掬水へんろ館目次前日翌日著者紹介
掬水へんろ館

平成4年『遍路への旅立ち』
【2日目】 4月16日(木)[ 快晴 ]

 うつらうつらで朝を迎えた。
 きのう一日で肩がずっしり痛い、太ももはパンパンにはっている。

 朝いちで乾燥機を見に行ったが、やはりジャージが入ったままだ。どうもこのお寺の若いおにいちゃんのもののようだ。きのうユースの手続きをしてくれた、かわいい子。お風呂を出て、頭にバスタオルを巻いたまま声をかけられた時、「すっぴんバスタオル姉さん」のまま振り返ったらその子だったので、あわてた。(若い男の子を意識するなんて、私もやっぱりオバサンなのかしら)
 乾燥機はひとまずあきらめて、朝食に向かう。(朝は食堂に来てねと言われていた)

 もう皆さんお揃いで、私が最後。一人用のお膳の前に座る。隣りの席の4人連れ遍路の方々が、お茶を入れて下さったり、「この子のみそ汁がない!」と、お給仕のオバサンに訴えて下さったりと、何かと世話を焼いて下さり、「若いのにえらいねぇ。え、歩いて? 一人で? すごいねぇ、えらいねぇ」とまたまたほめて下さるので、朝から上機嫌だ。まもなく皆さん食事を終え、食堂には私ひとり。まだご飯が3分の1も残っている。懸命に口の中へ押し込んで、みそ汁やお茶でのみこんでいると、はやくも「片付け」がはじまったので、最後はろくに噛まずに飲み込んだ。 それでもぜんぶきれいに食べるところが、いじましい。(またいつ食べられるかわかんないから必死なのだ)

 それよりカンソーキだ。運良く、洗濯場にお寺の方がいらしたので、乾燥機を指さして訴えると、「ああ、ここの子のんやわ」と、うらめしの紺のジャージや靴下やパンツをわさわさ出して、持って行って下さった。やっと、ちゃんと乾かせる。今日着なくちゃならない、白のセーターやパンツ、靴下をぶちこんでおいて、部屋に帰って必死で片付け。15分ほどして見に行くと、ちゃんと乾いていた。ゆうべ、「パンツののれん」をしたかいがあって、乾きが早い。でも、部屋に帰って支度するのにまた15分以上かかった。どうしても荷物が全部入らない。どこか郵便局を見つけて送り返すことにして、いただいた本「密教夜話」と、道中読破しようと思ってたのに一行どころか一字も読めなかった「空海の風景」上下巻を、ビニール袋に入れて持ち歩くことにした。

 泊まり客最後の一人になって、何度もお礼を言って6番寺を出る。「7番寺」へはたった1キロ、かるいもんだ。でも、やはり女の子になっていたので、その1キロがなかなか苦しい。きれいに晴れた爽やかな朝なのに、少し足どりが重い。いつ薬を飲もうかと考えながら歩く。道で会う人たちが、にこやかに挨拶をして下さるので、ずいぶん元気づけられた。
 女子中学生たちが、自転車でさっそうと、走ってゆく姿が、朝日にまぶしかった。

「おちち」をいただく

 第7番札所「十楽寺」に到着。門がまえはこじんまりしていたが、中は広く、とてもきれいだ。朝早いせいか まだ参拝の人もおらず、シーンとしている。 朝の静けさの中、お寺独特の線香の香りと、心やすまる雰囲気に包まれる。しあわせだ。
 静かにお詣りを済ませ納経所にいくと、「一人で行くの? ほんならこれ、今お堂にお供えしてあったの下げてきてんけど、持っていき」と、お寺の方が、「おちち」という名前のキャンディを袋ごと下さった。「ラッキー」 実はさっき、この方が、キャンディの袋を持って歩いておられるのを見て「欲しいなー」と思っていたのだ。(「おちち」は、私の大好きなミルクキャンディーなのだ)
 いやしい気持ちが通じてしまった。でも、うれしい。

