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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜その後/あとがき
北村 香織
 
のらくら遍路日記〜 その後

 平成11年3月14日から丸2年5ヶ月かけて、私の初めてのお遍路の旅は平成13年8月15日に無事結願・お礼参りを終えることができました。それからは日常生活に追われ、「のらくら――」執筆も気にはなりながら、ズルズルと優先順位のリストの下位に留まったまま時間だけが過ぎていきました。結願を果たし、『その後の自分がどうなるのか』ということに関しては、完結篇の道中からある意味楽しみにしていた課題(?)だったのですが、この点については我ながら拍子抜けするくらいアッサリしたものでした。これまで何度か区切り打ちを終えては遍路ボケに陥っていたのに、そういった事態は全く起こらず、むしろ完全に1つの旅が終わった充実感、その意味するところを部分的とはいえある程度理解できたスッキリ感の方が優勢だったのではないかと思います。旅の中で得た数々のたいせつなことを、日常の中の非日常―――すなわち心理臨床の世界へ持ち帰って試行してみる(…といっても実際できたのかどうかは自分でも不明ですが)という新たな目標もあったせいかもしれません。それに加えていよいよ修士論文の執筆も迫り…大忙しの半年でした。

その後その1.修士論文      

 修士論文のテーマは漠然と「歩き遍路の癒しと心理臨床」というものでした。自分自身も含めて歩き遍路を体験した方の「遍路の旅」を、道中でのできごと、感じたこと、夢などを通して、その人にとってその遍路旅がどのような意味を持つのかを臨床心理学的に分析してみました。臨床活動やプライベートでの事情から、修論に本格的に取り掛かり始めたのは「今頃だいじょうぶ?」と皆に言われる冬の時期…。かなりの突貫工事であまり突き詰めた思考もできず、テーマ自体大きすぎるまま枚数だけ間に合わせた…という感じになってしまいました。ですが、私にとってこの論文執筆は、否が応でも自分の遍路旅をこれまで以上に客観的かつ専門的に振り返る貴重な機会となり、また事例としてご自身の旅を提供して下さった2人の先達さんがあるのですが、その方々の事例からも特に「日本人のための心理臨床」に必要なこととは何か、改めて貴重な示唆を得ることができました。それは、これから本格的に心理臨床の道を歩んでいく決意の私にとって、おそらくこの「のらくら遍路日記」とともに、迷う時つまづく時に立ち返るべき“初心の書”として今後も私自身を公私にわたって支えてくれるものと信じています。改めて事例提供者のお二方には、この場を借りて心より感謝申し上げます。

その後その2.これが本当のオチだった?!

もうひとつ、最大のハプニングが結願後まもなく私を襲いました。10月の初め、新たに私は幼児期の子のケースを担当することになりました。私になついてくれるか、プレイルームという空間に1時間近くも2人で過ごすことを受け入れてくれるか、当初はかなり心配していたものの全くスムーズな滑り出しで、クライエントさんもプレイルームでは、ある部分で私をお母さん代わりに感じているかのような強い愛着を示してくれていました。そのケースが始まって本当にすぐのこと…。な、なんとデキチャッタ…!そうです、妊娠が判明しちゃったのでした。正直、世界が暗転しました…(T_T)。今から修論を書かなければいけないのに、このケースだって長引く可能性が高くてしかもこんなに強い愛着を持ってくれてるのにどーすんの?!、何より私は臨床家としてやっと1歩を踏み出そうとしてるのに、なんだっていったい…! お大師さんー、香園寺で確かにお願いしたけど、私まだ先でいいって言ったでしょー!!! なんでよりによって今やねん! 結願の時、あれほどいのちの尊さ、生まれいずることの大切さを全身で感じておきながら、こうして本当にこの自分の身をもってそれを体験する機会を与えられたことを、この当初は本当に受け入れられず、間もなく襲ってきた「つわり」のイライラ、体調の悪さも手伝って、原因の一端を担った相方に八つ当たりしていました。おかげで修論はまったく進まず、余計イラついて悪循環の日々。頭ではこれがお大師さんのおはからいで、今こうなることが私(相方もだけど)の人生に必要なことなんだろう、と一応思うことはできても、一部では諦めにも似た受け入れの気持ちも徐々に出てきつつも、やはり私のエゴは強情で、しばらくはどうしても納得できませんでした。

