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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜伊予(後)・讃岐/完結編篇
北村 香織
第7日
8月9日(木)晴れ (椿堂〜70番本山寺)

 今朝も4時過ぎ起床。あ〜もう少し寝ていたい…と思いながら、ぼぉ〜っとした頭で仕度して、5時過ぎにUP。空はほんのり明るんできた程度で歩きやすい時間帯だ。R192を阿波池田方面へ。車がけっこう通り過ぎる。トラックも多い。坦々とアスファルトを見つめ、もくもくと歩く。どれくらい歩いたろうか。ふと頭にひらめいたことがあった。<私の花は月見草だ…!>。なんで突然そう思ったかわからない。その場に月見草が咲いていたかも定かでない。でもとにかくそう思って、そして昔から妙に月見草には惹かれるものがあったことを思い出した。子どもの頃、この季節は早朝のラジオ体操の行き帰りにいつも目に入っていたこと。10代の頃にはどうしてもスケッチしたくなって、近所の道端にすわりこんで観察したこともあった。(私は画才がなくイメージだけが一人歩きするので、結局絵は描けなかった。)月見草にまつわる(?)そんなこんなを思い出しているうちに、自分は月見草のようなセラピストを目指すべき、と言うのか、そうなろうと思った。イメージは暗闇にポツッと咲く一輪の月見草。(月見草って群生していてあまり一輪で咲かないけど。) 道しるべのように、それでクライエントさんがわずかでも生の方へ目を向けられるような…。厳しさもある室戸の、そして原始の海を思わせる足摺の海でもあり、穏やかな瀬戸の海でもある、その上月見草のようなセラピストになりたい。。。と思ったら、急にじわ〜っとこみ上げてきた。『ひたすらに生き 雨の日も風の日も』。自分で自分にカンドーしてたら世話ないけど、そういうのではなくて、これが私のよって立つ基盤になるんじゃないか。これを探して今まで歩いてきたのかも知れない。そして立った今見つけたのかも知れないことに、ちょっと来た(;_;)。 心理臨床の世界へはまだ扉を押し開いて1歩踏み入れただけの私には底知れず、特に病院でお会いしているような病態レベルの重い人たちの苦しみや哀しみははかり知れない世界。だけど、生きて。「生」とは辛く、逃げたいようなこともあるけど、でもそれでも生きなければ。いのちとは自分が生きているのではなく、生かされているもの。それはこの四国で教わったこと。その生が寿命が尽きるまでは、必ずそのいのちには意味があるはず。生きて。生きて。生き続けなければ。その祈りこそが、きっときっと私というセラピストを支え続けてくれる。そしてその祈りがカケラでも相手に伝われば、その人の“埋もれた生”は月見草の淡い光の方向へ動き出すかも―――。 

 ちょうど前回のお遍路を終えた直後に初めてのケースを担当するようになり、実際に心理臨床の世界に足を踏み入れて3ヶ月弱。また、病院でも話を聴かせてもらっている患者さんたちの理不尽でどうにもならない運命とか、重くて行き場のないしんどさに触れて、自分がセラピストとしてどうあるべきなのか迷いのようなものも感じていた時期だっただけに、この月見草のセラピストイメージは私にとっての救い(支え)のイメージでもあり、きっと今後もずっと大きな意味をもつ「こころのたからもの」でもあると思う。

