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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜伊予(後)・讃岐/完結編篇
北村 香織
第4日
8月6日(月)晴れ (今治・湯ノ浦〜60番〜61番)

 4:00起床。星が満天。やはり睡眠効果かけっこう復活。足の踵の水ぶくれ(今回は毎日すごい。中敷を変えた所為?)を手当てして余裕で出発。のはずが…よく考えたら待ち合わせは5:00だった!結局遅刻。バタバタと走って坂を下ると、お不動さんがポツンと道路端に腰掛けてはる。ごめんなさーい。脇の茶堂には野宿のお遍路さんが寝ている。今が一番よく眠れる時間帯なんだよね。夏は野宿にはいいけど、暑くて眠りにくいのが最大の課題。

 さすがお不動さんは先達だけあって道には詳しい。世田薬師の辺りで陽が昇ってきたが、幸いなことに今朝はうっすら雲が出て、いつもより歩きやすい。臼井の水を触ってみたら、冷たくてきれいだった。お不動さんが「妙絹さんに会ってどうだった?」と聞かれたので、私はちょっと考えてこう答えた。カウンセラー(セラピスト)の3条件というのがあり、これは来談者中心療法とか非指示的カウンセリングで有名なC. R.ロジャーズの唱えたもので、心理臨床家を志す者には絶対の条件である。そのひとつに「自己一致していること」というのがあり、これはカウンセラーは「自分自身が本当に感じていることを敏感に気付いている」ことで、つまり自分が本当に感じていることと、自分がこうだと思っていることとが一致している、という意味。クライエントはその逆の状態にある人であって、例えば、試験に臨むにあたって「自分の弱点が暴露されるかも」という恐怖感を潜在意識の中で持っているとして、でも彼は意識の上では「そんな不安を自分が感じるはずがない」と思っている場合なんかを自己不一致の状態にあると言う。私は妙絹さんにお会いして、<ああいう人を「自己一致している人」と言うんだな…>と思った。あるがままに、真にご自身に素直に生きていらっしゃる。そう感じたのだった。だから言葉ひとつひとつに、いや全身から静かなオーラが立ち昇って相手の人を包み、相手のこころに真っ直ぐ入っていくのでは。私はまだまだそんな域には程遠い。ぜひ見習いたいな…。

 丹原町に入る手前でカモさんから電話がある。「いやー今日は早起きしたから何となく…。頑張ってねー」<?>昨夜から連発だ。やや疑念。うれしいけど。道路脇のお店の駐車場で休憩。春と同じビニール袋を、お不動さんがシート代わりに敷いてくれる。なーんか懐かしい! 休憩中は脱げるものは全〜部脱いでしまうのが夏遍路の掟(と私は思う)。お不動さんが消毒液(治療液も兼ねてる優レモノ)とサイズ違いの絆創膏を沢山お接待下さったので、踵の水ぶくれをしっかり手当てしてUP。お不動さん曰く、この辺りの遍路地図でのコースは番外のお寺などに寄っていくコースになっており、もっと近道がある。眼の前にくっきり大きく聳える山の連なり。「あれが石鎚。こっちのがこないだ登った瓶ケ森よ。で、そのちょっと手前の峰が横峰さんやけんね」とお不動さん。すごい高い…。先月あんなところに登ったのか…。改めてギィやんはスゴイと思った。(親バカ???)

 丹原高校の近くのコンビニで朝ご飯とお昼ご飯を調達して(もらい)、店先で食べる。と、そこへ何か見慣れた感じの人…。<あーーーっ、カモさん!>「なんでー?! どうしたの…」お不動さんは豆鉄砲食らい状態。私はすぐに我に立ち返り、<やられた…。さっきの電話おかしいと思ってん> でもまさか傍まで来ていたとは。お不動さんはまだショック状態。そりゃそーだ、今までさんざん私たち“お遍路お不動さんファミリー”をビックリさせ続けてきたんだから。まさか自分がされる側になろうとは、想像だにしなかったんだろう。内心くすくすだった。

