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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜阿波・発心道場篇
北村 香織
第7日
3月20日(土)///曇のはずが、雨

腰は全く良くなった気配もなく、天気予報にも裏切られ、ここまで来てお先真っ暗…と精神的・肉体的に最大のピンチ。昨晩、静岡と長野のおばあちゃんコンビがタクシーで途中まで同じルートを通るので、私の他にもうひとりいた歩き遍路の若い女の子を同乗させてあげる、と誘っていたのを思い出し、(もうひとり分なんとかならへんかな〜)と密かに願っていたのだが、朝食時に私の調子の悪さに気付いたおばあちゃん達が「乗せてってあげたいけど、荷物もあるから4人は無理よねぇ…」と話している声が耳に入り、こうなったら自力で行けるとこまで行ったらんかい!と腹を括る。清算しているとちょうどタクシーを待っていたおばあちゃん達。「ごめんねー。あんたを先に誘ってあげてたらよかったねぇ」 「いえ、とんでもないです」などというやり取りを聞いた宿の人、4人でも充分すぎるとのこと。その一言で一転して峠まで2kmほどであるが、きつい登りを距離的に半分近くも楽させてもらうことになる。

峠でお礼を言って下車する時、おばあちゃん達が飴とプチトマトをそれぞれ入れた袋を手渡して下さり、さらなる気遣いと好意とに驚く。いったいどういうことなんだろう…。偶然同じ宿に泊まり、一晩だけ食事やお風呂を同じくしただけで、隣近所に住んでいる知り合いのような交流(今時珍しいくらいの)が自然に生じている。そしてこれは同宿の人に限らず、歩き遍路の人どうし極端に言えばすれ違うだけでも同じようなこころの交流が一瞬ずつであれ行われているように思う。自然に挨拶や会釈がなされ、親しみのこもった表情を交わす。今回、登山との共通点を幾つか感じたが、その一つがこれである。

今日の連れは地元・徳島県民のぷー子ちゃん。大学生かと思ったが、歳は私より2つ下なだけ。地元民だけに色々と貴重な情報をたくさん教えてくれた。これまで小学生がとにかく良く挨拶してくれるのに感心していたのだが、例えば私の通った山口の小学校では、お遍路さんではないが道行く人には挨拶するという"挨拶運動"を全校あげて展開しており、そのような習慣付けがされているのかと思っていた。彼女によれば特にそのような指導はされておらず、自然にお遍路さんに対して"大切にする"気持ちが備わるのだそう。ほかにも21番のお寺の裏情報や、四国4県の県民性の違いなど、小雨のなか山道を登りながら話は尽きず、楽した分もあるが11番から12番への道に比べたら屁、という意見にふたり一致してなんとか到着。

8:00 20番 鶴林寺 着。通称おつるさん。山門はとにかく風格と威厳と、なのに上品さがあり、一目で惹かれた。三重の塔も本堂も立派でお寺の規模からしてかなり大きく、雨に濡れてかえって雰囲気を醸し出しているように思えた。写真を撮って、次の難所へ向かう。

11:00 21番 太龍寺 着。 龍の廊下でも有名らしい。おつるさんからの下りは連れもあったし、道的に私好みの歩きやすい山道だったのであっという間。しかしここまでの登りもきつかった。何より寒くて、休憩に止まっても5分程度で冷え切って歩き出さなければならないほど。森の中を行くので傘がさせず、ガソリンスタンドでもらった園児風の帽子もがんばってくれたけど限界。あまりの寒さにお参りもそこそこに、ロープウェイの待合所に飛び込む。売店でお接待のマツタケ茶をいただき、ストーブににじり寄って暖を取る。聞けば気温2℃とのこと。全身内と外からぐっしょり濡れてなおさら寒い。ロープウェイを待つお客さんを気にしつつ上衣とカッパの裏を乾かす。ここでお約束・カロリーメイトでお昼にして、ぷー子ちゃんとプチトマトを分ける。大きくて甘くておいしかった。ここまで福岡の元先生と今日は何度も一緒になった。

12:20 さすがにUP。 雨が激しくなってきた。でも嫌というより楽しい気分。歩いているうちに腰もなんとか回復してきた。山を下って川を渡り、人里を横切って、裏山のような感じの登りにとりかかる。竹林が整然と続いていてとってもきれい。おつるさん、太龍寺の登りに比べたら赤子のような登りですぐ平らな道になったが、ふたりとも標示を信じて泣かされた経験から、まだまだ厳しいはず…と気合を抜かず先を行く。でもそのまま山道は終わってのどかな田舎道に。

13:50 22番 平等寺 着。ネコがいっぱい。とにかく寒いのでそそくさとお参りを終える。ぷー子ちゃんとはとりあえずここまで一緒に、という暗黙の契約(?)だったので、門前の茶店で温かいものを飲もうと誘う。

お店に入っていくと、先客のおじさん3人組みとお店のおねえさんがストーブにあたらせてくれ、出されたお茶がまた身に沁みる温かさ。ぷー子ちゃんに奢るつもりで頼んだホットミルクがものすごくおいしくてビックリした。ついてきたお砂糖を入れるとなお甘くて絶品。家でもよくするが、あの味はこのお店でしか味わえないのではなかろうか。生き返った心地というのはこういうことだと実感。おじさんたちがお接待(結果的にミルクも)でラーメンを頼んで下さり、これがまた感動するぐらいおいしかった。宿の豪勢な食材より断然おいしかったように思う。23番の札所でおじさんたちの健康を祈願すると約束すると大ウケ。本気だったんだけどね…。 ぷー子ちゃんは本日のお宿を決めておらず、かといってこの気候では野宿する訳にもいかず、それを知ったおじさん方が10km先の山の中にモーテル(その名もスターライト)があるのでそこはどうかと勧めてくれる。店のおねえさんが電話で聞いてくれ、予約してもらう。駅に行く私がこう行ってこう、ぷー子ちゃんはああ行ってここで曲がってこう、と道を説明して下さるが、最終的に駅の脇から国道に出た方が分かりやすいだろうということで、ぷー子ちゃんも駅まで一緒に行くことに。

