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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜伊予(後)・讃岐/完結編篇
北村 香織
第9日
8月11日(土)晴れ (75番〜80番)

 早朝Fさんのノックで目覚める。すぐ支度して階下に下りると、なんと朝食に加えてお昼のお弁当まで用意して下さっていた。もうビックリして、ただただ有り難くて、何も言えずにいただくばかり。前日は夕方までお仕事されて、その後私をいろいろ案内してくれた上にお世話して下さり、私よりも遅く床につかれた筈なのに、何時に起きてこんなおいしいお食事を用意して下さったんだろう。数回のメールのやり取りで、どうしてここまで親切にしていただけるのだろう。私はFさんだけでなく、本当に色々な人々から受けるばかりで、一体何をしてあげられる?何を返せるのだろう? 

 善通寺まではまたFさんに車で送っていただいた。短パン課長とビーン君も道端で待っていてくれて、3人にFさんからお弁当と凍らせたお茶のペットボトルのお接待。私のみならず他の2人にまでお心遣い、じわっと心に沁みた。本当に本当にお世話になりました。

 ビーン君とは私は一緒に歩くのは初めてで、彼の境遇を聞いてちょっと驚いた。彼は2ヶ月前にお遍路に出てきたものの、松山で急に虫垂炎だか腸炎だかで倒れ、救急車で運ばれてそのまま2週間入院、1週間前に退院したその足で続きを歩いているのだと言う。見た目は普通の学生くん(しかも超まじめタイプ)だけど、秘められた根性というのかお遍路に対する執念・情熱はすごいと思った。彼はあまり積極的に喋る方ではなく、主に短パン課長が喋りをリードし私が返答、ビーン君がたま〜に口を出すというパターンで、でも和気あいあいと順調に道中進んで行った。

 76番金倉寺に7時着。77番道隆寺では山門前に野宿遍路があぐらに鉢を置いて座っていた。風貌鋭く、眼光もどこか鋭さがあって、かなり年季の入ったつわものの様子。私たちは喜捨などもせず、少し会釈をしただけでやりすごした。お参り後、納経所でヤクルトとゼリーのお接待をいただく。トイレの外壁にもさり気なく小さなお花が飾られてあって、こういうところにそのお寺の方の心栄えがはっきり感じ取れる。ここ道隆寺は私のお気に入りのひとつになった。門前の土産店でコーヒーのお接待をいただく。なんだか朝からお接待尽くしでいい〜んだろうか? なんてこののらくらが思うわけもなく、来たるご縁拒まずで喜んで立ち寄る。むしろ讃岐に入って残りが少なくなってくるにつれて、ますます道草というか地元やお遍路の方々とのご縁をゆっくり大事に歩いていきたい。そのせいかこれまでにも増して自然に笑顔で道行く人に挨拶ができる。

 78番郷照寺を過ぎてから立て続けに現金のお接待をいただく。道も教えて下さり、あるおばあちゃんは手作りの小さな鈴を4つも下さった。坂出に入ると車道や商店街のアーケイドなどごちゃごちゃした道を行き、暑さもだんだん堪え始める。八十場の水に着いた時は全員顔がぱあっと輝き、その冷たい水に何度も手を入れ顔を洗い―――なかなか先へ足が出ないほど。隣の清水屋さんのところてんが私はとってもとっても後ろ髪引かれる思いだったが、男性陣2人はそこは全く気にする様子もなく79番高照院へ。ああー仕方ない…と諦めた私も後を追う。神社と並び立つ高照院は、まるで別世界というか忘れ去られたかのように静かな、ただ時の流れゆく空間だった。お遍路さんも観光客の姿もほとんどなく、自動販売機も何もなく、本堂の広縁ですっかりくつろいでしまった私たち。Fさんのお弁当とお茶をゆっくりしっかり味わって、後はのほほ〜んと涼風に吹かれているだけの時間。最高のひとときだった。と、色白の細いお兄さんが松葉杖でやってきて、声をかけてきた。彼もお遍路さんだった。でも善通寺を出たところで車に轢かれて重症を負い、長いこと入院を強いられたそう。少しでも札所の近い所に、とこの近くの病院へ転院してきたらしい。今日は散歩兼リハビリがてら来たと言う。少し離れた木陰に腰をおろし、彼は自分の時間を過ごしていたが、後から1枚の直筆の絵を私たちにくれて病院へ戻って行った。何だか不思議な余韻を残していった人だった。

 ぎらぎらの炎天下、旧国道を行きさらにバイパスを3人並んで話しながら歩く。色々話したけれど、短パン課長のおっしゃった呼吸法の話が印象に残っている。3人とも全員一致してなぜか歩きながら異様に眠くなるのだが、短パン課長に言わせれば、歩く時の呼吸はまさに「呼吸法」で、呼吸法で得られる境地にとても近いという。そういえば、私の第2次区切り打ち・坐禅体験でも修行中に同じように眠っていたかのような感覚を味わった。歩行禅っていう言葉もあるし、両者にはかなり共通点があるようだ。だから課長は私の研究テーマ「遍路(の癒し)と心理療法」に関しても、歩きそのものを重要視した見方を示してくれ、それはとても参考になった。そんな話をしていると古い路地のような道になり、その道沿いに突然山門が現われた。80番国分寺だ。阿波のはちょっとやつれていたけど、概して国分寺はどこも立派で、それ以上に趣がちがう。土佐の国分寺の雰囲気にKOされた私、伊予もよかったけれどここ讃岐の国分寺もしっとり感に和んだ。ここには「びんぼう封じ」という変わったお守りがあって、各札所で数個ずつお土産用にお守りを購入している短パン課長でさえ初めて見た逸品。後日聞いたらやっぱりダントツの1番人気だったそう。

 今夜のお宿は国道沿いの民宿。遍路みち沿いの旅館に電話をしても夏場は閉めていると断られ、やっと取れた宿である。うどん屋が下にあって、やったー初の讃岐うどんと思ったらすでに閉店していた。今回の教訓。讃岐ではうどん屋は5時頃まで。そして夏遍路では休業中の宿にご注意を! 交代でお風呂と洗濯を済ませ、3人揃って夕飯の買出し。結局やや離れたバイパス沿いのスーパーまで往復した。短パン課長はさすが単身赴任経験者だけあって、遍路中も喫茶店とか食堂には入らず、専業主婦並みに夕方のスーパー特売なんかを上手く利用している。買い物を終えて戻ると、若い女の子と自転車の男の子が到着。この女の子がIさんや短パン課長ですら追いつけない脅威の50q/dayの女子大生で、男の子はその彼氏。彼女に遅れて自転車で東京から帰省がてら追いかけてきた彼を、彼女は松山で数日滞在して合流し、その後は時にひとりずつ時に一緒に(彼は自転車を押して)歩きながら、とうとう先行していた課長に追いついてきたのだった。彼女の方は課長に負けず劣らず真っ黒に日焼けして、彼氏の方は色白の男前君だけれど、2人とも実にさわやかな感じのいい子達。課長曰く彼らは夕方みんなが宿についてからが本領発揮で、そこから10kmぐらいはまだ歩く。だから必然的に晩が遅くなり、その分朝は遅めに出発する。明日はきっとまた後ろから脅威の追い上げでどこかで会えるだろう。いろんな人とこうも連日同行するのは初めての経験なので、なんだかそこに今回の旅の意味も隠されているようで、ある意味歩きのスタイルの違い等での不自由さも感じるものの、このまま運を天にまかせて歩いていこう。

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