 「8番寺」へ向かう。広めの農道を行くが、「へんろマーク」があまり見当たらない。不安な気持ちのまま、コピーの文面をたよりに、一人ブツブツ言いながら歩く。「鉄工所のある分かれ道を右に・・・って、そんなんあらへん。だいたい、こんなとこに鉄工所なんてあるんやろか」(うたぐり深い性格である)。
 何のかんのと言いながらも、またイヌが呼ぶので行ってみると、そこに「へんろマーク」があったり、道行く人が教えて下さったりで、なんとか、第8番札所「熊谷寺」に着いた。道のことばかり考えていたので、オナカの方はあまり痛まなかった。
 「88ケ所最大の山門」をくぐる。入ってびっくり。「でっかーい、すばらしーい、ごりっぱー」、なのだ。右手に大きな池が広がり、その池につき出るように弁財天がお祀りしてある。あとでお詣りしておこう(弁財天は芸能の神さまなので、私の商売にも関係あるのだ)。道はさらに奥へ続き、本堂と大師堂はまだ上の方だ。来て良かった。苦労したかいがあった。(他が悪いというわけじゃない。気持ちいいほど、広かったのだ)
 本堂へ進む中門をくぐっていると、前から見覚えのある人が歩いて来た。ゆうべ安楽寺で同宿したお姉さんだ(一緒に乾燥機待ちをした人)。「あらー」と、両方から駆け寄る。しばし立ち話をして、お互い、一人っきりの歩き遍路ということを確認しあった。マメでかなり足が痛いらしく、少し足を引きずっておられるのに、「今日は11番まで行くの」とおっしゃる。(すごい! 私より9.8キロも余分に歩くの? その足で? ごっついなぁ、根性はいってはるなぁ)
 お互いの健闘を祈って、私は8番寺のお詣りに、彼女は9番寺へ向かわれた。

 大師堂は、本堂からまだ石段を登った所にある。かなり眺めがいいはずなのに、また団体遍路の皆さんにほめられ、注目を浴びたので、そそくさと降りてしまった。納経を済ませ、弁天さまにお詣りし、来た時に目をつけていたベンチでひと休み。リュックを下ろして鎮痛薬を飲む。
 空は晴れて、太陽が眩しい。でも、風が涼しさを運んでくれて、とても気持が良かった。

やさしいお接待

 山門で一礼して、「9番寺」へ向かう。本には「大師堂から9番寺が眼下に見える」と書いてあったが、そんなもの見る余裕はなかった。頼りの「へんろマーク」が途切れた十字路で、えーいままよと右へ曲がって歩きだすと、いきなり後ろの方から「プッ」、と小さなクラクションの音がした。振り返ると、今まで車など一台も通っていなかった田んぼ道に、いつの間にか赤い軽自動車がとまっていた。運転席の女性が、まっすぐ前を指さしてブゼンとしておられる。車とは距離があるし聞こえやしないのだが、「え?まっすぐですか」と同じ方向を指さしてみた。すると女性は、やはりブゼンとした表情のまま頷かれた。(道を教えて下さったのだ) お辞儀をして顔を上げると、もう車は消えていた。
 犬がいないと思ったら、いつの間にかどなたか出て来て下さる。大師のお導きを感じながら、また元気に歩き出した。

 少し広い田園風景の中に、第9番札所「法輪寺」が愛らしく建っていた。ガイドブックの案内どおり、寺の外と内に、うどんや草もちのお店がある。うれしい。ゴハンだ! 「でもまだ10時を過ぎたばっかりだもんなぁ、ちと、早すぎるよなぁ」と思いながら、とにかくお詣り。まだ薬が効かないのか、少しオナカが痛い。
 納経を終えて出口に向かうと、門のすぐ左手に店を出しているお姉さんに、「お茶飲んで行きなさい」と呼び止められた。どこかに座りたかったので、これ幸い、ありがたくお接待を受ける。レモンの皮を浮かせた香りのいいお茶と、20年も変わらぬ味というヨモギ餅や、新製品のミソ餅を5つ、鳴門金時のやきいもまで下さった。ちょっと早いが、完ぺきな昼食だ。

 お姉さんは、いろんな話をして下さった。
 夢枕に何度も弘法大師が現れて、88ケ所詣りをしなさいと言われた、という足の不自由な方のこと。交通事故で片足を切断され、杖をついて遍路をしていたが、同じ寺で2度も杖が折れ、いつしか、義足とはわからないほど普通に歩けるようになった男性のこと。88ケ所詣りで、すっかり病気が直って丈夫になった若いお嬢さんの話、など。
 私が「体調が悪い」と言ったので、「88ケ所詣りは病気やケガを直してくれる」と一生懸命話して下さった。こちらから話さないことは何も聞かず、ほんとうにやさしくして下さる。今日は無理をせず、次の10番の近くで泊まると言うと、門前の「坂本屋さんが、人がいいから」と教えて下さった。一度電話してみたが、どなたも出られないので、とびこみ(予約なしで直接行くこと)にすることにして、9番寺とお姉さんにお礼を言って出発した。