 66番雲辺寺へは9時20分着。山道はけっこうきつかったけど、アッサリ着いた。昨日のスコールでかなりぬかるんでいて、それに赤土の登山道は真ん中がごっそりえぐれていて片足でめいっぱいの道。虫がわんさかたかるし、おちおち休憩もできなかったお陰で、登りは1.5時間で行けた。急勾配では、きつくなると患者さんたちの人生を思って1歩1歩前へ進むしかない!ことを胸に頑張れた。その雲辺寺、入ったのが裏手だったのか、いきなり本堂と大師堂にお参りし、お寺の気というのかかなり自分としてはピッタリくるような気がして、しばらく休憩することにした。売店のおばちゃんは感じよく、偽石だけどお念珠ブレスレットのお土産もGet。が、納経所のおやじは悪気はないんだろうけど、高校野球に気を奪われて、お遍路さんに対しては気もそぞろ…。ゆっくり休憩できる場所を探してうろうろしてたら、このお寺ほんまに大きい…。でも至るところ新しく、しかもそれがイマイチ本来の雲辺寺の気とそぐわない感じがするし、鐘は撞くな、近道の裏門は封鎖、毘沙門天像の向こうにはスキー場建設…。なんか急に目に付きだして、ちょっと幻滅してしまった。でも、ロープウェイ乗り場の手前の芝生に転がって、風に吹かれて雲の下に広がる霞んだ下界を眺めるのは最高。青いアジサイがまだ残っている。かなり枯れかけてはいるけど、7月の石鎚登山を思い出した。青いアジサイ…私の初めてのクライエントさんの花なのかな…。だとしたら、アジサイは「変化」の花。きっとこれから彼女の内側の何かが変化していくのだろう。

 1時間半も油を売って、ようやく讃岐へ向けて下っていく。下界へ下りてアスファルトになった途端に足の裏が痛くなってくる。67番大興寺にやっと着いたーと思ったら、「正門から入るのが礼儀です。裏門から入った方には納経しません」の張り紙。なんじゃこりゃ! 礼儀まではわかる。でも納経代払うのはお遍路さんで、納経代取るならそんなこと言っていいの? 猛烈に腹が立って、納経してくれなくても構へんわぃと腹をくくって、そのまま裏門から境内に入った。お寺自体は雰囲気のある古刹で、納経所のおっちゃんも全然傲慢なところもなく、何も聞かずに納経してくれた。ちょっと自省もしつつ、正門から出る。ものすごい立派な大木に立派な門。時間的、体力的に考えた結果、70番本山寺を目指す。今日は本山寺の近くに泊まって、明日の朝一番で観音寺へ打ち戻る予定。正規コースではないので予想はしたが、それ以上にやっぱり道がわかりにくく何度も迷い、その都度地元の人に道を聞いた。<すいません本山寺へはこちらの道でいいんですか?>「あ?ほんがんじ?」<いえ、ほんざんじ>「え?」 (実はこの後とんでもない答えが返ってきて大ウケだったんだけど、肝心の答えを忘れてしまいました。めっちゃ残念…。)そのやり取りで、70番は「もとやまじ」であることが判明。お寺の名前って難しい。

 昼過ぎの太陽光線も強烈だけど、疲れが出てくるせいか3時、4時の時間帯が照り返しもきつく、一番こたえる気がする。へろへろしながらも足を引きずるような気持ちで、なんとかビジネスホテルに到着。ホテルというか、完全に普通のマンションをホテルにしていて、受付は別棟の不動産屋さん。ここで59番で出会ったIさんの同行の短パンのおっちゃんにバッタリ。「あ〜追いついてきたぁ。そろそろね、会えるんじゃないかと思ってたよ」。でも私は今から70番へ行って、明日は68,69番への打戻りだからまだ差は縮まらないみたい。(※Iさんは新居浜で一旦打ち止めにしたそうな。)部屋で少し休憩してから、5時前に着くように部屋を出る。70番本山寺はこれまた手入れの行き届いた古刹で、気に入って本堂の横廊下で心ゆくまですわっていた。でもここもいろいろと建替えの最中らしい。

 部屋へ戻って、短パンおっちゃん(以下、勝手に「短パン課長」と命名)の部屋にしゃべりに行く。彼は自宅は関東の方だが、今は単身赴任で東北にお住まいらしい。真っ黒に日焼けしていて、靴下のラインと太腿のラインがくっきりはっきり。明日は一緒に観音寺まで行ってくれることになった。「いいよ、香川に入ってくるとね、なんかもったいなくなってさ、なるべくゆっくり行こうって決めたのよ」と足の手入れを念入りにしながら、サラ〜ッと言われる。足はけっこうボロボロで、見るからに痛そう。でもスポーツマンらしくシャーシャー飛ばして歩く姿からはその足、想像できない。明朝の時間を約束して部屋に戻り、私も足を少し揉んでから寝た。

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