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掬水へんろ館のらくら遍路日記〜伊予(後)・讃岐/完結編篇
北村 香織
第1日
8月3日(金)晴れ (松山観光港〜51番〜鎌大師〜北条)

  星が降るようで、月もあかあか。でも時折雲がすーっと流れてきては月をすっぽり隠してしまう。海上なのに風が生暖かく、日の出の頃は、海も空も陸地も風も、何もかもが気だるくとまってしまって、昇ってくるはずの太陽すらぐずぐずしているように感じられた。

 6:05松山観光港着。早くから出口に並んだだけあってサッと下船。チヅルちゃんとはここでバイバイ、お遍路姿のお不動さんとは3ヶ月ぶりの再会。タクシーで石手寺へ。ここで私はお遍路さんに変身〜! 早朝の石手寺は静かで、前回来たときよりも私好み。簡単に打ち初めのお参りをしていると、1人の奥さんが歩み寄られて500円のお接待。その方は後でお不動さんの指定席にふたり座っている時に、今度は外国人の旦那さんと通り掛かられて、少し雑談をした。道後の喫茶店でモーニング休憩して本UP。7時半も過ぎるとすでにお日さまがギンギンしてきて、松山も猛暑な予感。でもお不動さんとお話しながらなので大丈夫。52番さんへの道もお不動さん任せでついていくだけの私は楽チンさせてもらいました。途中、山頭火の一草庵に寄る。さすらいの俳人・山頭火は、詩や俳句のセンスがない私にも、特にこうしてお四国を歩くようになってからはよりグッとその良さが身体で感じられる。庵は普通の民家のなかにあって、思ったより手入れされており、思ったよりは何もなかった。でも山頭火の確かに存在した証を見たようでもあって、ちょっと感動。しあわせな一生だったと言える人なんじゃないかな…とすこし思った。

 三津浜のあたりで少し道に迷い(しきりに「あれーこんなはずじゃ・・・」と背中が丸くなっているお不動さんがカワイイ)、でも地元の人に聞いたりして全然問題なし。道路端の開店前のお店の前で、靴下から笈ずるから全〜部脱いで足を投げ出して休憩するのも、夏遍路ならでは。この地べた密着感と開放感は1年ぶりでうれしくなる。「あのこんもりした山のところが太山寺やからね」とお不動さんが教えてくれるのも、気分的にまた有り難い。セメントの道が少し登りになり、両側に生い茂る木々が頭上でその梢を重ねあっている。涼風が吹いて気持ちいい〜♪ と、梢の影が地面にまあるく重なって、そのまるい陰影のなかに竹の葉の影が、まるで障子のぼかしのような小粋さ、涼やかさで二人しばし見とれる。木洩れ日が眼にやさしくて、これまでの暑さとギラギラが癒される感じ…。石段をふーへー登っていると、犬さんが登ってきた。が、しんどそうで(お腹大きい?)立ち止まってしまう。<ほれ、がんばれ>「一緒に登ろう」お不動さんと声をかけながら一歩登ると、犬も力を絞るように登りだす。みんな頑張って到着〜!52番太山寺。犬さんは石段の横に自分の場所みたいにドタッと転がってリラックス。境内は広く、なかなかシブイ古刹で感じは良かった。来た道を下ると、駐車場のところでニャンコに出会った。人懐っこく、顔を見れば甘え鳴いておねだりする。自販機で飲み物を買って戻ってみると、「念ずれば花ひらく」の碑の下で、先に誰かからもらったらしいペット用のおやつを食べていた。しばらく遊んでUP。奥の院には行かず、まっすぐ53番へ。あついあつい。この時間帯はじりじりでキツい。

 お不動さんが春に回られた時に見つけてお世話になった喫茶店があるというので、そこまでがんばる。入口が奥まっていて、外側はお花とグリーンが感じのいいお店。たぶん私ひとりだったら、とても勇気がいって結局入れないだろう。中に入ってびっくり。広い、ゆったり、静か、落ち着く…。ソファもちょうどいい柔らかさで、寝入ってしまいたくなる。ランチを頼んだら、すごいボリュームで食べ切れなかった、スミマセン…。でもソースもオリジナルだし、一緒に頼んだジュースのグラスがまたカットが洗練されていて、もうここから出たくない〜! お不動さんも同じ気持ちだったらしく、ここペリカン倶楽部で2時間近くは優雅に更けていったのであった・・・。

