた次・・・、という風に、白い着物のお遍路さんが、丸くなって何人もころんでゆく姿を想像し、おかしくて仕方なかった。笑いながら登ると、けっこう危ない。
「変な名前をつけて、わざところがそうとしてるんじゃないかしら」、とまあ、ひとしきり楽しんでいると、最初の坂はアッという間に終わって、車道に出た。これを横切って、また前の山の中を登る。確かに、今まで平たんな道ばかり歩いてきた足にはかなり辛くなってきた。

 ずーっと登り坂。30分も歩いたら、足はつってくるわ息はあがるわで、「難所の入り口」を実感。
 見晴らしのいい場所に出ると、風が汗を冷やしてくれて、とても気持いい。でも今日もやっぱり暑い。オナカも痛い。ここで、のりまきを食べて薬を飲んだ。がんばらなくっちゃ、ここからが大変なのだ。
 登り下りの山道。一歩踏み外すと、ずるるるるーと、せっかく登った斜面を落ちていきそうだったり、登っても登っても登っても、まだ上へ道が続いてて、ほんとにめげそうだったり、少し下りになると足がガクガクしてすべりそうになったりと、静かな山の中でひとりぜーぜーはーはー悪戦苦闘。
「ああいつか休める所に出るのかしら。早く座りたい早く休憩したい」
そればかり考えていた。リュックが肩にくい込んで痛い。リュックがあまりに重くて辛いので、いろんなことを考えた。

荷が重い理由

 どうしてこんなに重いんだろう。洗面道具やタオルや寝巻きや下着・・・、みんな必要なものばかりなのに。いやまてよ、タオルなんて小さいの一枚にして、あとは歯磨き、歯ブラシ。下着も一枚ずつにして、寝巻きはいらない、そんな風にしたら、もっとずっと軽いハズじゃないか。そうか、これは私の「物への執着」の重さなんだ。飾らず生きていきたいと思ったら、全部捨てればいいんだ。我が身ひとつで生きてゆければ、こんな苦労しなくてすむんだ。人生も同じ、肩書きとか財産とか(どちらもないけど)、プライドとか、全部持って歩こうとするから重いんだ。
 でも捨てられない。それがなくても、どうってことないハズなのに、やっぱり持っていたい。歯ブラシもタオルも持っていたいし、地図も懐中電灯も洗濯ロープも、必要なのだ。自分にとってどうしても必要なものはやっぱり持ってなくちゃイケナイ。でも、地図やガイドブックの中身が頭の中に入っていれば、本などは捨ててもいいはずだ。そうか、知識が多ければ荷は軽くできるんだ。物に代わる知識・知恵を身につけておけば、人生もっと軽々生きていけるんじゃなかろうか。うーん哲学的だわ。などと、あえぎながら考える。でもだんだん何も考えられないくらいボーッとしてくる。体温が上がって酸素の摂取量も足らなくなってきて、脳にサンソがまわらなくなり、頭がクラクラしてくる。
「やっぱりシンドイじゃないか、焼山寺まで行くなんてとんでもないお話じゃないの!」と叫んでいた。
 山の中では、道に迷わない。あらゆる所に「へんろマーク」、白い布の「目じるし」、そして「お疲れでしょうががんばってください」「大師と二人づれ」「元気を出して」「南無大師遍照金剛」「お疲れ様」など、様々な札がかかっているし、真っ赤なエプロンのお地蔵さまも、ところどころにいらっしゃるからだ。
 お地蔵さまごとに挨拶し、札ごとに「ありがとう」「はい、がんばります」と答えていると、けっこう忙しいし、ひとりぼっちじゃない気がしてくる。モチロン大師と2人連れなのだが、私は「一人歩き」にしてほんとうによかった。2人、3人と他に人がいると、自分のペースでは歩けなくなる。止まりたい所で止まり、ゆっくりゆっくりカメの歩みで進み、「しんどいじゃないの、どーしてこんな急な坂をつくるのよ」と声に出して文句を言い、時には歌を唄いながら歩く。一人だからこそで、私のような小心者は、人を待たせたりするという大きなプレッシャーがないほうが、寂しいことよりずっといいのだ。

くまが出た?

 もうずいぶん歩いたのにナ、と思った時、前方に人の気配がした。すぐにいなくなったので、幽霊でも見たのかしらと思っていると、少し先に「長戸庵」が現れて、オニーサンが一人座っておられた。(ここに住みついてるというのはこの人か) ひげボーボーで、ひとなつこそうな顔。彼の、「お茶飲みますか」の声に、思わず顔がゆるんだ。あったかいレモンティを、ワンカップのビンだったらしいコップで出して下さった。甘くておいしい。
 ここに住みついて10ヶ月になるそうだ。今はイソーローも置く貫禄。(この人だって「長戸庵」のイソーローじゃないの?) 短い詩をそえた墨絵を描いておられるという。達磨大師を描いた絵を、2枚もいただいた。
 今朝、5人の団体さんが通ったので、私で6人目なのだそうだ。ご本人曰く、ここは歩き遍路の「関所」だそうで、必ずみんなお茶を頂くらしい。とてもうれしいお接待だった。早く着きすぎると、柳水庵のおかーさんは「先へ行け」とおっしゃるというので、しばらく長戸庵でおしゃべりさせていただいた。やがてイソーローさんが洗濯場から戻ってこられたので、またおしゃべり。イソーローさんは神戸の人だそうで(我が家のご近所さんだった)、ひげボーボーさんの方は、風貌もそうだが、実際に北海道でクマと暮らしたこともあることから、「クマさん」と呼ばれているのだそうだ。名は体を、表していた。