えらいえらい光線

 ここでまた団体遍路の皆さんに会ったのがいけなかった。門前で私を取り囲んで、しきりに「えらいえらい」とほめて下さる。「尊敬のマナザシ」というような、うっとりした目で見つめる人までいて、うれしーやら恥ずかしーやら。私はまた、舞い上がってしまった。とにかく早く歩きたくて、ろくに方向も確かめずにてくてくと右へ(団体さんのたむろしていない方へ)進む。まだ背中には、痛いほどの「えらいえらい光線」を浴びていたので、すっころびそーなほどキンチョーしていた。と、キンチョーの先にぐーぜんが立っていた。どこかで見たばーちゃまが、私を見てにんまりしておられる。 誰だっけ? ん ? 過剰包装のその杖! 6番寺で会った「金剛杖いのち」のばーちゃまだ!「逆打ちをかけて、10番から来た」とおっしゃる。お元気な方だ。道を訊ねると、「あの青い屋根の家の方へ行って、お宮さんをぐるっとまわって・・・。あとは表示が出てるから」と口早に教えて下さった。ここでも、お互いの健闘を祈って(私などよりずーっと「お達者クラブ」だけど)お別れした。
 しかし、きのう6番寺で会って、今日逆打ちで10番から来て9番で会うなんて、どんなルートで歩かれたのだろう、不思議な方だ。

 ばーちゃまと話していたのは、ほんの一分程度なので、団体遍路「えらいえらい光線」はまだ続いていた。私もそれを充分意識していたので、颯爽と歩きはじめる。なぜさっき「団体遍路に会ったのがいけなかった」と書いたかというと、この時、意識カジョーになりすぎていて(団体遍路の視線が気になって)、ばーちゃまの説明をロクに聞いていなかったのだ。
 「青い屋根からお宮さん」、まではよかった。ここでばーちゃまは「お宮さんをぐるっとまわって」とおっしゃったのに、その「ぐるっと」を聞き落としていたのだ。バカな私は、悩んだ末に、広い道を「直進」しはじめた。本の中に「縁台でじっと待ってて、お遍路さんを接待してくれるおじいちゃんがいた」と書いてあったので、いじましくも、縁台のある家を探したりして(この本は随分前に書かれたものなのに)。でもやっぱり様子がおかしい。北西に進まなくちゃならないのに、山から離れていく。おかしい。山は北だから、私は今、南に向かってることになるんじゃないの? お昼で、太陽は真上にあるから役に立たない。(ついに私は、太陽の位置で方角を確かめるという、高度なテクニックを身につけていたのだ。ただし朝と夕方しかわからないし、世間の人には常識の知恵かもしれないので、ちょっと遠慮して「低度のテクニック」としておこう)
 いろいろ 考えながらもしつこく直進していると、工事中のオジサンが好意的なまなざしを向けて下さっているのが見えたので、すかさず走り寄って「10番さんはどっちでしょう」と聞いてみた。案の定、「10番さんやったら、ぜんぜん反対の方やで。全く逆やわ。これまーっすぐ戻って、ホレ、あのお宮さん見えてるやろ、あれを左へぐるっと回ってまっすぐ行き」。
 ああそうだ、「ぐるっと回って」だ。大切なキーワードを思い出した。

 かわるがわる丁寧に教えて下さった二人の工事のおじちゃん(やさしかったのでオジサンからおじちゃんになった)にお礼を言って、今度はおじちゃんの「大丈夫かなぁ」光線に見送られ、トボトボ歩きはじめた。
 ほめられて浮かれたあとは、いつも失敗してしまう。おまけに、道が違うんじゃないかと思いはじめてから、ばーちゃまを疑ったりしてしまった。結局、ちゃんと聞いていなかった自分が悪いのに、人のせいにするなんて、なんて情けない人間なんだろう。反省しきりだった。

