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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜阿波・発心道場篇
北村 香織
第5日
3月18日(木)///晴れのち曇

お薬は効いたのかどうなのかよく分からないような睡眠だったけれど、鼻水がけっこう固形化している分、楽になった。朝食時にお薬を下さったおじいさんにアンケートに協力してもらい、7:50 UP。 本当は7:30の予定が出る瞬間に腕時計がないことに気付き、総点検。結局替えのジーンズのポケットの中だった…。よかった。

のっけから道を聞くはめに。地元の人は誰も親切で快く質問に答えたり教えたりしてくれる。お礼を言っていると後ろから来た若い女の子に追い抜かれる。こざっぱりした服装で、お遍路さんというより旅人といった感じ。これから先何度もすれ違ったり顔を合わすことになったが、声をかける隙ひとつなかった。残念。

8:20 14番 常楽寺 着。 北海道からはるばるやって来たという昨日写真を撮らせてもらった人よりもっと完璧な遍路装束のおばあさんにアンケート。イメージを問う質問には苦労されていたがきちんと回答して下さり感謝してます。上品でとても素敵なおばあちゃんでした。

8:50 15番 国分寺 着。その名の通り聖武天皇の時代に阿波国分寺として開かれたお寺。大師堂の写真を撮る。

9:25 16番 観音寺 着。途中道路工事で迂回し、迷いかける。こういう場合、例の3500円地図はまったく役立たず。ここで元教師のとっても人格者的な元教師のおじさまにアンケートをお願いする。その間納経所へ。普通の民家が納経所らしく、誰もいなかったのでチャイムを押すが、故障しているようだったので、玄関を開けて呼んでみると、何も言わずに玄関を閉めて鍵を掛けられた。納経はすぐしてくれたが、あの態度には解せないものがあった。じっくり考えて1項目づつ丁寧に回答して下さった元先生は、お遍路さんがかなり経済的・機械的であることに気がついたとそのあたりのご意見、印象などを語って下さり、そのお話は大部分で私も肯かされるものだった。さっきのチャイムしかり遍路用品の値段しかり。そして宗教的な意味が薄れ、すっかり形骸化してしまった部分も否定できない。本当に救いの必要な人に限って経済的・身体的に八十八ヵ所をまわることができない現実。旅ができるということは本当にそれだけの余裕があり、恵まれているということなのだと思った。

またもや道を間違える。引き返し、商店の人とそのおかあさんに教えてもらう。

10:35 17番 井戸寺 着。カロリーメイトでランチ。出発しかけた時、元先生が現れてわざわざ私のためにお接待について道中考えたことを話して下さった。人格のよさが滲み出ていると思っただけあって、彼は地元の方からお線香代として千円いただいたりお食事やお野菜などをいただいたりされたそう。そういう経験を通して『ありがとうが自然に口を衝いて出るようになった』そうだ。これまでになくご自分が素直になれたような気持ちがしているという。私のアンケートを良いきっかけとして捉えて下さったようで、とてもうれしく思った。私もそれは同感で、地元の人にとっては日常の些細なことでもすごく感謝の念で受け止めている自分を見つけた。それは奈良や京都で日常を営む私にはなかったこと。感謝の念も素直さも、やはり宗教以前に人間が本来持っている原始のこころだと思う。進化論でサルから現在のかたちの人間になっていく過程を系統発生と言うが、種の発達とともに個人の発達があり、それを個体発生と呼んでいる。心理学では個体発生において系統発生を繰り返すというのが定説で、つまり赤ちゃんから大人になるまではサルがヒトになるのに辿った過程そのまんまということである。私は感謝の念や素直さといったものは赤ちゃんとは言わないまでも発達のかなり早い段階で備わる本能に近い心性ではないかと思う。

道に迷いまくって時間・距離を大幅にロス。徳島市街メインストリートに沿って歩く。アスファルトの立派な道路のせいか膝の裏がパンパンに腫れている。予約したビジネスホテルの場所をすっかり勘違いしてあわてて戻った。

15:25ホテル着。けれどもチェックインは5時からと言われ、荷物だけ置かせてもらって時間潰し。繁華街とは言えないけれど、下町といった感じで賑やかではある。けれども雨が小降りながら降ってくるし、喫茶店のようなものは見当たらない。やむなく駅のベンチでぼーっとしたり。道中なにが悲しいってこれやね。昨日もそうだったけど、しんどくて横になりたくても場所がない。雨で全身びしょびしょドロドロでも時間になるまではそのまま我慢しなければならない。いろんな場所や国を旅したことはあるが、こういう経験は今回初めてではなかろうか。ワンゲルでも雨の日はテントから出ないし、テントがあるだけ雨露はかなり自由にしのげていた。漂泊の辛さ・厳しさをほんのちょっと身をもって体験した気がする。

もはやぼーっとするのすらしんどくて、こっそり部屋に侵入し、不要な荷物を選別。本や厚手のシャツ、着替えなど。今までの疲れが溜まってきたのかだんだん肩・腰・足の限界信号が出るのが早くなってきている。足の裏と踵のマメ防止に巻いている包帯のせいか、マメは問題ないが足の表面全体にかぶれがでてきた。選別しても大して重さは減らなそうではあるが、ホテルの向かいの商店でダンボールをもらってきて詰めた。お好み焼き屋さんで早めの夕食にして、荷物を正面のカメラ屋さんに持っていく。そこのおばちゃんが3回八十八ヵ所巡礼経験のある人で、すっかり打ち解けて話し込んでしまった。「まぁまぁ すみませ〜ん」というのが口癖で、お客さんが入れ替り立ち替りやってくるのでその都度話を中断してお店の隅に座っていたら、色褪せた和紙に達筆な和歌の書かれたのを写真で復元したものを取りに来られたおばあちゃんがドアを開けるのを苦労されていたので手伝ったり、話し相手になったりしていた。カメラ屋のおばちゃんが一通りお客さんがはけてしまうと、ご自身が一番苦労したのがティッシュとタオルだったから、とお接待でたくさん下さった。おまけにきれいな民芸染めのポーチまで…。お店があるのでボランティア活動なども難しく、せめて1日に1つだけ役に立つことを心掛けて表の通りを掃いていらっしゃるのだそう。そんな誠実さと謙虚さと人柄の温かさが口癖も含めて全体から漂ってくる感じの人だった。私も見習わな。 …そういう人々に逢うことによって少しずつ私のお遍路さんは私個人のものから離れて、もっと大きなものになっていったような気がする。

本日の歩行距離: 21.2km + ロスした分 ? km
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