 じりじりと地肌が焦げる音が聞こえてきそう。しばらく国道を行くと、久方ぶりの海に出た。でも潮が干いてて見た感じからしてあつ〜い。海の色も空の色も、去年の土佐とは全然ちがって、でもこれが私の見慣れた瀬戸の色。四国の北側に来たんやな・・・と実感。国道沿いの果物屋さん前を通った時に、お不動さんが「スイカ食べよう」と中に入る。後からついていくと、おばちゃんがケースから出してくれたでっかいスイカが。さっき食べたばっかりなのにーと思ったが、これがペロリ。身体の芯が平熱に戻ったみたい。結局おばちゃんのお接待でみかんまで戴いてしまった。北条市に入ってからも、ますます太陽光線は絶好調。中心部の辺りは歩道も狭く、陰もあまりないので、有名な花へんろの看板のわずかな日陰で休憩。早坂暁氏の生家は取り壊し中だった。お不動さんが「食べる酸素」なるものを箱ごと下さり、その場で1包トライ。不思議な味…。でもこれで活性酸素が抑えられるのだそう。ありがたや。今夜はしっかり寝たいもん。

 今日の予定は鎌大師まで。前からあの有名な手束妙絹尼にはお会いしてみたいと思っていた。だってあんなにお遍路さんに慕われて、中には心酔しきっている人もある。カウンセラーの先輩でもあるような方だし、ぜひその秘訣を聞いてみたいし、その人となりをこの眼で見てみたかった。でも私はお遍路中に直接いただくご縁だけを紡ぎながら旅をしたいので、もし道中に誰かから「妙絹尼に会いに行け」と言われるか何かしなければ、自分から庵に寄ることは絶対しないと決めていた。が、33番雪蹊寺の通夜堂で会ったチヨウゴロウさんに会うことを勧められ、今回は距離的にもちょうどいいので、事前にお電話を入れてみた。妙絹さんはもう92歳と高齢で、お世話できないことを理由に通夜(境内でのテント泊も)は断られたが、話す時間は割いて下さることをお約束いただいている。電話の様子ではものすごく引き気味で、「話すったってねぇ…話すことなんて何もないし…」とかなり警戒的だったのが少し気にかかってはいたが、ご高齢で見知らぬ人と会って話すことは心身ともに大層疲れることではあるし、要は私は一目妙絹さんにお目にかかれれば目的は果たせるので、さくっとお会いしてさくっと辞去しよう。そうしよう。

 鎌大師に着いたのは4時過ぎぐらいだったか? お堂にお参りしてから庵の玄関に回る。庵と言っても、比較的最近建て替えられたきれいなお宅。妙絹さんは納経所になっている玄関口に出てこられて、やや前屈みにペタンと座られた。お肌がツルツルでなんてお若い! 

 簡単に自己紹介をして、妙絹さんにお会いしたかった旨を告げると、もう私はことばが出てこない。でもこの日はお不動さんと一緒。彼はかつて何度かここに立ち寄ったことがあり、妙絹さんともお会いしたこともあるらしい。黙ってにへにへ笑顔するだけの私に代わって、昔の大師松のことや、詩人の坂村真民さんのお話を次々と、あの“お不動さんワールド”な温かくのほほんとした話しぶりで繰り出し、妙絹さんもいつのまにかすっかりそのペースにはまって、お口も滑らかに色々お話して下さった(お不動さんのことは覚えておられなかったけど…)。著書を1冊ずつお接待いただき、しまいには妙絹さん自らのお点前をご馳走になってしまった。さくっと一目のはずが、こんなに素敵な時間を共有させていただけるなんて。これもお不動さん様々だ…。今宵のお宿は、北条駅近くのユースホステル(以下YH)をご紹介いただき、妙絹さん自らYHにお電話入れて下さる。かくしゃくとお話なさるのだけど、ややGoing My Wayな妙絹さんも間近で拝め、しかも車でのお迎えまで取り付けて下さった。ありがたいことです。ここから北条駅まで“戻る”という心理的苦痛は、歩きの方にはうんうん頷いていただけるのでは。