ホロヒレの彼

 問題のお宮さんを左へぐるっと回る。まぎれもなく山へと続く道があった。ああお大師さま、おばーちゃま、ごめんなさい。でも私は、立ち直りが早い。
 しばらく行くと、どこかの家の裏庭だろうか、「大きな鳥小屋」があって、ニワトリや小鳥に混じって、変わった鳥がいるのを見つけた。すっかりうれしくなって、しばらくこの子たちに遊んでもらうことにした。
 ホロホロ鳥か七面鳥みたいな鳥で、体羽はまっ白。頭から顔の前に、まっ赤な「でろーん」としたもの(トサカがぐんにゃりしてのびて垂れ下がったみたいなの)がついていて、かなりユニークなのだ。数羽いたうちの一羽が、さっそく私を威嚇しに来た。どうも私の持っている、金剛杖の先の「朱色のかぶせもの」が気になるらしい。敵の襲来と思ったのか、尾羽根を、扇子のようにきれいに広げて、網越しに、私と一緒に歩いてくる。ためしに金剛杖の鈴をシャンシャン鳴らしてみると、なんとも奇妙な声で鳴き返してきた。「ホロヒョレヒレリョー」(鳴き方もユニークなのだ) うれしくなって、また杖をシャンシャンやると、彼はまたムキになって、「ホロヒョレヒレリョー、ホロヒョレヒレリョー」 またまたうれしくなって、シャンシャカシャンシャカやってみる。彼も必死の形相だ(そう見えた)。天に向かって口を開けて、「ホロヒレ、ホロヒョレ、ホロヒョレヒレリョー、ホロヒョレヒレリョー!」
 楽しいので、何度もやっていただいた。この間、他の鳥たち(地味だったので、メスだと思う)は、ほとんどシランプリしていた。そのうち「ホロヒレ」の彼に疲労の色が見えはじめたので、楽しませてもらったお礼を言って、鳥小屋をあとにした。「あー、おもしろかった」 でも、あんなに必死で守ってくれるナイトがいて、あそこの女性陣は幸せだ。
 もう、道を間違えた悲しみは消えていた。

誤解されやすい女

 今度は、田んぼの一本道の向こうから、リュックを背負った青年が、地図を片手にキョロキョロしながらやってきた。お仲間(遍路)だ。「気軽にひとり旅してます。ボク慣れてます」という感じの軽装で、いかにも旅好きの青年風。出会い頭に声をかけてこられた。
「あの、ボク前にも来て知ってるハズなんですけど、9番って、・・・あ、あれですよね」(聞く前に見つけないでほしい)
 確かにここは、9番寺のすぐ裏手で、見晴らしのいい、だだっ広い場所なので、お寺はすぐそこに見えている。でもいちおう私だって、初めて「人に道を教えてあげられる」と思って、口を開けたところだったのに、勝手に質問の途中で、自力で見つけられて、なんだか立場がなかった。
 金魚みたいに口をパクパクしていたら、もう88ケ所まわり終えて、今10番からお礼参りしてて、前にも来たのに迷っちゃって、でも9番は見えてる「あれ」だからその裏から入れる、今日で39日目でもう今日中にまわって帰る、あなたはその格好で全部まわるのか、大丈夫かなぁ、まぁがんばって下さい、と、ひとりベラベラしゃべって、とっとと行ってしまった。現役フリーアナウンサーの私にロクにしゃべらせもしないで、サッサと行ってしまった。なんなの、あの人は。確かに彼は、ちっちゃなリュック一つで、手ぶら。私はリュックにウエストバック、パンパンに膨らんだずだ袋、9番寺でお接待にいただいたお餅5ケ入りパックに、毋に送ろうと買ったお餅5ケ入りパックがもう一つ。それに本が3册入って「もう何も入りません状態」のビニール袋をかかえて、右手には金剛杖を持っている。心配してくださるのもムリはない。「でもこのビニール袋は、送り返すんだからね!」 そんな説明も聞いてくれずにさっさと行ってしまった。
 あの人は、ずーっと私を「手荷物いっぱい遍路」として記憶するんだろうか(私って、誤解されやすいタイプなのね)、と悲しかった。
 でも、私を理解してくれない男なんて捨てて、先へ進もう。
 しばらく、のどかな田園風景の中を歩く。
 春の陽射しはやさしく、風はやわらかく爽やかだ。幸せな遍路路をちょうちょが横切る。キャベツ畑に、もんしろちょうちょが、「わーいわーい」と群れ遊んでいた。これが、正統派「春の景色」なのだ、と幸せな気持ちになる。小さめのブチの犬が、遠くの方から私を見つけてワンワン吠えている。吠えるたびに、家の人に叱られて黙る。でも、また吠える。叱られて黙る。何度かくり返して、やがてその家の前を通りかかると、犬を叱りながら、二階からおばあちゃんが挨拶して下さった。「お遍路さんに吠えちゃダメ」とか言われてるのだろうか。おばーちゃん、ありがとう。