 が、何とか修論も間に合って卒業の頃にもなると、体調も前以上に良くなって、さすがに現実をすっかり受け入れることができたように思います。(クライエントさんをはじめ周囲の理解も得られたことが大きかったのだと思います。) とはいえ、未だに自分が母親になるという意識はまだまだ実感を伴ってはいないし(もうあと数週間なのに!)、妊婦にしてはかなり冷めた部分もありますが(お腹に向かって話し掛けるとかデキナイ〜!)、今はこのおはからいには感謝しています。なんてったって今度は真のいのちの誕生を体験するんですからね…。その時が来てみないとこれは本当にわからないことですが、完結篇プロローグのおばあちゃんのように、私も自然の力を感じてみたいと思っています。

あとがき

思いつきでお遍路の第1歩を踏み出したことと同様に、この「のらくら――」も当初はある種リアルタイムで、思いつくままに書き記してきました。なので各篇で文章や構成がバラバラで、読みにくい点も多々あったかと思います。ですが、この日記は道中の私の思いをストレートに、本当に思ったまま感じたままを記すことに重点をおいてきました。最初の頃の文章などは今自分で読み返す気すら起こらないほど拙くハズカシイ文章ですし、できることならもう少し手直ししたいところです。が、この日記は、遍路の旅の過程で自分自身がどのように変化していったか、私のこころの軌跡の記録でもあり、その点はかなり自己満足の世界ではありますが、読んでいただいた方にとっても、スケジュールやコースなどの物理的な面も含めて多少なりともお役に立てれば幸いです。この日記を掲載する機会を与えて下さった「掬水へんろ館」のウェブマスター・くしまひろし氏には、この場を借りて心より御礼申し上げます。

 なお、修論の中で私は自分自身の遍路の旅を事例の1つに取り上げ、その際に各篇にサブタイトルをつけました。(今更ではありますが)参考までにご紹介しておきます。

第1期(平成11年3月、1週間)ひらめきから発心へ
第2期(平成11年7月、1週間)脱線もまた遍路なり
第3期(平成12年8月、1週間)セラピスト修行・入門扁
第4期(平成13年3月、9日間)ターニングポイント
第5期(平成13年5月、10日間)第1ステージひとまず終了?
第6期(平成13年7月、2日間)番外:石鎚山の布石
第7期(平成13年8月、13日間)私がお四国に呼ばれたのは

 さて、これから私は人生においては第2のステージを迎え、また新しい役目を責任もって担っていくことになるわけで、いったいど〜なることやら見当もつきませんが、このお遍路の旅はきっと私の一生の財産として、道中学んだこと、感じたことは今後まちがいなく私を支えてくれることと信じています。いつかフッとこの旅を振り返るとき、今はまだ見えないこと気付かないでいることが(見るべき時が来たら)また見えてくるようにも思います。私をお四国に呼んで下さった“お大師さん”、そしてこの旅を支えて下さった先達さんや四国の方々、ご縁をいただいた人々、家族……みなさんのお陰でこんなに素晴らしい体験をすることができ、私はその感謝をどう伝え、お返ししていくべきか迷いました。正しい答えはありませんが、私なりにたどりついた答えは、「日常の中の自分のフィールドで、自分に無理なくできることをする」です。それが具体的に何なのかは、時々内なる自分と打ち合わせをしながら決めていくことになるのかな、と思っています。

 最後に「一木一草、一切衆生の個性化成就を願って……」キーボードを閉じたいと思います。感謝をこめて…。

                     平成14年5月31日  北村香織

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