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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜伊予(後)・讃岐/完結編篇
北村 香織
第11日
8月13日(月)晴れ (高松市〜87番)

 朝5時に下で待ち合わせ、みんな時間通りに集合し出発。今朝は薄曇りでまだ空が蒼い。今朝は朝の、私の大好きなエッセンスが感じ取れるいい始まりだ。目指す屋島は街並みの向こうにこんもりと見えるので、地図を確認しなくても適当に方角の見当をつけて歩いた。春日川を渡る時にでっかい真っ赤な太陽が屋島から昇ってきた。ちょっと感動。周囲が明るくなってくるにつれて、私の方はどんどん眠くなる。また3人でそれについて話をした。短パン課長の歩行禅講義とランナーズ・ハイについての話が続く。そうこうするうちに、いよいよ屋島への登り道に到着。地元のおばちゃんから500円のお接待をいただく。お盆のお墓参りに子どもたちが先頭になってきつい登りを走って行く。木陰がある上時間帯が早いので暑さはあまり感じないが、かなり急な登りがだらだら続くのがしんどい。帰りもここを打ち戻ってくるのでザックを置いていきたいところ…。でも頑張って1歩1歩登って行った。

 7時前に84番屋島寺到着。広い境内でしばしくつろぐ。三毛猫がすばやい動きで昆虫を片手で捕え、そのままパクッと口に入れた。思わずギィやんを思う。私の留守中、相方が会社へ行っている間の大半の時間をひとりで過ごしている彼は、次々と獲物を部屋へ連れ込んでは亡骸を転がしているらしい。相方が盆休みで家にいるこの数日は、あまり外出もせず彼にくっつきまわっているのだとか。三毛ちゃんは食べるために狩りをしているというのに、ギィやんはストレスとか淋しさの捌け口に小動物をいたぶり、その生命を奪っている…。私が家にいる時でも、時々獲物を連れ帰っては激しくいたぶることがあるが、その時のギィやんときたらギラギラしていて、とても手が出せるものではない。いつもは可愛くてたまらない彼が、獲物をなぶり殺した後はいつも悪魔のように見える。でもこれも種の本能ではあるし、ちっぽけなニンゲンひとりに何とかできるような問題ではなく、大きな大きな自然の摂理に属することがら。私にできることはせめて、ギィやんの行為とその犠牲になったものの生命をそっと弔うぐらいだ。『生きとし生けるもの、一木一草にいたる一切衆生の個性化成就』のみを、この度のお遍路ではいつ頃からか念ずるようになっていた。個性化というのはユングの概念で、簡単には説明できないけれど敢えてするとしたら、「その人本来の生を生きること」とでも言えようか? 私自身はこのときは「その存在が本来あるべき生をまっとうする」という意味で念じていた。今回の旅では、最初の方こそ一通りのお作法にのっとってお参りしていたものの、途中からは、せっかくそらんじて言えるようになった般若心経もあげず、雪蹊寺でチヨウゴロウさんに教わったお作法もぜ〜んぶ省略して、ほんとに手を合わせて念ずるだけ。でもこれこそが大事なんだという確信があった。外から見るとお遍路を始めた頃の何も知らなかった自分となんら変わりない行動をとっているわけだけど、その間に一応の礼儀作法は学び、実践も経て(あまりに短い期間ではあったけど)、その上で自分の意思でたどりついた私のやり方だから、内側からするとかなり違っている。それはそのまま私自身の成長でもあるのだろう。

 でっぷりとした住職?さんに教わった近道で、打ち戻ることもなく八栗寺へと向かう。くねくねと下る車道を直滑降でほとんど滑り落ちるかのように横切って、順調に85番八栗寺へ到着。登りはほぼ一直線、きついことはきつかったが、余力は充分残っていた感じ。境内で念願のところてんを食べる。驚いたことに辛子酢じょうゆのおつゆだ。これがなかなか美味。おばちゃん曰く四国4県でところてんのおつゆはそれぞれ違うのだそう。こんなことなら全県で試しておくんだった…。

 八栗寺から志度寺への道は、山を下ると後はずっと車道。うんざり半分、でもとうとう残すところあと3つ。この3年半のお四国の旅の思い出がわいてくる。同時に結願したら自分はどーなるんだろーという思い、そしてまたまた答えの出ない「いかにお返しできるか」の問いが次々と押し寄せては行き、行っては返り…まるで波のように揺れる。でもってその合間に日常生活のひとコマなんかも考えたりして(ギィやんに会ったら仰向けにしてお腹グリグリしたいな〜とか)、これがここまで来たお遍路さんの心境というものなのだろう。古い街道の面影を残す道を行くと、正面に見えるは86番志度寺。大きなお寺でなかなか立派。お寺が経営しているのか診療所もあった。すぐ近くに海があり、こういう雰囲気は八十八ヶ所でもあまり他にはない感じで気に入った。時間の頃はちょうどお昼時、郵便局へ行くというビーン君に短パン課長も昼食がてらついて行くというので、私は荷物番として本堂裏の外廊下に残る。海がちょっとだけ見え、大きなクスの木陰で涼風に吹かれながら、いい気分で非常食用のお菓子と朝の残りのおにぎりで昼食。お寺の手前の自販機で「夏みかんゼリー」ジュースを売っていたので、それを帰りに買ってきてもらうよう課長に頼んでおいた。ちょうど去年の夏、土佐の国分寺へ向かう道で“相方君”が見つけて、私も1口飲ませてもらったんやっけ…。そのジュースはなつかしいような、甘酸っぱい味がした。

 2時間ほどのんびりして、さあ発つかと本堂の階段にまわった時、掃除をしていたおばあちゃんから缶茶のお接待をいただく。今日は長尾寺門前に泊まる予定なので、時間的にはかなり余裕がある。まっすぐの道をずっと歩いていると、後ろからの気配。東京の女子大生とチャリンコ彼氏だ。「来たなーとうとう追いついてきた!」と短パン課長も悔しそうな、でも本当はうれしそうな声。そこから少し行ったところで桃屋さんから声がかかった。「休憩して行って、お接待しますよ」 なんと桃のシャーベットのお接待。これはとってもおいしかった。短パン課長も「もう1個ほしいな」とつぶやいていたくらい。私も思わず通信販売のパンフレットをもらってしまった。これで生き返った気分で、87番長尾寺着。ここは境内はこじんまりしているが、門前の町は雰囲気のある下町。88番へのルートが3つ標示されており、3人で話し合う。即全員一致で女体山越えに決定。女子大生と彼氏は前山ダムのキャンプ場まで行くと発って行った。

 宿に着くと交代でお風呂をいただき、洗濯機をまわしてくつろぐ。やっぱり早く宿に着くとそれだけで儲けた気分。畳に足を投げ出したり転がったりできることが、なんて幸せで気持ちいいことか。3人でスーパーに買出しへ行って、戻ってくるとお夕飯に呼ばれた。3人揃っていっしょにテーブル囲んで食事をするのは初めてのこと。課長にビールをご馳走になって、宿の新鮮で見た目からして食欲をそそるお料理をいただいた。食後はもう気分が良くてよくて、早々にうとうとしていたのだけど、そこへ女将さんが来られ、宿代からお接待と言って500円玉を返して下さった。朝は早めに発つ予定なのでご挨拶も済ませておく。明日はいよいよ結願か…。結願ってどういうものなのか想像もつかない。とにかく1歩1歩大事に歩こう。あとはそのうちわかるはず―――。

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