 ひとしきり遊び、トマトジュースも1缶頂いて、一路柳水庵へ。ここからの道はもうそれほど辛くなかった。ただ、足下の斜面の草むらでかなり大きな動物らしい物音がしたりして、少しビクついた。本物のクマが出たらどこへ逃げよう。「木に登ろうかなぁ」なんて本気で考えたが、ここにはクマはいないそうだ。
 自分の足音と杖の鈴の音、そして鳥の声、あとは草むらがガサゴソいう音が道連れだ。

ガサゴソの主

 小さな「ガサゴソ」をいくつも聞いた。あと一息で目的地という草むらで、またガサゴソ。おそらくトカゲだろう。よーし、今度こそ遊んであげよう。「おーい、トカゲちゃーん」と草むらを分けてみた。あ、シッポだ、やっぱりトカゲだ。やーいやーい。でもこのシッポ、いやに大きい。シッポを太い方へたどっていくと、直径が3センチくらいになった。・・・なーんかヤな感じ。少しあとずさって、よーく全体を見てみる。びっくり!
「キャー、ヘビさんじゃありませんかー!」
 しかも「かま首」もちあげて、しっかり戦闘態勢 に入っているではありませんか!
 「あ、やめて、悪気はなかったのヨ。何もしないから見逃して!」
 哀願しながら少しずつ後ずさりして、必死で逃げた。
さっきからのガサゴソは、ヘビ諸君だったのかもしれない。「びっくりしたー」
 ヘビにファイトされなかった幸運に感謝した。

桃源郷

 藤井寺から6.4キロ、3時間もかけて「柳水庵」に到着。大師堂の前を通って玄関で声をかけると、とても上品そうなおばあちゃまが出迎えて下さった。
 険しい山の中にポツンと一軒、古い歴史を感じさせる宿だ。(宿というより、普通の、「田舎の古いおうち」という感じ)まるで日本昔ばなしの世界のようだ。

 「山の中で道に迷って歩いていると、古いお家が一軒ポツンと建っていました。そこには、やさしいおじいさんとおばあさんが住んでいて、見知らぬ旅人に一夜の宿を貸し、心づくしのおもてなしをして下さるのです」

 まるでそのとおり。文句なし百点満点の、人柄、家、景色なのだ。ここに住みつきたいくらい。

 今夜の泊まり客は私一人。案の定、「もう少し早く着いていたら、先に行きなさいと言おうと思ってたの」とおばあちゃま。
 「クマさんに止められたんでしょ」と、事情も全部ご承知だ。私の前に通られたグループは、先に進まれたのだそうだ(気の毒に)。なにはともあれ、こんな素敵な宿に泊まれる、この喜び。
 「まだ陽があるから、お洗濯でもしていらっしゃい」とおばあちゃま。何から何まで丁寧に教えて下さり、おいしいお茶とぶどうダンゴまでいただいた。 ストーブとコタツが置かれた広い部屋に入る。お風呂はなんと、少し離れに造られた、「ゴエモンブロ」だった!
 丸い板を踏んで大きな釜の中に身を沈める。窓を開けると少しヒンヤリした空気が入って、庭先の白い椿と松の緑が絵のように美しくて、まるで釜ゆで露天風呂に入ってるようだった。
 これを究極のゼータクというのかもしれない。

 ゼータクはまだ続く。お風呂を出て、宿を少し下った所、横道を見つけて入ってみると、向こうの山に落ちる夕日が、最高のシチュエーションで見えた。カンペキ、絵になる。日本の夕暮れは、ホント、「胸が痛いほど美しい」んだと、実感した。
 しばらくしゃがみこんだまま、口を開けてボーッと夕日を見ていた。

 夕食は、おばあちゃまの心のこもった山菜料理だった。そして、「ごめんなさい、なぜかサンマなの」と恐縮して出して下さった「焼きサンマ」も、それはそれはおいしかった。
 私一人なので、相手をしていろんな話をして下さる。ここのお水を売ってくれという人に、「いえいえ山の中から湧いている水です、お持ち下さい」と言うと、ペットボトルに入れて宅急便で何本も送られ、お礼にと、金粉の入った上等のお塩を下さった。でも、いつもと違うのは使えないのでいまだに入れ物に入ったままだという話。冬の月は凍るように美しい、という話など。そして、おばあちゃまと相談して、明日も無理をせず、焼山寺と次の大日寺までの途中にある「神山温泉」に宿をとることにした。(何から何まで本当にありがとうございます)

 ほんとうにやさしくて楽しくてかわいらしい方だった。今年75才なんてうそでしょー、の肌のツヤのよさ。性格と水がいいと、いつまでも美しくいられるのかな。おじいちゃまも、無口だけれど、時おり声をかけて下さり、その温かさが伝わってくる。
 自分の田舎に帰ったような幸せな安心感と、寒かろうと出して下さった「あったかハンテン」に包まれて、人間が3人しかいない山の奥深くの宿に、静かに時間が流れてゆく。なんという幸せ。そして、旅に出てはじめての、フカフカの布団、真っ白な洗いたてのシーツ、きれいな毛布にくるまった。
 いつか、結婚でもするようなことがあれば、新婚旅行でここに来たいくらいだ。

 桃源郷の中で、静かに、また新たな夢の中にしずんでいった。

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