  とにもかくにも横峰さんへはこの3人組(初!)で挑戦。お不動さんもすっごくうれしそう。自然にお不動さん、カモさんがほぼ横並び、私が少し遅れて後ろという位置になる。そうして2人の全身像を、何となく視界のフレームにぴったり収めつつ、相変わらず周囲を(精神的に)キョロキョロしながら歩く自分の姿にふと客観的に気がついた。昔ワンゲル時代はパーティの先頭を歩くのが一番好きだった。後ろを気にはかけつつ、でもどっぷり自分の世界を満喫しながら歩いていたのに、今の私はこの最後尾の位置が一番自然、ぴったりくる…。

 登りにかかるとやっぱりそれなりにキツい。アスファルトを歩くと足の裏全体が痛む。この感覚は今年に入ってから急に。高知まではこんなの、その回で一番辛かった道中にのみ感じた程度なのに―――1つ歳とったからぁ?! などと1歳の重みを噛みしめていると、道端に湧き水が引いてあった。野菜売りの無人くん箱もある。タオルを濡らし、柄杓で頭から水をかぶる。山道に入る直前にも湧き水があって、そっちの方がもっと冷たいんだそーだ。確かに上の、その湧き水は本当に本当に冷たくて、口に含むとものすごくまろやかで、今まで飲んだ水で一番おいしいと思ったほど。車にいーっぱいタンクやペットボトルを積んで水を汲みに来る人、後を絶たずって状態。ここの水じゃないと…って気持ちよーく分かった。

 山にとっかかる前に、カモさんが歩いたとき横峰さんで買って送ってくれたお鈴をザックから外に出す。涼しい音。家では風鈴代わりみたいに活躍してたけど、やっと本来のお仕事をさせてあげられる。お不動さんを先頭にUP。さすが楽はさせてもらえないお四国のみち…。ふぅへぇ言いながらみんなの後をついていった。でも山の中はひんやりしてて気持ちいい。ちょっとお腹がすいたのか、腹に力が入らず気持ちわるい。と、お不動さんが休憩宣言。「少し長く休みたいから、先に行っていいよ」と言われ、まずカモさんがUP。私はもう少しゆっくりして、お不動さんにバナナもらったりして、それから20分後に2番手としてUP。お不動さんは何が何でも私の15分後にUP、と決めているらしく、ここに何か特別な想いがあるのか、それとも単にバテたのか…? ひとり歩き出すと、小雨が深い木々の無数のアーチの透き間から落ってきた。ヒートアップした身体には恵みの雨…。思いがけなく眼の前に山門が現れた。あれっ、もう着いた?って感じで、もっとキツいと思ってた分拍子抜け。段を上がって本堂にお参りする頃には、雨が本降りというか120%の豪雨というぐらいに降ってきた。気持ちいいので納経所までは悠々と歩いて、カモさんとふたりお不動さんを待つ。その間に私は香園寺の宿坊に宿の予約。カモさんは一緒に泊り、お不動さんは食事と晩のお勤めまで。お寺の屋根という屋根から温泉のように水蒸気が立ち昇る。豪雨にびっしょり濡れて、お不動さん到着。石鎚とご縁の深い彼は、ここ横峰寺にも度々登って住職の奥さんとも顔見知り以上。「ここの鈴はねぇ、僕が買ったら必ず誰かの所に行くようになるんよ〜」と言いながら1つお買い上げ。3人水羊羹をお接待いただく。もうさっきの雨はからりと上がり、空一面にお日さまの光。ふと見れば、石垣の草花たちがその陽を浴びて、無数の宝珠をそのからだじゅうに散りばめ、きらきら煌めいている。すごく純粋に素朴に。でもとても神々しいひかりの珠だった。こころで合掌。

 缶茶をお手水に浸けて冷やしていたので裸足で玉砂利を踏んで取りに行くが、さっきとは大違いで火傷しそうな熱地獄。朝買ってもらったお弁当を食べるが、お不動さんは道の駅で寝ていた野宿遍路さんも追いついてくると踏んで、彼らの分も買っていたのだった。が、来る気配がないので住職の奥さんに預ける。お不動さんの持ってきた蚊取線香をぶら下げ、交代でトイレに行ってからUP。そういえば山道寸前の湧き水の所のトイレは蚊も凄まじいらしい。要注意。