 お迎えに来て下さったのは、YHのオーナーと営業部長のビーグル犬・きょん。動物とのふれあいもお遍路の大きな楽しみの一つとしている私にとって、これはものすごく嬉しいお接待だった。(彼女は営業慣れしているだけあって、必要以上の愛想はふらなかったけど。) ワゴンに乗り込む私たちを、なんと妙絹さんがわざわざ玄関先まで出てきてお見送り下さった。合掌して頭を下げられて―――。ありがたくて有り難くて胸が夕陽のようにあつくなった。

 このYHは民家を2軒?つないだような、ちょっと懐かしい雰囲気の造り。私のイメージのYHは無機質な鉄筋コンクリとか寮的なものだけど、ここは本当にアットホームなほっこり感で落ち着ける。談話室は天井に材木の梁をどーんと生かしたデザインで、パソコンも自由に使える。オーナーは私ぐらいの年齢と思ったら、なんと一回りも上という。妙絹さんに次ぐ年齢不詳びっくりコンテスト?! お夕食はオーナーお手製のボリュームおかずの数々。食堂に集ったのはお泊りはなしのお不動さんと私、そして常連さんらしき男性の3人。食堂はかなり窮屈なので、協力し合っておかずを取り分けながら食べる。最初は食事の美味しさに各自夢中…という感じだったのが、お腹が落ち着くと会話も交わすように。この男性も年齢不詳で、とにかく独特の雰囲気のある人。お名前等詳しくは聞かなかったので、私の独断と印象でとりあえず「タビシタ氏」とさせていただきます。彼は世界中の、それもかなりマイナーなところを好んで旅をしてきているらしく、なかなか独断的なきらいもあったが見方としては面白い話を聞かせてくれた。するどい眼差しで熱く「アメリカ人は○△□だ、ドイツ人が一番優秀だ」とか。日本人は×△だ(概してダメって感じ)という話が続く中、そろそろご馳走様してお風呂かな〜(お風呂は松山の某温泉まで送迎してくれる)などと私の思念が空中遊泳を始めていた時、ふと彼が「日本人は正月に個々がそれぞれ念じるが、なんでそれを1つにできないのか。みんなの念を1つにすればいい」てなことを言い始めた。それにお不動さんがぐぐぐいっと身を乗り出し、もう少し詳しいことを聞き出そうと色んな角度から質問を始める。タビシタ氏はそこら辺が“感覚の人”なのか、うまく説明はできないらしい。お不動さんは常々「念」のパワーや、その大切さを私にも語られ、この日も道中まさに彼と同じようなことを話されていた。(と言ってもタビシタ氏の言葉とはニュアンスが全然違う気もしたんだけど。) だから私が驚くほど食い下がっては突っ込んでいた。最後の方は私はもうぼーっとして、全くついて行けなくなっていました。そこへ救世主? 女子大生2人組が到着。すぐにお風呂の仕度をして降りてこられたので、私たちもお風呂の用意に立つ。お不動さんも温泉まで同乗して行くことになった。温泉の玄関でお不動さんとはお別れ。女子大生2人組は高松から電車で逆打ちのお遍路さんで、2人とも素直そうな、すごくかわいい子たち。帰りの車中ではタビシタ氏が自身の旅の話を2人組に話して聞かせ、2人組がしきりに好意的な相槌・感想を洩らすので、タビシタ氏もご機嫌さん。さっきとは全然ちがうただのオジサンと化した笑顔で、表情もゆるみっぱなし。きょんは後部と中部座席の間に伏せて静かな呼吸。私も大半うとうとしていた。

 YHに帰ると私はお洗濯。その間に両踵にできた大きな水ぶくれを手当てして、オーナーのPCルームでYHのHPを見せていただく。常連さんの一人がアメリカでもご活躍のイラストレーターで、YHのお客さんのイラストも満載。きょんとオーナーのイラストもその方が描かれていて、ものすごく似てる上に画風がラブリー。そのイラストレーターさんはたまたま今夜はご不在で、翌日はまたYHに来られるのだそう。ニアミス、残念。写真を撮ってお渡しすれば、描いてHPにアップして下さるそうだけど、私はなるべく表の世界(?)に姿をさらしたくない性質だし、ご縁なきこととして流した。みんなは食堂でコーヒータイム。ほのぼのアットホームな空気はまだまだ続きそうだけれど、私は翌朝5時には発ちたいので皆さんにご挨拶だけ済ませて階上へ。もう12時かー。長い1日やったな…。でもいろんな方とまた一会の時空を共有できてしあわせ。明日もがんばろう。

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