 まだまだ田舎道を歩いてゆく。と、向こうから久しぶりの「お遍路さん」。ご夫婦のようだ。「あらー、私たち前にもあなたに会いましたよ」と奥さん。「今から9番なんです。今日は逆打ちなんですよ」とご主人。
 伊予の方だそうで、遍路大好きご夫婦なのだそうだ。ご主人が心臓が弱いので、長い階段が大変な10番から先に回られたという。私が「今日は10番止まり」だと言うと、少しガッカリされたようなので、「体調が悪いので」とつけ加えた。お互い無理をしないように、と合掌して別れる。
 女の一人歩き遍路は、みんな「すごい」と思いたいようだ。少しでもたくさん歩くのをうらやましがったり、「すごくがんばってる子」を見るのが楽しみらしく、「あまりたくさん歩かない」と知ると、皆さんとてもガッカリされる。今日は何度も、「体調が良くないので」と、お互いに落胆しない為の言い訳をした。( ガッカリされると、私も辛くなる。体調が悪いと、納得してもらえるのだ)
 薬が効いたのか、薬師さまや大師のお陰か、ずいぶん身体がラクになってきた。でも、11番までの根性はない。

 ようやく10番の門前にたどり着いた時、また、乾燥機仲間のお姉さんに会った。うれしくて門の前でまたおしゃべり。もう2時だが、これから11番へ向かうとおっしゃる。でも11番には宿坊もなく、民宿も2、3軒。それも電話してみると、「今日は他にお客さんがいないからお休み!」と言って断わられたのだそうだ。それでもなんとか宿もとれたとのことで、私までホッとした。「私はやっぱり今日はここまでにして、明日、11番近くでまた泊まって山越えします」と言うと、少し興味をもたれたようだが、「やっぱり、女一人で山越えは恐いから」とおっしゃる。行けそうなら一緒に登ってみてもいいですね、と話して、お接待でいただいたお餅を一つ差し上げて別れた。
 一つだけって、っていうのが「ケチ」だったなぁと、あとで反省した。

カラスも登る階段

 10番寺へお詣りする前に、私も今日の「宿」を決めなければならない。お姉さんが「断わられた」、という話を聞いて少し不安になったが、勇気を出して、さっき教えていただいた(お寺の最初の 門を入ってすぐにある)「坂本屋さん」にとびこんだ。 女主人らしき、人のよさそうなおばさまが、快くOKして下さって、宿泊決定。本とお餅だけを宿に置いて(リュックや他の荷物は持ってかなきゃいけないような気がした)第10番札所「切幡寺」への道を登る。これがけっこう長い。333の階段まである。途中「女厄除坂」があった。ガイドブックに「石段に一円ずつ置いて登るといい」と書いてあったので、一段一段置いて登る。7円まで置いたところで一円玉がなくなった。今度は奮発して10円ずつ置く。これもすぐなくなったので、そこからとばして、女坂の一番上に100円を置いた。(置きゃーいいってもんでもなかろうが、まあ、気のもんだろう) 続いての男厄除坂を登っても、まだ長い石段が・・・。
 「こりゃあキツイ」と途中でゼーゼーやってると、いつの間にか目の前の石段にカラスが1羽。見ていると、ピョーンピョーンと、足をそろえて石段を登ってゆく。2、3段登っては私を振り返る、また登る。
「あんた、私をからかってんの? それとも励ましてくれてんの?」
カラスも登る石段じゃ、なんで私に登れぬものかと、根性入れ直して登り始めると、もうカラスは消えていた。(やっぱ、お大師さまかなぁ)
 登りきって、やれやれ、お詣り。かなり景色のよいところまで登ったはずなのに、ここでもまたまた、団体遍路さんの「えらいね光線」を浴びて、またまた、景色も見ずに降りてきた。(こんなに照れ屋だったのか、と自分でもなさけない) 途中で「景色」のことに気がついたが、引き返す勇気もなかった。
「お礼詣りでまた来るもーん」(88ケ所回り終えると、88番から10番へ、さらに1番まで戻って「お礼詣り」をするのが通例らしい)と言い訳をして、坂本屋さんへ帰った。

