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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜土佐・修行道場篇(序)
北村 香織
さらにおまけの帰宅1日目
今回の旅を振り返って…

今朝はいつもエサをあげている野良猫のシロが、家の中に入ってきてご飯を食べているのを見てビックリ!という夢を見た。(シロは超警戒心の強い猫で、絶対になつかない)

洗濯して日記書いて、『荘子』読みながら寝て、起きたらなんと3時やん。今朝のご飯をすっかりシロは食っていった後だった。なんかぼーっとして全てが重い。前のお遍路さんの後もこういう状態ではあったけど、気持ちが全然ちがう。前は、なんか明るくて、がんばったー 良かったー っていう充実感がベースにあって、異次元の違和感は寝て調子を徐々に戻していった感じだったけど、今回はしゅーんとして逆に暗い気持ち。あんな生活をすっかり忘れ去った現代の生活システムの圧迫に押され気味なのかな? 寝室で転がっていたら、壁の重〜〜〜い圧迫感に気がついた。窓がひとつあるけど、四方の壁がそそり立っていて息苦しい閉塞感。やぶ蚊には悩まされたけど、あの母屋は全部引き戸だから障子を開け放して、そこら中を風が走り、土地の薫り、木の香り、家の匂い、風の薫り、光の香り…… 世界の匂いを感じて、何にも急がず、時間もさほど気にならず、お日さまとともに生きることこそが人間の本来の生き方なんだと、今しみじみ思う。現代になって心の病気が急増したのもわかる。(分裂病など一部の病気はちがうけど)今の世の生活システムや環境自体が人間に無理、負担を確実にかけているんだって。例えば、ゴミ問題。利便さや見てくれを重視するあまりの無駄な包装、パック、コスト減だからと大量生産、大量消費の挙げ句の売れ残りの放棄。何もかもが上っ面でスピード化されてて、人間は馬鹿で弱いからすぐそんなんや楽な方に流されていくし、そのうちに気持ちも緩んでしまう。

モラルも低下して、カッコつけてるのか、吸い殻や缶や紙屑を何の気なしに捨てる人のなんと多いことか。アウトドアブームとかいって自然に触れる人が増えた分、確実にそこの環境がゴミや人足で荒らされる現状。みんな無意識的にやって片っ端から忘れているかもしれないけど、それが無意識の層の中で小さな罪悪感として、〔何かまちがってる〕って引っ掛かっているんじゃあないだろうか。そういった小さな引っ掛かりが積み重なって、それが子育てなどを通じて(民族的規模で世代間を)じゅんぐりに積み重なって、そして今。本当に今の日本の世の中の狂っていることか。。。

私の夏休みはこれからのはずなんだけど、あれですっかり終わった気がするなぁ。ふた昔前の都会の子どもが田舎に遊びに行ったような、そのまんまの気持ちを味わったような。

はぁ。

あとがき

以上が今回の旅に私が体験したさまざまな出来事です。

1ヶ月以上もこの日記をこういう形にできなかったのは、この後 抑鬱感が増していって、何をするにも無気力で、食欲無くて、どうしても出かけなければならない用事以外はずっと家で本を読みながら寝、気がついてまた寝、という生活を続けていたからでした。とはいえ見た目にはちょっと元気ないけど問題はない程度に映っていたと思います。実際にも生活に支障をきたしたわけではなかったし。

日記の中にも書いてありますが、私はとにかく寝る人です。大概の病気は病院に行かず寝て治しますし、イヤなことがあった後、哀しいとき、切羽詰まった時、ムカついたとき、シアワセな気分の時などなど、あらゆることを睡眠で消化します。私の場合、睡眠は

@自我防衛 A逃避(防衛の一種でもある)B消化つまり対象を客観的に見るための心理的、時間的な処理方法と言えるのではないかいな。脳と体の諸機関を休める以外に、この3つの大切な働きを一度に睡眠に頼っているようです。

と、自分なりに分析もし、過去の経験上ある程度の耐性はできているはずなのに、今回は初めてとも言える焦りのようなものを味わいました。大学で臨床心理学を専攻し、自分の経験や睡眠過剰や他のいろいろなことを納得して再吸収したつもりでいるのに、全然出口の見えない“もやもや”感。ある人に相談して少し楽にはなれたものの、結局1ヶ月も引きずってしまった。なんでこんな状態に落ち込んだのかは分からないけど、これは突き詰めていっても見えないこと。いつか分かる時もくるだろう…と今はそっとしておこう。大事なのは、この気持ちと苦しさを味わったそのことにあるはず。

またも大長編になり、しかもお遍路さん記録でないこの日記、読んで下さってどうもありがとうございました。室戸になかなか辿り着けない私の遍路の続きは、卒論と進路が決まるまでしばらくお預けになりそうです。次回はまた新鮮な気持ちで謙虚にまわりたいもんだ…。

北 村 香 織

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