ところがこのふたり、アバウト加減も同レベルで、教わったことをところどころ覚えているが肝心のつなぎの部分が全く抜けている状態。かなり進んで初めてチャリンコ少年に尋ねた結果、逆方向に来ていることに気付く。慌てて引き返したが、なんとのっけの左右からすでに間違えており、そこで正しく行っておけばアッサリと駅にでられるはずであった。これはきっと朝のタクシー分のペナルティ。ぷー子ちゃんのご両親曰く、お四国さん(=お遍路さん)は不思議なことに楽しても必ずその分だけ返ってきてトントンになる。そして一人ひとつはどんなにしても行き着けないお寺があるのだそう。多少大袈裟な言い方で、決して行けないのではなく相当たどり着くのに難儀するお寺という意味なのだが、そのお寺の方も例えば皆が口を揃える難所・焼山寺というのではなく、その人その人で違うらしい。ぷー子ちゃんとアドレスを交換して別れる。「何事も経験ですよね」とモーテル目指して歩いていく彼女はとってもかわいかった。

17:35 JR新野(あらたの)駅。 ぷー子ちゃんと同じルートを取ると翌日車でお迎えに来てくれることになっている旦那とのスケジュール上難しくなるので、最初の予定通り23番さんの近くの善根宿に泊めて頂くことにして、JRを使う。22番から23番までは距離にして21km。間に泊まるところがモーテル・スターライトぐらいしかないのである。時刻表を見ると10分前に出たばかりで、次は1時間後の発車。その間に薬局を探すが食料品の商店しかなく、暇潰しに旦那に電話。携帯がずっとつながらなかったので殆ど1週間ぶりに会話する。

19:00 日和佐駅着。駅を出た途端、声をかけられた。宿のおじさんがお迎えに来て下さっていたのだ。時間もちゃんと知らせていなかったというのに、なんという気配り。感謝というより恐縮。

この宿は麦飯定食の食堂で、駐車場脇に停まっているバスが遍路宿。ある時ご主人のお昼寝用の車にお遍路さんを泊めてあげたのをきっかけに、今では廃車マイクロバスを2台所有してお遍路さんの有難い味方になっている。とにかく寒さのあまり震えが止まらないので、自転車を借りてご主人が電話しておいて下さった薬局へ行った帰りに、宿の向かいのホテルの温泉に浸かってやっと一段落。暗闇に23番薬王寺の朱色の塔がライトアップされて浮かび上がり、逆方向には日和佐城が白く小さく山の頂きに落ち着いているのが見える。 バスに戻ると炬燵が入っていてうれしくなった。食堂の方に顔を出すと、ご主人が馴染みのお客さん達とともにお夕飯を用意して下さっていてビックリ。残り物でいつもこうしてお夕飯までして下さるのだそう。感謝しつつご馳走になる。お馴染みさんが注文していたヒラウオ(シラウオかも知れない)の踊り喰いを勧められ挑戦。ああ殺生…。とかなんとか言いながらごめんなーと心で合掌しつつ味わわせていただきました。酢じょうゆを滴らすと沁みるのか暴れ狂う。この時期だけしか拝めない貴重品なのだそう。お味の方はコリコリしていて食べやすい。美味でございました。

隣に座っていたおじちゃんにせっせと口説かれる。相変わらず動物と子供と外国人とおっちゃんに強い私。テキトーにのらりくらりとボケたりはぐらかしたりしているうちに、みなさんお帰りになる。口説きのおっちゃんはお家からお迎え待ち。その間におっちゃんが「ちょっとじっとしーや」とせっせっせーのよいよいよい、の形で私の両手首をそれぞれ左右の手で持って、眼を見とけと言う。おっちゃんもじーっと私の眼を見て、途中なんだろうと思って茶化しそうになったのを怒られて、しばらくそうした後に「よし、あんたは大丈夫。澄んだ眼をしとる」と言って手を放し、娘さんと帰っていった。他のおっちゃんにはインチキやと突っ込まれていたが、なかなか宗教的に素人さんでもなさそうなところを匂わせていた方だったので、これも由緒ある何かだったのかも?

ご主人は翌日が3月21日、つまりお大師様の命日であるのでその仕込みに追われ、遅くまで残業。若い頃に大阪・京都の府境のあたりにいらっしゃったそうで、某外大生をバイトで使ったこともあるとローカルな話題や大阪で照明のお仕事をしていらっしゃる娘さんの武勇伝で盛り上がる。この日のお膳の後片付けが手付かずで残っていたのでせめてお手伝いを、と申し出たが、気持ちだけでいいから早く休んで疲れを取りなさいと言って下さったので、かえって邪魔になってもと思い、お言葉に甘える。こんな気温はこの時期珍しいというほど外は真冬かという冷気だったが、おコタがむしろ暑いぐらいで、本当に身も心もあったまって良く眠れた。

本日の歩行距離: 24km
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