 毋に送るお餅と本を宅配便用の荷造りにしたり、手紙を書いてるうちに、お風呂。まだ私一人なので、今日も一番風呂だ。
 今日は「お風呂でせんたく!」なんて大胆なこともした。見咎められるわけもないのに、あたりを気にしながら、パンツやシャツをこっそり持ち込む。
 窓を開けて、外の竹や松の林を眺めながら、ぬるめのお風呂の中で足をあげ、おしりをゆーらりゆーらりしてみる。なんて気持ちいいんだろう。

オバサン遍路の取り調べ

 パンツの洗濯も無事終わってお風呂を出るころに、お客さんの気配がした。また、とびこみの遍路が来たようだ。ヨカッタ。(私一人じゃ宿にも気の毒だもの)
 食事の時に、その方たちに会った。オバサン2人だった。(親子だそうだが、おばあちゃんはムチャクチャ若く見えた)食事をしながら、娘の方のおばさんの、私への事情聴取がはじまった。今回は誰もプライベートなこと聞かないのでラクだったのに・・・。(やはりオバサンは好きなんだなぁ)
 まず年齢。曖昧に答えたが、それで許されるわけはない。結局ハッキリ言わされてしまった。でも、「これでは終わらないよォ、もっと聞きたいこといっーぱいあるんだからねえ」と、オバサンの目が、期待と好奇心でランラン光ってる。
「お仕事は何してるの?」 そらきた。私はこの質問をされるのがキライだ。なぜって、みんなまずはビックリして、そのあと根掘り葉掘りしつこく質問するからだ。どんな歌手やタレントに会ったのかとか、今どんな番組に出てるのかとか・・・。私自身を見てはくれず、「アナウンサー」という職業の話に終始することになることが多い。今は、ただの「遍路」なんだから、カンニンしてほしい。で、「きっと、あまりソーゾーのつかないものです」と答えた。「えー、何かしら、ずいぶんおとなしそーなカンジやからねえ。うーん」と考えこんでおられる。ほらね、遍路に来ている私は、日常、仕事場で演出してる「テキパキ」も「おしゃべりなやつ」も脱ぎ捨てて、一番ラクな、「ボーッとしたおとなしい人間」に戻っているのだ。「このまま、またいつものパターンの俗っぽい話に突入していくのかなぁ」、と思いはじめた時、ガラガラッ! と戸が開いた。
 食堂に男性乱入(1人だけど)。オバサンの視線は一気にそちらに向いた。興味の対象が移ったのがわかる。オバサンは、私への質問などすっかり忘れて、しばらくはその中年の労働者風のオジサンの給仕などしてあげ、今度はオジサンの取り調べをはじめていた。その間に私はゴハンをかきこみ、何十年かぶりに対面した目の前の白黒テレビで、ナジブラ・アフガニスタン大統領の政権放棄と、明日のお天気を知ったのだった。
 俗世から離れて3日目。世の中では何か大変なことが起こっているのか、それともやはり日本だけは平和なのか。部屋に逃げ帰ってテレビをつけてみる。よく知ってるクイズ番組が映った。家にいる時なら一生懸命見るのに、今日はなぜかうるさい。カラーも、目にうるさいので、すぐ消してしまった。

 宿に私あての電話が鳴った。10番の門前でも会った、安楽寺乾燥機仲間のお姉さんだ。11番へ行く途中、高野山の坊さまと一緒になったので、11番から12番への山越えについて聞いたところ、途中にある「柳水庵」で泊めていただけるとのこと、でも女の子一人なら、やめといた方がいいと言われたということなど、他にもイロイロ教えて下さった。彼女はやはり「バス」で行かれるそうだ。それにしても、わざわざこの宿の電話番号を調べてかけてきて下さるなんて、なんて「いい方」なんだろう。中野さんという名前だと、はじめて聞いた。また会いたい。

 今夜も、戸口に張りめぐらした「パンツ靴下シャツのれん」を見ながら床につく。

次へ
[遍路きらきらひとり旅] 目次に戻るCopyright (C)2000 永井 典子