 下りが急になってすぐ、下から声がし始めた。おじいちゃん遍路2人組が、ばてばて状態で休憩中。香園寺から登ってきて、水も尽きたと言う。お不動さんがさっき買ったばかりのペットボトルを差し出すが、遠慮なのか「ええって」の一点張り。この頑固な方のおじいがまたよう喋る喋る…これは相方さん大変だ。相方さんが「じゃあ有り難く」ともらってくれて、ようやく二組のパーティはすれ違うことができた。下りはあまり急ではなく、でもどこまでもゆるゆると続く。歩きやすくはあった。さっきのスコール(と言っておこう)で山全体がしっとりひんやりしており、歩いている方が気持ちいい。香園寺奥の院まであともう少し…というところで、お不動さんダウン気味。顔色もあまり良くない。背中もびっしょびしょで、これはとりあえず着替えた方が…。自分はゆっくり休んでいくから、と言われるので、カモさんと私は後ろ髪を引かれながらも先に行くことに。ふたつのお鈴の音が重なって響く。このお鈴たちも姉妹なんだよね。喜んでるのかなあ…なんて思って歩いていると、「あれ、鳴らなくなった」。引き寄せて見ればカモさんのお鈴、中の部分が無くなってる…。このお鈴は、カモさんが最初にお不動さんと日々顔をあわせて歩いていた時にお不動さんから贈られた大切な宝物。心やさしい我が妹分は、お不動さんファミリーの残りのメンバー私と弟分の2人に、横峰さんで同じものを買って送ってくれたのだ。もちろん私にとっても大事な宝物。<きっと、さっきお不動さんが買ったやつ、またカモさんのとこに来るよ> 後日聞いたら果たしてご名答―――。

 奥の院でゆっくり休憩してたら、ご機嫌なお不動さんのハミングが近づいてきた。よしゃっ、と陰に隠れてワッと出たら、「キャッ」と小さく叫んで彼は物陰に。上半身ハダカで歩いてたのが恥ずかしかったみたい。別にパンツ一丁でだって私ら姉妹はヘーキやぞ…。 林が終わって炎天下のアスファルトになると、お不動さんがスイカ食べたい病に。「今ここにスイカ畑があったら、絶対ドロボーする!」とはお不動さんらしからぬご発言。遍路みちと市街への別れ道では、スーパーでスイカ買っていきたいモード満々の彼を、娘2人で強引に遍路みちを採択、香園寺着。とりあえず入口の自販機でジュースでかんぱーい、お疲れ様でした!

 着いた早々食堂でごはん。急がないと勤行に間に合わない。予約の時に子供用の食事の有無を聞いたら無いと言われて、食べ切れるか自信のなかった私だが、ここの食事は適量でおいしい、でもご飯は入らなかった。噂通り壁にも廊下にも赤ちゃんの写真がびーっしり。食べ終わると例の鉄筋造りの本堂に移動する。入ってみてビックリ。まるで由緒正しき欧羅巴の劇場…の仏教版、とでも言おうか、とにかく紅いシートがぐるりビッシリ。ほの暗い中に護摩壇上の金の法具が重々しく光り輝き、ろうそくの灯が時間の流れを変える。ここに来ると必ずお勤めに参加し、親しいご一家のために護摩を焚いてもらうというお不動さんの計らいで、急きょ私たちも先祖供養して頂くことになった。私は母方の祖父を。この春13回忌を執り行ったその日に夢に現れ、先月の石鎚で遭った(と信じている)じーちゃん。何か私に言いたいのかな〜とか思いつつ、時々気になっていた。3人っきりの観客(ちがう?)の中、尼さんのお声が朗々と流れ、一緒に心経を上げ、いつじーちゃんの苗字が呼ばれたか分からなかったけど、心の中で<じーちゃん元気にしてる?今日はほんまに良かったね>と語りかけていた。本当にこれはお不動さんありがとう。きっとじーちゃん、めっちゃ喜んでくれたと思います。住職さんのお話は「こころは水入れの器。こころを磨くつもりで歩くように」というもの。こころに刻んで聞いた。でもこのホール、本当に心地いいので眠〜くなってしまう。

 タクシーで帰るお不動さんを見送って、娘たちは交代でお風呂をいただく。広いお部屋でのびのび。今回は日記の青版もメモすらつけてない。足の裏は不思議なことに40km以上歩いた今日、全然痛まなかった。やっぱり特に後半が山道だったのが大きい。お不動さん&カモさんのお陰で無事に、充実して一山越えることができました。感謝。 

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